五章④ 雨の日の記憶




 それから色々と雑用をして、結局邸を後にしたのは日が暮れ始めた頃で。今は早めの夕食を取ろうということになり、シャナイアと二人で適当な食事処に立ち寄っていた。

 そこは騒ぎがあった日から休業しており、今日から営業を再開させたらしい。流石にまだ賑わいが半減したままの街では大した稼ぎもなく、暇を持て余していたところにやって来た客を逃すわけにもいかないのだろう。

 露骨に嫌な顔をするも、店主はルカを追い出すことはなかった。


 ……それにしても、


「貴様、よく食うな」

「……そう?」


 口の中の物を飲み込んでから、シャナイアが不思議そうに首を傾げる。

 四人掛けの丸いテーブルに並ぶ、数々の皿。今朝漁で獲れたばかりだという魚のホイル蒸しに、生ハムが乗ったサラダ。チーズのリゾットやら鳥のトマト煮込みやら海鮮のスープパスタだとかとにかくメニューの片っ端から頼んでは、細身の身体に難無く詰め込んでいる。

 その食いっぷりがあるからか、いつしかルカに向けられる店主の顔が笑顔に変わっている。


「聖霊は小食というか、菜食主義の者が多いと聞くが?」

「そうそう、全く肉とか魚とか食べないわけじゃないんだけど少ないんだよね。俺はそれだと全然物足りなくてさー、昔からこうなんだよね」


 もぐもぐ、ごっくん。ちゃんと口の中を空にしてから喋る辺りは流石に行儀が良い。


「ま、ほら。成長期だからさ、俺。それに、空腹ってどうしても耐えられないんだよね。野宿の時とかは仕方ないとしても、街に居る時はしっかり食べたいじゃん」


 金がない金がないと言っておきながら、その大半を節約もせずに食費に当てているのは如何なものか。

 この辺りは、やはり温室育ちの王子だと思う。空席の椅子に立て掛けられた棍杖は、いつしか本当に売り払われてしまうのではないかと妙な考えまで湧いてしまう。

 溜め息を吐いて、とっくに食事を終えたルカは運ばれた茶を飲む。

 桃の香りがする、フルーツティーだ。甘酸っぱい香りと甘さは、ルカにとって好ましいものだった。


「……そういうの、好きなんだ?」


 噎せた。


「いや、なんか美味しそうに飲んでたから。やっぱり、女の人って果物とか甘いの好きだよねって思っ――」

「刻むぞ」

「ごめんなさい、何でもないです」


 羞恥に熱くなる頬を誤魔化す様に、カップの中身を一気に飲み干すルカ。なんという失態だ。


「でもさー……なんていうかあの二人、もどかしいよね」


 不意に、シャナイアが言う。一瞬何のことかと思ったが、気を使って話題を全く別の方向へ逸らそうとしたのだろう。

 よりにもよって、あの二人についての話題に。


「どうするつもりだ?」


 ルカが問う。このお人好しなら、また面倒なことを考えているに違いない。

 しかし、シャナイアの返事は意外なものだった。


「別に、何も?」

「……は?」

「明日の昼、ノール行きの船に乗るから忘れないでね。あ、聞いてよ。一等の運良く個室が取れたんだ。船室の二人部屋だし狭いだろうけど、俺以外の聖霊は居ないから我慢してよね」


 粗方食べ終わったらしく、オレンジジュースを口に含んで嚥下して。店主はお役御免になった皿を器用に重ねて運び、店の奥へと消えた。


「……何、一人部屋が良かった? 残念でした、明日の船にそんな気の利いた客室はありませんでした」

「いや、そうじゃない。私が言いたいのは」

「はいはい、わかってますよ。でも……俺さあ? これでも結構堪えてるんだよ、ホルン村のこと」


 ルカの言葉を遮って、シャナイアが白状する。


「彼らには本当に良くしてもらったんだ。でも、その行為を踏み躙るような結果になってしまった。ロイドを死なせて、アイリを泣かせた。次もそうなったらどうしようって、思わないわけないだろ?」


 声が震えている。今、自分がどんな顔をしているかなんて、きっとこの若い英雄は知らない。


「眼帯を外して医者に詰めよれば、ユタさんを診てくれるだろうね。でもさあ、それで解決出来る問題なのかな? それに、メグもユタさんもそんなことは望んでいない。何もしないことが、二人の為なんだよ、きっと」

「……私は、あいつ等がどうなろうと知ったことではない。貴様がまた面倒なことを考えているのではないかと思っただけだ」


 ルカにとっても、あの二人がどうなろうと知ったことではない。無関係なのだから、これ以上何かをしてやる義理なんかない。

 ごちゃごちゃと、言い訳じみたことを考えていると、シャナイアが言った。


「なんか、雨降りそうだよね」


 何のことかと、傍らの窓から外を見上げて。半分程開け放たれた窓からは、カビ臭い風が吹き込んでくる。


「そうだな、空気が湿っぽい。夜には降るだろう」

「嫌だなぁ」


 隻眼が、恨めしそうに雲を見上げる。灰色で覆う空に、顔を顰めた。


「雨って……嫌いなんだよね」



 その夜はルカが思っていた通り、静かな雨夜になった。しとしとと屋根を叩く雨音は眠る耳には心地良い。

 風も吹かず、雷鳴が轟くこともない。本当に静かな夜だ。

 だから、彼が起きていることに気がつくことは容易かった。


「あれ、起きたの? ……もしかして起こした?」


 シャナイアは苦笑する。隣のベッドで上半身を起こし、片膝を立てた姿勢でルカの方を向く。左眼の眼帯は、寝る時でさえも外す気はないらしい。

 ルカが何も言わないでいると、シャナイアが嘆息した。


「こういう雨が降る夜って、嫌いなんだよね。落ち着かないっていうかさあ」

「落ち着かない?」

「うん、そう。落ち着かない……」


 備え付けのテーブルに火を灯したランプを置いたのも、彼だった。橙色の小さな炎はほとんど揺れることもなく、部屋の中を控え目に照らしている。

 今夜は雨が降っているので、ランプが無ければ視界は暗闇に支配されるだろう。不意に、視界の端できらりと何かが光った。


「こんな夜、だったみたいだよ」

「ん?」


 光ったのは、彼が手に持つ棍杖だった。ルカを襲う為ではなく、ただ眺めるだけの為に布を取ったらしい。金の飾りが、ランプの光を浴びて品良く輝いている。


「俺がセレナイト城に捨てられたのは、こんな雨が降る夜中だったんだよ。とは言っても、赤ん坊だったから覚えてはいないんだけど」


 気になってたんだろ? 見透かしたように言うと、シャナイアは話し始めた。ルカも倣って上半身を起こすと、乱れた長い髪を指で梳く。


「……現セレナイト国王であるセイロン様には、レダ様という王妃様が居るのは知ってる? 側室は居ない。そもそも、セレナイトの歴史で側室を持つこと自体があんまり多くなかったんだけど……とにかく、次期国王は、レダ様との間に生まれた子供が継ぐことになるんだ」


 ルカの故郷であるジュイゾでも、側室は持たない傾向だった。しかしそれはジュイゾだけで、他の三国は全て側室を持つ。

 今となっては、役に立つ知識ではないが。セレナイト国もそうだったとは、知らなかった。


「セイロン・セレナイト……確か、かなりのジジイだった筈だが」

「ずっと子供が出来なかったんだよ。でも、二十年前に第一王子であるレイール様がお生まれに、そしてその五年程後、二番目の王子ルイ様がお生まれになった。でもルイ様をご懐妊された時、レダ様は体調を崩されたみたいでさ。帝都から離れた、海沿いの修道院でお過ごしになったんだ。そして、無事にルイ様を出産した」


 雨は窓の外で、静かに降り続いている。話は続く。


「落ち着いた頃、レダ様とルイ様がお城にお帰りになることになった。でも、その道中だった。お二人の乗る馬車が、運悪く山の中で土砂崩れに巻き込まれたのは。運良く旅芸人の一座が通りかかって、レダ様を助けることは出来た。でも、生きて助けられたのはレダ様だけ。同行していた従者と、ルイ様は土砂に埋もれて亡くなった」

「……そんな話、初めて聞いたが」

「そうだね、セイロン様が隠してしまった秘密だからね。聖霊どころか、お城の人でもほとんど知ってる人なんか居ないと思うよ?」


 国王が隠すのも無理はない。二番目とはいえ、跡取りが死んだのだ。国民はもちろん、悪魔に知られれば弱みを握られることになる。

 だが、理由はそれだけではなかった。


「レダ様は事故のせいで両目の視力を失ってしまった。だから、ルイ様がお亡くなりになったことを信じられなかった。まだ乳飲み子だったルイ様を失くして、レダ様は発狂した。お城に戻っても、セイロン様やレイール様が説得しようとしても、駄目だった。そうして何日か経った、こんな雨の降る静かな夜だったみたいだよ」

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