四章⑥ 街の変わり者
「……『ワイアット・アンガスの兵法』」
「今から約七百年前に、ワイアット・アンガスっていう聖霊の天才的な策士が居たんだ。当時の戦争では聖霊が劣勢だったんだけど、彼の策のお陰で形勢を立て直すことに成功した。これは、彼の集大成ってやつ」
まさか、幼少時代からこんな本を読んでいたとは。なんと可愛げのない。
「わー……シャナイアさんって、凄いんですねぇ。そんな難しい本を子供の頃に読んでいたんですか?」
「えっ? あ、いや……こ、子供用に改定されたのだよ。挿絵や図も、沢山書いてあったし」
あはは、と力無く笑って誤魔化そうとするシャナイア。そうして本を一番上に置くと、代わりに傍にあった紙の束を掴む。
「あれ、これって……」
不思議そうに、シャナイア。これまた無遠慮にぺらぺらと捲るその中身を、ルカも何となく見やる。
拙い字が、いくつもいくつも覚束無い様子で並んでいる。シャナイアが捲って行く中で、計算式のようなものも見えた。
「わっ、見ちゃだめですよ! 恥ずかしいです……」
「あ、ごめんごめん。凄く勉強してるんだなって思ってさ」
「なんだ、ガキ共。まだおったんか」
緩慢な足取りで、階段を下りて来る男。手摺りを縋る様に掴みながらも、怪訝そうに向ける瞳は変わらず不気味である。
「あ、旦那さま。お二人にはお掃除を手伝って頂いたので、そのお礼をしようと思っていたんです」
「はっ、てめぇも世話焼きだな」
吐き捨てるように、男。そんな態度に、ふと気が付いた。悪魔であるメグやルカに対して嫌悪感を抱くのは、聖霊としては正しい反応だ。
「ああ? おい、何勝手に人のもの触ってんだぁ?」
「うっ、すみません……」
ただ、男はシャナイアにまであからさまな嫌悪を露わにしている。確かに、他人のものを勝手に触るシャナイア自身も無礼なのだろうが。同じ聖霊に対してここまで邪険にするのは珍しい。
「それ、わたしの練習帳なんです……すみません、置きっぱなしにしてしまいました」
「けっ、相変わらずどんくせぇな。ちゃんと片付けておけよ」
随分髪の毛が少なくなった頭をがりがりと掻いて、男。
どちらかと言うと、気まずさを隠す為の不機嫌さだと感じた。
「え、えっと……旦那さまは昔、物語を書いてらしたんです! 凄いんですよ? ……わたしはまだ読めませんけど」
「ああ? 読んでもねぇくせに何が凄いだ。知ったかぶりすんな」
「う……すみません」
「ま、物書きつってもそれで食ってたわけじゃねぇがな。……ガキ共、茶飲んだらとっとと出て行けよ」
そう言い残すと、男は再び階段を昇っていってしまう。どうやら、様子を見に来ただけらしい。
「あ、旦那さま! 何かあったらすぐに呼んでくださいね?」
「あー、わかったわかった」
そんな男に、笑顔を向けるメグ。自分の中でどんどん膨れ上がる違和感に、ルカは眉を顰めることしか出来なかった。
「あの人……かなりメグのこと、可愛がってるみたいだね」
結局、ルカの違和感を突きとめたのはシャナイアであった。日が暮れる頃に宿を取り、悪魔が居ることにお馴染の嫌味を言われながらも二人部屋を確保してしばらく。
部屋はシャナイアの願望通りに清潔感がある。シーツは染み一つなく、窓も綺麗に磨かれている。
少々狭いが、特に問題は無い。
「可愛がってる? 聖霊が、悪魔を?」
「メグの手、見た? 怪我だらけだったけど、ちゃんと手当てしてあっただろ?」
「……ああ」
「あと、膝にも痣とかあったけどあれは転んだ時に出来たやつだろうね。彼女は足が悪いみたいだから、よく転ぶんだろうね。それも絆創膏貼ってあったし、顔や腕には虐待の傷はなかった。服や靴は古いものだったけど清潔だったし解れも無い、髪にもフケや虱はほとんど無かった。それに、足は悪いみたいだけど健康状態は良さそうだったしね」
違和感は、それだった。ルカが今まで見てきた奴隷の悪魔達とメグは、全くの別物だったのだ。
食事はろくに食べられず、風呂にも入れず、襤褸を纏えれば良い方。靴など履けるわけがない。
それなのに、メグには靴も服もあった。清潔を保て、飢えることなく健やかで。
「大きくなってから字を覚えるのは難しいって聞いたけど、彼女くらいならまだ大丈夫みたいだったし」
「それが何だと……ああ、なるほど」
今度はルカにもわかった。貧しい山村などでまともな教育を受けることが出来ず、字を読めない者は以外にも多い。メグもそうだったのだろう。
だから今になって、文字の練習しているのだ。そんな彼女に文字を教え、練習の題材を与えたのは誰なのか。
「ユタさん、だったけ。あの人、意地が悪そうだけど、良い人だね」
ユタという名前は、あの後メグに教えて貰ったものだ。ルカはユタの顔を思い出し、思わず舌を打つ。
「どうだか。偏屈ジジイが、貴様のことも嫌っていたようだが?」
「そもそも他人が嫌いなんじゃない? たまに居るだろ、そういう人。ていうか……あんたがそうじゃん」
ベッドに腰掛けながら、クスクスと笑うシャナイア。まさかあのジジイと一緒にされるとは、心外である。
「……一発殴らせろ」
「ごめんなさい、何でもないです」
低く言えば、すぐに謝る英雄殿。なんて情けない、今すぐ街中の聖霊に知らしめてやりたい。
「ふんっ。やはりあの時、貴様の眼帯を外してしまえば良かった。そうすれば、あのジジイの慌てふためく顔が見れただろうに」
「やめてよ、必死に隠してる人の秘密で遊ぶの」
呆れ果てたような溜め息が、部屋中に霧散する。ガーデンに住まうほとんどの聖霊と悪魔は、死んだ筈の英雄が安宿で悪魔と相部屋で喋っているだなんて考えもしないだろう。
本当に、なぜ英雄がこんなところに居るのか。
「……どうして、貴様は」
あの時、逃げ出したんだ。その理由を、ルカはまだ知らない。
――ルイ・セレナイトは既に死亡している。皆が知る翠眼の英雄と、ルイ・セレナイトは別人である。
それは、ブーゲンボーゲンに入る前にシャナイアから聞いた。あの時、彼はそうとしか答えなかった。
それならば、彼は一体何者なのか。
「あー、もう眠い。寝る、お休み!」
「お、おい待て……」
探ろうとすれば、逃げられる。ルカが止めるよりも早く、シャナイアは毛布を頭ま
で被ってしまう。
剥ぎ取ってやろうかと思ったが、呪術が使える二人で取っ組みあったらきっとロクなことにならない。ここは引き下がるしかないのだろう。
「…………」
しかし、納得いかない。答えをはぐらかされ、はっきりしないのは気持ちが悪い。
ムカツク。
憂さ晴らしでもしないと、眠れそうにない。
「……そういえば、貴様。あのメグとかいうガキのこと、やけに細かく観察していたようだが」
「…………」
ぴくりと反応。更に畳みかける。
「幼女趣味だったのか、英雄殿は」
んなわけあるかっ! 毛布越しに聴こえる抗議の声に、ルカは一人口角を上げた。
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