一章④ 英雄は死んだ

 声を荒げているのは、どうやらただの商売人では無さそうで。兵士のような鎧は着てはいないものの、鍛え上げられた身体つき。

 品性の無い荒くれた様子は、兵士では無く元傭兵だろう。


「こんな大事な日に盗みを働くなんてな……王子に対する仇打ちか。それとも、テメェらを生かしておいてくれたセイロン陛下への冒涜か!?」

「違います! そんなつもりはありません、ただ……どうしてもお腹が減っていて」


 悪魔の少年が、何度も額を地面に擦り付ける。幼子のそんな痛々しい姿に、シャナイアの胸がじりじりと痛む。

 三年前。種族戦争に敗れた悪魔は、生きる上での権利を完全に聖霊に奪われてしまった。彼等は年齢、性別問わずに奴隷として無理矢理に従わされているのだ。ブーゲンボーゲンのような大きく栄えた街には特に、下働きとして酷い扱いを受けているのが現状である。

 どれだけ働いても、賃金どころか食事すら満足に出来ない。残飯を漁れるのはずっとマシな方で、件の子供のように盗みをするしか命を繋げないものも少なくない。


 ――そんな彼等に、聖霊はだれも手を差し伸べない。それが、今のガーデンにもたらされた『平和』なのだ。


「も、もう絶対にしません! だから、許してください。あなた達の言うことを何でも聞きますから」

「テメェ……英雄の追悼式典の日を台無しにしておいて、そんな簡単に許して貰えると思ってんのか?」

 

 顔を上げた少年の胸倉を片手で掴み、男は嘲笑う。騒ぎが伝わったのか、人だかりが更に増え始めた。


「良いか? 悪魔の謝罪方法は一つだけだ。命をもって償う、それだけだ」


 空いているもう片方の手を少年の前に翳す。すると、一瞬の内に男の手が赤色の炎に包まれた。おお! と歓声が上がる。

 聖霊は『神術』と呼ばれる、世界を構成する四大元素の一つを操る術を持っている。男の能力は炎。


「翠眼の英雄へその命を捧げろ。セレナイト帝国に、その身をもって償うんだ」

「ひっ、ひい! やだ、ごめんなさいごめんなさい!!」


 ごめんなさい、と泣きじゃくる少年に観衆は冷酷に嗤う。誰一人として、争いを止めようとしない。

当然だった。自分たちの食事に集るハエを、汚らしいネズミを慈しむ者が居る筈が無い。

 この世界で一番の憎悪を抱く存在であり、無様で滑稽な敗北者。

 故に悪魔は、聖霊にとってハエやネズミと同類なのだ。


「……え? ちょっ、ちょっとシャナイア!?」


 正直、我慢の限界だった。


「……ちょっと、待ちなよ」

「ああ?」


 アイリから離れ、人集りを押し退ける。そして、騒ぎの中心へと向かった。

 突然割り入ったシャナイアに、男が怪訝な顔をする。


「もう、その位で良いんじゃないの? 子供のやったことだろ、そんなにムキになるなよ」

「なんだ、テメェ。この悪魔のガキを庇うってか?」


 周囲がざわつく。悪魔の少年でさえ、信じられないようなものを見るようにシャナイアを見上げてくる。

 だが、シャナイアも引くわけにはいかない。


「やり過ぎだって言ってるんだけど。こんな場所で勝手に火刑なんかされたら、それこそ式典が台無しだよ。この辺り、食べ物屋さんも多いし。あんたが今思っているように神術を使えば、迷惑だと思う人も一杯居ると思うけど」


 臆することなく、シャナイアが詰め寄る。彼の言葉に、確かにとそうだ同意する声を出す者も出始めた。

 少年に対する仕打ちよりも、この後訪れるであろう惨状の片づけを面倒だと思った者が大半なのだろうが。


「反省もしているみたいだし、もう許してあげたら?」

「冗談じゃねぇ! おいガキ。こっちはな、あの戦いを生き抜いてきたんだ。悪魔にルイ様を殺されて、大事なものを沢山奪われて……戦争が終わった後もコイツらに好き勝手されて、はいそうですかと見逃せるわけがねぇだろ!?」


 男が少年の胸倉を離す。尻持ちを着いた少年は小さく呻くものの、大きな怪我はしなかったよう。


「邪魔するつもりなら、テメェも燃やすぞクソガキがあ!」


 自在に操られる炎は、自身を傷付けることはない。いくら手の中で燃えあがらせようと、それは絶対。

 まあ、でも


 ――余裕かな。


「……やってみれば?」


 シャナイアが隻眼を猫のように細める。左手に握っていた杖を、くるりと手遊びで一回転。


「ごめんアイリ、持ってて!」

「えっ、ええ!?」


 杖は構えず、いつの間にか観衆の最前列にやってきていたアイリに向かって放る。慌てて伸ばした彼女の両手に、杖は上手く収まった。


「あんたなんか、素手で充分! 神術も使わないでおいてあげるよ」

「こ、このガキが!!」


 体格は男の方が良く、それなりに神術の力量も高いようだ。端から見れば、武器も持たないシャナイアが不利なのは歴然だった。

 実際、炎を纏う拳はかなりの威力であることがわかる。しかし、それだけではシャナイアは捕らえることは出来ない。


「なっ!?」


 動きを見極め、身を翻し最低限の動作で避ける。渾身の一撃を交わされたことに、男は大き過ぎる隙を生んでしまった。

 見逃したりしない。隙を突いて背後を取って、シャナイアが笑う。


「はい、残念でした」

「えっ――」


 男が間の抜けた声を出す頃には、その体躯は既に地面に薙ぎ倒されていて。無様な背中に蹴りを打ちこめば、衝撃に炎は消え失せた。

 手を掴み、うつ伏せの状態で捻るように押さえつける。無理な姿勢に男が情けない悲鳴を上げた。


「いっ、いででで!!」

「いかにも大義名分なこと言ってるけど、戦争で働く場所が無くなったから少しでも憂さ晴らししたいだけでしょ。大体、街中で神術を使うこと自体が非常識なんじゃないの? 俺の記憶では、正当防衛時以外の攻撃目的で神術を使うのは法律違反。このまま兵士さんを呼べば、あんたが捕まってもおかしくはないと思うけど……さあ、どうする?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る