僕は君に殺された

人夢木瞬

僕は君に殺された

 目が覚めた瞬間に僕は死んだ。あまりに滑稽な結末だったと思う。寝苦しくて眠りから脱してみれば、馬乗りになった女が今まさに僕の魂めがけてナイフを振り降ろす刹那だったのだから笑えない。

 ただ、神様というのはふざけているようで、僕は死んだまま動き回ったり、人とコミュニケーションが取れる身体の持ち主だったわけだ。

 目の前の女は大いに驚いているようにみえた。その表情から察するに「殺したはずなのに生きてる!」というよりは「誰だこいつ!」と考えているに違いない。まったくもってふざけているのは神様だけじゃなかったらしい。

「あのさ、とりあえず退いてくれない? 重くて呼吸しづらいんだけど」

「は、はい……」

 女性に対して重いとは失礼だっただろうか。だがそれ以上に不法侵入して人のことを勝手に殺す方が失礼の度合いとしては大きいはずだ。だから僕は悪くない。そんなことを自分に言い聞かせながら、僕はゆっくりと身体を起こした。

 部屋の明かりは消えているものの、今日は綺麗な満月が空に浮かんでおり、大まかに辺りの様子を確認するのには十分だった。

 して、分かったことだがどうやらこの女は窓ガラスを砕き割ってこの部屋に潜り込んだらしかった。鍵付近を小さく割って、鍵をあけるなんて堅実で可愛らしいものではなく、窓全面をぶち抜いたダイナミックな侵入方法だった。こんなことをされて目覚めなかった僕も僕である。

「あ、あの。その……すみません」

 女は消え入るような声で僕に向かって謝罪する。ただどうにも納得のいかない僕は彼女に尋ねた。

「そのすみませんは一体何に対してのすみませんなの? 不法侵入? 窓ガラスぶち割ったこと? それとも僕を殺しちゃったこと?」

「ぜ、全部です」

「そっか。じゃあいいや」

 僕は今世紀最大の納得で心が落ち着いたというのに、女はというと逆に納得がいってないらしい。だがこんな女を気にかける余裕もなければ必要もないだろう。今真っ先に気にかけるべきは僕自身の身体についてだ。

「あーあ。随分とグッサリいっちゃったなぁ」

 確かに身体の中にナイフが埋まっている感覚はあるのだが、その柄が僕の胸から突き出してはいなかった。これを取り出すのはなかなか骨が折れそうだ。というか肋骨は既に一本くらい折れてる気がする。

「あの、えっと──」

「今集中してるからちょっと黙ってて」

 はい。という返答が聞こえたかどうか定かではないくらいに僕は傷口に意識を集中させる。そしてひと思いに右手をそこに突っ込むと胸に刺さったナイフを思い切り引き抜いた。

 血管の断面を塞いでいたものがなくなった瞬間、傷口から一気に血液が溢れだした。瀉血治療の観点からすると僕の身体は健康一直線だろう。ただおろしたてのシーツに血溜まりができてしまったのだけはいただけない。マットレスまでぐちゃ濡れだ。

 僕は右手に掴んだものを見て驚いた。てっきりナイフだと思い込んでいたのだが、それは砕けた窓ガラスの欠片だったのだ。女をよく観察してみると彼女の両手もまたズタズタに切り裂かれていた。

「手、大丈夫?」

「ひえっ! はっ、はい!」

「そう。ならいいけど」

 なぜか知らないが随分と怯えられてしまったらしい。怯えたいのはこっちの方だっていうのに。だがこれはこれで会話の手綱を握れるためありがたい。

「さてと。それで、どうして僕のこと殺したわけ?」

「い、生きてるじゃないですか」

「いや、どう見たって死んでるでしょ」

 彼女は少し頭がおかしいらしい。心臓を鋭利なガラス片で貫かれて、血溜まりができるほど出血している人間が生きているように見えるとは重傷だ。黄色い救急車と、僕のために霊柩車を呼ばなければいけないらしい。

「……はい、分かりました。死んでます。あなたは私が殺しました」

「なんで不服そうなのさ」

「あなたが死んでないからですよ!」

「どう見たって死んでるでしょ。僕は死んだ! 君が殺した! はい、復唱!」

「ぼ、ぼくは死んだ。きみが殺した。……ってこれだと逆じゃないですか?」

「殺人犯のくせに被害者に口答えするな!」

「ええー」

 全然話が進んでくれない。怒りのあまり、頭に血が昇ってしまいそうだが、生憎と僕の体の中にはそんな血液は残されていない。今も傷口からダラダラと流れ出続けている。

「君はどうしても僕を殺したってこと認めたくないわけ?」

「ええ、そうですね。だって死んでないですから」

 この女、なんかだんだんと図太くなってきやがった。こういうやつがきっと不法侵入や器物破損、殺人なんかの罪を犯しておきながら、それを認めようとしないのだろう。

「じゃあいいや。君が僕を殺したってことは一旦置いておこう」

「逆に聞きますけどあなたはそれでいいんですか?」

「仕方ないじゃないか。話が進まないんだから。それと一旦置くだけでまた拾うから」

「ああ、もう面倒くさいですね」

「それはこっちの台詞だよ……」

 二人で嘆息。ついでに僕は喀血。

「質問の仕方を変えるぞ。どうして君は窓ガラスをぶち破り、部屋に侵入し、僕の身体に凶器を突き立てた?」

「えっと、つい」

「つい!?」

「ああ! 違います違います!」

「なんだ、びっくりした」

「うっかりです!」

「変わらねーよ!」

 彼女の発言が予想外すぎて胃液が逆流してきた。おかげで喉が痛い。それと血と胃液が混ざるとこちらも予想外においしかった。

「ほら、たまにあるじゃないですか。一目見たら心臓がキュンとして殺したいなーって思うことが」

「ないよ。サイコパスか」

「こ、乙女に対してサイコパスだなんて失礼ですよ!」

「告白代わりに殺害する方が失礼だっての」

「じゃあ好きです!」

「『じゃあ』で告白されたくないし、サイコパスはお断りだ」

「なら殺します」

「『なら』で殺されたくないし、もう死んでるからね。君に殺されたせいで」

 どっくどっくどっく。ぴたっ。

 あ、血が止まった。どうやらすべて体外に排出してしまったらしい。身体が軽くて仕方がない。ただ、目の前には愛の重い頭の軽い女がいるせいで気分が重い。

「分かった。君のことは僕の頭では理解できないのが分かった」

「理解してくださいよぉ!」

「理解できたところで今度は納得できないと思うんだがな」

「というか納得できないのはこっちですよ! どうしてこの状況であなたは死んでないんですか!?」

「だから死んでるってば」

「死んでる人は会話なんてしません」

「何事にも例外が存在するっていうだろ」

「だとしても異常すぎますよ」

 どうやら話は平行線にもつれ込んだらしい。いや、そもそも初めから平行線どころか、互いの線が別次元の平行世界に存在していた気もしないでもないが、平行線には変わりないだろう。

「じゃあ妥協点を探そう」

「妥協点、ですか?」

「そうだ。互いの認識を少しずつすり合わせて、二人が納得できるポイントを見つけるんだ」

「なんか時間かかりそうですね。一旦帰って寝ていいですか?」

「こっちから歩み寄ってやったのにその態度は何だよ! てか殺人犯を野放しにしてたまるか!」

「だからあなたは死んでないじゃないですか!」

「じゃあ殺人未遂だ!」

「分かりました分かりました。私は愚かな犯罪者です。もうあなたの欲望に任せて滅茶苦茶にしちゃえばいいじゃないですか!」

「話が飛躍しすぎだろ。僕はただ君に、僕が死んでるってことを認めさせたいだけなんだ」

 突如服を脱ぎ出そうとする女をなんとか抑えつつ、僕は思案する。

 一体彼女はなぜ僕が死んでいることを頑なに認めようとはしないのだろうか。まず初めに、僕は見るからに死人だ。血液という血液は体内から吐き出し切ったし、心臓も完全に沈黙している。呼吸だってしていないし、自分では確認できないが瞳孔も開いているに違いない。

 では、問題があるのは僕の側ではなく彼女の側なのだろうか。

 そうか、彼女は好きな人間を殺したくて仕方がないという異常性癖を持った人物だ。逆説的に殺す人物は好きな人でなくてはならない。そんな彼女は僕を殺した瞬間「こいつ誰だ!」といった表情をしていたではないか。

「つまり僕は人違いで殺されたということだ」

 いや、しかし流石に理論が吹っ飛びすぎているような──

「あ、はいそういうことです」

「え、まじ?」

 納得いかない。

 読者の方々もそう思っているに違いない。

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