からっ風と、繭の郷の子守唄

落合順平

第1話 「前橋市での発砲事件と、貞園と康平」

3月31日午前1時35分ごろ、群馬県前橋市にあるスナック

「夜来香(いえらいしゃん)」の 出入り口の木製ドアに、円形の穴が

三つあるのを店の女性従業員(28)が発見して、 110番通報した。

前橋署が、発砲事件として調べてはじめた。



 警察の発表によると、弾丸とみられる金属が店内から二つ。

ドア前の路上から、一つ発見された。

店は、30日午後10時頃に閉店している。

女性が1人で店内を清掃していたところ、31日午前1時過ぎに「パン」という

発砲音を、3回ほど聞いたと言う。

幸いなことに、女性に怪我はなかった。



 「女性というのは、お前のことだろう。貞園」



 新聞から目をあげた康平が、カウンターで頬杖をついている女に声をかける。

女はグラスを揺すり、カラカラと指先で氷を鳴らつづけている。



 「スナックの発砲事件で、一般人も含めて、4人が殺された直後の事件でしょ。

 警察がしつっこいったらありゃしない。

 私の素性まで、探られちゃった。

 無職でいられるのは、香港マフィアの愛人だろうなんて、疑うんだもの。

 頭にきちゃうわ、まったく。日本の警察ときたら。

 だいいち私は、香港の生まれではなく、昔、日本の植民地だった台湾です」



 「ママに頼まれて、たった一日、顔を出しただけだろう。

 とんだ災難だったねぇ。

 それにしても運が良いねぇ・・・貞園は。

 めったに出会える事件じゃないぞ。体験したくっても無理がある。

 隠さずに話せ。実は見たんだろう。発砲した犯人の顏を」



 「康平。・・・・

 あんた、警察よりはるかに鋭どい勘をしているわねぇ。

 実は見たのよ。男が拳銃を構えて、お見せに向って発砲する瞬間を。

 そのとき。わたしはたまたまトイレに居たの。

 車が停まる音がしたので何気なく表をのぞいたら、クリクリ坊主の男が

 鬼の様な顔で、お店の前に立っていたの。

 何をするつもりだろうと思い、窓から顔を出そうとしたら、

 いきなりお店のドアに向かって、パンパンと発砲したのよ。

 あたし。びっくりしてその場へ、そのまますわりこんじゃったわ!」



 「そうすると君は、犯人の顔をちゃんと見ているわけだ。

 そりゃあ、怖いものが有る。

 うっかり喋れば、今度はそいつに狙われることになる。

 警察で事実を話さなかったのは賢明だ。

 君はそのおかげで、たぶん長生きすることができる」


 

 「変な、褒め方ねぇ・・・・なんだか、釈然としないな」



 「おっ。いい表現だ。それは正しい日本語の使い方だ。

 やはり、ピンチは人を、成長させるようだ」



 「真面目に聞いてよ、康平ったら。

 あたしは、死ぬかもしれない、恐い目に遭ったんだよ。

 いくら上州が任侠の国でも、極道の巻き添えだけは御免です。

 生命がいくつあっても、足りないわ」



 「そうだね。発砲事件が、いまだに尾を引いているからな。

 2人組のやくざが、市内のスナックで無差別の発砲をした。

 お店のお客さんもふくめて、4人が射殺されるという事件が発生したばかりだ。

 犯人が自首した。しかし事件の背後関係については、いまだに完全黙秘を

 続けているそうだ。

 事件の背後には、暴力団同士のトラブルがある。

 2001年の8月。東京都葛飾区の斎場で、住吉会系の最高幹部2人が

 稲川会系のヒットマンに、射殺される事件が発生した。

 この事件を受けて稲川会では、ヒットマンの所属する二次団体の責任者の

 2人を絶縁処分した。

 しかし、これで終わりにならなかった。

 絶縁された2人の責任者はそれ以降も、何者かによって自宅に

 火炎ビンが投げ込まれたり、拳銃を撃ち込まれた。

 前橋の乱射事件は、絶縁されたそのうちの1人を狙ったものだ。

 彼はその前年の10月にも拳銃で襲撃を受けて、命拾いしているからね」



 「詳しいわね、康平は。

 まさか。そう言う世界に首を突っ込んでいないでしょうねぇ、あなたは。

 私は大嫌いだよ、ドンパチのヤクザの世界なんか」


 「みんな嫌いさ。物騒なヤクザの世界なんか。

 機嫌を直せ、貞園。おわびに、とっておきの酒を一杯おごろう」


 

 康平が自分のボトル、「黒霧島」の封を切る。

黒霧島は九州の酒。サツマイモを原料にした芳醇で本格派のイモ焼酎だ。

グラスへ半分ほど注いでから、60度に冷ましたお湯を、ほぼ、

グラスの口いっぱいまで注ぎこむ。



 「台湾人のくせに九州の焼酎が好みとは、お前さんも変わっている女だ。

 しかも本格的なお湯割りが、大の好物ときやがる・・・・

 お客さん。なかなかの「ツウ」ですねぇ」



 康平が、あははと、大きな声で笑う。

ここは群馬県の県都。前橋市にある通称『呑竜仲店』と呼ばれている呑んべぇ横丁。

康平はこの店のマスター。貞園は、某冷暖房機器会社の社長愛人。

貞園は愛人暮らしを続けながら、時々、康平の店へ顔を出す。

このふたりは今から10年ほど前、ひょんなことから知り合いになっている。

それが縁で、いまもこうして、変な付き合いが継続している。

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