第952話 ど男騎士さんと泡沫の夢

【前回のあらすじ】


 女エルフは男騎士にとどめをさした。


 積年の恨み、ここで晴らしてくれようぞ。


 くたばれ、男騎士。


「いや、言うとらんがな!!」


 言った言わない、心の中で思った思ってないはさておき。

 女エルフの余計な一手により、綿人間からさらに水飴に進化してしまったバブル男騎士。あわれ、こんな人外の姿になってしまっては、はたして元に戻れれるのか。


 女エルフはなんだかんだで魔法使い。

 回復魔法だとか蘇生魔法だとかは女修道士シスターのような聖職者の領分だ。どうして良いのか分からず、彼女も魔剣も黙りこくったその時であった。


「えっ? うわっ、ちょっと、何これ!!」


「おぉっ!? いきなりなんだ、ティトの溶けた身体がいきなり光って!!」


 男騎士の身体が発光をはじめた。


 それと同時に、なんとも名状しがたい力を感じてしまう女エルフと魔剣。その輝きの中には間違いなく、神に等しい存在の力が働いていた。


 またしても七柱の誰かが力を貸してくれたのか。

 いや、しかし。かつて神々と謁見したことのある魔剣が思わず言い淀む。


「嘘だろ。まさか、奴が介入してくるっていうのか?」


「なに、エロス? どういうことなの? 奴って、貴方――」


 それは七柱を越える神を越えた神。

 創造神話の地母神よろしく、この世界を想像したもうた神。ありとあらゆる神を従えられる力を持ちながら、あえて世界を自然の成り行きに任せた、自由の神。


 その名を大神バブルス。


 海の底に冥府の神を求めてやって来たはずの男騎士達。そこで彼らは、思いもよらなかった大神と邂逅するのだった。


◇ ◇ ◇ ◇


 夢を。

 夢を見ていた。

 うたかたの夢を。


 眼球を動かすたびに景色が変わる。

 まだ若く世界が輝いて居た頃。

 絶望を知り逃げるようにして目を背けた頃。

 大切な人と出会い再び世界に立ち向かうことを思い出した頃。


 男騎士の瞳を、様々な年代の光景が一瞬のうちに駆け巡っていた。


 それは走馬灯。

 否、もっと魔術的な、そして、男騎士を理解するためにかけられたもの。

 戦士の瞳の中に彼以外にもう一つの精神が忍び込み、同じ景色を眺めていた。


「……なぜ、こんな。俺は、どうして、こんな夢を」


「すまないね。君に頼み事をする前に、君という人をよく知っておきたいと思ったんだ。もしかすると君にとって嫌な記憶も一緒に呼び起こしてしまったかもしれない。申し訳ないことをした」


「……これは、いったい?」


 男騎士が目を開けば、そこは極彩色の光に覆われた世界だった。

 輪郭という輪郭が光に溶け、自分がどこに立っているのか分からなくなる。

 その光に飲み込まれてしまって自分の姿さえも見失いそうになる。


 そんな空間。


 ごぼごぼと気泡がどこからともなく湧き上がってくる。ようやくまどろみの中から抜け出して男騎士が首を振れば、その視線の先に人影が見えた。


 赤い座布団の上にあぐらを掻いて座るその影。

 しかしながら、どうも人の形にしてはその輪郭が丸みを帯びている。

 等身については間違いなく人なのだが、どうにも筋肉の盛り上がりなどが感じられない。どころか、手も五つに分かれていないではないか。

 下ぶくれた顔は、まるで口の下に特大のまんじゅうでもくっつけたようだ。

 なにより気になったのは頭。そこには三角形の犬とも猫とも判別のつかない、二つ目の耳がぴょこぴょこと揺れていた。


 そう、目の前に居るのは人型ではあるが人ではない。

 だが獣人にしても見たことのない姿形をしている。コボルトという感じでもないそれに怪訝な視線を向けつつ、男騎士が近づくとゆっくりとそれは顔を上げた。


 ごまが散ったような顔の下膨れ。なんとなくそれは犬のように見えた。

 白と黒の可愛らしい犬のマスコット――。


「やぁ、ようこそ。ここは魂すら決して到達することのできない場所。真理の裏側。物語の裏面。神だけが知る世界」


「――貴方は?」


 幾たびもの死線をくぐり抜けてきた男騎士だ。

 目の前の存在が、自分たちなど遠く及びもしない高位の存在――神あるいはそれより強大な力を持った者――と、彼は即座に理解した。


 邪神などとても敵わない。

 おそらく魔神でさえも。


 この神を殺せと言われたならば、到底太刀打ちできぬと即座に諦めるであろう、そんな相手。男騎士の身体に冷ややかな痛みが走った。


 それを察したように、彼に相対する白黒をした人型の何かが、にっこりと微笑む。

 どうしてだろうか、人の顔とまるで違うのに、その表情からは彼が微笑んでいること、そして男騎士が心配するような敵意を微塵も抱いて居ないのが伝わってきた。


 なんなのだ、この目の前の不思議な生命体は。

 いったい、どうして男騎士に接触したというのだ。

 頼み事とはいったい――。


「いや、僕が頼まなくても君はそうするんだろうがね。けれども、人の身で神を倒すだなんてだいそれたことだ。前回、スコティ君たちが魔神に挑んだときは、あくまで封印だったから見過ごしたけれどもね」


「スコティと魔神の戦いを知っている? いや、それを見過ごすというのは?」


「君たちの世界で、僕の名前を知るものは少ない。大神バブルス。なんて、知っている人たちは呼ぶのだけれども、そんな気構えないでくれ。僕は実際、そんなたいした神様じゃないんだ」


 大神バブルス。

 その名は確かに、男騎士の記憶にないものだった。

 一度も耳にしたことのない神の名前。しかし、その名前を聞いた瞬間に、その身体が震え、恐れとはまた違う念によって身体が動かなくなるのを感じた。


 これが大神の神威というべきなのか。

 最初に出会った時に咄嗟に敬語を使ってしまったのは、自分の判断間違いでもなんでもなかった。そう確信して男騎士は生唾を飲み下した。


「だから、そう気構えないでくれ。僕はただ、君に改めてこの世界の造物主――では厳密にはないのだけれど、全ての神を統べる立ち位置にある者として、一言だけ言っておきたかっただけなんだ。あと、あんなファンブルで魂が消失してしまうのはあまりに忍びなかったのでね」


「魂が消失? すると、ここは?」


「魂をさらに分解した要素――マナだけが到達することができる場所さ。まぁ、普通はマナに分解された時点で魂は形を成さなくなるんだが、今回は特別だ。そして、当世の英雄ティトよ。君に僕が求めることは他でもない」


 魔神の討伐、いや――と言い淀む大神バブルス。

 彼は少し調子を整えてからその本題を口にした。


 とても恐ろしく、そして神に導かれた男騎士には、到底信じられない話を――。


「厳密には魔神とは正しい表現ではない。七柱の神々が落とした影。彼らの荒ぶる別なる側面。それを君には倒して欲しいんだ」


「……は? 待ってくれ? え、それはいったい?」


「言葉の通りだ。分かりやすく言おうか――魔神とは、七柱の一つが生み出した、人に害なす荒魂としての側面を指す。君たちがこれから倒さなくてはならないのは、君たちを導いている七つの神の一柱にほかならないのだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る