第479話 どエルフさんと懐かしき日々

【前回のあらすじ】


 女エルフに突きつけられた超えられなかった過去という試練。

 それは試練と呼ぶにはあまりに優しく、そして温かいものだった。


「こんな試練なら――」


 ずっと続けばいいのにと、女エルフが慟哭する。

 失われた養母との幸せな日常。そして、幼少期。決して取り戻そうと思っても、取り戻せない失われた過去が、そこには確かに存在していた。


 はたして、彼女にとって超えなくてはならない試練とは、なんなのか。


◇ ◇ ◇ ◇


 その後も、平和な日々は続いた。

 幻の中で一週間、二週間と時間が通り過ぎていく。それを女エルフと第一王女は流されるままに受け続けた。

 どうすればいいのか、分からないままに流され続けた。


 時に幻の養母と共に読書にふけり。

 時に料理に精を出し。

 彼女を受け入れてくれた村の人間たちと共に野菜を作り。

 そして、定期的に魔法の訓練を受ける。


 それは女エルフが失った日常であり、そして、本来であれば百年ほど続くはずだった、幸福の時間だった。ただ一つ、違うことがあるとすれば、第一王女の存在だけだろう。

 しかしその存在も、齟齬なくその幻の世界に受け入れられていた。


「エリィは、魔法の才能はあまりないわねぇ」


「そんなぁ!!」


「けど、剣士としての才能はちょっと見どころがあるかもしれないわ。今度、私の知り合いのドワーフと会うことがあったら訓練してくれないか頼んでみるわね」


「いやです!! エリィはお姉さまと一緒がいいです!!」


「……あはは、そっか。モーラと一緒がいいかぁ。それじゃぁ、剣士の修行は無理かもしれないねぇ」


 そう言って微笑む女エルフの養母。

 それから彼女はもう一人の養女を胸の中に抱き込むと、かわいそうなことを言ってごめんねと、ゆっくりとその頭を撫でる。


 かつての大英雄――スコティと共に暗黒大陸の魔女と戦った大魔術師とは思えぬ、あまりに家庭的で母性的なその姿。彼女自身も驚くくらいに、第一王女もまた、いつのまにか女エルフの養母に心を絆されていった。

 このままでは自分を見失ってしまうのではないかというくらいに。


 繰り返される日常。

 ただただ幸せな日々。

 冒険とは程遠く、しかしながら人間としての充実感に満ち足りた毎日。

 それは――女エルフと第一王女の心に、まるで岩に染み入る水のように、少しずつだが浸食していく。


 女エルフが嘆いた通り、こんな試練ならずっと続けばいいのにとばかりに――。


 しかし、彼女たちもただ流されるだけの女たちではない。

 腐っても彼女たちは冒険者であった。いや、国を追われた第一王女はそうとは言えないかもしれないが、女エルフについては、間違いなく、言い訳の余地なく、冒険者に違いなかった。だから、今回の冒険――もとい試練の意味を忘れはしない。


 彼女たちは夜、必ず養母が寝静まったあとに起き出しては、あぁでもない、こうでもないと、現状について意見を交わした。しかし、繰り返される日常について、これと言った打開の方法は――試練の克服方法は、思いつかないのだった。


「……いったい、これはどういうことなのでしょう」


「乗り越えるべき瞬間なんていつまで待っても訪れないじゃない」


「私がお義姉さまの過去に入り込んだことで、もしかして何かが狂ってしまったんでしょうか。本来であれば起こるべき事件が起こらなかったとか」


「いえ、それはないわ。まぎれもなく、この生活は、私が経験してきたお養母かあさんとの生活の延長線上にあるものよ。エリィ、たとえ貴方が加わっていたとしても、そうだろうと思うくらいに、この幻には現実感がある」


 だからこそ分からない。

 超えなければいけない試練がなんなのか、理解することができない。

 延々と続く、こうであればよかったのにと心の底から願う、美しい過去。

 その中に身を置いて、女エルフと第一王女は、しばし言葉を失くした。


 と、その時だ――。


「待って、ちょっと待って」


 女エルフがある違和感に気が付いた。

 そして彼女は、部屋の隅に置いてある、木でできた卓上のカレンダーの日付を見た。その日付を睨みつけながら、彼女は目をこれでもかと見開く。


 ようやくその時、彼女は超えなければいけない過去について気が付いた。


「そうよ、延長線上だったんだわ」


「お義姉さま?」


「この世界は本来存在しない過去。この瞬間、この一ヶ月にも及ぶ時間は全て、存在しないはずの時間だったのよ。エリィ」


「どうしたんですお義姉さま!? 何にいったい気がついたんです!?」


「そうよそうだったわ。どうしてあの時、私たちは、お養母さんの部屋に現れたの。もう既に、その時に、答えはそこにあったのよ」


 女エルフの手が震えている。脂汗がうなじを濡らしている。恐ろしい事実に気が付いてしまったという感じに、戦慄する彼女に対して義妹の第一王女が、心配そうな視線を向けた。彼女の説明してくださいという、そんな視線に応えるように、ゆっくりと女エルフは、部屋の隅――棚の上に置かれていた、積み木のカレンダーを持ち出した。


 その年号と月を指さして、彼女が冷たく笑う。


「ここはあり得なかった過去」


「あり得なかった過去?」


「私の養母ははは、この試練の間に足を踏み入れたあの日、あの時、あの瞬間――そうよ最初に養母の部屋で何をしているのと捕まったその瞬間に、魔女ペペロペの呪いによってその意識を奪われたの」


 忘れもしない、母が母でなくなったその日の日付を、彼女はその木のカレンダーで作り出す。えぇ、と、口元を抑える第一王女から、女エルフは悲しそうに視線を逸らした。


「そうよ、全て、そうだったんだわ。超えるべき瞬間は、最初にこの幻の世界に転移した瞬間から、私に与えられていた。なのに、それに気が付かず、私は――」


 母とのあり得なかった幸福の日々に浸っていたのだ。

 超えるべき過去を、女エルフは涙と共にようやく見つけた。

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