穏やかな午後の美術室

神木 ひとき

穏やかな午後の美術室

穏やかな風が放課後の校舎の窓から廊下を流れている。

風の匂いに秋の気配が感じられ、太陽が西に傾くのが少しだけ早くなったのを感じた。


って‥そんな感傷的な気分に浸っている場合じゃない!


廊下を早足で校舎の三階にある美術室の前にに着くと、ドアノブに思い切り力を込めて扉を開けた。


「竹本君!いるんでしょう?いい加減にしてよね!」


怒りに任せて大声で叫びながら美術室に入って行った。


凛とした少し冷たい空気と珈琲の香りがする室内に入ると、彼は部屋の隅に座って古代ギリシャ時代の彫刻のレプリカのデッサンをしていた。


「竹本君!」


筒井つついさん、悪いけど今大事なとこなんだ、ちょっと静かにしてくれないかな?」


彼はわたしに視線を向けることもなく、筆を動かしながら冷静な口調で言った。


「竹本君、大事なとこって‥もっと大事なこと忘れてない?」


「ああ、学祭実行委員会でしょ?忘れてないよ」


「忘れてない、じゃあ何で来ないの?」


「筆が進んでいる時は止めるわけにはいかないからね、こういうのって感覚が大事だから」


「委員の仕事より部活を優先するんだ?」


「仕方ないよ」


「じゃあ、わたしに一人でやれって言うの?」


「そうは言ってないよ、終わったら行くから‥でも、学年一優秀な筒井さんがいるんだから、僕は必要ないでしょ?」


「それは自分勝手が過ぎるよ、そうやってさぼってやる気がないなら、誰かに代わってもらってよ」


彼の不真面目な態度にわたしの怒りメーターの針が更に上がった。


「まあまあ、そんなに怒らない、せっかくの美人が台無しだよ」


彼の美人という嫌味な言葉が、メーターの針を更に上昇させた。

もう、我慢も限界だ‥


「容姿のことは言わないでよ、それってセクハラだからね!これでも気にしてるんだから!不真面目な上にそんな酷いこと平気で言うんだね!」


「ちょっと待ってよ、僕は真面目に言ってるんだよ。筒井さんって眼鏡してるから、いかにも真面目そうで取っ付きにくいように見えるだけだよ、あとはその髪型かな、変えたらかなり印象が変わるよ」


彼が筆を止め、わたしの方をじっと見て言った。


「わたしなんか何しても同じだよ、いい加減なこと言わないでよ」


「う~ん、いい加減じゃないよ、じゃあ10分でいいから時間を頂戴よ」


「何よ藪から棒に、だいたい学祭実行委員会もう始まってるんだけど?」


「大丈夫、10分だけだから、それが終わったら一緒に行くから、そこの椅子に座ってよ」


仕方なく渋々彼の前にある椅子に座ることにした。


「これでいい?で、何をしようっていうの?」


「何もしないよ、ただそこに座っていてよ」


彼はそう言うとスケッチブックを取りだしてわたしを見ながら鉛筆を走らせ始めた。


「ちょっと竹本君!もしかして、わたしを描いてるの?モデルになるなんて聞いてないよ」


「10分だけだから黙って座っていてよ、それと少しだけ笑顔を頼むよ」


笑顔を頼むと言われても、絵のモデルなんてやったことがないから、どんな顔をすればいいのか分からなかった。


目の前にいる彼は竹本たけもとわたるというクラスメイトだ。

美術部に所属していて、有名な展覧会などにも入選する本格的な絵の才能を持った学校ではちょっとした有名人で、大学は芸大を目指しているらしい。


美術部なんて聞くと根暗でちょっと変わった人種を思い描くけど、彼は容姿も中々の格好良さで、性格も社交的なので、パッと見て美術部だなんて絶対に思われないタイプだ。

そのためか、女子からは結構人気があるらしいけど、真面目な性格のわたしは彼が苦手だった。


「こんな感じかな?はい、出来たよ」


そう言って彼はスケッチブックを見せた‥これがわたし?


スケッチブックには、長い髪を束ねている今よりかなり短く肩にかかる位のボブヘアーと眼鏡をしていない肖像画が描かれていた。


「どう?いい感じでしょ」


彼が得意げに言う。


「こんなの、わたしじゃないよ‥」


「そうかな?」


「そうだよ、良く描きすぎだよ」


「そんなことないよ、髪型と眼鏡以外は正確に描いたから、デフォルメなんてしてないからね」


「これがわたし‥」


彼のスケッチブックに描かれた肖像画は、どんなに欲目に見ても、わたしと同一人物には見えなかった。


「眼鏡と髪型で印象がかなり変わるからね、それに近視の眼鏡って眼が小さく見えるんだよ」


「もう!そんなのどうでもいいからさ、早く学祭実行委員会行こうよ」


声を上げて彼に促すと、


「はい、これプレゼント、学祭実行委員会を遅刻したお詫び、筒井さんって本当に美人だと思うから信じて一回やってみて、みんな驚くと思うよ」


そう言って彼はスケッチブックを無理矢理わたしに渡そうとするので、


「こんなの要らないよ」


彼の申し出を拒絶した。


「そんなこと言わないでもらってよ」


彼は強引にわたしの手にスケッチブックを持たせると、


「さあ、学園祭実行委員会に行こうよ!」


そう言って美術室を出て行った。


わたしはスケッチブックを持ったまま、慌てて彼の後を追いかけていった。





「ただいま」


学園祭実行委員会が終わると、いつものようにどこにも寄ることなくまっすぐ家に帰ってきた。


「おかえりなさい」


母が玄関まで出て来て迎えてくれた。


「晩ご飯何?」


「今日はお父さんもお姉ちゃんもいるから、とんかつにしようと思うけど」


「へ~っ珍しいね」


父は製薬会社で研究職をしていて帰りがいつも遅い。

わたしより三つ年上の姉は大学生二年生で、バイトが忙しいとかで、最近の我が家の夕飯は母と二人っきりのことが多かった。


「じゃあ、ご飯まで部屋で勉強してるから」


わたしはそう言って二階の自分の部屋に入って机に向かうと、カバンから竹本君がくれたスケッチブックを取り出して開いてみた。


ふ~ん、さすが展覧会入選の実力だな、スケッチブックにはデッサンの練習なのか、水彩絵の具で色付けされた赤い薔薇の花が色々な角度から詳細に描かれていた。


あんな適当な奴がこんなに繊細なタッチで絵を描くんだ‥

次のページには赤いチューリップ、その次のページはハナミズキかな?‥


このスケッチブックは花ばかり描くつもりだったのか‥


更にページをめくるとわたしの肖像画が描かれていた。

見れば見る程わたしじゃない。


彼の言った、


『眼鏡と髪型以外は正確に描いたから、デフォルメなんてしてないからね』


その言葉を思い出した。


「何が正確にだ‥適当アホ男!」


つい、悪態を吐いた言葉が出てきてしまった。


わたしは子供の頃から視力が悪かった。

本が好きで暗い部屋でもよく本を読んでいたからだと自己分析している。

小学校三年生の時から眼鏡はわたしの必需品となった。


小さい頃から三つ年上の姉と何かと比べられ、姉は容姿も可愛いらしく性格も明るく、わたしは地味で物静かだと言われた。


実際、姉は中学、高校と同級生から告白されただの、ラブレターを貰っただのと自慢して見せびらかしていた。


別に羨ましいと思ったことは無かったけど、姉妹と言ったって遺伝子はまったく同じじゃないんだし、勉強では姉に負けてないから、それでチャラだと勝手に思っていた。


スケッチブックを閉じてベッドの上に放り投げると、いつものように勉強に取り掛かることにした。


いつから勉強が好きになったのか、何一つ勝てない姉へのコンプレックスだったのか、中学に入ると勉強を一心不乱に頑張った。


成績もグングン良くなって、地域で一番の高校に進学した。

学年でトップの成績を取ったこともあって、益々勉強にのめり込んでいた。

今のところの目標は東大合格と決め、あと一年半後の春を目指して日々頑張っている。


しばらく勉強に集中して机に向かっていると、部屋をノックする音がした。


貴美たかみ入るわよ」


部屋に入って来たのは姉の愛美まなみだった。


母がいつものように晩ご飯が出来たと呼びに来たと思ったので不意を突かれた。


「珍しいね、お姉ちゃんがこの時間に家にいるなんて」


「まあね、たまには家でご飯食べなくっちゃね、お父さんもう帰って来てるよ」


「そう、全然気づかなかった‥」


「貴美は相変わらずだね、勉強も良いけどさ、それだけじゃつまらない高校生活になっちゃうよ」


「わたしがそう思ってなければ良いんだよ」


「まあ、あんたの人生だからね」


そう言って姉がベッドに座った。


久しぶりの会話がこれか‥

相変わらずと言われあまり気分は良くなかった。


「何これ?」


ベッドに置いていたスケッチブックを姉が手に取って言った。


「ちょっとお姉ちゃん!勝手に見ないでよ」


「へ~っ、貴美、絵なんか描くんだ?」


姉はわたしの言葉を無視してスケッチブックを開いた。


「ちょっとやめてよ!わたしのじゃないんだから」


「こりゃすごいね、メチャクチャ上手うまいじゃん。これ誰が描いたの?」


「同級生‥」


「描いたの男、女?」


「‥そんなの聞いてどうすんの?」


「いいじゃん教えてくれても」


「同じクラスの男子だよ、美術部の」


「ふ~ん、こりゃ、すでにプロレベルだね」


「展覧会に何度も入選して、芸大目指しているんだって」


「芸大ね‥」


「もう良いでしょ?返してよ」


姉はわたしの言葉に聞く耳を持たず、スケッチブックをめくった。


「何これ?もしかして貴美?」


例の肖像画を見られてかなり焦った。


「ちょっと、こんなのわたしじゃないよ、違うんだから返してよ」


「そうかな?これどう見ても貴美でしょ?」


「わたしはこんなに綺麗じゃないよ、もう良いでしょ!」


そう言って姉の手から強引にスケッチブックを取り返した。


「ふ~ん、なるほどね」


「何がなるほどなの?」


「まあいいわ、ご飯出来たから下においで、話は後にしよう」


そう言って姉は部屋から出て行ってしまった。

しばらくして部屋を出ると廊下には揚げ物の油のいい匂いが漂っていた。

階段を降りてリビングに入ると父も母も既に席に着いていた。


姉がみんなの分のご飯を炊飯器からお茶碗に盛っていた。


「お父さんおかえりなさい」


父に言葉を掛けると、


「ただいま貴美、今日は全員一緒だって聞いたから、母さんに言って大好きなとんかつにしてもらったよ、さあみんなで夕飯にしよう」


「うん、いただきます」


席に座ると姉がお茶碗に盛ったご飯を出してくれた。


「ありがとう、お姉ちゃん」


今日の献立は母の言葉通りとんかつだった。

父の大好物だが、最近は父のお腹が出てきたといって母はなかなか作ってくれなくなった。


「うん、やっぱり母さんのとんかつが一番だな」


父は嬉しそうに箸を動かしていた。


「愛美はアルバイトが忙しそうだけど大学があるんだから程々にしてよね、貴美は貴美で勉強もいいけど他に何かやることないの?」


母のいつもの愚痴が始まった。


「本当、やること姉妹似てないわね、足して二で割ったら丁度いいのに‥」


母は家族が揃うと決まってわたしと姉の愚痴を言う。


「まあまあ母さん、二人ともちゃんとしているよ、愛美も貴美もやりたいようにやればいいんだよ」


父はいつも優しくて、昔から決してわたしと姉を比べることはしなかった。

それがわたしにはありがたかった。


食事が終わるとわたしは、


「ごちそうさま、美味しかった」


手を合わせてすぐに二階の自分の部屋に戻ることにした。


「貴美、勉強頑張ってな、でもあまり無理はするな、身体は大事にしてくれよ」


父が優しく言葉を掛けてくれた。


「ありがとう、お父さん」


そう答えてリビングを出て自分の部屋に戻ると、机に向かって勉強を再開した。


しばらくして、


「貴美、ちょっといい?」


姉の声と部屋をノックする音がした。


姉はわたしの部屋に入って来るなり、


「あ~っ、久々に家でご飯食べたな~、やっぱりお母さんの手料理は美味しいね、食べ過ぎたよ」


そう言ってベッドに横たわると、お腹をさすった。


「そう思うのなら早く帰ってくればいいのに‥お母さん心配してるんだよ」


「わたしも色々忙しいんだよ、これでも大学にはちゃんと行ってるよ」


「お姉ちゃん、そんなの当たり前だよ」


「そうかな?わたしは貴美みたいに勉強好きじゃないし、頑張ってる方だと思うけどね」


姉は決して勉強が出来ない訳ではない、偏差値的にはそれなりに高い大学に通っている。

昔から何でも卒なくこなす要領の良い器用な人だ。


「お姉ちゃん、何か用?まさか勉強の邪魔しに来た訳じゃないでしょ」


「貴美さ、今週の日曜日空けておいてよ」


「日曜日?どうして?」


「ちょっと行きたいとこあるんだよね、付き合ってよ」


「行きたいとこ?」


「そう、予定しておいてよ」


「え~っ、どうしようかな?」


「約束したよ、じゃあよろしくね!」


「ちょっとお姉ちゃん!」


姉はわたしの返事も聞かず部屋から出て行ってしまった。


いつもそうだ、こっちの都合などお構い無しに何でも強引に物事を決めてしまう‥


休めていた手を再び動かして勉強を再開することにした。




翌日の朝、学校の最寄りの駅から学校へ向かって歩いていた。


「おはよう貴美」


「おはよう香穂かほ


声を掛けてきたのは同じクラスの島本しまもと香穂かほだった。

明るくてみんなから慕われるリーダー的な存在で、一年生の時から同じクラスで一番仲が良い親友だ。


「再来週の校外学習なんだけどさ、貴美は誰と同じ班になりたい?」


「ああ、鎌倉へ行くやつね、香穂と同じなら良いよ」


「そうじゃなくてさ‥遠足の班は6人編成で、女子3人、男子3人って決まってるんだよ、女子はわたしと貴美と那由なゆで決まってるよ、わたしが聞いてるのは男子、男子のことだよ」


「男子?‥誰でも良いよ」


「そうはいかないよ、今日のホームルームで決めるんだから、班は好きな人と組んで良いから、誰かいないの?」


「別にいないよ、香穂こそ引く手あまたでしょ、どうするの?」


「わたしは誰でもいいんだけど、木村君に誘われてるんだよね」


「ふ~ん、木村君ね、一年生の時も同じクラスだったからね」


木村君というのは、木村きむら侑斗ゆうとと言って、バスケ部に所属していて、

ちょっと軽いところがあるけど、香穂がバスケ部のマネージャーをやっていることもあって香穂と仲が良い男子だ。


「木村君か、いいんじゃないの」


「じゃあ木村君はいいよね、竹本君はどうかな?」


「竹本君?」


昨日のスケッチブックの件があったので、香穂から彼の名前が出たことに少し驚いた。


「何で竹本君なの?」


「何でって‥那由が竹本君が良いって言うんだよね」


「那由が?あんな適当男のどこが良いんだろね?」


「竹本君って適当男なんかじゃないと思うけどな」


「香穂は竹本君の肩持つの?」


「違うって、竹本君って明るいけど適当なこと言うような人じゃないと思うけどな、貴美は学祭実行委員で一緒でしょ?そう思わない?」


「その委員会をサボりまくってるし、適当だと思うけどな」


昨日の件があったからそう答えた。


「そう言わないで、那由のために竹本君を誘っておいてよ」


「わたしが?何で」


「学祭実行委員一緒なんだから頼めるでしょ?」


「頼まなきゃだめ?」


「だめ!」


香穂が笑いながら言った。


「仕方ない、香穂と那由のためだから頼んでみるよ」


わたしは渋々香穂の申し出を承諾した。


「でも、断られたら許してよ」


「それは仕方ないよ、竹本君は人気者だからね、じゃあよろしくね」


朝から嫌な役を引き受けちゃったな‥

那由って竹本君みたいなのが良いんだ?


まあ断られても良いんだし、深く考えないようにしよう。


教室へ入り席に座って授業の準備をしていると、


「おはよう貴美、香穂から聞いたよ、例の件お願いね」


三嶋みしま那由なゆが嬉しそうにわたしの肩を叩いた。


「おはよう那由、頼んではみるけど‥あいつのどこが良いの?」


「絵が上手だし、明るいし、かなりカッコいいし‥」


「ふ〜ん、そうかな?まあ期待しないでよね、断られるかもしれないから」


「そうならないように上手く頼んでよ!」


那由は手を合わせたお願いのポーズをして自分の席に戻っていった。


那由とは二年生から同じクラスになった。

大人しくて真面目なわたしとは正反対の天真爛漫な性格とハッキリとした顔立ちでクラスでも目立った存在で、竹本君が良いなんて言うところはいかにも那由らしいと思った。


昼休みになって校外学習の件を頼むため、竹本君を探したけど彼は既に教室にはいなかった。


美術室か‥

仕方なく二階の教室から三階にある美術室に向かった。


美術室の扉をゆっくりと開けて中に入ると彼は昨日の古代ギリシャ時代の彫刻のデッサンの続きを描いていた。


「竹本君、昼休みにごめんね」


彼は黙って手を動かしている。


「竹本君、聞いてるの?」


「‥」


「竹本君?あのさ‥」


「筒井さん、ちゃんと聞こえてるよ」


「聞こえてるのなら返事くらいしても‥」


「ようやく集中して調子が出てきたとこなんだ、何か用かな?」


用がなければこんなところに来る筈がない!

彼の言葉に少しムッとしたけれど、頼み事をしに来た手前、作り笑顔をして言った。


「ごめんね集中してるところ、ちょっとお願いがあって‥」


「お願い?」


彼が手を動かすのを止めてこちに視線を向けた。


「えっと、再来週の鎌倉での校外学習があるでしょ?良かったら同じ班にどうかなって」


「えっ、筒井さんと同じ班に?」


「わたしだけじゃないよ、香穂と那由も一緒なんだけど」


「島本さんと三嶋さんも一緒なんだ?」


「他から誘われてるなら無理にとは言わないけど‥」


彼は腕を組んで少し考え込んだ。


「ダメだよね?邪魔してごめんね」


仕方なく美術室を出て行こうとすると、


「いいよ、同じ班で」


背中越しに彼の声が聞こえた。


振り返って彼に聞き直した。


「いいの?他からの誘われてないの?」


「う~ん、ないこともないけど、筒井さんの為だからいいよ」


「わたしの為?いや、わたしは別に‥」


「そんなことわかってるよ。多分、島本さんか三嶋さんに頼まれたんでしょ?筒井さんがそんなこと言う筈無いからね」


そう言って彼は笑った。


「竹本君‥」


「学祭実行委員では迷惑掛けてるし、筒井さんみたいな美人の顔を潰せないでしょ?」


「美人って‥」


美人は余計だ、また嫌味のつもりか?


「昨日も言ったけど、筒井さんは美人だと思うけどな」


「そんな話はいいから、じゃあホームルームの時よろしくね」


美術室を後にして教室に戻ると、お弁当を持って香穂と那由のいる席へ向かった。


「どうだった?」


那由が心配そうな顔をして質問をしてくる。


「いいってさ」


「いいって?どっちのいいなの?」


「良いってことだよ」


「本当に?やった!貴美ありがとう」


「お礼を言われる程のことはしてないよ」


「よく良いって言ってくれたね?他の誘いもあったんでしょう?」


香穂が聞くので、


「良いってくれたから細かいこと聞いてないよ」


詳細に説明するのが面倒だったので、適当なことを言ってごまかした。


ホームルームが始まって先生から校外学習の班編成をする旨の話しがあった。


「班編成は男子3人、女子3人の6人で編成すること、このクラスは男子も女子も24名づつだから、8班の編成になります。日頃の仲の良い友達でも良いですし、あまり話したことがない人同士でも構いません。集団行動の中で普段と違った一面がわかると思います。よく考えて班編成をして下さい。班編成が決まったらこの用紙に記入して提出して下さい」


話を終えると先生は班編成の用紙を教壇の上に置いた。


みんな予想していたからか、事前に約束をしていた人が多かったのでスムーズにグループを作っていた。


「貴美、竹本君よろしくね」


香穂がわたしに言うので、仕方なく、わたしは彼の席に向った。


「竹本君、お願いしたとおり同じ班よろしくね」


「ああ、わかったよ」


彼は頷いて返事をした。


「竹本!お前、筒井の班に行くのかよ?」


彼の友達の大須おおす君が声を上げた。


「悪い大須、先約があるの忘れてた」


「そりゃないぜ竹本‥」


彼の言葉に大須君は困惑した表情を浮かべていた。


竹本君はわたし達の集まっている方へやって来ると、


「島本さん、三嶋さんよろしく」


と二人に言葉を掛けた。


「こちらこそよろしくね!」


那由は嬉しそうに返事をした。


「竹本よろしく」


二人の側にいた木村君が彼に声を掛けた。


「木村君も同じ班なんだ?普段接点ないから楽しみだね」


彼が木村君に答えた。


「あと一人の男子は誰だい?」


木村君がわたしに質問するので、香穂の顔を見ると、


「特に決めてないんだけど、誰かいないかな?」


香穂が答えた。


「いつもしっかり段取りしている香穂らしくないね、もう一人の男子決めてなかったんだ?」


那由を見ると、那由は竹本君がいれば後はどうでもいいような顔をした。


「じゃあ、もう一人は僕に任せてくれないかな?」


竹本君が会話に割って入って言った。


「良いけど、当てあるの?」


香穂が質問した。


「まあ、誰でも良いよね?」


彼は教室の前の方へ歩いていった。


わたしはさっきの話から大須君を誘うものと思っていた。


「決まったよ、日下くさか君にお願いしたから」


「えっ、日下君?どうして?」


香穂が驚いた様子で彼に聞いた。


「別に理由なんてないけど、まずかった?」


「まずくはないけど‥」


香穂は言葉を濁した。


確かに香穂が言うのもわかる気がした。

わたしも人のことは言えないが、よりによって何で日下君なんだ?

日下君は日下くさかとおるといってクラスで一番大人しくて普段、誰かと話しているところをほとんど見たことがない、全く存在感のない男子だった。


「竹本君、日下君と話したことあるの?」


彼に聞くと、


「ほとんどないよ」


と、平然と答えた。


「ないの?じゃあどうして?」


「先生が言ってたでしょ、普段話したことがない人も良いってさ」


「そうだけど‥」


「僕に任せるって言ったんだから文句は言わないの」


「文句なんて言ってないよ‥」


「じゃあ、そういうことで、班名簿の提出よろしくね」


彼はそれだけ言うと自分の席に戻ってしまった。


やり取りを黙って聞いていた木村君が口を開いた。


「竹本って面白いね、あんな奴見たことないな」


「えっ、面白い?適当なだけだよ」


「日下を選ぶなんて、どういうセンスしてんだ?面白くない?」


木村君は含み笑いをしながら自分の席に戻っていった。


香穂と那由の二人に目をやると、


「なんだかすごい郊外学習になりそうだね?」


香穂が引き攣った笑いを浮かべて言った。


「そうだね」


香穂に同調して頷くと、


「そうかな?わたしは竹本君が一緒だからものすごく楽しみだな、何着て行こうかな?今から悩んで寝れないかも」


那由が能天気なことを言ったので、いかにも那由らしいと思った。




週末の日曜日、姉が部屋に入って来るなりカーテンを全開にすると、大きな声でわたしを叩き起こした。


「いつまで寝てるつもり?起きなよ、約束したでしょ?」


「お姉ちゃん?約束って何だっけ?」


昨夜も遅くまで勉強していたのでとても眠かった。


「約束したでしょ?予定しておいてって」


「そう言えば‥そんなこと言われたよう

な‥」


「出掛けるんだから早く支度してよ、そうしないと朝食抜きで行くことになるよ」


「えっ、そんなのないよ」


姉の言葉にわたしは渋々ベッドから起き上がると一階のリビングに降りて行った。


「あら珍しい、貴美が日曜にこんなに早く起きてくるなんて、雨でも降らないか心配になるわ」


母が本気とも冗談とも取れない言い方でわたしが起きてきたことを驚いていた。


「早くもないけど?もう八時だよ、さっさと食べてよね、直ぐに出掛けるよ」 


姉がぶっきらぼうに言った。


「愛美、貴実と一緒に出掛けるの?」


「そうだよ、約束してたからね」


「どこ行くの?貴美」


母がわたしに質問するので、


「知らないよ、お姉ちゃんに聞いてよ、わたしは強引に連れて行かれるだけだから」


「えっ、そうなの愛美?」


「いいじゃない、姉妹でたまには出かけたって、貴美も家で勉強ばっかりじゃ退屈するでしょ?」 


「お姉ちゃん、わたしは退屈なんかしないよ」


姉に言葉を返した。


「そうね、貴美はたまには息抜きも必要よ、愛美、貴美をよろしく頼むわね」


「任せておいてよ、取って置きのサプライズで帰ってくるよ」


姉は母に含み笑いをして応えた。


サプライズなんだそりゃ?

何のことだか分からずに眠くて目をこすりながら朝食のトーストを食べていた。


朝食を食べ終わると着替えをして洗面所で身支度をして姉の待つリビングへ戻ってきた。


「貴美、もう準備できたの?早いね」


「お姉ちゃんみたいにやること多くないからね」


「コラ、わたしだってお化粧にそんなに時間を掛けてないんだからね」


姉はげんこつを見せて笑った。


家を出ると二人並んで駅へ向かって歩いていた。姉を見ると何やら大きな手さげカバンを持っていた。


「何が入ってるのこれ?」


「何でも良いでしょ、それより約束して欲しいことがあるの、今日一日はわたしの言うことを絶対に聞くこと、嫌だ、ダメ、は無しだからね」


「えっ?そんなの無理だよ、訳を言ってよ」


「いいから四の五の言わないの、約束だからね」


姉がわたしの手を引っ張って、早く歩けと急かすけど、一体どこに連れて行こうというのだろうか‥


小田急線を代々木上原駅で降りて地下鉄に乗り換えた。


全く行き先の見当がつかない。


二つ目の明治神宮前駅に着くと、


「降りるわよ」


と姉に促された。


明治神宮前‥神社なんか行ってどうするの?

東大受験の合格祈願はまだ早いよ。


訳も分からず姉について歩くしかない。


駅を降りて分かったけど、明治神宮前駅は山手線の原宿駅の目と鼻の先だった。


明治神宮前って原宿なんだ‥

まさか竹下通りでクレープでも食べようとか?


姉は表参道方面にしばらくに歩いた後、横道に入り一軒のお店の前で止まった。


「ここに入るわよ」


姉はわたしの手を引っ張りながらお店の中に入って行った。

入って分かったけど、そこはとてもお洒落なヘアーサロンだった。


「お姉ちゃん、どういうこと?」


「いいから黙って付いて来る」


「いらっしゃいませ」


お店のスタッフと思われるイケメンの男性が姉に声を掛けた。


「こんにちは、予約した筒井です」


「筒井様、お待ちしてました。店長を呼んできますね」


そう言って彼は店の奥へ入っていった。


「愛美さんいらっしゃい」


店長と思われるこれまたイケメンの男性が奥から出てきてわたし達を迎えてくれた。


「今日はよろしくね」


「任しておいてよ、愛美さんのお願いじゃ聞かない訳にいかないからね」


「お姉ちゃん髪切りに来たんだ、何でわたしと一緒なのよ?」


「わたしじゃないよ、貴美、あんたが切るんだよ」


「え~っ!聞いてないよそんなの」


「言うわけないでしょ、言ったら絶対に一緒に来ないからね」


「そんな、お姉ちゃん‥」


「愛美さんの妹さんだね、可愛くしてあげるから大丈夫、任せてよ」


「‥」


姉にしてやられた格好だ。

わたしは諦めてスタイリングチェアに座った。


こんなオシャレなお店来たことないよ‥


最初に出迎えてくれたスタッフの人が髪を切る準備をしてくれている間、姉は店長と奥で何やらヒソヒソ話をしていた。


「へ~っ、おもしろいね、わかったこの通りやればいいんだね?任せてよ」


店長の声が少しだけ聞こえた。

おもしろい?

どんな髪型になっちゃうの‥


この時わたしはまだ姉の企みに気づいていなかった。


「それじゃ、貴美ちゃん始めますよ」


「はい」


ここまで来たら、まな板の上の鯉の気分で諦めて返事をした。


眼鏡を取ると鏡が良く見えない、こんなオシャレなサロンで切ってもらえるのに‥

こんな時は近視であることが恨めしくなる。


店長さんの軽妙なトークにも助けられて気分がよくなっていた。

せっかく伸ばした髪だと思っているようだったけど、とどのつまりは切るのが面倒なだけだった。


「姉はいつもこちらで?」


店長さんに質問をすると、


「ええ、ひいきにしてもらっています。お友達なんかも紹介してもらって、大変感謝しています。妹さんまで連れてきてもらって本当に嬉しいですよ」


「そうなんですか、お客さんは大勢いらっしゃるのでしょ?」


「ここは美容院がものすごく多い街なんで次々と新しい店がオープンします。仕方ないのですが商売ですので、一元さんばかりでは厳しいんです。愛美さんみたいに常連さん、それもお友達とか紹介してくれる方は大変ありがたいんです」


「そうですか‥」


そんな話を聞くと改めて姉の顔の広さには驚いてしまう。


確かに友達は多いからな‥


髪のカットが終わるとわたしは場所を変えシャンプーをしてもらい、ブローを当ててもらいながらどんな感じに仕上がったのか気になった。


「はいこれでOKです、愛美さん出来ました。どうでしょう?」


店長が姉に声を掛けた。


「お〜っ完璧、うん、これなら文句ないね、さすが店長」


「いえ、モデルが良いからですよ」


店長が嬉しそうに答えた。


「さあ、貴実、次へ行くよ」


姉はそう言うとわたしの肩をたたいて次へ行こうと催促した。


「お姉ちゃん眼鏡、わたしも出来栄え見たいよ」


「それは次の所でね、時間がないからすぐ行くよ」


姉は支払いを済ませると、強引にわたしの手を引っ張って店を出た。


「次ってどこ?ねえ、お姉ちゃん?」


「約束覚えてる?黙って付いてくる」


「嫌とかダメは言っちゃいけないって言われたけど、質問したらいけないとは言われてないよ」


「そうだっだったけ?さあ次」


そう言って姉は笑った。


眼鏡が無いので正確には姉が笑ったのかどうか分からなかったけど、多分笑ったのだろうと思った。


しばらく歩くと、どこかのビルに入ってエレベーターに乗った。


「さあ次はここだよ!」


エレベーターを降りると、ボンヤリとだけど受付に白衣を着た人が見え、壁に貼られたポスターから眼科らしいことが分かった。


「お姉ちゃん、ここって」


「もうわかっても良いんじゃない」 


「わかる?」


「そうだよ、美容院でカットして眼科とくれば、何?」


「何って‥あっ!コンタクト?」


「当たり!さあ処方箋書いてもらって下のお店でコンタクト作るよ」


「それって‥」


嫌な予感がした‥


「お姉ちゃんのカバンの中身、わたしの部屋から勝手に持ってきたでしょう?スケッチブック!」


「気づくのが遅いよ、つべこべ言わないの女の子でしょ」


姉は悪びれることもなく答えた。


どうしようもないので、医師の検診を受け、処方箋を作成してもらった。

処方箋を受け取ると一階にあるコンタクトレンズのお店に入った。


「さあ、コンタクト作ってもらうからね」


そう言って姉は店員に声を掛けた。


検眼をしてコンタクトの用意が出来るまでの間、店内の長椅子に座りながら考えた。

竹本君の肖像画でこんなことになるなんて‥

大体あんな綺麗になる筈がない。


明日、彼にあったら文句の一つも言ってやろうと思った。


コンタクトの用意が出来たので、店員さんに付け方を教えてもらいながら、生まれて初めてコンタクトを付けた。


眼にもっと異物感があるのかと思ったけど、ソフトコンタクトレンズは性能が良いのかほとんど違和感がなかった。


涙でぼんやりとしていたわたしの顔がだんだんとハッキリとしてきた。

こんなにもハッキリと物が見えるのは久しぶりだと思った。


鏡に映る自分の顔をまじまじと見て驚いた。


「これがわたし‥」


「貴美どう?感想は」


「‥これがわたし?」


鏡の中には竹本君が描いてくれたスケッチブックそのままのわたしがそこにいて、本当に驚いて声が出なかった。


髪型も彼が描いたものと寸分違わずカットされていた。


「どうなの?貴美」


姉が優しい声で聞いてくるので、


「どうって、ビックリして声も出ない」


「これでわかったでしょう?貴美は美人なんだよ」


「お姉ちゃん‥」


「さてと、次の場所に行くよ」


「えっ?まだ行くとこあるの?」


「そうだよ、まだ仕上げが残ってるからね」


姉はわたしの腕を取ると、コンタクトのお店を出て再び表参道を歩き始めた。


「お姉ちゃん、仕上げって何?」


「仕上げと言えば衣装に決まってるでしょ?」


姉はわたしの手を引っ張ってラフォーレ原宿に入って行った。


「お姉ちゃん、服も買うの?」


「そうだよ、貴美も少しはオシャレしなきゃね!」


「お金もったいないからいいよ」


カット代とコンタクトの費用を姉が出してくれていたのでこれ以上は申し訳なかったのでやんわりと姉の申し出を断った。


「可愛い妹のためだから気にしなくて良いの、約束覚えてる?」


「嫌とダメは言わない‥」


「大変よろしい」


「さてと、どんな服にしようかな」


姉がこんなに嬉しそうにしているのを見るのは久しぶりだ。

妹にお金を使うのがそんなに嬉しいことなのか?姉は一体何を考えているんだろう‥


結局、姉の好きなブランドの秋物の服を上から下まで揃えてもらい、ご丁寧に靴まで買ってもらって、わたしはその姿のまま姉と行動することになった。


「お姉ちゃん、ありがとう」


「気にしないの、それより見て」


姉がショーウインドに映るわたしの姿を指差した。

ガラスに映し出された自分の姿はまるで別人のようだった。


「これも貴美なんだからね、一生懸命勉強して東大行くのも構わない、真面目な性格も変えなくていいと思う。でもね、ヘアスタイル変えたって、ちょっと可愛い服を着たっていいと思うけどな、それは不真面目なこと?東大に行けなくなる?わたしはそんなことないと思うよ」


「お姉ちゃん‥」


「貴美はわたしにコンプレックス持っているようだけど、貴美は貴美、わたしなんかよりずっと綺麗だと思うよ」


「お姉ちゃん、わたし‥」


「今までお姉ちゃんらしいこと何もしてなかったから、今日で水に流してよ」


「お姉ちゃん‥ありがとう」


姉の言葉に涙が溢れそうになった。


「こら泣くな!せっかくの顔が台無しだよ。それよりお腹空かない?ランチ食べに行こうよ、この近くに美味しいパスタのお店があるんだよね、もちろん貴美の奢りでね」


「嫌とダメは言わない約束だったよね?そのくらいさせてよお姉ちゃん」


姉がこんなにも優しい人だったなんて、わたしは今までの姉に対する思いを心の中で何度も謝った。


姉と遅いランチを食べて家に戻ると、わたしを見るなり母は声を上げた。


「貴美?本当に貴美なの?どうしちゃったのよ、愛美がお友達連れて来たかと思ったわよ‥あの貴美がこんなにオシャレしたところ見たことなかったから‥」


「お母さん驚き過ぎだよ、中身は変わってないからね」


「そりゃそうだけど‥お金どうしたの?」


「お姉ちゃんが出してくれた‥」


「まあ、愛美が?あの子がそんなことしてくれたの?」


「うん、お姉ちゃんからプレゼントだって」


「愛美、あなたいいの?」


「いいよ、バイトしてるし、厳しくなったら補填してよね?」


姉は笑いながら応えた。


「おかえり二人とも、楽しかったようだね?」


「お父さんただいま」


「ほ~っ、貴美の髪型よく似合ってるね、眼鏡もない方がいいね、これは誰の発案なのかな?」


「‥誰って」


竹本君の描いた肖像画だとは言えず、何て返答をしようか困っていた。


「わたしが言い出したんだよ、ちょっとしたサプライズだよ」


姉が助け舟を出してくれた。


「さて貴美、衣装が綺麗なうちに部屋行って着替えよう」


「うん、わかった」


リビングを出ると、姉は笑いを堪えきれない様子で言った。


「貴美、お母さんのあの顔見た?笑いが止まらなかったね」


「自分の娘見てあんなに驚くかな?」


「明日はもっと大変かもよ、きっと学校で大騒ぎになると思うよ」


そうだ‥明日は学校だ、今の姿を見たらみんなどう思うんだろう?


竹本君は何て言ってくれるかな?


文句を言ってやろうって思っていたけど、むしろお礼を言わなきゃいけないのかな‥


「はい、大事なスケッチブック、返すよ」


姉がカバンからスケッチブックを取り出してわたしに返してくれた。


「お姉ちゃん、今日は本当にありがとう」


「もうお礼はいいから、それより勉強、頑張って」


姉はわたしの背中を叩いて自分の部屋に入って行った。


自分の部屋で机に向かうと鏡をまじまじ見た。


これがわたし?‥

でも、わたしはわたし、勉強しよう。




次の日、学校へ行く途中で香穂を見つけ、後ろから声を掛けた。


「おはよう、香穂」


「おはよう‥」


香穂がわたしを見るなり目を背けた。


「誰だっけ?」


「誰って、貴美だよ、貴美」


「えっ、貴美?あの貴美なの?嘘でしょ!」


「わたしだよ、ほら」


香穂と那由とお揃いで買ったスマホに付けているストラップを見せた。


「貴美、どうしたのよ眼鏡は?その髪も‥まるで別人なんだけど」


「ちょっとイメチェンしてみたんだよ」


「ちょっと?ちょっとどころじゃないよマジで整形したのかと思ったよ」


「整形?大げさだな香穂は」


「その髪型すごくいい感じだよ、どこで切ったの?」


「表参道‥」


「表参道!貴美いつからそんなとこ行く人になったのよ?」


「お姉ちゃんの行きつけの店なんだ、たまたま一緒に行ったんだよ」


「いや〜驚いた、その美容師天才だね、これ以上ないくらい似合ってるよ」


「ありがとう香穂」


香穂にものすごく褒められて嬉しかったけど、あまりにも驚いていたので、クラスのみんなの反応がちょっと心配になった。


「ねえ、きっとみんなビックリしちゃうよね?」


「ビックリなんてもんじゃないと思うよ、学年一の才女が学年一綺麗になったんだからね」


「大げさだよ香穂は‥」


「大げさじゃないよ、これから貴美とは一緒に歩きたくないな‥」


「香穂!」


「それは冗談だけど、いいなあ〜わたしもイメチェンしたいな」


教室に入ると、クラスのみんなから質問責めにあってしまい、今まで容姿にコンプレックスがあったのが嘘のようで、こんなことならもっと早くコンタクトにしてれば良かったと思った。


「筒井、すごく似合ってるね、最初誰だかわからなかったよ」


「木村君‥」


「校外学習、一緒の班に入れてラッキーだな、三人ともとっても美人だから、みんな羨ましいって思うだろうな、竹本もそう思うよな?」


たまたま通りかかった竹本君に木村君が声を掛けた。


竹本君がどんなリアクションをするのか気になった。


「‥」


「何とか言えよ、筒井すごく変わったよな?」


「中身まで変わった訳じゃないでしょ‥」


彼はそう言って、全く興味なさそうに自分の席に行ってしまった。


「何だよあいつ」


「竹本君‥」


「もっと気の利いたこと言えないのかな?」


木村君は竹本君の態度に呆れた様子でお手上げのポーズをした。


竹本君は『ほら言った通りだろ』とか、『すごいだろ僕の絵の才能』みたいに得意気に自慢をすると思っていた‥


彼らしくない予想していなかった言葉に驚いた。


イメチェンに対する周囲の反応は、自分の想像を遥かに超えていた。

クラスメイトだけでなく、普段話したことのない他のクラスの人までが声を掛けてくるので、その日は疲れ切ってヘトヘトになってしまい、家に帰ってベッドの上で横になるといつの間にかウトウトと寝てしまっていた。


「貴美起きて、ご飯食べないの?」


名前を呼ぶ声で目を覚ますと、ぼんやりとした影が次第にハッキリと見えてきた。


「お姉ちゃん‥」


「めずらしいね、この時間に貴美が寝てるなんて、お母さん心配してたよ、ご飯に呼んでも起きて来ないって、具合でも悪いの?」


「ううん、具合は悪くない‥学校で疲れちゃった」


「学校で?」


「あまりにも反響がすごくて‥イメチェンの」


「それは大変だったね、でもみんなすぐに慣れるよ、美人は3日で飽きるって言うでしょ?」


「うん、そう思う‥」


「ところで、彼は何て言ってた?」


「彼って?」


「スケッチブックの彼に決まってるでしょ」


「ああ、竹本君‥」


「竹本君っていうんだ、彼は何だって?」


「それが‥」


「何?」


「『中身まで変わった訳じゃないでしょ』って‥なんだか彼らしくなかったよ」


「そうかな?彼はとってもいい子だね」


「どうして?」


「それは自分で考えなさい。下においでよ、ご飯一緒に食べよう」


そう言って姉は部屋から出ていった。


わたしは疲れ切ってお腹が空いていたので姉の後を追って下に降りていった。




次の日の昼休み、いつもの様に香穂と那由と三人で机を付けてお弁当を食べていた。


「貴美のイメチェンでしばらく話題に事欠かないね」


香穂がわたしを見てニヤニヤしながら言った。


「大丈夫だよ、美人は3日で何とかって言うでしょ」


昨日の姉の言葉をそのまま口にして答えた。


「美人ね〜、貴美も言うよね?」


「いや‥それは言葉のあやで‥」


「でも、人の噂も何とやらって言うから、しばらく続くかもよ」


今度は那由が茶化すように言った。


「もうその話はいいよ‥」


「もっとして欲しいって顔してるよ」


「香穂!いい加減にしないと‥」


「これ以上言うと本当に怒りだしそうだからやめとくか」


香穂は舌を出してゴメンねのポーズをした。


「もう‥」


「ところで那由は竹本君と一年生の時も同じクラスだったんでしょ?その割には殆ど会話してないけど何で?」


香穂が那由に訊いた。


「竹本君って昼休みも美術室にこもってるでしょ、放課後だって美術室へ一直線だから話す機会がほとんどなかったんだよね」


「ふ〜ん、竹本君の絵ってそんなにすごいの?」


香穂が声を上げた。


「香穂は見たことないんだ?もうプロ級だよ、一年生の時に展覧会に入選した作品をクラスに持ってきてくれたんだけど、そりゃすごかったよ」


「へ~っ、貴美も見たことないよね?竹本君の絵なんて」


「えっ?ああ、あるよ、学祭実行委員会に来ないから美術室に呼びに行ったことがあって、彫刻のデッサンだったけどすごく上手だったよ」


とても自分を描いてもらったことがあるとは言えず、そう答えた。


「へ~っ、今度わたしのこと描いてもらおっかな」


香穂がそう声を上げると、


「そりゃ無理だよ」


那由が首を横に振りながら答えた。


「どうして?」


「一年生の時、竹本君に女子が何人も肖像画描いてって頼んだみたいだけど、あっさり断られたみたいよ」


「お高くとまってるんだね、もう大先生気取りなんだ?」


香穂が少し腹立たしそうに言うと、


「そうじゃないみたい、何でも自分の想いが入らないと絵が描けないんだって」


「へ~っ、じゃあ竹本君が好きな人なら描いてもらえるのかな?」


「そりゃそうでしょ、竹本君に肖像画なんか描いてもらえたら、わたしは一生の宝物にするな」


「そうなれるように校外学習で頑張れ!」


「うん、頑張るよ!」


香穂と那由は竹本君の話題で盛り上がっていた。


「貴美、どしたの?急に黙っちゃってさ」


「えっ?いや、何でもないよ‥」


「変だよ貴美、本当に中身まで変わらなくて良いからね」


「そんなの当たり前でしょ!」


笑って答えたけど、那由の言葉が心に引っかっていた。

竹本君はどうしてわたしを描いてくれたんだろう?



明日は鎌倉での校外学習だ、ホームルームの時間に最後の確認があった。


「明日はいよいよ校外学習です。午前9時に江ノ電の藤沢駅で出席の確認をします。その後は自由行動、午後1時に鎌倉大仏の高徳院にて再度出席確認、午後4時に鶴ヶ丘八幡宮で最後の出席確認をします。それが終われば各自解散になります。校外学習ですからしっかりと歴史や文化を学んで来るように、また同じ班の人との交友を深めるように、以上です」


先生がそう言ってホームルームは終わった。


「貴美、竹本君に明日の確認お願いね?」


「うん、みんなで一緒に行くから下北沢駅に7時半に集合だって伝えればいいんだよね?」


「そう言うこと、わたしは木村君に伝えるから那由は日下君にお願いね、あと携帯の番号聞いておいて!」


「はいはい、日下君か‥わかりましたよ」


那由が返事をした。

竹本君は既に席に姿はなく、もう美術室へ行ってしまったらしい。

仕方なくわたしは美術室へ向かった。


美術室の扉を開けると竹本君は油絵の具の準備をしていた。


「竹本君、明日の件だけど、みんなで一緒に行きたいから下北沢駅に7時半集合で良いかな?」


「わかったよ」


「それと、何かあっても連絡取れるように携帯の番号教えてくれるかな?」


彼はポケットからスマホを取り出すと、


「筒井さん番号は?」


とわたしに聞いた。


わたしが番号を教えると彼はスマホを操作して、わたしのスマホに着信があった。


「これが僕の番号」


彼はそう言うとパレットに油絵の具を載せて混ぜ始めた。


「竹本君っていつも一人なんだね、他の部員はいないの?」


「何人かいるけど幽霊部員もいるし、絵はここじゃなくても描けるからね」


彼は手を休めずに答えた。


「そっか、竹本君は?」


「僕はここが一番落ち着くんだ、集中も出来るしね」


「集中か‥」


確かに以前のわたしもそうだった。

一年生の頃は放課後になると毎日図書室で勉強していた。

図書室の方が集中出来ると思ったからだ。

いつからか自宅に帰って勉強するようになってしまったけど。


「それ、何となくわかるな」


「そう‥」


彼はパレットで混ぜた油絵の具をキャンバスに塗り始めた。


「筒井さん‥」


「何?」


「いや、何でもない」


「わたし邪魔だよね、ゴメンね集中しているところ」


「いや、まだ始めたばかりだから大丈夫だよ‥」


「竹本君って、どうして絵を描き始めたの?」


「どうしてかな、小さい頃から話すのが苦手で絵ばかり描いてたからかな」


「話すのが苦手?嘘でしょ?そんなふうに全然見えないけどな」


「本当に思ったり感じたことを言葉にするのって難しいって思うんだ。つい本心とは違うことを言ってしまったりしてね」


「と言うことは、わたしを美人って言ったのもそうなんだ?」


意地悪く彼に質問をした。


「それは本当のことだよ。筒井さんは美人だと思うよ」


「竹本君がわたしを描いてくれたこと、感謝してるんだ」


「そう、僕はちょっと複雑だな‥」


「どうして?」


「まさか本当にするとは思わなかったから‥」


「一度やってみてって言ったの竹本君だよ」


「そうだけど、みんなが気づいちゃったからね」


「何を?」


「もうそれはいいんだ、明日はよろしくね」


そう言うと彼はキャンバスにペインティングナイフで絵の具を載せ始めた。


わたしは美術室を後にして教室に戻ることにした。


竹本君って、思っていたのとは全然違う人なのかも知れないな‥


教室には香穂と那由が待っていた。


「遅いよ~貴美、竹本君と話は出来たの?」


香穂が少し待ちくたびれた様子で言った。


「うん、大丈夫だってさ」


「良かった!」


那由が嬉しそうに声を上げた。


「じゃあ、明日は秋の鎌倉を楽しもうね!」


香穂の言葉にわたしも那由も頷いた。


校外学習当日は気持ちよい秋晴れで、絶好の行楽日和の穏やかな朝だった。


母からお弁当を貰うと待ち合せの下北沢に向かうため駅に向かった。


自宅の最寄駅から小田急線に乗ると車内はいつものように通勤・通学の人々で混雑していた。


地下にある下北沢駅で上り電車を降りて待ち合せの反対側の下りホームの最前列に向かって歩いていると、


「あれ?竹本君だ」


前を歩いている竹本君に気がついて声を掛けようとしたけれど、すぐに躊躇ちゅうちょした。


彼の隣に見知らぬ女の子がいたからだ。

彼女は彼に手を振るとエスカレーターでホームを上がって行って見えなくなった。


渋谷にある私立高校の制服を着ていたので、井の頭線に乗り換えるのだろうと思った。


チラッと見えた彼女の横顔は、お世辞抜きにとても綺麗だった。


彼女は誰なんだろう?

前を歩く竹本君の肩を叩いて声を掛けた。


「おはよう竹本君!」


彼が後ろから突然声を掛けられて驚いた顔をして振り返った。


「‥筒井さんか、おはよう」


「筒井さんかって、誰だと思ったの?」


「えっ、いや‥」


彼が言葉を濁した。

さっきの彼女が戻って来たと思ったに違いない。


「いいお天気だね、今日一日よろしくね」


「ああ、僕の方こそよろしく、筒井さんにせっかく同じ班に誘ってもらったんだからね」


「本当は嫌だったんじゃないの?」


「そんなことないよ、嬉しかったよ」


「また〜、相変わらず思ってもないこと言うよね?言葉は難しいって言う人がそんなこと言うかな?」


「ハハハ、筒井さんは厳しいな‥それは本当なんだけどな」


待ち合わせの上りホームの先頭には既に香穂と那由、木村君、日下君の全員が揃っていた。


「貴美遅いよ!竹本君も」


香穂が腕時計を見ながら不満そうな顔をした。


仕切り屋の香穂は自分の思った通りにことが進まないと気がすまない性格なんだよね。


「次の急行に乗るから、みんな乗り遅れないようにね!」


香穂がみんなに指示を出した。


那由は今日の服装を悩んでいたけどしっかりお洒落をして来ていた。


「那由、その服可愛いいね?」


「へへへ、まあね」


那由との会話を聞いていた木村君が、


「筒井もその服すごく似合ってるよ、何着ても似合うんだね」


割り込んで来て言った。


動きやすさを考えてスニーカーにジーンズと七分袖のマリンボーダーのTシャツの上にグレーのジップパーカーを羽織ったラフな格好だったのでちょっと恥ずかしかった。


「ちょっと木村君さ、朝一からこれじゃあ先が思いやられるよまったく‥」


香穂が呆れた顔をして言った。


「しょうがないよ、似合ってるものは似合ってるんだから」


「聞いた?貴美、あとは任せた。ちゃんと次の急行に乗ってよね」


香穂はやってられないという表情をして背中を向けた。


ホームに入って来た片瀬江ノ島行の急行に乗り込むと、車内は下り方面ということもあって吊り革に掴まれる程度の混雑だった。


「筒井、今日は一日よろしくね」


木村君が隣で言った。


「よろしく、ところで木村君って香穂と仲いいんじゃないの?」


「バスケ部のマネージャーしてくれてるからね、一年生の時もクラスが同じだったし、筒井とも同じだったけど、あまり話したことなかったな」


「そうだね、わたし目立たないから‥」


「今はそんなことないよ、一番目立ってると思うよ」


「お世辞がうまいね」


「お世辞?お世辞じゃないよ、筒井めちゃくちゃ変わったよ、どうして眼鏡止めたの?」


「どうしてって‥何となくだけど」


「筒井って勉強一筋って感じだったから、髪型まで変わってちょっとビックリしたよ」


「今も勉強一筋だよ、中身は変わってないよ」


「こんなに綺麗になったんだから、みんな放っておかないよ」


「そうかな?」


「そうだよ、俺もその一人だからね」


「木村君って何でも口に出して言える人なんだね?」


「正直な気持ちを言ってるだけだよ」


「言葉は難しいって言う人もいるのにね」


「難しい?誰がそんなこと言ってるの?」


「別に誰でもいいじゃない」


「竹本も俺と一緒で結構はっきり言うタイプだと思わない?」


「そうかな?竹本君はちょっと違うと思うな」


「あいつ、結構人気あってさ、一年の時もずいぶん言い寄られたって話だよ」


「言い寄る?」


「告られたってこと」


「そうなんだ‥」


「でも、あいつ彼女いそうにないよな」


「どうしてそう思うの?」


「だってさ、いつも美術室にこもって絵ばっかり描いてるじゃん。誰かと付きあってる感じしないけど」


「うちの学校の人とは限らないんじゃない?」


今朝見かけた女の子のことがあったのでそう言った。


「そりゃそうだけど、俺の感かな‥当たってると思うよ」


「木村君こそバスケやって背も高いし、モテるんじゃないの?」


「まあそうなんだけど、特定の彼女はいないんだよね」


「どうだかね?」


「う~ん、それって心外だな、こう見えても真面目なんだよね俺」


「そうは見えないな‥」


「えっ!マジで、そりゃ困ったな、まあ今日一日でわかってもらうよ」


「ふ〜ん、お手柔らかにね」


彼の言葉をにわかに信じることが出来なくてそう応えた。


那由を見ると竹本君の隣で鎌倉のガイドブックを見ながら熱心に話をしていた。

那由‥頑張ってるな‥

香穂の隣に移動して小声で話しかけた。


「那由、はりきってるね」


「う~ん、あの二人、話しが合うとは思えないけど、竹本君は那由に全然興味なさそうだもん」


「そうかな?」


「そうだよ。それより貴美は木村君どうなの?」


「どうって?」


「気を付けなよ貴美、完全に貴美狙いだよ、木村君ってバスケ部でも遊び人だって有名なんだよ」


「そうなの?特定の彼女いないって言ってたよ」


「彼女?」


「きっと付き合ってる子が一人だけじゃないからそう言ってんだよ」


「ご忠告ありがとう、参考にするよ」


急行電車は一時間ほどで藤沢駅に到着した。


南口改札を出てペデストリアンデッキを通って小田急百貨店の二階にある江ノ電の藤沢駅に向かった。


江ノ電の改札前に先生が待っていた。


「島本の班だな、全員いるな?」


「全員います」


「よし、確認したので次の点呼は午後1時に鎌倉大仏だから遅れないように、それじゃみんな気を付けて学習するように」


先生と別れると、江ノ電の一日フリーパスを買って改札に入った。


江ノ電の藤沢駅はドーム型の鉄骨にガラスがはめ込まれ、光が射し込んでくる構造になっていて、まるで外国の駅の様なノスタルジックな雰囲気だった。

みんながスマホのカメラに駅の情景を収めていた。


竹本君だけは写真を撮らず、小さめのスケッチブックにその風景を描いていた。


単線の藤沢駅に緑色に塗られた4両編成の小さな電車が入って来た。


「みんなこれに乗って江の島駅で降りてね」


香穂が指示をした。


小さな緑色の電車はゆっくりしたスピードで住宅の間を走り抜けて行く、いくつかの駅を過ぎると海が見えた。

程なくして電車は江の島駅に到着した。


江の島駅を降りると風にのって潮の香りがした。江の島は平日にも関わらず、結構な人で賑わっていた。


江ノ島大橋を渡って土産物屋や飲食店等が軒を連ねている賑やかな参道を歩いて江の島神社に向かっていた。


「竹本君、相変わらず上手いね」


手にしたスケッチブックに参道を描いている竹本君に声を掛けた。


「そうでもないよ、普段は風景画はあまり描かないんだよね」


「そうなんだ、何で?」


「室内で落ち着いて描くのが好きなんだよね、風景画は得意じゃないんだ」


「そうなの?その割には相当上手いけどな」


「竹本、お前少しは気を使えよ」


木村君がまた会話に割って入ってきた。


「木村君、どうしたんだい?」


「どうしたも無いだろう?三嶋がせっかくお前と話をしようと頑張ってるのに、何でお前は絵なんか描いてるんだよ」


「木村君、そんな言い方しなくても」


木村君の言葉に竹本君が気の毒になった。


「絵なんかいいから三嶋の所へ行けよ、筒井の相手は俺がするから、こっちにも気を使ってくれよ」


「ああ、そうだよね‥」


竹本君はスケッチを描くのをやめて、那由のいる方へ歩いていった。


「木村君、そんな言い方しなくても良いと思うけどな」


「そうかな、三嶋が可哀想だと思わない?」


「それはそうだけど‥」


那由の方に目を向けると、竹本君は日下君を交えて那由と話をしていた。


「あいつ、本当に何にもわかってないな、何で日下を一緒に連れて行くんだよ」


竹本君どうしたんだろう‥

那由のこと嫌いなのかな?


参道の長い階段を上って江の島神社に参拝を済ませると、江の島駅に戻って鎌倉行の電車を稲村ケ崎駅で降りて海岸へ向かい砂浜に降りていった。


「ちょっと早いけどここでお昼にしようよ」


香穂がみんなに提案した。


「賛成!」


那由が手を上げて応えた。


稲村ケ崎の砂浜は波も穏やかで、気持ちの良い風が吹いていた。


那由と竹本君と日下君の三人で一緒にお弁当を食べる準備をしていた。

わたしは香穂と木村君とお弁当を食べることした。


しばらくして、何気なく那由の方を見るといつの間にか竹本君だけが一人離れて砂浜に座って江の島の風景をスケッチブックに描きながらお弁当を食べていた。


那由と日下君が二人並んでお昼を食べながら楽しそうに話をしている。


源頼朝みなもとのよりともが1192年にいいくに作ろうで覚えた鎌倉幕府を開いた人物だって、三嶋さんも知ってますよね?」


「そんなの小学生でも知ってるよ」


「では、頼朝ってどんな人だったか知ってますか?」


「それはよく知らない‥」


「頼朝は源義朝みなもとのよしともの三男として生まれたんですが、父の義朝ともに平清盛たいらのきよもりと戦って敗北して、父の義朝は殺され、頼朝も殺されそうになるんですが、平清盛の母親の懇願により命を助けられ、伊豆に追放されます。伊豆での頼朝には運命的な出会いが待っています。それが北条政子ほうじょうまさことの出会いです。北条政子は知ってますよね?」


「詳しく知らないけど、執権政治の北条氏だよね?」


「そうです。北条政子は伊豆の豪族である北条時政ほうじょうときまさの娘に生まれ、父の時政は頼朝の見張り役をしていましたが、その時に政子は頼朝と出会ったと言われています。時政が京都に出向いてる間に二人は恋仲になってしまい、周囲の反対を押し切って頼朝と結婚しますが、二人で駆け落ちまでしたと言われています。この出会いが無かったら頼朝が鎌倉幕府を作ることはなかったでしょう。一生を伊豆の地で流刑の罪人としてその生涯を終えたと思われます。頼朝と政子の出会いは日本の歴史を変えた出会いなんですよ」


「へ~っ、日下君って物知りだね、しかも話がうまいね?」


「いえ、それほどでも‥」


「歴史を変えた出会いって、何かロマンチックだね、良かったらその続きも教えてよ?」


「はい、伊豆に流されてから20年後、後白河法皇の子、以仁王もちひとおうから、「平氏を倒せ」という令旨りょうじが届きます。頼朝は、妻の北条政子の父、北条時政と一緒に挙兵して平氏側の武士を襲撃します。頼朝の元には平氏に不満をもつ大勢の武士達が集まり、腹違いの弟でもある源義経みなもとのよしつねも頼朝の元に馳せ参じて加勢しました。頼朝は平氏との戦いを弟の義経に任せて、ここ鎌倉で武士が中心となって政治を行うための仕組みを作りはじめます。この仕組みが後の鎌倉幕府の基礎となるんです」


「日下君の話って解り易くて飽きないね!」


「そうですか?三嶋さんに褒められると嬉しいです」


「ちょっと‥何あれ?」


香穂がわたしに目配せをして小声で言った。


「那由と日下君、なんかいい雰囲気じゃない?」


「そうだね、あの二人、気が合うみたいだね」


「日下君ってあんなにしゃべる人なんだ、驚いたな」


香穂が目を丸くして言った。


「物知りだね日下君って」


「那由はああいう自分にない物を持ってる人が好きだからね」


香穂が呆れたように答えた。


「1185年の『だんうらの戦い』で弟の義経が平氏を滅ぼすのですが、義経が朝廷から勝手に官位を貰ったり、平氏との戦いで頼朝の意に反して勝手な行動をしたことに頼朝は激怒して義経を鎌倉から追放してしまいます。その後の義経は奥州藤原おうしゅうふじわら氏を頼りかくまわれますが、最後は周りを囲まれて自害します。そして、1192年に朝廷から征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任命されたことによって鎌倉幕府が成立したということになっています」


「頼朝の話で盛り上がってずっと二人で話してるね、那由って歴史好きなんだね」


「意外な展開だね、こりゃ竹本君は全く用無しだな‥」


香穂が呟いた。


「そっか‥そういうことか」


わたしは二人から離れて一人でお弁当を食べている竹本君を見て気が付いた。


「貴美?何がそういうことなの?」


「ううん、何でもない‥」


彼は適当な人なんかじゃない、ちゃんと周りが見えているんだ。

何で今まで気づかなかったんだろう?


更にわたしは心に芽生えたある想いにも気がついてしまった。


お昼を食べ終わると、


「さあ、みんなの準備出来たら出発するよ」


香穂がみんなに声を掛けると、海岸を離れて稲村ケ崎駅に向かって歩いていた。


その間も那由は日下君とずっと一緒に楽しそうに話をしている。


「竹本は何やってるんだろうな?」


木村君が言った。


「どういう意味?」


「あいつがちゃんとしないから、三嶋が日下なんかと無理に話さなくちゃいけなくなるんだよ」


「それは違うんじゃないかな、那由は自分から話してるんだよ、無理なんかしてないと思うよ」


「そうかな?日下なんて暗いし、地味なやつじゃん」


「地味ね‥」


木村君の言葉が引っかかった。

以前のわたしもそう思われていたんだろうな‥


稲村ケ崎駅から電車には乗らず、徒歩で極楽寺まで行くことになった。


食後の運動にはちょうど良い気がした。

さすが香穂、よく考えているな‥


極楽寺を参拝して極楽寺駅から再び江ノ電に乗ると長谷駅は隣の駅だった。


長谷駅で降りると鎌倉大仏のある高徳院に向かい、そこで先生の点呼を再び受けた。


後は長谷寺に行って鎌倉まで移動したら、鶴岡八幡宮が校外学習のゴールだ。


ずっと木村君と一緒にいたけど、何を話したのかまったく記憶に残っていなかった。


竹本君が気になって、自然と彼を目で追っている自分がいて、長谷寺に着くと、どうしても彼と話がしたくて思い切って彼の傍に駆け寄った。


「竹本君、上の境内にも行ってみない?鎌倉の景色が一望できる見晴台があるみたいだよ」


長谷寺は妙智池みょうちいけ放生池ほうじょういけの2つの池の周囲を散策できる回遊式庭園がある下境内と本尊である十一面観音菩薩像(長谷観音)が安置されている観音堂等があり鎌倉の海と街並みが一望できる「見晴台」がある上境内に分かれているとガイドブックに載っていた。


「そうだね、上には紫陽花アジサイで有名な眺望散策路があって梅雨の時期はとても綺麗なんだよ」


「へ~っ、詳しいんだね?」


「日下君ほどじゃないけどね、種明かしすると、中学の時に遠足で来たことがあるんだ。ちょうど梅雨の時期で紫陽花の絵を描いた。だから物凄く印象に残ってるんだ」


「そうなんだ、竹本君の中学時代ってどんな子だったの?」


「今と変わらないよ、絵ばかり描いてたな、筒井さんは?」


「わたしも今と変わらない、勉強ばっかりして地味で目立たなくって」


「そんなことないよ、筒井さんはもっと自信を持って良いと思うけどな」


「本当にそう思ってるの?」


「僕はそう思うよ」


「ありがとう、竹本君って本当は良い人なんだね」


「筒井さんが褒めてくれるなんて、どうしちゃったの?」


「‥あのね、竹本君にどうしても訊きたいことがあるんだけどいいかな?」


「何だい?」


「竹本!」


その時、木村君が大きな声を上げてこっちに走って来るのがわかった。


「木村君‥」


「みんなを置いて先に行くなよ」


「ああ、すまない」


「筒井もさ、竹本について行くことないんだよ?」


「それわたしが‥」


竹本君がわたしの言葉を遮って言った。


「木村君すまなかった、気を付けるから」


彼はそう言ってわたしの傍から離れて行った。


彼と落ち着いて話がしたかったけど、今の状況ではそれは難しい。


どうしたらいいんだろう?

長谷寺から長谷駅へ向かって歩きながらそのことばかり考えていた。


長谷駅で鎌倉へ向かう電車を待っていた。

この時期の鎌倉は人が多い。

電車がホームへ入って来るとみんなは車内に乗り込んでいった。


わたしは不意に竹本君の服の袖を掴むと、

彼は振り返って驚いた顔をして言った。


「筒井さん、電車乗らないの?」


電車の扉が閉まり、香穂達を乗せた電車は長谷駅のホームから見えなくなった。


「どうしたの?」


「うん、その‥竹本君と話しがしたいなって」


「そっか‥」


「みんながいると話しづらいこともあるから‥」


香穂に『乗り遅れたので一本後の電車で追いかける』とメールをした。


「それって、さっき言ってた僕に訊きたいってこと?」


「うん」


「何かな?」


「竹本君は何でわたしのこと描いてくれたの?」


「筒井さんを描きたかったから‥かな」


「どうして?今まで頼まれても断ってたんでしょ?」


「どうしてか‥それは描いた絵を見ればわかるよ」


「絵を見ればわかるんだ?」


「わかると思うよ‥」


「そっか、もう一つだけいいかな?」


「何?」


「今朝一緒にいた女の子って誰なのかな?」


「えっ、今朝の見られてたんだ?」


「すごく綺麗な人だったね?」


「何でそんなこと訊くの?」


「別に‥でも気になる」


「あの子、中学の同級生なんだ‥」


「友達なの?」


「ちょっと違うな」


「じゃあ、彼女?」


「違うよ、中学の卒業式の後、あの子に告白されたんだ」


「そうなんだ、じゃあ元カノとか?」


「それも違うよ、僕は女の子と付き合ったことないから」


「そうなんだ」


「告白された時、彼女に君の想いには応えられないって返事したんだ。でも彼女はいつまでも待っているって‥今日、偶然駅で会ったんだ。卒業式以来だったな」


「彼女なんだって?」


「『今でも僕のこと好きだって』‥もう僕のことなんてとっくに忘れていると思った」


「そう‥」


「僕はその気持ちには応えられないって言ったんだけど、『付き合っている人がいないならこれからもずっと待ってる』って‥言葉って難しいよね、どう言えば伝わるのかな?」


彼は少し困った顔をして言った。


「ハッキリ言わないと伝わらないこともある。でも、人を傷つけないようにオブラートに包んで言った方がいい時もある。竹本君は優しいんだよ」


「優しい‥そうかな?」


「優しいよ」


「どこが?」


「さっき、わたしのことかばってくれたよね?」


「本当のこと言っても木村君は信じないだろうからね」


「日下君を同じ班に誘ったのもそうだよね?日下君の那由への気持ちを知ってたからなんでしょう?」


「何だいそれ?」


「とぼけたって駄目だよ、だから今日もわざと那由と話しをしなかったんだよね?そして、日下君が那由と会話が出来るように上手く立ち回ってたんだよね?」


「‥参ったな、筒井さんには敵わないな、一年生の時に日下君はいつも三嶋さんを見てたからね、何か彼の気持ちがわかるって言うのかな、応援したくなったんだよね」


「気持ちがわかるって、竹本君は好きな人いるの?」


「‥いるよ」


「好きな人いるんだ?いるよね普通‥」


彼が好きだという人を羨ましいと思った。


「どんな人なの?竹本君の好きな人って」


「どんな人って‥」


「ごめんね変なこと聞いたりして」


「筒井さんは?」


「わたしは恋愛なんて‥」


「そうだよね、勉強が忙しいからそんなヒマないよね?」


「そうじゃないよ」


「えっ?」


「わたしなんか無理だよ、わたしなんか好きになってくれる人なんていないよ」


「どうして?」


「だって、小さい頃から容姿にコンプレックスがあって、竹本君の絵がキッカケで周りの見方が変わったって思うけど、これは本当のわたしじゃないんだよ」


「それは違うと思うな、みんなが筒井さんを変わったって言うけど、何も変わってないと思うんだ。前の筒井さんも、今の筒井さんも同じ筒井さんだよ」


「竹本君‥」


「本当に筒井さんは前から綺麗だと思うよ‥」


彼の思いやりのある言葉はどこから出てくるんだろう?

言葉が苦手、そんなの嘘だよ。

竹本君はこんなにも優しい心の持ち主なんだ‥


次の電車がホームに到着して、わたしと彼は電車に乗った。


出来ればもっとここにいたかった。

彼と一緒にいると、とても居心地が良くて幸せな気持ちになる。


竹本君のことが好きになってしまったんだ‥

彼へのボンヤリとした想いがハッキリして胸が痛くなった。


でも、彼がわたしを見てくれる筈がない。

想いを伝えたって、きっと彼の優しい言葉で振られるんだろうな‥


「筒井さんどうしたの?」


「何でもない‥ごめんね呼び止めてしまって」


「きっとみんな心配してるよ」


「そうだね、怒られちゃうかな?」


「上手く話せば大丈夫だよ」


「上手く話す?言葉が苦手な竹本君が?」


わたしと彼はお互いの顔を見て笑った。


電車が鎌倉駅に着くと、香穂がホームで待っていてくれた。


「ちょっと、電車に乗り遅れるってどういうこと?小学生じゃないんだからね」


香穂が呆れた顔をして言った。


「ごめんね、香穂」


「どうしたのよ?竹本君まで」


香穂が竹本君に聞いた。


「電車に乗る際にうっかりしてスケッチブックをホームに落としてしまって、筒井さんが拾ってくれたんだけど、電車の扉が閉まっちゃって‥筒井さんゴメンね」


「まったく、竹本君って意外とドジなんだね?貴美は相変わらず優しいね」


香穂は仕方ないって顔をして、ホームから改札へ向かった。


「バレバレだったかな?」


彼が小声で言った。


「大丈夫だよ、香穂は意外と鈍感だから‥ありがとう竹本君」


鎌倉駅を出た香穂とわたしと竹本君は鶴岡八幡宮へ向かって歩き始めた。


参道を歩きながら香穂が話し掛けてきた。


「木村君、心配してたよ」


「心配いって‥子供じゃないんだからね」


「そうじゃないよ、鈍いな貴美」


「鈍い?何それ」


「竹本君と何かあったの?」


「何で?」


「貴美と竹本君に嫉妬してるんだよ」


「嫉妬‥?」


「貴美と竹本君って不思議と仲良いからね、木村君さ貴美のこと本気みたいだから」


「そうなのかな?」


「貴美と竹本君って二人だけの秘密があるって感じするからね」


「そんなものある筈ないでしょう!」


焦って大きな声を上げた。


「そんなふうに全力で否定するところがますます怪しくない?」


「‥」


「木村君も焦ってるみたいだから、今日の帰りに告白されちゃうかもよ」


「そんなこと言われても‥」


香穂の言葉に戸惑いながら、鶴岡八幡宮の鳥居を潜ると、境内で先生と一緒に那由と日下君、木村君が待っていた。


「先生、これで全員揃いました」


香穂が先生に伝えると、


「電車乗り遅れたって?筒井らしくないな」


「先生、原因は竹本君です。貴美は巻き込まれただけです」


香穂が説明した。


「そうか、竹本が原因か、みんなに迷惑かけたんだからちゃんと謝らないとな」


「すいません。僕のせいで迷惑かけました」


彼がそう言って頭を下げた。


本当はわたしのせいなのに‥

彼に申し訳ないと思った。


「じゃあ、これで解散していいぞ、みんな気をつけて帰宅するように」


先生はそう言うと、次の班の応対を始めた。


「お疲れ様でした、じゃあ帰ろっか?」


香穂が鎌倉駅に向かおうと歩き始めた。


「あの‥島本さん」


「何?日下君」


日下君が香穂を呼び止めた。


「三嶋さんが頼朝の墓を見たいって言ってるので、これから行ってもいいですか?」


「それは予定にない行動だね‥」


香穂は否定的に言った。


「那由と二人で行ってくれば?」


わたしは日下君に提案した。


「貴美、勝手なことしたらダメだよ」


「良いんじゃないの?もう解散したんだから」


「う〜ん」


「少しは気を利かせなよ」


香穂に小声で囁いた。


「貴美?」


「仕方がない‥二人で行って来なさい。ただし、30分でここに戻って来ること、わたし達は時間潰してるから」


「香穂、ありがとう!」


那由がそう言うと、二人は嬉しそうにその場を離れていった。


「さてと、それじゃ次は貴美の番だね」


「えっ?」


「竹本君、行くよ」


「行くよって、どこへ行くんだい?」


「いいからさ、ほら黙ってわたしに付き合えばいいの!」


そう言って香穂が竹本君の手を引っ張って行ってしまった。


「あっ、香穂、竹本君‥」


その場に木村君と二人で残されてしまった。

香穂の奴、わたしの気持ちも知らないで‥


「筒井、なんか皆んな気を使ってくれたみたいだね?」


「えっ、そうなのかな‥」


「このチャンス、無駄に出来ないから言うけど‥筒井、俺と付き合わない?」


「えっ?付き合う?」


「ああ、今まで気づかなかった。こんなに筒井が素敵だったなんて、これが本当の君なんだって‥俺、マジに好きになったんだよね、付き合ってくれないかな?」


木村君の言葉にわたしはどう答えていいかわからなかった。

生まれて初めて男の人から告白された‥

嫌な気はしないけど、何故だかまったく実感が湧かない。


「わたしのどこがいいの?」


「可愛いし、優秀だし、完璧だよね」


「そうかな?わたし可愛いなんて言われたことないし、むしろ地味だよね」


「筒井は変わったんだよ、今の君はみんな放っておかないよ」


「そう‥ありがとう」


「返事は今すぐじゃなくてもいいから、考えてみてよ」


「そうだね‥」


「俺、筒井のこと大事にするからさ」


「少し考えさせて‥」


「もちろん、よろしく頼むね」


木村君が嫌いではないけれど、竹本君を想うわたしがいて、でも彼がわたしを見てくれることはないんだ‥


しばらくして香穂と竹本君が戻ってきた。


「話は終わったの?」


「‥」


「あのさ香穂‥」


「何?」


「何でもない‥」


「ふ〜ん、ところでさ、竹本君ってしっかりしてるね、話してみると見かけと全然違うね、見直しちゃったな」


「竹本君と何話してたの?」


「別に?たわいも無いことだよ」


「たわいも無いことって何?」


香穂が竹本君を連れていってしまったことに正直嫉妬してムッとしていた。


「どうしたの貴美、なんか怒ってる?そっちこそ木村君とどうだったのよ?」


「別に‥たわいも無い話しをしただけだよ」


「その割には深刻な顔してるよ?」


「‥」


「貴美さ、無理しなくていいんじゃないの、あまり深く考えないこと、嫌なものは嫌、好きなものは好きでいいと思うよ、貴美は貴美らしくね」


「香穂‥」


「おっ、那由達も戻ってきたよ、時間通りだね、感心、感心」


香穂はそう言って二人の元へ向かった。


一人で立ちすくんでいると、


「筒井さんどうかしたの?」


竹本君が心配そうな顔をして声を掛けてくれた。


「別に‥どうもしないけど‥」


「そうかな?少し顔色悪いよ」


「変なこと聞くけど、今朝の女の子に告白されてどんな気持ちだった?」


「う〜ん、悪い気はしないけど複雑だよね、好きじゃない人とは付き合えないからね」


「そうだよね‥好きじゃない人とは付き合えないか‥」


「どうしてそんなこと聞くの?」


彼がわたしの顔をじっと見つめている。


その顔がとても優しくて、思わず大きな声に出して叫びそうになる。


『わたしはあなたが好きなんだ!』って。


知らなかった‥

人を好きになるって、こんなにも切ない気持ちになるってこと‥


「ありがとう竹本君、本当に大丈夫」


彼にそう言って、わたしは香穂と那由に声を掛けた。


「さあ遅くなるからみんな帰ろうよ」




校外学習から家に戻ると、自分の部屋の机でボンヤリとしていた。

いつもならすぐに勉強を始めるのに、何もする気が起こらなかった。


今日は色々なことがあったな‥

生まれて初めて男性から告白されたというのに憂鬱な気分だった。


木村君の気持は有り難かったけど素直に喜べない自分がいて、木村君の言葉を考えていた。


『今まで気付かなかった、こんなに筒井が素敵だったなんて、これが本当の君なんだって‥』


本当のわたしって何だろう?


「貴美入るよ」


姉がノックと共に部屋に入ってきた。


「ご飯出来たよ」


「うん‥何か食欲ない」


「ふ〜ん、珍しいね」


「うん‥」


「勉強もしてなかったみたいだね?」


「何だか、やる気出なくて‥」


「なるほど‥」


「なるほどって?」


「貴美もようやく人並みになったってことだよ」


「人並み?」


「好きな人が出来たんでしょ?」


「お姉ちゃん‥」


「食欲なくて、何も手につかないなんて他に考えられないでしょ?」


「‥」


「まあ、わたしもそうだったから悩めば良いんだよ」


姉が優しく諭すように言った。


「お姉ちゃん、今日わたし、付き合って欲しいって告白されたんだ‥」


「そう、貴美はその人のことどうなの?」


「うん、気持ちは有り難かったけど‥」


「けど?」


「わたしの変わった外見を見て好きだって‥」


「そう、それがいけないことなの?」


「そうじゃないけど‥わたしは何も変わってないんだよ」


「そりゃそうだ、変わる筈ないよ」


「竹本君も同じこと言ってた」


「彼は何て言ったの?」


「前のわたしも、今のわたしも、わたしだって、何も変わってないんだって」


「彼は貴美のことをよく見てるね」


「わたし‥竹本君のこと好きになってしまったんだ‥」


「そう、じゃあ、彼にそう伝えれば?」


「彼はわたしなんか‥」


「そうかな?貴美のこと一番わかってくれてるような気がするけど、あの絵を見たらわかるよ」


「お姉ちゃんにはわかるんだ?彼にどうしてわたしを描いてくれたのか訊いたんだ。そしたら彼‥絵を見ればわかるって‥」


「まあ、貴美より少し人生経験あるからね、ゆっくり絵を見て考えてごらん。わたしが言えるのはそこまでだよ、ご飯、先に食べてるからね」


そう言って姉は部屋を出て行った。


彼からもらったスケッチブックを開いて自分の肖像画を見つめた。


「竹本君‥どうしてなの?」


何度肖像画を見ても、何もわからなかった。


「わたしにはわからないよ‥」


仕方なくスケッチブックをめくって他の絵が描かれているページを何気なく見ていた。


上手に描かれていて綺麗だな‥


「ん‥これって?」


もしかして、この絵に意味があるのかも?


そういうことか‥


姉はこの絵の意味を最初からわかってたんだ。


スケッチブックを閉じると部屋を出て下に降りていった。


「お母さん、ご飯食べる」


「あら、食欲なかったんじゃないの?」


「やっぱり食べる。食べたら勉強する」


「そう、わかったわ」


そう言って母は夕飯の用意をし始めた。

先にご飯を食べていた姉がわたしを見て、ウィンクをした。

わたしも笑顔でウィンクをして姉に返した。




次の日、学校に行くと教室で木村君に声を掛けた。


「おはよう木村君、今日の放課後に時間もらえるかな?」


「おはよう、昨日の件かな?いいよ」


「うん、じゃあ放課後ね」


わたしは自分の席に着いて竹本君を探した。


彼の姿を見つけると胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。


放課後、木村君を中庭に誘った。


「木村君、部活前にごめんね、わざわざありがとう」


「いや、もっと時間が掛かると思ってたから、返事聞かせてくれるのかな?」


「うん、そのつもり」


「で、どうかな?」


「木村君、ハッキリ言わないと失礼になると思うから言うね、わたしを好きだって言ってくれたことは感謝してる。でもわたしは木村君と付き合うことは出来ない、木村君は本当のわたしを見ていないと思うから」


「本当のわたし?」


「そう、今のわたしもわたしだけど、前のわたしもわたしなんだ‥」


「それ、どういう意味?」


「木村君、わたしが前のままだったら、わたしのこと好きになってくれたかな?」


「それは‥」


「前のわたしもわたしだって思うから、いつ戻しても構わない。それを許してくれるかな?多分嫌だよね?」


「う〜ん、それは‥そうかもね」


「だから、木村君とわたしがもし付き合うことになっても、多分上手くいかない。それに‥わたしは好きな人がいるから」


「好きな人いるんだ?」


「うん」


「そいつとは上手くいくって思えるのかい?」


「わたしは上手くいくと思ってる」


「そっか、わかったよ。そう言われると返す言葉がないな、そいつと上手くいくと良いな」


そう言うと木村君はわたしの前から去って行った。


木村君に断りを入れた後、中庭から教室へ一旦戻ると竹本君からもらったスケッチブックを抱えて美術室へ向かった。


美術室の扉の前でわたしは大きく深呼吸をして、静かに扉を開けて美術室の中に入った。


彼はいつもの場所に座って黙々と筆を動かしていた。


イーゼルの前には何もない。

こちからはキャンバスが見えないので何を描いているのかわからなかった。

相変わらずわたしに目もくれずひたすらに筆を動かしていた。


邪魔をしたくなかったので話しかけずに黙って彼の作業を見ていると、しばらくして彼の筆が止まった。


「ふ〜っ、休憩するか‥筒井さんも珈琲飲むかい?」


「うん、いただきます」


そう答えると、彼は隣の美術準備室に入って行って、しばらくすると白いカップを二つ持って準備室から出てきた。


「ブラックしかないんだけど、よかったらどうぞ」


「竹本君、ありがとう」


彼からカップを受け取った。

美術室に珈琲の良い香りが漂った。


彼の入れてくれた珈琲はとても美味しかった。


「筒井さんどうしたの?学祭実行委員は明日だよね?」


「うん、今日は竹本君に話しがあって来たんだ‥」


「話し?」


「うん、わたしね、昨日の校外学習の時、木村君に付き合って欲しいって言われたんだ。わたしは変わったって、すごく綺麗になったって」


「そう‥それを何で僕に?」


「さっき返事してきたんだ‥」


「‥」


「竹本君、わたしは何も変わってないよね?」


「そう思うよ‥」


「木村君の気持ちは有り難かったけど、付き合うことは出来ないって返事した‥」


「どうして?」


「だって、前のわたしはわたしじゃないって否定されているような気がして‥だから、そんな木村君を好きにはなれないから」


「そっか‥」


「竹本君に肖像画を描いてもらって、わかったことがあるんだ」


「どんなこと?」


「わたしをもっと前からずっと見ててくれた人がいたってこと」


「筒井さん‥」


「わたし、自惚うぬぼれていいのかな?竹本君が前のわたしも今のわたしも、ずっと好きでいてくれるって」


「‥どうしてそれ?」


「あのスケッチブック、わたしへの想いで溢れてた‥描かれていた絵の花言葉は全部『変わらずにあなたを想っている』でしょ?」


「気づいてたんだね?」


「ううん、昨日までまったく気づかなかった」


「何で気がついたの?」


「わたし、お姉ちゃんがいるんだけど、見られちゃったんだよねスケッチブック、肖像画のようにしたのもお姉ちゃんの発案だったんだ、最初からお姉ちゃんにはスケッチブックの意味がわかってたみたい」


「筒井さんのお姉さんが‥そうだったんだ」


「いつからわたしのこと?」


「僕は一年生の時、絵を描く資料を探しによく図書室に行ってたんだ。いつも同じ席で真剣な眼差しで勉強している女の子がいた、彼女の眼鏡の奥にある綺麗な瞳に心奪われた。いつかその子を描きたいって思ってたけど、いつからかその子は図書室に来なくなってしまった。後で判ったんだけど、その子は学年で一番優秀な生徒で僕なんかとは釣り合わない人だってわかった」


「図書室で‥そうだったんだ」


「うん、本当に綺麗だなって思ったんだ‥まさか二年生になって同じクラスになるなんて思わなかったけど」


「全然気がつかなかった‥」


「学祭実行委員もね、少しでも話ができようにってなったんだ、本当はそういうの苦手なんだけどね」


「その割にはサボってばっかり‥」


「筒井さんの前では上手く話が出来ないんだよ、つい本心じゃないこと言ってしまうから‥」


「それなのにどうしてわたしのこと美人だなんて?」


「筒井さんが容姿にコンプレックスを持ってるのがわかったから、そうじゃないって気づいて欲しかった。そんなこと言うのかなり恥ずかしかったよ。君はまったく信じてくれなかったから‥ちょっと強引だったけど髪型を変えて眼鏡を外した君を描かせてもらったんだ。まさか本当にあの絵のようにするとは思わなかったけどね。スケッチブックを渡してからは気持ちがスッキリして上手く話せるようになった気がした。本当はちゃんとお願いして描かせてもらうつもりだった。その時はそのスケッチブックに描いて渡そうと思ってたんだ」


「‥わたしなんかのどこがいいの?」


「どこって‥筒井さんを見ていると僕は幸せになれるから」


「竹本君が幸せに?」


「うん、絵の資料を探しに行ってた図書室だけど、いつの間にか君に会うために通うようになってた。筒井さんを見ていると本当に幸せな気持ちになるんだ」


彼はそう言って恥ずかしそうに下を向いた。


「竹本君、今度わたしのこと、ちゃんと描いてもらえるかな?」


「筒井さん‥」


「わたし、竹本君のこと最初は苦手だった。わたしのこと美人とか言って、絶対に揶揄からかっているんだって思ってた。適当な人なんだって、でもわたしを描いてもらってから話をして、そうじゃないんだって思うようになった。昨日の長谷駅で気づいたんだ。わたしも竹本君と一緒にいると幸せな気持ちになる、わたしは竹本君のことが好きなんだって、ずっとこのまま電車が来なければ良いのにって‥でも竹本君はわたしのことなんか見てくれないって思ったから、あのスケッチブックの意味がわかってすごく嬉しかった。こんな素敵な告白の仕方してくれる人は他にいないって、これって言葉はないけどラブレターだよね?」


「想いを込めて描いたからね‥」


「だから、わたしが人生で初めてもらったラブレター、竹本君の想いを素直にそのまま受け入れたい」


「筒井さん、僕は絵を描くことしか取り柄なんてないよ‥こんな僕でいいのかな?」


「わたしも勉強以外、取り柄なんてないけど、それでもいい?」


わたしと竹本君はお互いの顔を見て笑ってしまった。


「今から筒井さんを描かせてもらっていいかな?」


「もちろん、わたし、この前の時と違って飛びっきりの笑顔してると思うよ、だって、竹本君の想いがとっても嬉しくて‥竹本君が大好きだから」


そう言ってわたしは持っていたスケッチブックを彼に渡した。

宝物のスケッチブックを‥


穏やかな秋の日の午後、美術室の二人を優しく西陽が照らしていた。


 ー終わりー



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る