私の代わりに空が泣く

東樹

前編


  白い花に埋もれた貴方は、眠っているようだった。角度を変えて見れば、優しく微笑んでいるようにも見える。急に強く肩を揺さぶれば、驚いて目を覚ますんじゃないかしら、と思えるほど貴方の横顔は、毎朝、目にしていた日々のように美しくて、あまりに現実味がなく、まったく涙が出ない。

 貴方が入った箱を囲む人達は私と同じような黒い服を着て、しくしくと泣きながら、溢れる涙をハンカチか手でぬぐっているのに、用意してきた私のハンカチはまだ乾いている。

 やがて別れを惜しむ為に設けられた時間は終わり、貴方が入っている箱は閉じられて、滑車で壁の中に押し込められ、分厚い蓋で閉じらた。それを見て私は、なんだかあっちとこっちで隔てられたような気分になる。

 皆、泣いているのに私だけ涙を流していないのに、妙な疎外感を覚え、1人で施設の外に出た。まるで工場のようにその建物から煙突が一本、空に向かって突き出ており、じっと見守っていたら、ゆっくりと白い煙が上ってきた。

 あれは貴方だ。貴方が天に昇り始めたんだ。しかし別れの日なのに、空は厚い雲に覆われ、お世辞にも旅立ち日よりとは言えない。やっぱり神様は不公平だ。

 頬に冷たい何かが当たった。空を見上げると、小雨が降り始めていた。




 ほんの数日前の朝、いつものようにユウ君の優しいキスで目が覚めた。いいえ、本当は起きていたんだけど、まだ夢の中にいるような真似をしていたら、ユウ君が口づけで起こしてくれるから、わざとそうする。王子様のキスで目覚めた眠り姫みたいって、年甲斐もない事を思ってみる。

 ユウ君はいつも朝御飯を食べない代わりに飲むヨーグルトをコップ一杯だけ飲む。同棲しはじめの頃、朝御飯を食べないと身体に良くないと信じていた私は、そう注意したのだが、ユウ君曰く、食べるか食べないかのどちらかが一方に決めるのが、一番良いらしく、体脂肪がつきやすいのは、食べたり食べなかったり、不規則なのが最も健康を害すると言った。確かに、ユウ君は太ってもいなければ、痩せてもいない中性的な体つき、大きく体調を崩したことも無いし、まあ問題ないのだろう。

「今夜、早く帰ってくるけど、家にいるか?」とコップを洗いながら聞いてきた。

「うん、シフトお昼だけだから。何か晩御飯、食べたいものある?」

「クリームシチュー」

 それはユウ君の好物だ。

「それじゃあ、ナオ、いってくる」

 軽いキスをしてユウ君は出ていった。

 2人で住むには少しだけ狭いワンルームのアパートの部屋。だけどコンビニや駅からも近いし、部屋も小さい分、掃除もしやすいので、不便さは感じていないし、何より大学生時代からずっとこの部屋で同棲生活をしているので、思い出も詰まっているから、社会人になっても離れがたいのも事実だけど、籍を入れたらもっと大きな家に引っ越さなければいけないのか、でも、ユウ君はどう思っているのだろう。お互い大学を卒業して1年経っているのに、ユウ君からは結婚を匂わせるような、仕草は感じ取れない。私が鈍いからなのか、それとも結婚を意識しているのは私だけなのだろか、そんな事を考えながら身支度を整えて、私も出勤した。職場は学生時代からずっと続けているファミレス、因みに雇用形態はアルバイトだ。

 一番忙しいランチタイムを乗り切り、ティータイムが終わる頃、タイムカードを切って退勤、帰りにスーパーマーケットでクリームシチューの材料を買った。私は基本、お肉が食べられないので、私達のタンパク質摂取源は専ら魚介類である。クリームシチューの具材も肉ではなく鮭を買った。

 日も完全に落ちて、すっかり暗くなった頃、クリームシチューとサラダが完成したが、ユウ君は帰ってこない。思いの外、仕事が立て込んでいるのだろうか、ただ待っていてもしかたがないので、机に向かって執筆中の小説の続きに手をつける。

 私が未だ就職してい所以でもある小説の執筆活動。

 ずっと、ユウ君と出会う前から小説家を目指していた。学生時代はデビューするために何回も出版社に持ち込んだりもしたが、結果は今の私の収入源を見れば一目瞭然である。最近、私に小説は向いていないんじゃないかと、思い始めた。そうすると自信だけが消失して余計に筆を重たくさせる。ここ一年、まともに完成させた事がない。

 ノートの上でキャラやストーリーをこねくりまわすが、思ったような造形が完成せず結局、ノートを閉じてしまった。そういえばクリームシチュー、冷めちゃったなと思ったとき、スマホに着信が来た。きっとユウ君だ。



 雨が降っていた。

 とても強い雨が、窓をバシバシと叩く雨の音、時折、稲光が青白い閃光を放ち、雷鳴が轟く、5月にしてはとても珍しい豪雨だった。

 私の代わりに空が泣いているような強い雨。

 生まれて初めて袖を通した喪服に身を包んだまま、虫のサナギになったかのように、私は明かりを点けていない、真っ暗な自宅の床の上で横たわっていた。長年住んできた自宅の床がこんなにも冷たいなんて初めて知る。

 不思議と涙は出ない。こんなにも悲しい筈なのに、心はただ冷めている。自分でも不思議なのだが胸の奥底から、嗚咽が溢れてくるのに、喉のところを通りすぎる内に霧にでもなったかのように、熱い感情は消えてしまうのだ。私が冷淡なのか‥‥‥もう、そんな事はどうでもいい。

 ほんの数日前、ユウ君は”今夜、早く帰ってくる”と言ったのに、約束を破って帰ってこなかった。そして、二度と帰って来る事はない。一度も嘘なんて吐いたことなかったのに、こんな酷仕打ちは初めてだ。

 私の恋人、ユウ君は仕事からの帰り道、突然死んでしまった。死因は急性心不全。倒れたのが人通りの少ない路地裏で発見が遅れ、救急隊が駆け付けた時には、もう手遅れの状態だったと言う。

 誰も悪者のいない予期せぬ不幸。動いている機械の電源を切ったかのように、ユウ君の心臓は停止してしまった。身体に悪いジャンクフードはあまり食べないし、私たち以上に無茶苦茶なお酒の飲み方をする人だって沢山いる。他人を騙したり身体的に傷つけたりしたことないのに、どうしてユウ君が死ななくちゃいけないのか、神は人に不公平だ。

 心の中で天に対する不満を叫ぶと、より強い雷鳴が響き顔を付けている床から振動が伝わってくる。近くに雷が落ちたのか、ならいっそのこと私に直撃して、ユウ君の所に連れていってくれたらいいのにと思った時、ピンポーンとチャイムがなった。驚き、背筋の筋肉が硬直する。

 一体、誰だろうこんな雨降りに、気にはなったが玄関まで出ていく気力はなく、居留守を決め込んで、再び筋肉を弛緩させ床に身を任せるとまたチャイムが鳴った。耳を手のひらで閉じて、必死に聞こえないようにしたが、甲高いチャイムの音は私の手では完全に遮断する事は出来ない。それでも私は頑なに床から動こうとしなかった。

 私とチャイムの押し問答は暫く続いた。しかしイタズラにしては確実に私に用事があって、尚且つ私が在宅しているというある種、訪問者の確信めいたものを感じた。

 もしかしてユウ君が帰ってきたのか、昔、中学生の頃、テレビで放送されていた「ゴースト ニューヨークの幻」という映画を思い出した。突如、亡くなった彼氏が幽霊になって、彼女の所に戻ってくる話だ。でも、映画や小説じゃない。死んだ人間は現実じゃ、戻って来ない。現代科学が全力を出して、宇宙にコロニーを建設する事は出来ても、一度死んだ人間を復活させる事は、たとえ日本の国家予算を全て注ぎ込んでも不可能だ。

 それくら人1人の命というのは儚くて尊い。

 私は仕方なく立ち上がり玄関へ向かう、その最中にもチャイムが鳴った。

 ドアノブに手をかける。もし強盗で扉を開けた瞬間、襲われたらどうしよう、もしそうなったら舌を噛みきって死んでやる。そう思えるくらい、私の生きる情熱は薄らいでいた。

 玄関の扉を開けると雨音が一層、強くなり、春とは思えない冷たい風が吹き込んでくる。

「あ、あの‥‥‥」

  不安そうな声で言ったのは、長い黒髪を雨に濡らし、眼鏡を掛けた女子高生だった。ブレザーの制服は近所の高校も物で、私の偏見だけど、夏目漱石とか芥川龍之介とか、古い小説を好みそうな文学少女に見える。

 眼鏡からも雨が滴り落ちる。顔は困惑してたが、心情を訴えたい必死さと熱意を持った瞳はレンズ越しにも伝わってくる。

「信じてもらえないかもしれないけど、俺はユウだ!」

 言われた瞬間、呆れた。

 ただでさえ恋人が亡くなって意気消沈しているのに、追い討ちをかけるような冗談は止してくれ、黙って扉を閉めようとすると、女子高生は扉をつかんで、さらに隙間に足をいれて簡単に閉めさせようとはしてくれない。

「いい加減にしないと、警察呼ぶよ!」

「俺の恋人、ナオ。血液型はAB型。近所のファミレスで働いている」

「それくらいの個人情報、調べればわかるでしょう」

「クリームシチューは?」

「えっ!?」

「俺がこの前、出掛ける時、ナオが何が食べたいって、聞いたから、クリームシチューって言った。鮭をタイムとオレガノで香り付けしたクリームシチュー。俺の好物だ!」

「嘘、でも、」

 まだ信じられない。

「告白したのは高校の図書室だった。誰もいない図書室で、俺が思いきって告白したんだ。放課後で夕日が綺麗だったのを覚えている。初めてキスしたのはクリスマスだ。付き合い出して三ヶ月もかかっている。その日ペアで買ったテディベアのキーホルダーは、まだ持っている。ナオが鞄に付けてて俺は車のキーに、クリスマスから一ヶ月後、ようやくセックスした。あと、大学の夏休みに海外旅行に行く予定だったけど、ナオがちゃんとバイトしてなくて、予算が足らず結局、国内の温泉旅行になったよな」

 個人情報は調べればわかるけど、そこまで細かい出来事は、私とユウ君じゃないとわからない。

「本当に、ユウ君なの?」

「ああ、信じてくれた?」

「でも、信じられない‥‥‥」

「俺だってこんな事、夢じゃないかって疑っている」

「とりあえず中へ」

 中身は知っているけど、全くしらない女子高生を家に迎え入れ、私はすぐにお風呂の用意をした。雨に濡れて冷えきったユウ君を、温めなければ、風邪を引いてしまう。

「まだ、喪服のままなのか?」

 お風呂の準備をしていると、いつの間にか後ろにユウ君がいた。

「すぐに着替えるわ。せっかく帰ってきてくれたのに、縁起でもないし」

「そうだな、ただいま、ナオ」

「‥‥‥おかえり、ユウ君、折角、クリームシチュー作ったのに‥‥‥」

 ユウ君にすがり付き泣き崩れた。お葬式でも見せなかった大粒の涙が、止めどなく溢れてくる。

「ごめん、ナオ。待たせて」

 ユウ君はそんな私の頭に手を、優しく置いて慰めてくれた。


 

 ユウ君の魂を入れた少女の身体。肌は上質の絹のように白い、長いユウ君の髪が湯船で痛まないように、タオルで巻いてあげて、二人で湯船に浸かった。いつも二人でお風呂に入る時は、私が上に乗る形になるけれど、今はユウ君が上になり、私に身を預けている。

「ところでユウ君、この子、誰なの?」

「実は俺もよく知らない。名前はルリという事しか教えもらえなかった」

 ユウ君、否、ルリという少女の肩が呼吸に合わせて、目の前で上下している。

「色々、約束して身体を貸してくれた?」

「何?」

「まず、身体を貸してくれるのは金、土、日の三日間だけ」

 今日は金曜日、高校生だから学校が始まるまでには身体を返せという事なのだろうか。

「最終日の夜に迎えが来るらしい」

「迎え、誰が!?」

「わからない。俺は名前しか教えてもらえなかった。それと、キスや性行為は絶対にするな、貞操は守れ。それだけは強く言われた」

「ふうん」

 なんとなくこのルリという子には、交際している人か、思いを寄せる人がいるんじゃないかと感じた。だから貞操だけは守りたいのだろう。

 ユウ君の身体を強き抱き寄せ「今もルリって子は、私達を見てるのかな?」と言った。

「わからない」 

 そうユウ君は私の質問に答える。

「黙っていれば、何をしてもバレないかも」

 ユウ君を強く抱き寄せる。

「ごめん、ナオ。それは出来ない!」

「なんで?」

「この子に悪いから」

「いつから他の女の子を気に掛けるようになったの?」

「バカ!そんなんじゃないよ!」

「冗談よ。ユウ君」

 そう言いつつも、内心、押し倒してほしいと思っている私がいた。



 お風呂から出た後、ユウ君に私のスウェットを着せたが、ルリの身体が私より一回り体格が小さいので、サイズが大きかったが、彼女の服が雨で濡れた学生服しか無かったので、私の服しかないのだ。

 私が「お腹空いた」と言うと「俺も」とユウ君が返したので、晩御飯をとる事にした。家には何も用意してなかったので、必然的に外食になる。

 窓を開けて外を伺うと、星空の見える快晴とまでいかなかったが、悪天候はすっかり落ち着き、鳴りを潜めていた虫の音が聞こえてきた。

 少し肌寒いので私はジャンバー、ユウ君にはスプリングコートを着せて家を出る。向かったのは少し離れた所にある小さな居酒屋。アパートから近いので、すっかり常連である。

 店に入ると「あら、いらっしゃーい、ナオちゃん、あらその子は?」と30代半ばで、オカマっぽいマスターがいつもの調子で迎えてくれた。

「えっと、従姉妹よ。週末に遊びに来てるの」と言いながら、一番奥のテーブル席を陣取る。店は比較的にお客さんが少ない。週末なのに、さっきまで雨が降っていたからだろうか、痩せていて細長い店のアルバイト店員が落ち着いた様子でおしぼりを持ってくる。 

 私はカシスソーダを頼み、ユウ君は生ビールを頼みたいだろうが、大人しく烏龍茶を注文した。暫くして飲み物を持ってきたマスターが「ユウ君はどうしているの?」と聞いてきた。

 マスターにはユウ君の訃報を伝えていない。今日、彼の告別式だった事は知らないのだ。

「女子会やるから実家に帰ってもらってるの」

「そうなの、まあ、社会人になったんだから、親孝行しないとねえ」

 ルリの姿をしたユウ君は下を向いている。親より先に逝くのは親不孝ものなんて言葉があるけど、やっぱり自責の念はあるのだろうか、誰も悪くない、心臓を止めてしまった神様の不公平なのに。

「料理を注文していい?」

「いいわよ」

「マグロユッケと特性サラダ、あとオススメのお刺身」

「はぁい、わかったわ。ちょっと待っててね」と言ってマスターは私達のテーブルから離れる。

「あ、あと、ネギマと牛スジの大和煮も!」

 ユウ君がマスターの背中に向かっていると「その頼みかた、ユウ君みたい」と振り向きながら言った。

「さて、残りの時間、何する?」

 マスターが厨房に引っ込んだところでユウ君が聞いてきた。

「時間限られてるから、有効に使わないとね。ううん、旅行に行くってのは?」

「土日だし今から宿の予約とるの難しくないか?」

「そうだよね。ユウ君は何かしたいことあるの?」

「そういえば、例のドラマ、まだ全部観てない」

 例のドラマとは、ゾンビアポカリプス物の海外ドラマだ。確か私達はシーズン1の途中までしか観てないのだが、シーズン1を見終わってもシーズン2もシーズン3も続いている訳で、いざルリの身体を離れても、続きが気になって、成仏出来ないんじゃないか‥‥‥そういえば、なんでユウ君は成仏しなかったのだろう。怪奇現象は絶賛体験中だけれど、霊感は基本的に皆無だなので、スピリチュアルな事はよくわからない。

 何故、ユウ君はこの世に留まったのだろう。

「ユウ君はどうして成仏しなかったの、やっぱり未練があるから」

「‥‥‥ああ」

 一瞬、言うのを躊躇ったようだったが、真っ直ぐ私の目を見て、未練がある事を認めた。

「それは、何?」

「言えない」

「何で?私には言いにくい?」

「言ったら成仏してしまいそうだから」

「えっ!?」

 急に怖くなった。再びユウ君を失いそうで、どうしてか私はユウ君を直視出来なくなって、思わず目を逸らし、カシスソーダを口に含み、その甘味で湧いてきた不吉な予感を誤魔化した。

 細長いアルバイトがサラダと刺身を持ってきて、当たり障りのない接客態度でテーブルの上に料理を並べる。

「ルリって子は、どうやって知り合ったの?」

 話題を変えるため、違う質問をしたが、なんだか浮気相手の素性を探っているようだと、言った後で思う。

「聞きたいか?」

「‥‥‥やっぱりいい」

「なんでだよ」

「知らない女だもん、私は、ユウ君さえいれば、それでいいの」

 私はそっとユウ君の手に触れる。いつもは温かいユウ君の手、しかし指が細くて柔らかいその手は冷たくて、小さく感じる。手の冷たい女性は心が温かいなんて言葉を思い出した。

 更にアルバイトがマグロユッケを持ってきた。マスターはカウンターの向こう側の厨房で、忙しそうにしている。店を見渡すと数組、お客さんが入ってきたようだった。

「ナオ、食べようぜ」

「うん」

 マグロユッケにのった玉子の黄味を、ユウ君は割り箸で潰す。姿は違うけど、その一挙一動が生前のユウ君の生き写しで、何故か泣いてしまいそうになった。

「本当に、三日間しかいられないの?」

「ああ、この子にも生活があるだろうし、高校生だからな」

「親はどうしてるんだろう」

「わからない」

 テーブルにネギマと牛スジの大和煮が仲間入りする。肉が好きなユウ君は真っ先にネギマに食らいつく。一通り料理に手を付けて、溜め息をつきながらユウ君は言った。

「女の子って、胃袋が小さいんだな」



 創作した街のモデルは数年前、高校時代、所属していた文芸部の合宿先だった。山と海に囲まれ歴史的な建物と由緒正しき神仏殿が点在する古都。

 そして多くの文豪達に愛され、様々な名作の舞台に選ばれた街。合宿先に選ばれた理由でもある。私もその街に感銘を受けたから、自分の作品の舞台にしたかった。けれど私のような半端者が、その街で主人公を活躍させるなんて、畏れ多くて、実際の場所はモデルにして、積極的に地名は変更した。

 主人公は女子高生、ちょうどルリくらいの歳だ。妖怪が頻繁に出現する土地で、主人公は妖怪退治に翻弄される。何故なら主人公の一族はずっとそうやってきたからだ。だから翻弄されている。自分の意思とは関係なく妖怪と戦う事を強要されているのだから。生まれてから死ぬまで、街の中の戦いだけで主人公の人生は完結する筈だった。しかし彼女の前に魔法使いが現れて、最初はお互い敵視しつつもやがて打ち解けて、共に妖怪と戦うようになり、魔法使いは主人公を街の外へ、そう鎖で繋がれた犬ような人生から解き放つ、そんなお話。ある程度、キャラや舞台設定を組み立てて、いざ本文に入るが筆は途中で止まってしまうい、結局、いつも執筆に使っているノートパソコンの蓋をそっと閉じて、溜め息をつくと小説家になりたいに、小説が書けない自分が情けなくなってきた。ドブの底に溜まったヘドロのような濁った感情が溢れてきて、ふと見ると机の上に置かれた”小説を書く方法”なんていう本が目に入り、それを手に取って頭に上って来た真っ赤に燃える怒りに任せ、引き裂いてやろうとした時。

「ナオ、起きてるのか?」

 ユウ君がベッドの布団に包まれながら、顔だけを此方に向けていた。本に八つ当たりしよとしていた自分が、恥ずかしくなり平静を装いつつ本を机の上に置く。

「起きてたというか、寝てない。今何時?」

 壁に掛かった時計を見ると、朝方5時だった。ノートパソコンの前で唸っているだけで、一晩も使ってしまったようだ。自分の才能のなさに嫌気がさす。

「少し寝たらどうだ?顔色悪いぞ」

「うん」

 言われた通りユウ君とのいるベッドに潜り込む。

「珍しいね、こんな朝早くに起きるなんて」

「わからないけど、勝手に目が覚めた。この身体は俺のものじゃないからな、睡眠サイクルも違うんじゃないか?」

 そう言いながらユウ君はベッドから出る。

「何処へ行くの?」

「トイレだよ。もう、遠くへは行かない」

 嘘つき、と口に出しそうになったが飲み込んだ。

 暫くして戻ってきたユウ君は部屋に戻ってくる。

「ナオ、眠れないのか」

「眠たくない」

「そうか」

 何も言わずベッドに腰を下ろすユウ君。彼の顔、いいえ、ルリという名の少女は酷く困惑した表情を見せた。

 彼女の姿をじっくりと観察する。長い髪は上質な糸のように滑らかで美しく、顔も小さくて小柄で華奢、眼鏡の向こう側の瞳も深い井戸のように、漆黒で澄んでいる。

 口調や仕草、思考と嗜好は一緒だけれど、やっぱり目の前にいるのは、知らない女子高生なのだ。

 私が今、抱いている気持ち、名前を付けていいのか、自分の思いを口にしたいのに、その行為がなんだか軽薄な気がして、

 でも、私は納得したい。自分に素直になりたかった。

「好きよ」

 ルリではなく、ユウ君に向けた言葉だ。

「俺も好きだ」

 ルリという壁を越えて、思いは私の恋人に届く。

 ユウ君はそっと私の頬に優しく手を添える。私はその手をぎゅっと握った。

「逃げちゃおうよ」と私が言うと、ユウ君は首を横に振って「それは出来ない」と言った。

 予想通のユウ君の言葉、わかったていた。だってユウ君は優しいから。

 私の瞳から涙が溢れ繋がったお互いの手と手の間に染み込んでいく

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