通士虐という男
一齣 其日
第1話 通士虐は評価されない
小説家の通士虐は評価されない。その大元の理由が小説の内容である。
あまりにも陰鬱、救いようのない展開、そして終わらない終わり。
以上の点より、彼の小説家は評価されないのだ。文壇からの評価も著しくはないし、万人ウケも決してしない。ただ、少数のカルト的な支持はあるのだが。
なんてことを言われて、贔屓にしてくれている出版社を去る。一応原稿は受け取ってもらえはしたが、担当の編集は、載せはするが評判は期待しないほうがいいという感じだった。
「悪いというわけじゃないんだけどねえ、君の小説は。でも、やっぱり少しは明るくした方がいい」
編集の言葉がありありと。
こめかみを人差し指でついて痛みで嫌な気分を相殺する。うじうじしていても前に進めないことはわかっている。なんと言われても書くしかない。自分は小説家であるのだから。
他人はいろんなことを言う。どうしようもないことを言う。あの編集もその例外ではない。他人は他人の何かに口を出したいのさ。
特に自分のような、何かしら外れた人間に対しては、色んなことを言いたがる。言葉はつるになって、自分の体に絡みつく。
「君は、いつだってわがままだよ。もう少しくらい、従順になってもいいんじゃないかな」
喫茶店の友人の言葉だ。友人と言っても、よくわからない友人だ。なにもわかりゃしない。
何歳も年上だからか、色々と上からものを言ってくる。
んなこと自分でもわかってるんだよ。口を出すんじゃねえ。
思い出すだけで反吐がでる。喫茶店の茶飲友達が、勝手なこと言うなよ。
自分勝手な憤りが今更になって燃え上がる。今この目の前にはその男はいないというのに。しょうもないことさ。
「そんなに自分勝手になってちゃ、いつか痛い目みますよ? いいえ、もう死ぬほど見てるんじゃありません?」
今度は高校時代からの同級生の言葉。
ひどく嫌味ったらしいというか、神経を逆撫でするような言葉を吐く女だった。今は、編集者をしているという。時たま一緒に飲みに行く仲ではある。
だが、こんな気分になっている時に、その言葉を思い出すのは意地悪だ。御門違いかもしれないが、酷くその女が恨めしい。こんな時に思い出して、反吐を吐きたくなる気分にさせる言葉を吐くんじゃねえ。
次から次へと嫌なことばかりが連想される。負の循環というやつか。全くもって面倒くさい。
他人の言葉というのは、容易に解けない。根深く絡みついて、足取りさえ悪くさせる。自分が何をしたいのか、自分が何を書きたいのか、それさえ虚ろにさせて、惑わせる。
創作の宿命とでも言うのだろうか。他人の言葉は、本当に魔術のようさ。ここまで自分をわからなくさせるのだから。ああ、嫌だぜ。
頭が巡り巡って、暗い地下道の中にいる感覚に陥る。右を見ても左を見ても何一つ見えない。コンクリートで固められた壁は強固で、生き物の生気なんて何一つない。出口の光さへ見えない。闇に沈みそうにもなる。
何を書いてたらいいんだろう。
何を書きたいのだろう。
自分は、何を書いていたんだ?
自分が書いてきた事が何か、わからなくなる。くだらない文が溜まり溜まって崩壊を起こす。
高校時代から築き上げた自信というものが、少しずつ、少しずつ、音を立てて崩れゆく。
頭は何も考えられない。使い物にならなくなって、灰となっていくような感覚。
蔓はそうなっても、未だに絡みついたまま。
「だから、どうした」
ふと、そんな声が聞こえた。
誰の声でもない。よく知っている声。毎度毎度聞いている声。
自分の、声だ。
かつて何度もそのセリフを吐いて、いろんな人間と戦ってきたか。
自分を否定する奴、糾弾する奴、立ちふさがる奴、そんな奴ら相手に、その言葉で何度も抗った。なにを言われてもどう言われても、自分は他人の言葉を踏みにじってきたはずだ。高校時代は、そうして自分を通してきたはずだ。
いつからだ、他人の言葉がこんなに蔓のように絡みつくようになったのは。
「これが、大人になったということか?」
そんなこと馬鹿げでいる。これが大人なんて、馬鹿だ。
自分は大人なんかじゃあない。自分は自分でしかない。自分は自分らしいことしかできやしねえ。
立ちふさがるんなら、「だからどうした」と、抗えばいいだけの話じゃねえか。
「なにをそんなに鬱々としていたんだか」
かつての自分は、そんな言葉なんて、気にしやしねえし、今だってそのはず。
陰鬱なのは、人がそれでも生きていこうとする姿があるから。
救いようのないのは、人はそれでも這い上がろうとするから。
終わりがないのは、人がまだ生きていこうとしているから。
曲げるわけにはいかない。どう評価され、どう言われようと、自分を曲げるわけには、いかないのさ。
従順になれだと? そんなことで自分を曲げてたまるか。
自分勝手? それが自分さ。貫き通して、どうとでもしてくれる。
蔓は次々と千切られていく。呆気なく、はらはらと千切られていく。
ああ、そうだった。自分はこうして、生きてきたのだ。こうやって、自分を通してきたのだ。
そうだ、今度は自分を書こう。
自分らしく、自分が通してきたことの話を書こう。これが自分だと、世界に見せつけてやればいい。
少しずつ、火は焚かれていく。久々に吐き出してしまいたいという欲が込み上がる。
なんと言われようとそれが自分だと言ってやればいい。自分の道を歩いていけばいい。
「これが自分だ」
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