第69話「しんかいにおどる、まじょ」
重傷を負った
人の気配が失せた部屋は、あの日のままなのに酷く冷たい。そして、凍えるような闇を満たした中に、無数の敵意を呼び込んでいた。
だが、メリッサにはわかる……感じる。
音だけが頼りの、漆黒の夜。
「みんなっ、発砲を控えて! なるべく音を立てないで……ここはうみちゃんに任せる!」
エンジェロイド・デバイス側からの攻撃が止んだ。
散発的な敵側からの発砲音が、徐々にあちこちで途切れてゆく。敵の大半は、恐るべきカーバンクルの
だが、闇に同化するその姿が、次々とあちこちで停止してゆく。
全て、うみちゃんが一人でやったことだ。
単騎で突出し、視界の効かない戦場を耳だけで駆け抜ける。
「ラムちゃん、狙撃用デバイスのセンサーを集音最大、データをうみちゃんに回して」
「は、はいっ、メリッサ姉さま! あ、あの、なにが」
「あと、予定通り最低限の守りを残して、出発するよ……今、うみちゃんが敵を止めてくれてる」
「うみ姉さまが、一人で」
うみちゃんはいつでも、
いつも後にデンと構えて、とびきりの策でみんなを救ってくれる。
自分ごと、みんなを守ってくる知恵者で切れ者。
思えば、そんなうみちゃんにどこかメリッサは頼り切っていたのだ。
「甘えさせてあげられなかったよね、うみちゃん。私、お姉ちゃん失格だな……さあ、行くよっ!」
既にもう、この部屋からアルジェントとズィルパーは運び出された。多くの妹たちと共に、出撃したのだ。今、人間たちは全ての
その夢が覚める前に、カーバンクルとの決着をつけるつもりだ。
二つの地球を守るのがリジャスト・グリッターズなら、それを守るのがメリッサの使命である。膨大な魔力を持つカーバンクルは、まさに
「おっしゃ、あとは任せな! ここはあたしが陣取った! 走れ、同志たちっ!」
全身に火器を背負ったサバにゃんが、立ち上がる。
闇の中で、強烈なマズルフラッシュの閃光が
ここにいますと言っているような、遠慮も容赦もない
だから、メリッサは走り出す。
戸惑ったようだが、ラムちゃんと選抜メンバーがすぐに背後をついてきた。
そして……当然のようにサバにゃんに敵の火線が集中する。
「派手に撃てば居場所を教えるようなもんだってなあ! そりゃ、
あっという間に、爆炎と爆発にサバにゃんは包まれた。
同時に、サバにゃんを撃った敵もまた、彼女の応射で
だが、全力で振り返らずにメリッサは走る。
まずは、この部屋を出て先発した妹たちに合流する。そして、カーバンクルが居座る
たとえそれで、カーバンクルの魔力を受けて得た心と魂、自由を失っても……ただの
「メリッサ姉さま、サバにゃんが!」
「ラムちゃん、今は前だけ見て走って……見えない闇の先へ突き抜けて!」
「……はいっ!」
敵は完璧に統制が取れた、個にして全、全にして個……一糸乱れぬ作戦行動で距離を詰めてくる。だが、それこそがうみちゃんの付け入る隙なのだ。
あまりにも完璧すぎる、それは遊びのない最適解の羅列。
計算によって導き出された、最も合理的な選択を繰り返すのがステーギアの軍隊だ。だから、それを逆算することでうみちゃんには、敵の動きが手に取るようにわかる。相手が動く先へと、反撃を置いておくだけでいいのだ。
声無き悲鳴と爆発音が響く闇を、メリッサは駆け抜ける。
作戦の第一段階は成功、敵の一部をこの部屋に引きずり込んだ。
そしてここは、歌う魔女の領域……全てを飲み込む暗闇の海だ。
「クソッ! 乱数調整、二重……いや、三重の補正をかけろ! 動きを読まれている!」
部下を
敵と味方であっても、どこか信頼できる敵であると思えた。
そこに付け入り、付け込んで、まずはカーバンクルの本隊から彼女を引き剥がす。
常闇のフェンリル三姉妹の、その一角を無力化するのだ。
「卑怯だぞ、メリッサ! 私と戦え! このアインドを恐れたか!」
浴びせられる言葉には、応えない。
狭いシャワールームへのドアを少し開けて、その先へと次々に妹たちを送り込む。メリッサ自身は
「ラムちゃん、みんなの指揮を取って! 予定通り、シャワールームの天井にある通風孔から、次のポイントへ!」
「了解ですっ、メリッサ姉さま!」
ポン、と背を叩かれた。
振り返れば、ケイちゃんが笑っていた。
「先にいってるよん? またあとでね、メリッサ」
「うん、ケイちゃんも気をつけて。ズィルパーのことだけど」
「まっかせて! ここまで来たら、
「そう、かな」
「人の想いは物にも宿る。そして、想いの力は無限大さ☆」
それだけ言うと、ケイちゃんは他の妹たちとシャワールームに消えた。
そして、徐々に部屋の中に静けさが満ちてゆく。
無数の発砲音と剣戟の音が、徐々に一つ、また一つと潰されていった。
メリッサのアイセンサーでさえ、見通すことが出来ぬ闇の中で……音を頼りに、うみちゃんが戦っている。普段は知恵袋ではあっても、決して自ら戦うことはなかったうみちゃん。その力は実は、どの姉妹よりも強力で、限定された戦場で無敵を誇る実力なのだ。
「クッ、全体の七割が無力化されただと? ええい、どこに……そうか、音か!」
どうやらアインドは、暗躍するうみちゃんに気付いたようだ。
だがもう、遅い。
既にもう、ここを守る妹たちの優位は変わらない。
最後にメリッサも、シャワールームのドアを閉めようとした、その時だった。移動を試み得る彼女は、背筋を走る悪寒に身を
一秒前の自分が立っていた場所に、強力な痛撃が叩きつけられた。
擦りガラスを木っ端微塵にしたのは、アインドのパイルバンカーだ。
「見つけたぞ、メリッサ……この闇の中、聴覚以外を完全に断つ。そうしてお前の妹は、私たちを出し抜いたようだな。だが、私はお前を完全に
だが、メリッサはヴァイブレードを決して抜かない。
それどころか、目の前のアインドに銃口すら向けなかった。
そのことが、形勢逆転を
「どうした、メリッサ! 私はここだ! さあ、勝負だ……カーバンクル母様の敵は、殲滅する。フェンリルの牙を、とくと味わえっ!」
「残念だけど、アインド。私はもう行かなくちゃ。妹たちが待ってる」
「背を向けるなら、
「それは……無理だよ。だって」
その時にはもう、言葉通りメリッサはアインドに背を向けていた。
急がなければならない……もう
だから、信じて今は進むのみ。
アインドと戦う時間、刃を交える一瞬ですら惜しいのだ。
「だって、なんだ! なんだというのだ! 私と戦え、メリッ――ガッ!?」
不意に、背中でアインドの悲鳴を聴いた。
だから、メリッサは一度だけ立ち止まり、肩越しに振り返る。
真っ暗な中に、
「アインド……私はもう行かなくちゃ。あとね……君は優秀な軍人かもしれないけど、強い武人かもしれないけど、ミスを犯したと思うよ?」
「なっ……私の作戦は完璧だ! この程度の傷で――グッ! ガアアアッ!」
黒きフェンリルの乙女を、さらに黒き闇が
アインドはまるで、見えない闇の手に
それが僅かにメリッサには見えたが、彼女には……うみちゃんには全て聴こえている筈だ。うみちゃんなら、手に取るように耳で察知し、触れるより確かな感触を得ている。
「我が姉メリッサ、ゆけい! ここはワシが受け持った。はは……アインドとやら、焦っておるな? 怖かろう、恐ろしかろう。光なき闇はワシの海、この暗がりに沈め」
「クソォ! 卑怯だぞ! 姿を見せて、堂々と私と戦え!」
「ハハッ! 卑怯は敗者のたわごと……ワシの、そしてメリッサの妹たちを数で
一瞬だけ、うみちゃんの動きが見えた。
アインドの背後、本人が気づかぬ死角に闇の人魚が舞っていた。うみちゃんの武器は、音……空気が満ちている空間ならば、そこは彼女が支配する海となる。そして……音の力は彼女にとって、必殺の刃でもあるのだ。
「アインドとやら、お
「抜かせっ! この距離、捉えたっ! 位置が掴めれば貴様など!」
「
メリッサはシャワールームへ駆け込み、ドアを閉めてジャンプする。
確かに聴いた……伝わった。それは、うみちゃんが命を賭して送り出してくれた音。戦闘能力は
音波の振動で砕け散るアインドの断末魔を聴きながら、メリッサは合流ポイントへと走り出すのだった。
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