氏政降伏

 小田原の城兵は半ば自暴自棄になって出撃してきた。槍先を揃えるでもなく、互いに死角を補うでもなく、めいめい勝手に挑んでくる。それを迎え撃つは整然とした陣立てで槍衾を揃え、塁壁と柵に守られた大軍である。突破などできるわけもなく次々と討たれてゆく。中には蛮勇を振るい、陣列に切り込む者もいたが、包囲され槍玉にあげられる。

 西国の腰抜け武者など相手にならぬと放言していた坂東武者たちの哀れな末路であった。彼らの武勇は集団戦の前に敗れ去り、戦場の露と消えたのである。


「馬鹿な…なんでこうなった!?」

 氏政の悲痛な叫びが響き渡る。城外に打って出てひと当てし、敵の兵糧を奪ってくると高言し、意気揚々と出撃していったはずが、鉄砲の前に敗れ去った。半数が討たれ、残りも手傷を負うありさまで、この戦ではもはや戦力にはならないだろう。

「殿、一つお聞きしたい。援軍は来るのですか?」

「氏規、何が言いたい?」

「奥州の伊達が来援するとのことですが、いつごろ来援されるのですか? われらは何時まで持ちこたえたらよいのですか?」

「もうすぐじゃ!」

「先に言いますが、兵糧は長く持たせてもあとひと月。その間に来る保証は?」

「来なかったらどうするというのじゃ!」

「城を枕に討ち死にか、降伏か、存念をお聞かせ願いたい!」

「ぐ…誇り高き北条が織田ずれに降れるか!討ち死にの覚悟じゃ!」

「わかりました。私は降ります」

「何…? 今なんといった?」

「降ると申しました。もう付き合いきれませぬ」

「この臆病者が! ならば手打ちにしてくれよう!」

 氏政が佩刀を抜き放ち切り付けるが、天井から降ってきた人影に阻まれる。

「何奴!?」

「伊賀者にござる。おかしいと思われないのか?」

「なにがじゃ?」

「伊達からの手紙はどうやって受け取っておられた?」

「それは…忍びのものが…」

「どこの忍びですかな? 風魔はすでに北条を離れており申す」

「…まさか!?」

「そもそも浪人どもがどうやってこの城にたどり着いたのか、おかしいと思わない時点でどうなんだ?」

「言われてみれば…」

「氏政殿。貴方は軍を率いるに向かない。策謀にも向かない」

「そうだな…お主の申す通りじゃ」

「氏政殿、貴方はなぜに小田原に籠った。なぜに戦おうとした?」

「それは…北条の民を守りたかったからじゃ」

「なれば、武蔵は徳川のもとで善政を敷かれております。伊豆も滝川一益が交易と温泉による観光開発を始め潤い始めております。それぞれに北条の分国は平和になり、税も上がらず、平穏に暮らしておるのです」

「そうか、なれば儂の役目はもうないのじゃな?」

「関東の北条の役目はもう終わっております」

「なれば降ろう。坂東武者の面目を立てられぬは口惜しいが、儂にはその能がないのであれば仕方なし」

 こうして小田原城は開城した。氏政、氏規をはじめとした将はひとまず寺にまとめて放り込まれ、沙汰を待つ身となったのである。


「降ってくれて助かったわ。氏規殿、お主のことは仇やおろそかには扱わぬぞ」

 笑顔で信康が氏規に語り掛ける。同じく、旧知のものに久しぶりに会うこととなった家康も柔和な笑みを浮かべていた。

「ありがたき幸せ。ですがわが身の栄達は不要にて、関東の民の平穏こそ我が、ひいては北条の悲願にござる」

「相分かった。この徳川三河守が誓おう。安堵されよ」

「はっ、ありがたく」

「して、氏政殿はどうするかの?」

「内政家としては有能なのです。ただ臨機応変の才が致命的にないのが難点にて」

「逆に、予定を立て、それを遂行するにはよいということか」

「それは間違いなく」

「台湾に送るか。かの地ならばこれから開発も進むゆえ」

「彼の仁の才が生かせる場所にござるか」

「であろうが。まあ、秀隆殿に提案するとしよう。普通に考えたら軽くて斬首だしな」

「腹切らせてもらったら寛大と言われますなあ」

「ならば首を切ったことにして外地で働いてもらうがよいかもしれぬな」

「本姓の伊勢の名乗りにしてもらいましょうか」

「それは良い考えじゃ」


 こうして本人のあずかり知らぬところで運命が決まっていった。北条氏政は内治の才がある。軍事面は弟に頼り、得意分野で国を富ませてきた。考えが時代遅れなところはあったが、領民想いの領主であったことは間違いない。

 北条氏より相模は没収され、徳川に加増された。氏直、氏規は武蔵徳川家の家臣となり、大身の旗本として家を存続させている。のちに領内開発の功を認められ、小さいながら城主として取り立てられたという。

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