奥州動乱

 一方そのころ、天正10年正月。奥州より火急の使者が訪れた。

 安土城城代、織田信忠は報告を聞き、即座に九州に向け早船を仕立てて報告を行う。

「南部を中心に諸国が大同盟を締結。伊達支配下の大崎、葛西も背いたとのこと。伊達、最上、戸沢以外の諸氏が一斉に蜂起とのことです!」

「父上にすぐ報告じゃ。だが九州から戻るまでにひと月はかかろう。ひとまず儂が陣頭指揮を執る!」

 まず上杉には早急に最上、伊達の救援の兵を出すよう指示した。そもそも向こうの方が現地に近い。それなりの対応をとっていることだろう。上野の柴田に出陣を命じた。下野の佐々もすでに北上している。

 北条、佐竹にも出陣を命じ、水軍を使って北上させようとしたが、冬場で海が荒れており、水軍の出撃は見合わせた。

 近隣の領主に即応させ、比較的距離のある地点の領主、武田、真田、浅井、徳川などには物資の補給を命じた。兵員も出させるが、まず前線を支えることが目的とされる。織田の軍法では前線で敵兵を蹴散らすことと、補給線を支え前線の兵に全力で戦わせることは同じ功績とされた。よって後方支援を軽んじることはない。後方支援を軽んじる者には、秀隆の作成した訓練で、飢え死に、渇き死に寸前に追い込まれる訓練が待っている。籠城時の極限状態を体感してもらうというのが建前であるが、補給が滞るとこうなるということを体験させると、輜重兵を軽んじる者は不思議といなくなったという。

 柴田権六は自身の養子である勝長の名において関東諸将を招集した。佐々成政を先鋒にまずは岩城に乱入し、伊達を南方から支援することが目的だ。

 軍を進めつつ情報を確認すると非常に間抜けな事態が分かってきた。南部が盟主であることは間違いないが、どうも蜂起の時期がおかしい。雪が深く軍事行動が起こせない冬にわざわざ反旗を翻した理由は、どうも勘違いから始まっているようだ。

 発端は大崎のもとに南部の使者が入った。東北一円の力を結集し、関東に攻め入ろうと。冬場に雪に閉じ込められない領土というのは憧れも含んでおり、南下の野望はそれなりに持っている者が多い。

 そして、南部の使者が帰ろうとしたころ合いで、伊達家の使者が現れた。といってもご機嫌伺い程度で、特に何をというものではない。だが伊達の使者と鉢合わせたことで、冷静さを失い、その使者に切りかかってしまったのだ。ここで使者が斬られていたとしても、戻ってこないことに疑念を感じた伊達が動いたであろうが、ここで使者を取り逃がした。

 大崎が背いたとあって、伊達は国境を固める。そして安土に早馬を飛ばす。ここまでが起こったことであった。よって現状は一斉に蜂起ですら無く、各自で混乱してドタバタしているというのが現状である。まずは敵味方の識別が不可欠であったが、信忠の指示で下野国境に織田勢が動き始めているとあって、磐城の諸豪族が過剰反応をした。そこに蘆名を引っ張り込んで収拾が取れなくなってしまう。雪の中の行軍である国人は吹雪に取り込められ、戦う前に全滅などの悲喜こもごもな有様であった。


 こうして混乱が一月ほど続き、小競り合いが来る広げられる。小城をひとつ一つ潰してゆくのは効率が悪すぎるため、ある程度敵がまとまるのを待っている間に雪解けを迎えつつあった。

 佐竹勢は海岸線を北上し、飯野平城を囲む。相馬盛胤は兵を即座に南下させ後詰めを行うが、亘理の伊達勢の牽制に寄り主力は本拠にとどめることとなった。

 互いの勢力圏が蜘蛛の巣のように絡まっており、敵味方の区別をつけることが容易でない。実は後ろから攻められるのではとの疑念に、誰も大きく兵を動かせない。

 そうこうしているうちに、磐城は突破され、蘆名は降伏した。相馬も佐竹に降っている。これによって南方を気にする必要のなくなった伊達家が北方に兵力を集中する。

 南部は総動員に近い兵力をもって南下を始めていた。伊達、最上、織田の連合と東北北部の諸侯連合は陸前の地で会敵となったのである。

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