島津降伏

 天正10年。豊後府内城広間。

「改めて、島津義久にございます」

「うむ、大儀」

「こちらは弟の義弘にて」

「あと二人は来ておらぬのか?」

「国元にて蟄居させております」

「無用。島津には重要な仕事を与えねばならぬ」

「仕事…?」

「うむ、まずは薩摩、大隅の農地改革を行う」

「それはどのような?」

「聞くところによると薩摩の地は火山灰が降り注ぎ、作物を育てることが難しい。相違ないか?」

「はは、おっしゃる通りにございます」

「なれば…作物を変えよ」

「作物をですか?」

「甘藷というものがある。これを食うてみよ」

 信長が差し出してきたのがいわゆるサツマイモを焼いたものだ。

「毒など仕込んでおらぬぞ」

 信長は笑みを浮かべつつ、芋の片方をかじって見せる。そしてかじった反対側を割って手ずから島津兄弟に渡した。

 敵対していた大名同士が物を手渡しできるほどの位置関係に立つことは常識的に考えられない。彼らの背後で目を光らせているのは立花宗茂である。だがこの近さであれば、義弘が組打ちで信長を縊り殺すことすら適うであろうか、と思わせた。

 だが宗茂は平然としており、信長も特に緊張しているそぶりすらない。二人は目を見合わせ、芋を口にした。

「な…なんじゃこれは!?」

 義弘の驚きに満ちた声が広間に響く。その姿を見た上座側の信長に一番近い位置にいた男がニヤリと笑みを浮かべた。

 義久も驚いていた。甘い。今まで口にしたことのないような味である。気づいたら手に持っていた芋はすべて口の中に入っていた。ふと隣を見ると義弘が信長の前に置かれている芋を凝視している。

 気持ちはわからなくもなかった。こんなうまいものは大名たる自身も食べたことがなかったのだ。

「お気に召していただいたようで何より」

「はは、さすが上方は良き食べ物があり申す」

「いや、この芋ですが、南蛮から入ってきたものなのですよ。しかもこの皮の色で、南蛮人からもゲテモノの扱いを受けていた。だがの、この芋はうまいのです。今召し上がっていただいたとおりにね」

「右府様。この芋を我らに栽培せよと?」

「察しがよいな…というほどではないか。その通りじゃ。これはやせた土地でも育ち栽培に手間がかからぬ。ここな秀隆がどこからか調達してきたものでの」

「貴公が秀隆殿か。あれほどまでに打ち破られたは初めての事じゃ」

「なに、運が良かっただけにすぎませぬよ」

「ご謙遜を。あの見事な進退。織田家の力思い知りましたぞ」

「まあ、あれです。陣を構築したは明智十兵衛で、前線の兵を指揮したは長宗我部勢。その後第二陣で戦ったは我が倅にござる。ありていに言えばあの戦いで私は一兵も指揮しておりませんでな」

「は‥は?!」

「敗れたときは殿を勤め、この首を持って兵を逃がす。それくらいですな」

「秀隆よ。戦場を決め陣構築の腹案を出し、落とし穴を仕込んだのはお主であろうが。過剰な謙遜は嫌味だぞ?」

「兄上がそう申されるなら多少は誇っておきましょうか」

「あの島津を野戦で打ち破ったのじゃ。その武勲は前代未聞であろうよ」

 兄弟で島津を持ち上げ始める。田舎者よとさげすまれるとか、過大な税をかけられるとかいろいろと覚悟してきた彼らはあっけにとられた。

「そうそう、実はですな。桜島の火山灰でよきものができるのですよ。この南蛮漆喰は火山灰と粘土とを一定の割合で混ぜ合わせ乾燥させたものにござる」

 コンクリートの塊を秀隆は義久に渡す。義久は手にとって一通り物を確認し、義弘に渡す。

「これはですな。人の手によって作られた石にござる。材料の状態ではどろどろとした文字通り泥のような状態ですが、乾燥させればこのように固まります」

 秀隆が手を叩くとふすまが開かれ、庭に鉄砲を持った足軽が立っていた。一瞬緊張が走るが、彼らは広間に背を向け、今秀隆が紹介した南蛮漆喰を積み上げた壁に向け発砲する。

 秀隆が庭に降り、信長と近習、そして島津兄弟が続く。漆喰を確認すると、銃弾はわずかな凹みに食い込んでいたが壁は割れもせず健在であった。

「見ての通りの強度です。これの生産を担ってもらう代わりに、米などの物資を支給しましょう。そして先ほどの芋の栽培で薩摩の民の飢えをしのがせます。いかがか?」

 この一言の後島津兄弟は土下座していた。薩摩の民を満足に食わせるために彼らは奮闘していたのである。そして結果的に敗北はしたが、彼らの悲願は果たされた。少なくともその望みが見えたのだ。

「ああ、それとですな。琉球をご存知ですかな?」

「は、薩摩よりはるか南方の島国ですな」

「さらにその南には台湾という島があり申す。島津にはそこを獲ってもらいたい。今まで武士として働いていた者にいきなり畑を耕せとも言いにくいでしょう。更なる南に進出することで彼らの不満をそらします。そしてそれらの島でとれる産物は島津を潤しましょう。無論織田家に税を納めてもらいますがね」

「なんと…そこまで」

「して、後出しになりますが、条件を付けさせていただく。まず義久殿は隠居。忠恒殿を養子として家督を継がせていただこう。南方の進出には家久殿とその子の豊久殿を。歳久殿には上方にて本国との連絡役を。そして定期的に義久殿と義弘殿は安土に来ていただく。これは今の仕事の進捗報告を兼ねる形です。いかがか?」

 一も二もない。二人顔を見合わせて即座に頭を下げた。条件と聞いて身をこわばらせたが、実に穏当な内容である。織田に敵対した責任者たる二人の隠居もある意味当然である。織田の縁者を養子にねじ込むということもなく、こんな緩やかな条件でいいのかと疑問が出たほどだ。

「よいのです。少なくともお二方は利害を冷静に断ずることができると見ました。ゆえに互いに利があるうちは争うこともないでしょう。そして、南方の進出は一大事業です。お二方が生きている間にめどはつきますまい。孫やひ孫の代になってからになるやもしれませぬ。それだけの時間があれば、信頼関係を築けるでしょうよ」

「おっしゃる通りですな。少なくとも我らは再び秀隆様を敵に回したくないですわい」

「ふふ、こちらもそう願いたいです。あの島津勢の鉾矢形は心胆を凍えさせましたからなあ」

 相手の目の前でその相手を恐れるようなことを言ってのける。これは只の強がりではない、要するに余裕なのだ。その気になれば幾万の血を流してでも島津を討ち滅ぼすことができる。その力と覚悟を持っているのである。そして会談の最後は子の一声であった。

「秀隆よ、これでは儂、空気ではないか…?」

「あ、兄上、忘れてました。そもそもここにいないはずの方でしたからね。そもそも…(以下説教)」

 戦国の覇王信長を正座させて説教をする姿を目の当たりにした島津兄弟は、信の実力者が誰かをこれでもかと思い知らされた。以後島津は織田の忠実な臣下として使えることとなる。

 甘藷は薩摩で大いに栽培され、余剰分は織田の流通網に乗り各地に出荷された。尾張の一部で実験的に栽培された以外はあまり出回っていなかったこともあり、薩摩からきたということで、サツマイモという名前がほどなく定着したという。

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