閑話 宗茂と誾千代

 日向国、高城。

 秀隆は正座する信長を全く感情のこもっていない視線で見つめる。

 彼の口調からは感情が抜け落ちていた。

「で?」

「いやあの…な?」

「で?」

「信忠に政務を任せてみたかったのじゃ」

「で?」

「相手はあの島津であろうが。わしが出張ってもよかろう?」

「で?」

「秀隆よ、弟の身を案じるのは悪いことか?」

「で?」

「ぐぬぬ…」

「で?」

「すまん、そろそろ勘弁してくれまいか? なんか足の感覚がなくてのう?」

「で?」

「うぬ…わかった」

「で?」

「すんませんでしたああああああああああああ!!」

「で?」


 秀隆のにべもない対応に信長は半泣きで詫びを入れた。その姿を見ていたのは近習たちのみであったが、宗茂はさすがに目を白黒させている。その横には小柄な武者…と思ったら彼の妻であるという。立花誾千代であった。なんか宗茂の手をぎゅっと握りしめて花のような微笑みを夫に向けている。


「さて、兄上。一応聞きますが、なんでここにいるのですか?」

「えっと…うむ。あれじゃ。おぬしが心配での?」

「ほう…そのために大量の政務を信忠に押し付けてきたと?」

「あ奴ならば大丈夫じゃろう。儂に似て優秀ゆえに」

「兄上が信忠くらいの年のころは…ああ、桶狭間の準備必死にやってましたな」

「うむ、あの頃は針のめどをくぐるような毎日であったがのう」

「そうですね、思えば遠くに来たものです…で?」

「うぬ、ごまかされぬか!?」

「当り前です! 極論を言えば、先ほどの戦で勝ったからよかったものの、負けていたら兄上が討たれていた可能性もあるのです!」

「え? お前が率いた戦で負けるの?」

「そりゃ、負けるつもり何ぞ毛頭ありませんがね? 万が一ということもあるでしょうよ」

「まあ、結果良ければ良しということでよかろうが」

「そうですね。ところで島津の得意な策は知っていますよね?」

「無論、釣り野伏せじゃ! …あっ!?」

「あっ!? じゃねえよこの野郎! やっと理解しやがったかこのボケナス!」

「ナスとはなんじゃ?! 儂は未だボケとらんぞ!」

「んなことは言ってない! 万が一にも死んではいかん人間が前線出て来るんじゃねえ!」

「ぐぬ!?」

「後秀一。貴様は何をやっておるか! 主君が誤りをしそうになるのであれば、命を張って止めよ!」

「はは、申し訳ございませぬ!」

「義姉上には話を通しておく。あっちの陣屋で搾り取っておけ」

「よいのですか? 承知いたしました!」

「蘭丸も連れて行くがいい。思う存分ヤッチマイナー」

「はは!」

「ちょ、おい、秀一、放さんか!」

「殿、こちらですぞ…」

「やめ、やめろ、まて、おい、脱がすな…アアアアアアーーーーーーーーッ!」


 さて、悪は滅んだところでそこのラブラブ夫婦に尋問するか。

「さて、宗茂。追撃であっても兄上の身を守り抜いたこと、武功である」

「はは!」

「で、なにがあった?」

「なにが…とは?」

「おぬしの嫁御じゃ。えらく雰囲気が変わったのう」

「いや…ちょっとというか、殿と奥方様にあてられまして」

「ああ…なるほど分かった。いっそどんどん子供を作って立花と高橋の跡取りとせよ」

 その一言で顔を真っ赤にする夫妻。お似合いである。むしろ誾千代が宗茂にしがみついている。あれは当たってるな。

「で、ではこれにて」

「うむ、お役目に差し支えない範囲でな」

「ぐぬ!? 承知いたしまいた!?」

 あーあー、噛んでるし。まあ、幸せそうならいいか。


 以下宗茂の回想


 10月下旬。ここ安土で大殿に仕えだしてまだ間もない。今までの立花の家とは何もかもが違う。政務を終えた大殿は奥方様を…膝の上にのせてくつろいでいる。その横に控える誾千代も見ないようにしつつ奥方様のとろけるような笑顔に目を奪われているようだった。

「帰蝶よ。いつぞや話した天下人の夢。適いつつあるぞ」

「まこと、本当にここまで来るとは思うてもおりませなんだ」

「ふふふ、見直したか」

「はい、私の夫は二人とおらぬ英雄にございます」

「はっはっは。なれば儂の望みもわかるであろうが。ん?」

「もう、しようのない方です…ちゅっ!」

「おおお、帰蝶よ、愛しておるぞ。初めて会った日からな」

「それはお互い様ですよ、あなた様」


 誾千代は顔を真っ赤にしている。宗茂も似たり寄ったりだ。二人は安土城に一部屋を割り当てられていた。これは特別扱いであった。妻子のいる者は城下の屋敷や長屋に居を構えるのが普通であったからだ。

「宗茂さま…?」

 宗茂はぼーっと何かを考え込んでおり、誾千代の言葉は耳に入っていないようだった。何か大事なことを考えておられるのか? と考え少し様子を見ていたが、再びこらえきれなくなった誾千代が宗茂に話しかける。

「もう、宗茂さま。何をお考えになっているのですか!」

「うるさい、私はお前のことで頭がいっぱいなのだ!」

 少し大きな声で声をかけられた宗茂はやはり主君夫妻にあてられていたのだろう。自身の口から出てきた言葉に自分で驚いた。

 そして誾千代の方も驚いた。見る見る自身の顔が熱くなっていくのを感じた。

 そして妻として扱われていたが、どこかよそよそしい部分があったこと。このような愛情を示す言葉もかけられたことはなく、宗茂は立花の家を守る重圧にいつも苦しんでいた風だった。誾千代はいつしか自分が宗茂の重荷になっていると思い込み、夫婦の仲は結婚1年目にして危うい状態になり始めていたのである。

 宗茂も自分に心を開いてくれない誾千代に正直どうしてよいか途方に暮れていた。どう声をかけていいかわからず、次第に距離を取られていることに心を痛めていたのだ。

「あの…宗茂さま。わたしはあなたの重荷なのでしょうか?」

「何を言う。我が妻は生涯そなた一人じゃ!」

「「えっと」」

「ああ、すまぬ、だがこう言うことは男から言うのが作法と大殿に教わったのでな。誾千代、愛しているぞ。幼き日、そなたに会うのが楽しみだった。立花の義父に婿にと言われた時、思ったことはな。高橋の名跡よりそなたの方が大事だということじゃ」

「あ、あ、あ、あああああああああああ!」

 誾千代の双眸から涙があふれだす。今まで抑え込んできた想いが涙となってあふれ出す。思わず宗茂に飛びつき、膝の上に座り込む。そして考えたことは、夫の膝の上というものは思った以上に良いものだった。

 翌日、誾千代は目を覚ますと隣で眠る宗茂の寝顔を見て非常に満たされた気持ちを感じた。


「九州へ行く。秀隆が苦戦しているようだからの。宗茂、供をせよ」

「はは!」

「帰蝶が別府の温泉に行きたいと申しておるでの。そなたの細君も帰蝶の供を命ずるがよいか?」

「は!」

「それにだ。おぬしの父上らも心配であろうが。里帰りも兼ねるがよい」

 宗茂は無言で頭を下げた。声を出すと出してはいけないものが溢れそうだった。九州への参陣を願い出たが許されなかったのは、万が一大友が破れたときに立花と高橋の血筋を残すのが自分の役割だと理解していた。それでもともに戦いたかったのだ。

 結果として、秀隆の策により島津は打ち破られ、宗茂は追撃とはいえ島津と戦うことができた。さらにこれも必死で止めたが誾千代も宗茂の隣で戦うと言い出したのだ。結局押し切られたが、宗茂は一生誾千代の尻に敷かれることになる分水嶺であったと後日述解している。


 後日、誾千代は宗茂の息子を同時に二人産み落とした。このころ双子は忌み子とされていたが、宗茂は子供の誕生を大いに喜んだ。主君たる信長も双子の悪しき印象を、お主らの手で払拭せよ、立派な子に育てればそれでよいと祝福してくれた。誾千代と子供を守り抜くと誓った宗茂は、双子を立派な武士に育てる。一人は立花姓を、もう一人は高橋姓を継ぎ、両家は長きにわたって助け合ったという。

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