三木・有岡合戦
天正6年5月
三木城の別所氏が反旗を翻した。それと呼応するかのように翌月、本願寺攻めの砦から撤退し、自領に籠った荒木村重も織田からの離脱を宣言する。播州の秀吉は危地に陥っていた。別所は毛利と通じていたようで、宇喜多を先陣に上月城を囲む。しかしここで一計を案じていたのは、秀吉は不穏な勢力となっていた赤松の一族をそこに押し込めていた。秀吉は向かい城を築き、上月救援の兵を出していた。そこに背後の三木で謀反である。秀吉の悲鳴は姫路城内に響き渡ったという。
「官兵衛殿、ここはいかがしたもんかの?」
「安土の大殿に救援依頼をするべきかと」
「んじゃのう。使者は海と、丹波経由じゃな」
「それがよろしいかと」
「んでよ、官兵衛殿。おまいさん儂に隠しごとがあるじゃろ?」
「はて、拙者に心当たりはございませぬが…」
「まあよい、後で婚約の引き出物を持たすでの」
「は、ありがとうございます」(そっちかよ!?)
「ああ、あと秀隆様にもよしなに…な」
「は、はは!」
秀吉は呵々大笑しながら自室に戻る。官兵衛は秀隆が言っていた言葉を思い出していた。
「筑前殿は兄上とは別の形ではあるが、あれも天下の器よ。よく仕えよ」
絶体絶命の危地にあって泰然とし、部下が暗躍していようとも平然とそれを見守る。確かにこれは大器であると初めて実感した。だから知らせを聞いたとき、みぎゃああああああああと泣き喚いたことは見なかったことにしようと誓ったのである。
知らせを聞いた信長は三木城に向かった軍を一度返させ、改めて有岡城を囲んだ。丹波より明智勢を主力として付け城を築いて支城と本城を分断する。荒木勢は亀のように閉じこもって出撃すらしてこない。荒木がいた砦には筒井勢が入り穴埋めを行う。ただ兵力が不足しており、寺内に入る人間を阻むことは難しい状態だった。また、地元の商人が一向門徒に食料を売ったことがわかり、罰を受けたとの風聞が流れる。本願寺の包囲が緩んでいるとの報を受け、毛利水軍が蠢動し、西国戦線は揺らぎを見せつつあった。
秀吉は敢えて麾下の兵力を二分した。上月城救援のために自ら向かい城に入り、小競り合いを繰り返す。同時に三木包囲は竹中半兵衛に任せ、一つ一つ出城や支城をつぶしてゆく。因幡の山名氏も蠢動を始めているが目立った動きはなかった。
有岡は徐々に包囲が狭まる。有力な与力であった高山右近が降った。フロイスの必死の説得が功を奏したと言われている。彼はキリシタンであった。信長の怒りはすさまじく、右近が降らないときは宣教師を畿内から追放し、教会は焼き払い、キリシタンに対して一向門徒と同様の処置をすると伝えたのである。右近は信仰を選び、キリスト教の教会にて出家することを宣言した。
茨木城に立てこもる中川清秀は、村重配下の猛将であったが、兵力差があまりに隔絶していることと、村重の指示もあり打って出ることはなかった。降伏勧告の使者は古田佐介であり、清秀の義弟に当たる。佐介は織田流のふるまいをあえてした。妻を膝の上に抱きかかえて清秀の前に現れたのである。
「佐介、貴様人質のつもりか?!」
「義兄上、私は大殿のふるまいを見習っておるにすぎませぬ」
「阿呆抜かせ、あの魔王ともいわれる信長様がかようななふるまいをするものか!」
「ならば賭けますか?」
「何をじゃ?」
「開城降伏の褒美として、義兄上を安土の新年会に招いていただくよう大殿にお願いします」
「それで?」
「私も噂に聞く程度ですが、重臣お歴々の方々はみな妻女を膝の上に乗せて語らうそうです」
「んなあああああああああああああ!?」
「家族の幸せがあってこそ働くにも張り合いが出るもの。妻女への感謝を忘れてはならぬと」
「お、おう。うむ、すごくまっとうなことを言われておるが」
「よって私も、私の命を懸ける理由をこうして示してござる」
「おぬし、まさか…」
「さよう、私は義兄上の説得に命を懸けております。その覚悟を示すため我が妻をこうして抱えており申す。私の命がけの理由と覚悟、お分かりいただけましょうや?」
古田佐介は馬廻の中ではそれほど武勇に優れているわけではない。だが教養があり、知恵も働くため、使い番や、使者に用いられることが多かった。清秀自身は外様であるが、その武勇を賞されることもあり、信長より直接言葉を受けたこともあった。そして年の離れた妹を溺愛していた。
信長の仲介で妹を嫁がせたが、すぐに長男が生まれ、大事にされているということは伝わっており、敵味方に分かれる事態は彼の心を大きく痛めていたのである。
そして、自らの命と同等であると、命がけで守るべき者は妻であると示した佐介の態度に清秀は降伏を決意したのだった。
有岡城は動揺していた。有力な支城であった高槻と茨木が落ちた。また左右の腕と頼んでいた両省が降ったのである。そして毛利の軍は海上で敗れ、また播磨でも上月城を抜けず、進軍は止まっている。
事ここに至り村重は少数の家臣を率いて三木城に逃れた。有岡城は降伏し、事実上一戦もなく落城することとなった。城の受け取りは秀隆が行い、荒木の家臣に狼藉を働くことは許さぬとの態度をとった。秀隆様がそういうならと、ほかの家臣もそれに従い、無血開城と相成ったのである。
別所長治は混乱の極致であった。兵を起こして羽柴筑前を毛利と挟み撃ちにする。後方で有岡の荒木がこちらに通じることで、後方の安全を確保できる。そうなれば、毛利の先兵として畿内に乱入し、本願寺を救援して織田を畿内から駆逐する。そういう青写真であった。
羽柴は毛利を数か月にわたって防ぎ続け、さらに自身も包囲されて身動きが取れない。何度も出撃して包囲網を打ち崩そうとするが、敵の采配が見事すぎて出た回数だけ兵が失われた。さらに有岡が落ちて村重が逃げ込んできた。ただでさえ兵糧が心もとなくなっているのに、城を落とされたため手ぶらであることは仕方ない。だが500もの兵が増えたのである。物資の欠乏は無視できない状態になりつつあった。ひとまず用心のため荒木勢は東の城門を守らせている。だがこの時長治は過った。いっそ本丸に収容すればよかったのである。そうすれば荒木勢は身動きが取れなかった。よりによって搦手門を任せたため、目付も届かず、ある日深夜に門を開いて織田勢を呼び込んだ。
黒田官兵衛の家臣、後藤基次は大身の槍を振るい真っ先に斬り込んだ。相棒の母里太兵衛も基次の背後を守って暴れ狂う。播州者同士の戦闘は明け方まで続き、三木城の本丸以外はすべて制圧されたのである。
別所重棟は親織田派で、長治の離反の際に城中から脱出していた。秀吉に三木城謀反の第一報を入れたのも彼である。そして重棟はいま三木城へ開場を促す使者として赴いた。
「長治殿。事ここに及んでは是非もなし、降伏されたし」
「叔父上、私はどこで間違えたのでしょうか?」
「羽柴筑前という人物を出自だけで見下したことですよ」
「あのような成り上がりものに頭を下げることは我が誇りが許さぬ」
「なれば自害なされ。死ぬ方がましなのじゃろう? そなた一人の意地に別所の家臣一門すべてを巻き込んで満足か! この戯け!」
「叔父上…」
「そなたは自らの愚かさゆえに滅ぶのじゃ。意地も誇りも家名を存続させてそのうえで生じるのじゃ。そこをはき違えて被害者面か。そしてあえてわしを使者に選んだ筑前殿の慈悲深さにも気づかぬか。そんな戯けは腹切って果てよ!」
「そうですね。私の首一つで、ほかの者は助命していただけるか?」
「何をぬかす。貴様の首一つで収まると思うてか?」
「むう、なればどうすれば?」
「貴様は家名はく奪の上、一介の足軽となれ。そのうえで手柄を立て三木城主に再びなるのじゃ」
「え…?」
「儂がそのこと、筑前殿に掛け合おう。これ以上城の者は誰も害せぬ。わかったか?」
「は、はい。ありがたき幸せにござる…」
長治は秀吉の前で頭をさげ、降伏を認められた。三木城は一族を代表して重棟が城代として入る。長治ほか一門の若者は、足軽として秀吉の馬廻とされた。自身の寝首をかける位置にもと敵将を置く秀吉の度量に感服し、彼らは戦では真っ先に突撃していったという。そして、後日、手柄を積み重ねた長治は三木城主に返り咲き、秀吉の有力な家臣として重きをなしたという。
一方有岡城にて…
「とーのー・・・すべて仕組まれていたとはいかなることにございますかあああああああああ」
村重が右近に詰め寄られていた。上目遣いで。
「落ち着け右近。すまん、だが敵をだますにはまず味方からというじゃろ?」
「今の私はジュストですうううううううう。汝の敵を愛せよという聖書の教えに従い水に流しますが…やっぱ御恨み申し上げるうううううううう」
据わった目で見上げられて村重の全身におぞけが走る。
「だあああああ、すまん、儂が悪かったって!!」
「ええええ、いいですよおおおおおおおお、ただ私が勝手に恨んでるだけですしいいいいい」
いっそ呪殺されそうな雰囲気を感じて村重の背中に冷たい汗が流れる。
「わかった、大殿の直臣になれるよう交渉するから!」
「いいのですか?」
表情を改めて高山ジュストが問いかける。
「おぬしの働きに報いるには、儂はちと甲斐性が足りぬ。なれば大殿に口添えするしかないわな」
「ありがたきしあわせですうううううう」
別の意味で涙を流しながらジュストに詰め寄られる村重だった。
「わかった、わかったって!?」
ちなみに、清秀も信長直臣となり、軍事的指揮権がある与力関係は続いた。清秀には佐介が与力としてつき、清秀はいわゆる戦バカであったので、彼の後方を支える任に着いたという。
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