紀州攻め

「信者があつまりゃ儲けになる!」

「「信者があつまりゃ儲けになる!!」」

 彦太郎の呼びかけに河原に集まった民が唱和する。坊主は自分の儲けしか考えていないと繰り返し吹き込んだ。

 彼の唄う節回しには独特のリズムがあり、それが聞いている者たちにしみこんでゆく。坊主にとられる事実上の税となっているお布施も収穫の6割以上を占める。僧兵や傭兵だけでは生活は成り立たず、結局農民が割を食っている。

 傭兵の出どころも農村であることが多い。結局土地を分けてもらえない次男以下が食い詰めて傭兵になることがほとんどだからだ。一向宗の教えはわかりやすいが、織田の領国では豊作で食べ物に不自由がなく、税も安い。

 彦太郎とセットで送り込まれる元一向宗の坊主たちだ。一向門徒は坊主というだけで条件反射的に話を聞く。現世で苦行を施さずとも極楽に行ける。そう説いていった。

 寺は領民の離散と税の集まりの悪さに苦しみだした。末端の寺がこんな状況だからそれを支配する上位の寺も同様である。そして本山から責められ、過大な税をかけ始める。あたかも自身の足をかじりだす蛸のように。

 内部分裂と土豪の寝返りが相次ぎ、そんな中で紀州征伐は行われた。

 兵力は3万を数えるが、大身の者は各方面に派兵されており、副将の秀隆ほか、羽柴勢から信吉が陣代として派遣されてきた。介添えに竹中半兵衛がついてきている。半兵衛は元々壮健とは言えない体であったが、秀隆の施す食餌療法で健康を取り戻していた。長子のほか娘も生まれており、官兵衛の頼みで、彼の長子と婚約を結んでいるらしい。

 摂津からは荒木村重に従軍を命じたが本願寺への備えのため参戦できないと返答がきた。だが自身の受け持ちの砦に所領から兵を増員するわけでもなく、むしろ最低限の兵しか入れていない。村重の家臣が本願寺へ駆け込む門徒を見逃したとの情報もあり、のちに火種になりそうな状況だった。


 海上から紀ノ川沿いに滝川、九鬼連合軍。鉄張り軍船を海上に浮かべ、海岸線の砦に砲撃を加える。四国方面に逃れる退路遮断も目的としていた。

 大和方面からは伊勢の北畠信雄と筒井順慶が進軍する。筒井は松永と和睦し、現在松永の組下に入っていた。久秀自身が本願寺包囲網に参加しているので、彼の出番となったわけである。

 河内より信長率いる本隊が攻め入る。先鋒は堀秀政が務め、第二陣には明智勢が入った。鉄砲隊の運用では織田家随一の光秀を配し、伏兵や狙撃を警戒する。これにより被害を軽減させることが目的である。

 織田の大軍が雑賀に攻め寄せたことを知り、顕如の許可を得て孫一は手勢を率いて紀伊に帰った。雑賀の荘に入り防戦の指揮を執る。真っ向からぶつかっても勝ち目はない。兵力が違いすぎる。そして勝機を見だすのは鉄砲隊の数と練度であったが、土嚢を使っての防衛陣地で射線は遮られ、織田の鉄砲のほうが命中精度、射程ともに上回っている。雑賀の誇る鉄砲隊が逆に狙撃されるとかそんな冗談だと孫一は嘆いた。

 そして、悲報が飛び込んでくる。高野山が降伏した。また根來衆も降伏し、東の防衛線の罠を通報したらしく、無傷の織田軍が迫ってくる。

 事ここに及んで孫一も降伏を選択した。野伏せりによる奇襲と、指揮官への狙撃で遅滞戦術をとろうとしていたが、指揮官を含めて軍装を統一することで狙撃を困難にし、奇襲をかけられそうな地点には盾と土嚢を用いて被害を与えられない。

 本願寺から兵を呼び戻し、以後参戦してはならない。本願寺への補給をしてはならない。織田と本願寺との戦いについて、中立を保つことと非常に寛大な条件での講和だった。

 孫一としても馬鹿正直に守るつもりはないが、織田との戦いで射撃戦に敗北したことは衝撃が大きく、また損害も大きいためしばらくおとなしくし、傷がいえたら再び参戦しようと考えていたのである。だがその目論見は秀隆に目いっぱいひっくり返されることとなるのだった。


「雑賀が降伏したですと?!」

「はい門跡様。織田との和睦で番衆を引き上げさせろとのことですがいかがいたしましょう?」

「加賀門徒から数を見繕って追い出しなさい」

「はい、承知いたしました」

「紀州の損害はどの程度です?」

「はい、根來衆と高野山が降伏し、紀州の半分ほどが陥落しています。雑賀の荘は形式上降伏していますが、戦闘でかなり損害が出ている由」

「しばらくは寺内の門徒衆で防ぐしかありませぬな。これも法難。なんとしても耐え抜きましょうぞ」

「南無阿弥陀仏」

 顕如と坊官は状況の悪化に頭を痛めているが、まだ負けるとは思っていなかった。だが状況は加速度的に悪化する。


 寺内から追放された門徒は全員身元を改められた。雑賀の兵はほとんど含まれておらず、加賀門徒が大多数を占めたのである。彼らは長年尽くしてきた本山に斬り捨てられたことを理解し、ついに織田に降伏した。信長は彼らに尾張、美濃で土地を貸し与えた。そして一部の者には各地を回らせ、本山の仕打ちについて公言させたのだ。

 これにより地方の門徒も本山を見限り、本願寺に駆け込む門徒や補給は目に見えて減少したのである。同時に支城の士気もがっつりと低下し、織田の付け城の包囲を受け、投降する城が出てきた。降伏を拒んだり、命に服さないものは処刑するが、それ以外は命を奪われず、小作ではあるが食い扶持を稼げる土地が貸し与えられる。

 秀隆は高札を掲げ、門徒の逃散を促した。籠れば地獄、逃げれば極楽と煽り、逃げ出した門徒たちを利用して寺内に呼びかけさせたのである。

 ほか、風上から煮炊きの煙を流し込んだ。これは信長から禁じられ、二度と実行されなかったが、うなぎを焼き、かば焼きの煙を流し込んだのである。だがこれは味方にも飯テロ効果を及ぼし、信長の雷が落ちたのだった。かば焼きは信長がおいしくいただいたのはお約束である。

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