第10話 過去の矛盾
時刻は十六時を過ぎた。今はまだ青い空が広がっているが、もうしばらくすれば夕闇が次第に押し寄せて来るだろう。そう、ほんの少し赤みを帯びてきた西の空を見やる。
「ほら、見てごらん。良い空だ」
大型戦艦『ニケ』内の総長室で、自分の影にそっと隠れるようにたたずむ少女の背に手をやり、ナイツ「白」総長エミール・ヴィルヘルムは彼女へ微笑んで見せた。少女はそれでも彼の白いコートの裾を握り締めたまま、彼の示す方向へは視線を向けようとしない。
背中に小さな羽根の生えた少女は、けれど空が苦手だ。飾りの羽根。飛ぶ能力を持たない、ただの観賞用だ。
(我ながら悪趣味だな)
青いワンピースに細い身を包んだ少女の背中で、白いに二翼の翼が揺れる。エミールのコートを握り締め、その自身の小さな手に顔をうずめて顔をふる少女の様子に、エミールは苦笑すると視線を示した先へ戻した。
真っ青な空の先に小さな黒点が一つ。
(追いついたようだな)
かけた丸めがねの奥で微笑む。教会が発掘してきた旧時代の遺跡の中でもこの戦艦は大物だ。これほど大きな船が飛ぶとは思っていなかったが、どうやら教会の選抜き技師たちの腕は確かだったらしい。破損も激しかったこの船を莫大な費用をかけて直して見せた。その性能もこれまでにない、と言っていいものだ。
(あのハエに追いつけるのだから、申し分ない出来だ)
目の前で徐々に姿を大きくする敵機に視線を向ける。
敵は能力者たちだ。既にこちらの存在には気づいているだろう。だがそれも関係ないこと、とエミールは口元に笑みを刻む。
国境を越える前に、力の差を見せつけ、墜落しない程度に機能を停止させたところで隠密部隊を送り込み、脱走した審判者を連行すればいい。
(ハエを落とすのはその後だ)
「失礼します」
空気の抜けるバシュッという音とともに背後のドアが開き、エミールとは対照的な漆黒のコート姿が現れた。振り返りそのしまりの良いとは言えない姿を視界に認めてエミールは軽く手を上げる。
「目標を補足した様ですね」
手前の巨大モニターにぼんやりと眠そうな目を向けたアランの言葉にエミールは頷く。この黒い男が戦闘になれば驚くべき指導力を出すことをエミールは知っている。しまりのない顔をしていても、作戦の準備は怠らない男だ。間もなく前方のエアシップへ向けて小型艇が投入され、敵艦への攻撃を開始するだろう。
「敵エアシップの動きを止めたら君たちの出番だからね」
「はたして能力者相手に何処までできますかね」
自信があるのにアランはうそぶく。
「そういわないでよ。十五年前の失態を我々が償わなければならないのは釈然としないけどね。こちらには能力者に代わる力もある。ま、折角白黒合同作戦なんだ、お互い頑張ろう」
爽やかに笑うエミールにアランは「そうですね」と返し引きつった笑みを向け、ため息を付いた。
十五年前の失態とは教会の研究所から実験体たちが逃げ出した際の事件を指す。実験体達と教会兵士双方に多数の死傷者をだしたこの抗争の結果が、今の事態を引き起こしていると言っても過言ではない。
大部分の研究データは消去・もしくは破壊され、生き残った能力者たちは逃亡。教会に反旗を翻しコマドリという組織を作った。そして彼らのデータを元に作り出した審判者の一人もまた彼らと行動をともにしているという。
若手のエミールはもとより、当時二十歳だったアランも既に凄腕の傭兵として名を馳せてはいたが教会に属しては居らず、この抗争には直接関わってはいない。だが入隊してから彼らが関わってきた問題のうち、秘めるべき事情としてこの問題は彼らの職務のかなりの部分を占めているといっても過言ではなかった。
(秘むべき事情はもっと厳重に管理すべきじゃないのか?)
報酬量につられてオッケーしてしまった任務だが、まさか白との合同作戦だとは思わなかった。今朝の失敗諮問の結果で半ば強制とはいえ……、そうアランは次第に近づく敵の機影と空の青に視線をやり肩を落とした。
と、視界に入ったものに目を留める。
「エミール、この子は……?」
「ああ、言ってなかったね。前に面白いことがあるって言っただろう」
自分の影に隠れて出てこない少女の背を軽く押し、前に出るように促す。おずおずと少女は前に進み出て上目遣いにアランを伺い見る。その瞳は青、髪と肌は透き通るような白で、青いシンプルなつくりのワンピースを着込んでいる。そして、その背には天使の羽のような二枚の羽があった。
「キリエと名づけた。こんななりだけど天使でもなければ人間でもない」
「……」
そう聞き怪訝な顔をしたアランにメガネの奥で微笑んで見せる。
「キメラだよ。一応人間の遺伝子も僅かに含んではいるが、知能は低い。使い物にならないということで廃棄処分になるところを引き取ってきた。」
「……大丈夫なのか?」
口調をオフィシャルなものから砕けたものにして、アランは問いかける。元々階級に差はない。仲が言い訳でもないが、エミールたっての希望で気軽な話のときは対等な口調を使えといわれている。
「ん?何が?」
「俺が聞いた話では、お前は中央の一部の人間に目を付けられていると」
急激に台頭した男だ。一兵卒から騎士団の総長になるまでの出世は、彼自身の才覚によるところだが、その他にも汚い手も使ったと聞いている。教会内部でも、そして地方自治組織である教会を統率するトスカネル国内部でも、エミールを危険視する声は大きい。そんな中、エミールが人として触れてはいけない域にも手を出していることを、アランは知っていた。教会の人体実験然り、キメラにしてもおぞましい過程がその内部にあることは想像に難くない。
「ああ……ま、この子を理由にする事態にはしないよ。それに僕は国王の信認を得ているからね」
だが、エミールはそう言ってアランの言葉を流し、視線をモニターに戻した。視界の先では真っ白な機体に教会の十字紋章の入った円錐形の小型機が数機、艦から離脱し敵エアシップに向かおうとしている。出艦が始まったようだ。
「あ、そうそう、君に追加任務がきているよ。審判者のほかにもう一人連れ出してほしい」
「は……?」
唐突なエミールの言葉に思わずアランは声を挙げた。その反応を無視してピエールはモニター前に置かれた執務机の上から一枚のメモを取り上げる。
「さっき昨日のデータの分析が終わったという通信が入ってね。昨夜君の部下を四人も巻き込んだあの光だが、―――十七年前の例の事件と波紋が一致したらしい。」
「なんだって?」
十七年前の事件。教会に保管されていた実験体一体が、原因不明の大火災の中で姿を眩ましたという。
「全く……つくづく先代たちは無能だね。沢山問題を我々に残しておいてくれる。」
そう微笑みを浮かべたまま毒づくとくしゃりと手の中のメモを握りつぶす。
「じゃあ昨夜のは……」
ドン……!!!とエミールの背後で光が弾け、重い振動が空気を振るわせる。少女が小さな声をあげてフロアに蹲った。砲撃が始まったようだ。
「これほど近くにいるとは思わなかった。そして二つ揃って僕たちの手に戻ろうとしている。偶然とは不思議なものだね」
口元に手をやり、「いや、運命の方がロマンチックかな」と独白する。
「だが保管体は女性だったと聞いている。我々の見た能力者は少年だった……!」
「そう聞いているよ。でもね、どういう経緯でその形を取っているにしろ、固有の波紋が一致したんだ。指紋と同じように、同じものは一つとしてない」
エミールの言葉にアランは息を呑み、数瞬黙り込む。
(理解の範疇を超えてるやがる……)
混乱しそうな思考を頭をふることで打ち消し、アランは再度エミールへ視線を向けた。考えるのは自分の仕事じゃない。
「つまり俺達の任務はその少年の確保ですね」
「そうだね。―――僕が今はっきりと言えることは、」
重なる砲弾の光にエミールの表情が逆光となり隠される。
「アレがついに動き出しているということだ。……たとえ自分の意思であろうと、……なかろうと」
急速に茜色に染まりゆこうとする空に、また、重い振動が響いた。
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