微熱時代

雨箭 山月

第一部(1、エピローグ)

  エピローグ 1969年春


 宏幸は高校生時代から始めた山登りが趣味である。

一年生の時に図書館で見た「高山植物」に魅せられ、

それらの花を見に行くようになった。そして1969

年に京都市内にある公立大学に入学した。

 彼の人見知りしない性格が幸いしてか、気の合う仲

間がすぐ出来たので、ハイキングやフォークソング等

に手を染める一方、入学した年の前年頃から吹き荒れ

だした学園紛争の時流に乗り、高校生時代から参加し

ている学生運動もしっかりとこなした。

 特に、1969年は70年安保への政治闘争が続い

ており、宏幸は何度も東京等に出かけた。

 しかし忙中閑有り、恋も有りである。

 宏幸には入学当初から気になっている同級の女の子

が一人いた。建築学科は女子学生が少なので、結構男

子学生からは声が掛かり、合コンにもよく顔を出して

いる中島佐知子という子である。小柄だが目が大きく

て、髪はポニーテールにまとめ、タイトのミニスカー

トをいつも穿いている子である。

 ある日、宏幸がガリ版印刷に使う鉄筆を買おうと、

生協のプレハブ小屋に入ろうとした時、佐知子が声を

かけてきた。

「高木君って、どこのセクトなの」

 どうやら佐知子は、宏幸が学生運動をやっているこ

とを知っているようである。

「ノンセクトラディカルや、いやMLシンパかな。ま

さか中島君は協青やないやろな・・」

「安心してよ。私は、今のところノンポリやけん。で

も一度、洛中大であった、協青の集会を聞きにいった

事もあるんよ。協青って結構教条的で、聞いてても詰

まんなかったわ」

「今じゃ、新左翼全盛。協青なんて目じゃないよ」

「ところで、MLって何の略なの」

「知らんかったのか。MはマルクスLはレーニンや。

でもMは毛沢東、Lは林彪という説も有るのや」

「一度MLの集会にも連れてってよ」

「ええけど。次の水曜に大阪の中ノ島公園で統一集会

あるわ。帰りは少し遅うなるけどかまへんか」

「平気よ。でも帰りは送ってね」

宏幸は狙っていた佐知子に、向こうから飛び込まれて

きたように思った。


 くだんの集会は夜7時に終わったが、デモ行進で御

堂筋を通り、なんばの南海球場まで歩き、帰りは大阪

地下鉄と国鉄を乗り継ぐ。二人が京都駅に着くと10

時半を過ぎていた。

「まだ、北大路までの市電に間にあうなあ。送るわ」

「悪いわよ、そこまで送ってもらったら。帰りの電車

が無くなるのじゃないの・・」

 宏幸は自宅通学生である。本音は、佐知子のアパー

トに泊めてもらいたいのだが、いきなりは無理だと思

い、

「大丈夫や、友達の下宿に転がりこむから」

と言いながら市電に乗りこみ、車掌から片道25円の

切符を2枚買ってきた。

 宏幸は、少しでも佐知子と一緒にいられる時間が欲

しかったのだ。

「結構集まったね」

「そうやな、新左翼系の関西統一集会やから2万人以

上かな。今年最大の動員みたいやな」

「プロ民は、だいぶ野次られていたね」

「旧の三派系が今日のへゲモニー握っていたからな」

「三派って、中核とブントと青解ね」

「本当は、うちのMLも含まれるんや。ブントとML

は同じ社学同や」

「ヘルメットの色が、ばらばらの集団も有ったね」

「あれは反戦青年委員会言うて、地区の労働者の集ま

りや。ノンセクトも混じってるけどな」

 市電は停留場を発車する度に、「チンチン」と鳴ら

しながら、人通りの多い河原町通りを北上して行く。

「ところで、高木君は、会場ではあまや君って呼ばれ

てたけど、どうしてなの?」

「パルタイネームや。ああいった所では、公安警察が

潜り込んでる可能性があるから、本名では呼ばへんの

や。デモ行進の横でメモ取りながら歩道を付いて歩い

とるのがいたやろ。あれが公安や」

「よく気がついたわね」

「デモが終わってからも尾行されること有るからな」

「いやあね」

 結局二人は北大路駅で、あっさりさよならをした。

 佐知子、アパートに帰り、軽い夜食を食べたあと、

やっと今日の興奮もおさまってきた反面、宏幸の事が

気になりだした。

・・高木君って親切だけど、誰にでもかしら。講義中

でも時々彼の視線を感じるんだけれど、私のこと好き

なのかしら。それらしき態度は感じられなかったけ

ど、彼の今日の行動を観ていると、惹かれてきそうだ

わ・・

 佐知子の、小学生以来四度目の恋の始まりである。

 小学生の時は、学級委員長にお熱を上げたが、フォ

ークダンスで手を触れられたとたんに真っ赤になって

しまい、声も出せなくなった幼い思い出があった。

 中学生の時は、文通の相手と写真交換して、勇気を

出して名古屋まで会いに行ったが、相手のガラガラ声

を聞いたとたんに夢がしぼんでいった苦い思い出も。

 高校生の時は、憧れのバスケの主将に、部室に呼び

出されて唇を奪われたとたんに、思わず部室を飛び出

してしまったのだが、たばこ臭が口中に残り嫌いにな

った。

「今度こそ、もっと積極的にならなくっちゃ」

 満月が中天にかかる午前2時頃、佐知子は夢路につ

いた。


 章末注記(1)京都市の市電は、1978年廃線



・・・「美ヶ原、霧が峰 1969年夏」に続く。

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