392 樹霊の塔 ―伊集院大介の聖域―
07.12/講談社
09.12/講談社文庫
【評】う
● なぜいまさら森カオルの結婚話を?
デビューして十年の中堅作家・森カオルは、取材で東北の山奥にある村に行きました。そこでうだうだしているうちに結婚相手が見つかりました。おわり。
ちょ~ド~デモE。
『鬼面の研究』と『天狼星』の間にあったエピソードをいまさらやり、『天狼星』の中で唐突にそういうことになってた森カオルの結婚にまつわるエピソードを公開というこの意味不明さ。二十年以上経ってやられてもどうでもいいとしかいいようがない。
山奥にある村は「まるで明治時代がそのまま残っているよう」ということになっている。作中の年代が一九七〇年代設定で、さらにその年代の人間が山村を明治を感じるというわけで、つまり読者には一九七〇年代の空気と明治時代の空気の両方を感じさせなければいけないのだが、もちろん末期の栗本薫にそんなことが出来るわけもなかった。
読み終わってから考えると「なにをそんなにたくさん書いてたんだ?」と考え込んでしまいたくなるくらいに、情景等はなにも思い出せない。それは物語の中心であるはずの樹霊の塔とやらに関してもそう。
つうか、作者が読者に何を提示したいのかがさっぱりわからない。
山奥にある村のひなびた美しさなのか、因習の恐ろしさなのか、さっぱりわからない。話がやけに長いけど、なにを云いたいんだ、この人は? と普通に疑問に思ってしまう。とにかくなにも伝わってこない。
で、ページ数が三分の二ほど消化されるまでとくになにも起こらないのも晩年の伊集院シリーズお約束で、事件が起こったら速攻で伊集院大介がやって来て、なにごともなく事件が解決するのもいつも通り。大介の推理も「首吊り自殺に見せかけてるけど、踏み台がなかったからすぐわかった」という、そりゃだれが見てもわかるがな、というもので、どんだけトリックにやる気がないんだよと素直に思った。つうか最近の大介さんは普通にきもいのでなんとかしてください。
主人公は現場のすぐ近くにいるのに、事件の渦中をまったく描かないで、あとから人づてにだらだら聞かされるというこのシリーズでしかありえない退屈な終盤もいつも通りで、犯人がしゃべらせてもらえないのもいつも通り。つうか、この犯人の扱いの悪さって、ミステリーとしてちょっと画期的かもしれんな(爆)。
森カオルの恋愛模様にしても、なんか昨日あったばかりの人物がどたばたしてるところにあらわれて急にキスして「昔からファンでした。結婚しましょう」「え、ええー? でもそれもいいか」という、なんかもう、お前はどんなバカのもてないブスなんだよといいたくなる急展開。口説かれたらそれでいいんかいな。
これであの唐突な助手役降板を納得しろって無理がありすぎますよ。つうかいまだに納得してないですからね、ぼくは。大介の助手はずっと森カオルでよかったんですよ……助手として無能で作者にも嫌われてる伊庭緑郎とか助手になってすぐに別の男にメス落ちさせられていたホモトムなんていらなかったんや……。
ともあれ、この作品で読者にどう思ってもらいたいのかがまったく不鮮明で、晩年の栗本薫の読者不在っぷりはちょっと怖い。ほんともう、どこを楽しめばいいんだろう。クオリティの問題じゃなくて、どの方向に向かっているのかがまったくわからないよ……
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