210 六道ヶ辻 大導寺一族の滅亡

1995.10/角川書店

1999.08/角川文庫

<電子書籍> 有

【評】うなぎ


● 旧家のお約束が詰まった力作ミステリー


 古くから伝わる名家、大導寺一族。その蔵から、古い手記が見つかる。そこに書かれていたのは、かつて大導寺家で起きた血なまぐさい殺人事件の顛末であった。

 そしてその手記にかかれていた事件をぞるような異変が、手記を発見した大導寺家静音の周辺で起きはじめる――


『絃の聖域』や『魔都』に見られる、大正浪漫や旧家の因習を描く作風の、いわば決定版としてはじまったのがこの『六道ヶ辻』シリーズである。平安時代より続く名家に隠された事件を、一作ごとに時系列バラバラに描いていくという作品で、本作はその第一作となる。その一作目で滅亡というタイトルを出すのがなかなか引きが強くてよろしい。たしかタイトルにちなんで全六作の予定とどこかで見た記憶があるが、本作のあとがきには書いていない。記憶違いだっかのしから。どちらにしろ全六作で終わっていないからいいんですけどね……。


 さておき本作、力作である。

 まず構成が凝っている。物語が現代で手記を発見するところからはじまり、手記を読み解いていく大学生二人組と過去の事件を描く手記とが交互になっているのだが、手記に呼応したように現代の主人公のまわりにも事件が起きていく、という過去と現在がリンクした展開が良い。過去の事件も現在の事件も気になるし、栗本薫のしらじらしい焦らしがうまいことハマっている。

 なにより、過去の手記の部分の文章が、この時期の栗本薫としてはかなり丁寧に文体を変えて雰囲気が出るように書いてあるのだ。なにせ勢いで書き上げる薫が本作には何ヶ月もかけたというくらいに気を遣っているのだ。

 まあ、本音を云うといま改めて読むと、それでも乱歩や正史と比べるとあんまり雰囲気出てないというか、所詮真似っ子だなという気がしてしまうのだが、十代の初読持にはけっこうひたって読むことができたのは事実である。それにその分、本当のあの時代の作品に比べると読みやすいという利点もあり、それっぽい雰囲気を保ちつつ現代的な読みやすさという意味で、良い折衷であるとも云える。

 この大正浪漫な手記の文体と、いかにも現代的な大学生の「ぼく」の語りとの対比が、お互いの魅力をひきたてあっている。――「ぼく」の方は大学生のくせにかなり幼くてカマ臭いとは初読持から思ってはいたしてもだ。それに女性向けホモ小説が本屋で「耽美小説」という分類で並べられていた九十年代前半においては、幼すぎてちょっとキモい受けはいたって普通の存在だったしね……。


 いかん、褒めたいのかケチつけたいのかわからない文章になってきた。ともかく、少なくとも当時は浸れた文体で丁寧に書いてあるのだ。

 そしてもっとも肝心なこととして、旧家の王道的なドロドロがみっちりと詰まっていて、舞台設定から期待したものがしっかりと書かれているのだ。突然に呼びつけられる庶子の主人公。そこで出会う病弱な腹違いの弟。子供に冷たい醜い正妻。我が子に家督を継がせたい妾。強引で傲慢だが魅力的な従兄弟。愛情深いが身勝手な父。そして家中を彷徨する気の触れた美貌の半陰陽――もう本当にお約束の設定のオンパレードであり、そこで子供が殺されたり屋敷が炎上したりして最終的に一家のほとんどが死に絶えるのだから、期待に全力で応えていると云えるだろう。

 現代・手記をいったりきたりしながら事件が次々と起きる展開も飽きさせないし、凝ったトリックなどがあるわけではないが、犯人とその動機の部分もしっかりと書かれていて、現代部分も手記部分も納得のいく終わり方をしている。大正浪漫を書きたいという趣味的な気持ちと、ミステリー的にキチンと落とすというプロとしての仕事を両立した作品なのだ。


 今作のあとがきでは、現代を疎み乱歩・正史的な時代に惹かれ、同世代の人間よりはそのり時代に親しんでいる旨が書かれているが、正直、この点に関してはけっこう鼻白んでしまう。中二病の人間がかかりがちな、同世代が馬鹿に見えて一つ上の世代がカッコよく見える病にしか見えないからだ。もっとも、その気持はよくわかる。だってぼくが栗本薫や70年代・80年代の作品惹かれたのも、一つ上の世代の作品だったから……。そして結局世代が上なだけで大ヒット作品ばかりに惹かれるミーハー具合も、薫とぼくはおんなじだから……。


 当人は意図していないかも知れないが、今作と『仮面舞踏会』が同年に発刊されたのは、栗本薫というミステリ作家をあらわす象徴的な出来事だと云えるだろう。現代を味気ないと嘆き、親や祖父の時代を舞台としたミステリーを描きつつ、もう一方でパソコン通信という新しいコミュニケーションの形を題材にしたミステリーも書く。そしてその双方ともが、人間の普遍的な愛憎の形を描いている。過去の時代の人でありたいという気持ちと、最先端の人間でいたいという気持ち。その両方共が栗本薫の本心であったろう。

 双方ともに力作で、双方ともに栗本薫にしか書けないミステリーである。

 まったく異なる時代の殺人事件と、そこにまつわる人の悲哀やおそろしさを描いた栗本薫が、今後この六道ヶ辻シリーズと伊集院シリーズでどのように時代ごとの殺人事件の違い点と違わぬ点を描いていくのか。栗本薫にハマったばかりだった95年当時、そう期待させるに十分なニ作であった。

 が、六道ヶ辻シリーズも後期伊集院シリーズもこの時点が頂点であり、以降はミステリーなのかすら定かではない、よくわからないシリーズになっていくんですけどね……。ていうかこの六道ヶ辻に関しては、今作がミステリーだったからミステリーシリーズだと思ってしまったけど、もしかしたら薫的にはミステリーのつもりではなかったのかもしれないなって、いまとなっては思うの……。でも、最低限でいいからミステリーの体裁は取り続けるべきだったよ……だって途中から意味わかんなかったもんホント……。

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