208 緑の戦士

1995.09/角川

<電子書籍> 無


【評】う


● 栗本薫版「よくある異世界転生もの」


 植物を愛してやまない女子高生・水村るかは校庭の桜の木が切り倒されることを悲観し、ある夜、校舎の屋上から飛び降りてしまう。だが目覚めた時、るかは緑に包まれ、植物が意志をもってしゃべる不思議な世界フロリウムにいた。悪者にさらわれた王女フロラを助けるため、花の騎士るかの冒険がいまはじまる!


 かつて「ザ・スニーカー」という雑誌がありましてのう……というラノベおじさんの昔話からはじめねばなるまい。

 名前の通り、スニーカー文庫のフラッグシップとなる雑誌で、一九九三年に季刊で創刊。九五年に隔月刊化され、以後、二〇一一年まで刊行されていた。

「ザ・スニーカー」は当時のスニーカー文庫の傾向として男性向けだったのだが、ファンタジー読みには女性読者も多い。他社ではもとより少女小説のレーベルが存在し、講談社ホワイトハートX文庫や集英社コバルト文庫などがヒット作を出し、その地位を確立していたが、後発の角川にはまだそうしたレーベルはなく、BL系の角川ルビー文庫があるばかりだった。

 そうした状況で九四年に「女性のためのファンタジー雑誌」と銘打たれた姉妹誌「ザ・スニーカースペシャル」が季刊で四号発刊されることになった。このスペシャルは当初の予定通りに四号まで出し終えた後、人気作は「ザ・スニーカー」本誌に移籍。それに合わせて隔月刊化、という流れになる。スニーカー文庫における女性読者の需要や実数を計測し、他社レーベルのシェアをどれだけ奪えるか計測するのに必要だったのだろう。

 その「ザ・スニーカースペシャル」における目玉連載のひとつが、この『緑の戦士』だったのである。


 スニーカー側としても、かなり期待していたタイトルだったのではなかろうか。九四年といえば栗本薫がまだ売れっ子として活躍していた時期だし、スニーカー文庫でも『終わりのないラブソング』がヒットしている。そして国産ファンタジー分野において『グイン・サーガ』の存在感は別格だ。その栗本薫が満を持してライトノベルレーベルでファンタジーを書くのである。奥の手を切ったという感じすらある。

 実際、この四冊だけ出た雑誌において、作家特集されたのは第一号の新井素子と第二号の栗本薫のみである。その期待のほどが知れる。単行本が文庫ではなく新書判ハードカバーという、特殊な形式で出ていることもその特別さゆえだろう。四冊しか出さない予定の雑誌だから全四回の連載で単行本一冊、という依頼だったのにハイパーオーバーして結局全三巻になってもなし崩し的に許されるくらいのVIP待遇である。というか雑誌がなくなる予定なのに「でもそんなの関係ねえ!」って続行する薫は傍若無人すぎると思います……。


 さておき、そんな今作の内容について。

 あとがきによると今作はテレビゲーム、それもスーパーファミコンのものをイメージして書かれているとのこと。なるほど、スーパーファミコンといえばパステル調のカラフルなタイトルが多く、『スーパーマリオワールド』『ゼルダの伝説』『聖剣伝説2』など、いまの目で見ても鮮やかな緑の景観が美しいものが多い。

 だが、栗本薫自体はゲームをまったくしない人であり、息子がプレイするのを眺めているだけだった、というのが、この作品の根本的な間違いとなっている。そもそもスーファミのゲームの話をしているときに『PC原人』というタイトルが出てくるくらいにゲームのことがなにもわかっていないのだ。


 この作品をゲーム的な基準で判断すると「一本道ムービーのクソゲー」の一言である。

 いや、小説なんだから一本道なのは当たり前だろ、と云われるかもしれないが、この作品にはゲーム、特にRPGの醍醐味がまったく欠けているのだ。それはつまり探索・戦闘・育成だ。未知の地を探索する楽しみ、そこで遭遇する敵との戦い、その結果としての成長、その繰り返しが、RPGの楽しみの本質だ。

 無論、ストーリーの面白さも求められているし、SFCの時代というのはまさに容量と表現力の増加によりストーリー部分を強化している時期だった。操作できない期間が一定を超えるとゲームとしての楽しみがなくなると批判されるようになるのは、CDという大容量媒体とムービー再生という表現方法を得てストーリーの比重が一気に増したPS・SS世代からだ。

 つまり、この本をゲームとして考えると(オープニングイベント長すぎ。いいから動かさせろ戦わせろ」なのだ。

 なにせ異世界にきて、王女を助けるという使命を知り、旅立つまで100ページもかかっている。この時点でこの本の四割が消化されており、当然、それまで戦闘などもない。多分、ゲームだったら自分はこの時点でかなりやる気を失っている。

 ではここまでの100ページでなにをやっているかというと、冒頭で長々と「私は植物が好きなのにみんなわかってくれなくて辛たん……死のう……」という鬱陶しい語りがまず冒頭30ページ続く。この語りが植物への愛に満ちているフェティシズムあふれるものや、植物フェチが鼻つまみ者になる過程のリアルさがあればよいのだが、ディティールが乏しく、エピソードもほとんどなく、ただひたすら「植物好きなの」と言葉で云っているだけで、ちっとも植物好きに見えないのだ。これは後年、栗本薫が「お野菜大好き!お野菜だけ食べてる!」と云いながら野菜料理のレシピはほとんど話題にせず、肉脂炭水化物料理の話はやたら充実していたことと妙にかぶる。

 これはこの後、植物の世界フロリウムにワープした主人公の反応が、どうにも植物好きに見えないことともつながっていく、今作の致命的な欠陥である。ぶっちゃけ作者があんまり植物好きでないというのが文章からひしひしと伝わってきてしまっているのだ。いっそ植物嫌いの設定くらいのほうが良かったのではあるまいか?


 ともあれこの植物好き(設定)の主人公がこの世界のえらい人(植物)である桜様の元へ行き、王女を助けてくれと依頼され受けるまでの説明パートで100ページが消費されてしまっている。しかも依頼を受けて助けに行く理由が、見せられた王女の映像に一目惚れしたというものである。

 百合である。しかもまた外見のみである。

 栗本薫の百合にいつも辛辣な目を向けている自分としては「OMG」と云わざるを得ない。せめて王女とイチャイチャさせた後にさらわれるとかしてやってよ。会ったことないけど顔だけで惚れて助けに行くとか、百合のツボついてない気がするよ……。


 でもまあ、それでも旅立ったのなら、この不思議な異世界を探索し、様々な敵を退ける冒険がはじまるのだろう。

 という期待は、まったく叶えられない。まず基本的に空を飛ぶ乗り物に乗って移動しているだけである。歩いて探索することなく空を飛んでもなにも面白くないことを、ゲームをプレイしていない薫はまったくわかっていないのだ。それまでじっくりと歩んできた道のりを中盤、後半でびゅーんと飛べるようになり、行きたくても行けなかった領域に行けるようになるからRPGの空飛ぶ乗り物はワクワクなのである。初手から飛んでどうするのだ。

 でもFF4よろしく、最初は飛空艇あるけどすぐに乗れなくなるパターンもあるから……と思っていると、この一巻のあいだはずっと飛んでいる。探索させる気なしである。飛行中に落ちかけて地面にいる巨大ミミズに食われそうになる、というイベントも一応あるが、あっさりと切り抜けてしまい、危機感が薄い。

 飛んで移動して降りたらなんか仲間キャラが増えて、また飛んで仲間キャラが増えて、というパーティー編成だけで一巻は終わっている。光の剣をもった花の騎士るかは、その間、一度も戦っていない。別に戦闘だけがすべてとはいわないが、アトラクション的な危機もない。一度、植物の首長竜に遭遇するのがこの一巻目の最大の危機だが、別に相手に敵意はないので普通にそのまま通り過ぎていってしまっている。まったくワクワク感やドキドキ感がない。

 戦闘もなく、探索しようにも一本道。

 ゲームとして見たら完全にクソゲーである。


 そもそもスーファミのゲームを意識しているのに、異世界転生した女子高生が戦うという時点でわりとPCエンジンである。『夢幻戦記ヴァリス』である。ヴァリスの元ネタの『幻夢戦記レダ』から考えるときっかり十年遅れている。十年遅れというのはちょうど一番ださく感じてしまう時期であり、これは非常に危険ですよ。

 またゲームファンタジーにはゲームファンタジーの独自の方程式というか文化ができている時期であり、それを完全に無視したメルヘンワールドである今作は、到底ゲームを連想させるような作品ではない。ゲームの持つ面白さのツボをついていない。あとがきで「もしゲームソフト『緑の戦士』が実現できたら最高です」か書いてあるが、こんなものをゲーム化しても当時の厳し目のファミ通クロスレビューで6.7.5.4とか評価になってしまうのが目に見えるようだ。


 そんなわけで、まったく冒険していないので、次の巻が気にならず、今作だけでの評価はわりとかなりダメである。そもそもオーソドックスなRPGのストーリー構成って連作短編集に限りなく近いから、『トワイライト・サーガ』みたいにいろんな場所を訪れてそのたびにボスモンスターと戦って、という構成にすれば良いだけなのに、なぜこうなってしまったのか。というかゼフィール王子を普通にお姫様にすればもう普通にラノベなのに、なぜいざラノベを書こうとしたらこうなってしまうのか。多分テレビゲームもラノベもじかに楽しんでいないからまったくその本質を理解せず、わかったような気持ちでやっているのがいけないのだろう。どの業界でも一番恥ずかしいのは素人ではなく半可通なのだ。 


 そんなわけで、この一巻は完全に駄作である。

 裏表紙にもなっている半植物の鳥トビアガリや、鬱陶しい植物の魔女ブーブーなど、一部にユニークな部分もありはするが、それでフォローが効かないほどに、ストーリー展開がまったく面白くなく、主人公に魅力がない。『十二国記』の陽子の初期もびっくりするほど鬱陶しくて好感のもてない女が特に苦労することもなくへらへら渡り歩いているのは苛立つすら感じるほどだ。かといって近年の異世界転生ものみたいにちやほやされる居心地の良さや現代の知識でチートするニヤニヤ感があるわけでもないし、どうやって楽しめというのか。

 この後、二巻、三巻で多少持ち直しはするものの、いまさら読む価値があるかないかでいえばハッキリとない。それは今作が結局文庫化していないことからも伝わってくる確かなガッカリ感だ。

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