176 家
1993.12/角川ホラー文庫
【評】うな∈(゚◎゚)∋
● 自己欺瞞を暴く名作心理ホラー
結婚して二十五年。ついに念願のマイホームを手に入れた規子。しかし、その新居では次々と奇怪な出来事が起きていく――
SFホラーはいくつかあったものの、正統派ホラーとしては栗本薫初の作品。後の作品の大半がそうであるように、今作は心理ホラー、それも女性にしか、栗本薫にしか書けない心理ホラーとなっている。
はじめ、主人公は外部の敵をおそれている。浮浪者、霊、あるいは何者か……しかし物語が進むにつれて暴かれていくのは、自身の欺瞞なのだ。良き妻、良き母であろうとし、あるつもりでいた自身の欺瞞が、次々とあばかれていく。
この作品のベースとなったのは、アガサ・クリスティの 『春にして君を離れ』だろう。『春にして君を離れ』はアガサ・クリスティの中では異色の作品で、自分の人生に満足していた初老の女性が、海外旅行の途中、なにもない町で足止めをくらい、なにもすることがないゆえに自分の半生を思い返していくという話。
彼女は良き妻、良き母としてふるまってきた自分の人生に満足し、夫や子供たちに愛されているという自信に満ちていたが、ふりかえって冷静に考え、自己の判断が独善に満ち、周囲に愛されているはおろか憎まれているのではないか、という疑念を抱いていく……という筋で、殺人事件も犯人探しもないが、順風満帆であると思っていた自己の半生の失敗を、みずからの頭脳で推理していくというあたりがクリスティらしい。いわば犯人自身がみずからの無意識の犯罪を推理していく趣向なわけだ。
ここでおそろしく、そして悲しいのは、あばかれていくのはみずからの欺瞞であり、推理しているのが自身であるため、逃げ道がないということだ。
栗本薫はこの『春にして君を離れ』を二十代のときにもっとも影響をうけた本として幾度も名をあげている。今作『家』は、その名作を栗本薫流に換骨奪胎し、ジャンルを変え、新たな作品として息吹を与えた作品と云っていいだろう。
自分の感情、自分の幻想ばかりを追い求め、周囲をないがしろにしながらそのことにすら気づいていなかった罪と、その現実と乖離した幻想の象徴としての「家」。栗本薫らしいねちねちとした文章は不安感と不快感を蓄積し、後半の崩壊へと見事につながっていく。
ただ怖い、気持ち悪いというだけの話ではなく、読んだあとも自分の人生をふりかえり、はたしてこの主人公のような過ちを犯していないか不安になるのは、よくできた物語の証左だろう。逆に、この主人公のような一面を持たぬ人、あるいは持っている自覚のない人にはまるで面白さの伝わらない話であろうとは思う。しかし栗本薫本人が『春にして君を離れ』に衝撃をうけたように、栗本薫読者ならばこのような状況や心理には覚えがあるのではないだろうか?
もっともおそろしく醜い敵は、周囲ではなく己のなかにこそある。ありがちな結論といえばそれまでだが、自己のなかにある敵を浮かび上がらせる方法として、非常にすぐれた作品の一つであると思う。
話の筋だけを追っていくならば、あるいは凡庸な話にも見えるかもしれない。だが肝心なのはそこで浮かび上がる主人公の、ひいては読者の欺瞞の心理だ。ホラーとしては異色であるが、栗本薫らしさの出た、栗本薫にしか書けないホラーとしてオススメしたい。
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