123 滅びの風

1988.11/早川書房

1993.02/ハヤカワ文庫


【評】うなぎ∈(゚◎゚)∋


● 思春期に読ませたい中二病の極み


 静かな滅びをテーマにしたSF短編集。

『滅びの風』『滅びの風Ⅱ』『巨象の道』『コギト』『返歌』の五編を収録。


『滅びの風』

 未来社会、夜半に目覚めた若夫婦は「おれたちは滅んでいくのかもしれない」という理由もない確信にとらわれる。

 特にストーリーはなく、ただ静かな滅びの予感に満ちた未来世界を描いている。なにがあるというわけではないが、その情景は静かで美しく、しかしたしかに滅びを感じる空気に満ちている。


『滅びの風Ⅱ』

 真夜中に戦車の行軍を目撃する少年。カイロにて滅びを思う作者。現代東京における、若者たちの空虚な会話。そして核ミサイル――滅びを思わせるいくつかの光景。

 前作に比べるといささか雄弁な二作目。しかしやはり特にストーリーらしいものはなく、ただいつくかの場面が無作為のように描かれている。そのすべてが、いまこの瞬間に滅ぶかもしれない、あるいは滅びつつあるのかもしれないという現実を示唆している。


『巨象の道』

 エイズにかかった夫婦が、アフリカ旅行に出かけ、そこで物思いにふける。

 ただそれだけの話ではあるが、エイズという最新の病気が、人知れず死ぬ巨象のように、人類を静かに滅ぼしていく、という事実を穏やかに受け止める空気が美しい。


『コギト』

 ある朝、目覚めると、自分以外の人間が消滅していた。しかし少女は悲しむことはなく、その現実を静かに受け止める――

 自分以外の人間すべてが消滅した世界、というのはトラウマ的な情景の一つだ。もちろん藤子・F・不二雄の短編SF『ヒョンヒョロ』のラストシーンの恐ろしさからだ。『ヒョンヒョロ』は主人公の少年が誘拐されて終わるのだが、この誘拐されたあとの情景というのが、少年以外だれもいなくなった地球なのだ。幼いころ、このシーンを目にしたときの衝撃は忘れがたい。

 しかし今作『コギト』では、主人公の少女はたやすく現実を受け入れる。醜い自分と無理解な周囲に辟易していた彼女は、むしろ解放感をもって無人の世界を生きる。

 作中では彼女がいかにそれまで不満に満ちていたか。いかに周囲のために苦しんでいたかが語られる。彼女の内面は醜く、矮小で、ひどく哀れなものだ。比べられることに苦しみ、上っ面をしか見ない世間を憎み、自分の好きなものだけがあればいいと願う。

 それはまぎれもなく孤独な読者の似姿だ。彼女ほどではないにしろ、このように世をすねた気持ちのない中高生がいるだろうか? 他人など必要ないという気持ちがない少年少女がいるだろうか?

 無論、それは人生経験のなさ、未熟さだけが許すひねくれた心情に過ぎない。しかし、だからこそ中学生であった自分にはひどくしみこむ考え方だった。

 そして、まったく彼女を理解しなかった両親が、それでも彼女を愛していたことがわかるラストシーンの悲しさ。それは理解してもらうことばかりを求め、周囲の気持ちや愛を感じとろうとしなかった自分の未熟さを痛いほどにつきつける。このラストシーンは、初読時より二十年弱、刺のように心に刺さって抜けないままでいる。ひねくれた気持ちになったとき、周囲を恨む気持ちになったとき、この刺が自分をふりかえらせるのだ。理解しようとしていないのは誰なのだ、と。

 栗本作品の中ではあまり話題に出ることもない作品だが、自分にとってはいつまで経っても抜くことのできない痛い刺だ。世をすねた十代の少年少女にこそ読んで欲しい。

 

『返歌』

 人類が滅びたあとの地球の光景を描く。

 栗本薫としては珍しく、ポエムとしかいいようがない散文になっている。

 当人はおそらく覚えていないだろうが、高校生のときにこれを読んだ兄は「泣ける要素だけで作られている」と評した。それほどに、若者の感性に訴えかける美しく静かなポエムとなっている。美しい光景があり、ただ人間だけがいない。それは悲しいことではなく、しかしなんと涙を誘う光景であることか。



 この作品集に、ストーリーらしいストーリーはない。だから、それぞれに感想を書こうにも、どうにも困ってしまう。

 だが、この作品にうけた衝撃というのは、他に類がない。

「俺たちは滅びていくのかもしれない」……レイ・ブラッドベリの作中のセリフよりインスピレーションをうけたこの作品集は、すべて静謐な滅びの空気に満ちている。それは死というものを忌避し、あるいはおおげさに望み騒ぎたてていた思春期の自分に、まったく想像もつかないような観点だった。それでいて、あまりにもしっくりとその静かな滅びは自分のなかに馴染んでいった。

 いまにして思えばそれすらも思春期らしい中二病としか云えないような感性ではあるが、しかしこの作品を、この考え方を通じて、自分はたしかに新たな視野を得た。すくなくともそう思えた。

 中高生のころ、栗本薫は自分にとって新たな世界への扉であった。それまでには知らなかった、考えもしなかった世界を見せ、考えさせてくれる契機となる存在だった。栗本薫より夢中になるゲームがあり、先の展開が気になる漫画はあった。しかし己の視野を広げてくれる、新たな世界を見せてくれる存在は、栗本薫のほかになかった。だからこそ、自分は栗本薫をただの面白い作家、好きな作家ではなく、師とも神とも仰いだのだ。

 今作は新たな世界への扉としての、代表的な一作だった。あるいは「ただの中二病の鬱妄想じゃねえか」で済まされてしまうかもしれない作品集だ。しかし良きにつけ悪しきにつけ、この作品がなければいまの自分はなかっただろう。そう断言できる数少ない本である。

 面白い、つまらないをすらおいて、多くの人に知ってもらいたい作品だ。

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