124 魔界水滸伝15
1988.12/カドカワノベルス
1992.04/角川文庫
2003.06/ハルキ・ホラー文庫
2016.09/小学館P+D BOOKS
<電子書籍> 有
【評】 うなぎ(゚◎゚)
● なにげなく組んだパーティでラスダン突入の罠
クトゥルーに囚えられた北斗多一郎を助けるため、人類と先住者から選抜された七名の勇士は、次元回廊を求め魔都・破里へと向かう。かつての花の都には魔界王を名乗る謎の支配者が君臨していた――
108の仲間(正確には三人不明なので105)が出揃い、さあ第二部ではこの仲間がいろいろとパーティーを組んで呉越同舟で戦うぞ!
……という第一部ラストのワクワク感を完全無視して、主人公と主力メンバーは修行だとかいって一時離脱するわ、ライバルキャラが出張りすぎて主人公の座を乗っとるわ、揃った仲間が強制イベントでガンガン死んでいくわ、全然期待した展開にならないまま地球軍が実質的に解散することになるという強烈な肩透かしをくらわしてきた第二部。
でも作者の手に余る軍隊をなくすことによって、今度こそ自由にパーティーを組んでダンジョン攻略だ! RPGだったら中盤で仲間が揃いいよいよお楽しみの時間といったところだ。
よーし、まずは主人公の雄介でしょ~。最大戦力の竜二でしょ~。同じく強キャラの風太でしょ~。脳筋ばかりだと詰むかもしれないから加賀先生入れて~。あ、多一郎とイベントありそうだから茨木と華子ちゃん入れてこれで六人パーティー結成!あとは非戦闘要員の同行者枠でおこん狐だね。
と、完全に魔界というか幻想な水滸伝感覚でパーティー結成にワクワクする。まだ中盤だし、苦戦したり気になるキャラがいればどんどん入れ替えていけばいいよね☆ というお気楽な感じである。
が、再読だからぼくは知っているんだ……この何気なく突入する中盤のダンジョンだと思ったものが、そのまま強制イベントの連続で一本道でラストダンジョンまで続いてしまい、この成り行きで組んだパーティーが実質最終パーティーになってしまうことを……。
なんのためにたくさん仲間を用意したの……? 幻想なほうの水滸伝もなんのためにこんなにキャラがいたのかって思うことあるけど、自分でパーティー選べるからいいけど、まかすこは本当になんのためにこんなにキャラ用意したの……? 水滸伝て深く考えずに最初につけちゃったからなんだろうけど……三国志にしなかったのはグインが三国志モチーフの作品だからなんだろうけど……。この中盤だと思って次のイベント進めたらレールから降りられなくなる感じ、最近もFF15で味わったね……。
まあ、そういう先の展開のことはともかく(うろ覚えだし)、今巻の展開である。
基本的には魔都パリの観光がほとんどであり、いつになったらクトゥルー十二神と戦うんだよ感があるが、しかしクトゥルーの領域の話にならず、荒廃した世界にそれでも適応しある種の秩序を作っている人類の姿は、飛躍した発想が必要でないからこそ栗本薫の筆に合っており、ボロが出ずに読ませる段となっている。
特にランド・シンドロームと人間とがお互いの共生できる妥協点に着地しつつあるところなどは、種のたくましさを感じさせて良い。作者的にはさっさと滅ぼすつもりだった人類がしぶとく生き延びているという、という面白さが出ている。
B級SF的ジャンプスーツに身を包む藤原華子とその一族など、ネタとして面白いシーンもあるし、永井豪もまたノリノリでそのイラストを描いている。
魔界王が作り上げた、やたらとチカチカ光るばかりのちゃちなB級SF的な宮殿なども、面白くもありつつ、魔界王の正体が六歳の子供であると判明することにより、ある種の切なさを感じさせるよいギミックである。この辺りの描写と魔界王は、明らかに栗本薫の息子と、彼が『超新星フラッシュマン』にハマっていたことをモチーフにしているのだろう。
茨木の多一郎に対する想いが長々と語られ、ちょっと鬱陶しいな……という気分になりかけたが、その恋着が直後のシーンで母性として消化されるという流れがよく、この辺りは良いメリハリ。
一方で直後に雄介も長々と物思いにふけって「俺だけが中途半端で居場所がない……」と、グインと同じたぐいの、つまりは作者が若い頃から抱えていた彷徨の想いをだらだらと語りはじめるのは「この巻では茨木が物思いにふけったばかりだからお前はもういいよ……ていうかあんたは第二部に入ってから出番のほとんどを物思いにふけることに費やしすぎ……」という気持ちになってよろしくなかった。
あと雄介の父親の安西英良が化け物だったから自分がクトゥルーの血を引いているのかどうかに悩んでいるところで、父が元から化け物だったのか途中で小者にすりかわっていたのかわからないがって悩んでいたけど、あの、先生……安西英良の姿をしていたのはダゴンです……小者じゃなくてクトゥルー十二神の一柱である大物ダゴンです……細かいことをツッコミたくはないけど、雄介の父親がダゴンか否かというのはあんまり細かいことじゃないと思うので忘れないで欲しいとです……
正直、二十年前に読んだときは「なんかセンスが八十年代というより七十年代臭がして古臭いな……」と思ったのだが、あれから二十年も経つと八十年代も七十年代も古いことには変わらんからどっちでもいいかという気分になり、逆に古臭さは感じなくなっていたのも良かったのかもしれない。全体的には二部に入ってから一番おもしろい巻であった。
マッチョ女大好きな豪ちゃんが表紙といいイラストといいやたらと茨木を楽しそうに描いているしね。
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