093 魔界水滸伝 11

1986.05/カドカワノベルス

1988.08/角川文庫

2002.10/ハルキ・ホラー文庫

2016.04/小学館P+D BOOKS

<電子書籍> 有

【評】うなぎ(゚◎゚)


● 第一部、堂々完結


 本隊との合流を急ぐ雄介たちの前に現れたのは、東京維新軍を名乗るクーデター部隊の黒幕・安西英良――雄介・竜二兄弟の実の父親であった。英良は雄介におどろくべき正体をあらわす。一方、上空ではクトゥルーと八岐の激しい戦いが続き、東京には三基のICBMが迫っていた。日本はこのまま滅んでしまうのか――第一部『魔界誕生編』、完結!


 ついに第一部の完結であるが、第二部になって増大していくまかすこの問題が本格的に表出する巻でもある。

 すなわち「あれ、クトゥルーの神々って意外と普通だね」問題である。

 初期の頃は気持ちの悪い手先だの一瞬だけの顔出しだの姿の見えない攻撃などで不気味な存在感を出していた古き者どもが、ここ数巻でデカくてキモいだけで意外と普通のモンスターなんじゃないか感が出ていたが、クトゥルーと多一郎の戦闘が描かれ、封印されていた神々が一気にあらわれるこの巻では、完全に「あ、別にデカイだけで普通のモンスターですね」という感じがはっきりとしてしまっている。戦い方もなんかよくわからないビームをビビビ~ってする銀河皇帝的なアレだし……。

 これは栗本薫の長所でもあるのだが、戦闘にいたる背景や人間関係には興味津々だけど、戦闘自体にはあんまり興味ないんだよね、薫。少年漫画もトーナメントで勝ち上がっていく方式の戦い自体を楽しむものには否定的だし。そのせいで戦闘自体は謎ビームで一発で終わったりするからね……。もうちょっと八十年代以降の少年漫画のメソッドも学んでいてほしかったですね。別に必殺技合戦しろとはいわないが、あまりにも謎ビームばかり過ぎてね……。


 そしてここで本作最大のツッコミどころ、クトゥルー十二神の勢揃いである。

 このクトゥルー十二神というのは、クトゥルーが主神で一番えらく、その下に十一の神々がいるという設定で、アザトートやナイアルラトホテップもクトゥルーより格下の設定となっている。完全にオリュンポス十二神的にクトゥルーの神々を解釈している。

 もともとラブクラフトの書いたものだけでは不明瞭な設定も多く、後の作家が勝手に書き足していったものだとはいえ、ここまで仲良くみんなで地球侵略している古き者どもがほかにいるであろうか。もはやオリュンポス十二神といっても神話のそれではなく『リングにかけろ』のギリシャチームである。多一郎さんのギャラクティカファントムがうなるしかない。

 まあ、あんまり自分もクトゥルーの設定に詳しくないし、あんまり設定厨になるのはクトゥルー本来の宇宙的恐怖の楽しみ方と違う気がするのでうるさく言いたくはないのだが、あまりにも解釈が少年漫画的過ぎないだろうか……。ニャル様ガメラだし……。ていうか地球に封印されていたのかいアザトートさん……。


 まあ、自分は初めて本格的に触れたクトゥルー物がまかすこだったから、最初は全然気にならなかたんだけどね。でもいまとなっては大胆すぎるよねこれ……。まあ当時のゲームでも『邪聖剣ネクロマンサー』とかでアザトース様が普通にドラクエ的な魔王やっててクトゥルーの神々が邪聖剣ネクロマンサーでサクサク殺されていったりしてたし、『アーネスト・エヴァンス』というメガCDのゲームではハスターがムチでぺちぺちやられて普通に死んだりしてたけどね……。初期のあとがきで栗本薫が触れていた風見潤の『クトゥルー・オペラ』でもわりと現代兵器でばんばん邪神が殺されてたらしいし、わりとおおらかな時代ではあったんだけど。それでもでもやっぱりアザトース様が魔王でニャル様が人間に干渉してくるトリックスターってところはたいてい外さないんだけどね。薫は思い切りの良さが違う。


 しかしまあ、実際登場してみると期待していたほどでは……という問題は、ホラー作品にはつきものではある。だからこそなんとか誤魔化そうとするのだが、薫はその辺、思い切っちゃうからなあ。この時期のまかすこと近い時期に書かれた『ゲルニカ1984年』でも前半のなにかが起こりそうな恐怖はよかったのに、後半はダークパワーが出てきてなんかしょぼくなってたし、薫はその辺はもうちょっとごまかす努力しても良かったんだよ……?

 

 と、いきなり不満というかツッコミというかをぶつけてしまったが、この巻の前半の展開自体はスペクタクルである。日本に迫る核ミサイル。それを身を挺して止める天地創造の蛇神・女媧。揺れる神州に目覚めて雄介のもとにあらわれるミイラ化した役小角と、負傷した多一郎との共同戦線、と第一部完結らしく、なかなか見所の多いくだりだ。

 が、中盤で明らかにページをもてあましている感があり、だらだらとした組織編成の詳細や多一郎との長々した対話など、別につまらなくはないんだがクライマックス感を減じるような「いまやらないでも……」と云いたくなるようなシーンが多く、やはり本当は前巻で完結させるつもりだったけどできなくて、けど一冊分のエピソードは考えてなくて、さてどうしよう、まあ書き続けること自体はいくらでもできるからとりあえずだらだら書いていくか的な姿勢が垣間見える。自分では「自然にこのページ数になった」的なことをよくいう薫だが、明らかに中盤でページ数稼ぎをしている作品がけっこうあって、慣れると一発でわかってしまう。

 これだと十巻を分厚くして多少強引にでも十巻で第一部完にしたほうが良かったんじゃいかなという感じがある。11巻までが第一部で20巻までが第二部ってのもなんか中途半端でもやもやするしね……。 


 そんなわけで、第一部の完結巻としては、いままでに比べるとちょっと落ちる出来かな、と云わざるを得ない。

 だが最後でついに百八星の名が次々と明かされるくだりだけで、「ついにここまで来た……!」「俺達の戦いはこれからだ!」感があるため、読み終わったときの満足感はある。

 原作の水滸伝にあてはめ、それぞれの宿星のキャラの今後を予想するも良し。まだ名前しか出てきていないようなキャラたちの今後の活躍に想いを馳せるも良し。伏せられた最後の三名の正体を予想するも良し。ここまでの展開とこのリストだけで数年は楽しめそうな、ひとまずの幕引きとしては十分すぎるものであった。


 第一部完ということで、ここまでの感想の総括を。

 はじめに書いたように、初読持よりは読書経験も格段に増え、元ネタとなった永井豪作品も多く読んでしまったいまとなっては、かつてのようにこのシリーズを楽しめるか不安であった。だがそんな不安をはるか彼方に吹き飛ばすほどに、魔界水滸伝はやはり抜群に面白かった!

 『デビルマン』の影響は大きすぎるが、この第一部はあの大名作に決して負けてはいない傑作である。初期設定を平然と放り投げる設定変更や矛盾点、ツッコミどころの数々すらも愛おしい、最高のエンターテイメントだ。

 また次々と魅力的なキャラが出てくるがいつ誰が死ぬか予断の許さず、そもそも主人公が誰かわからず作者すら「主人公はまだ出てきていない」という先の読めない展開の面白さはも2000年代に数々のヒット作を出したバトルロワイヤル系の作品のはしりでもあり、同時に「この人物の正体はあの妖怪かな?」と予測する楽しみは『Fate』シリーズにも通じ、このシリーズがヒットするべくしてヒットした作品であることを再認識した。

 なにより、読んでいてこんなにもワクワク、ニヤニヤできる作品は、滅多にない。


 ぐだぐだと長い感想を垂れ流してきたが、 いまの自分が云いたいのは、ただひとつ。

「みんな、まかすこは最高だぞ」

 それだけだ。

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