076 火星の大統領カーター
1984.11/ハヤカワSF Special
1988.03/ハヤカワ文庫
<電子書籍> 無
【評】うな∈(゚◎゚)∋
● 薫のSF愛に哀
有名なSF名作のパロディ作品ばかりを集めた短編集。しかもただの短編集ではなくて、当時にはすでに絶えて久しかったレーベル、ハヤカワ・SF ・シリーズ(通称「銀背」)の装丁を再現したハヤカワ・SF・スペシャルという、この本のためだけのレーベルで発売したというのだから、どれだけ栗本薫が厚遇されていたかわかるというもの。まあ『グイン・サーガ』は早川の稼ぎ頭だし、旦那は当時のSFマガジンの編集長なんだから、そりゃ多少の無茶も通るわな。
とはいえ、実に無茶だ。なにせわざわざ銀背で出す理由は「かつて愛した著作群の表紙のなかに自作を加えたい」という、ただそれだけなんだから。
『火星の大統領カーター』『エンゼル・ゴーホーム』『ロバート・E・ハワード還る』『ナマコの方程式』『最後の方程式』の五編収録。
『火星の大統領カーター』
エドガー・ライス・バローズの『火星の大元帥カーター』のパロディ作品。
大統領選挙でレーガンに敗れたジミー・カーターが、気がつくと火星にいて大元帥カーターと遭遇して云々というギャグ小説。
日本だとバローズの火星シリーズと云ってもSFファン以外には「誰?」だと思うのだが、『ターザン』の作者だと云えばだれもが理解する、そんなバローズ。今年二〇一二年には『ジョン・カーター』のタイトルでディズニー映画になったものの、映画史に残るレベルの大赤字になったと評判の火星シリーズ。
栗本薫ファンには『グイン・サーガ』、特にノスフェラス篇の元ネタとして有名な火星シリーズ。じつはいまだに読んだことがありません。しかしカーター元大統領の名前だけで火星シリーズとくっつけた今作の強引さはよくわかります。
話自体は典型的なドタバタで、高橋留美子チックというか吾妻ひでおチックというか、ギャグセンスのあまりない栗本先生のことだから、決して抱腹絶倒というような作品ではないですね。
ただ、とても楽しそうに書いていることだけはよく伝わるので、大変微笑ましいです。
『エンゼルゴーホーム』
『幽霊時代』に収録された作品の再録なのでそちらを参照。
『ロバート・E・ハワード還る』
こちらはロバート・E・ハワードの描いたヒロイックファンタジー『英雄コナン』のバロディ。
泥酔した大学生が、ある夜、家に連れ帰ったのは、なんとあのコナン・ザ・グレートだった。友人たちはみな興奮して喜ぶのだが、言葉も通じぬ蛮人コナンを次第にもてあましていく……
この作品は、とても好きだ。
栗本薫以外の作家ではほとんどみないテーマの作品だが、栗本薫だけは幾度もこのテーマをあつかっている。『ライク・ア・ローリングストーン』や『魔都 恐怖仮面之巻』などがそうだ。これらはいずれも非凡なる存在にあこがれ、そのチャンスをのぞみながら、いざそのチャンスを前にしてみずから逃してしまう話だ。
大事なのは、みずから逃してしまうことだ。あるいは臆病さによって、あるいは無力さによって、ヒーローになることを望んでいながら、チャンスを前にして自分はヒーローになどなれないと悟ってしまう。退屈な授業中、教室にテロリストが乗りこんできたときのための脳内訓練を欠かさないようなタイプの人間にはたまらなく悲しい結論だ。チャンスがないからヒーローになれないのではなく、チャンスがあっても自分は挑むことすらしない、という現実は。
その事実を、自虐的な痛々しさではなく、郷愁にも似た切なさをもって栗本薫は描く。
今作は日常の中に突然起こった理不尽への右往左往を描くシチュエーションコメディであり、論理的な解決や気の利いたオチなど用意されていないが、だからこそ平凡な人間の無力さが浮き彫りにされ切なく、車の列の向こうへ消えていくコナンの姿が美しくうつる。
我々はどこまでいっても英雄に憧れる低俗な凡人にすぎない。英雄コナンがどこまでいっても美しき蛮人でしかあれないように。
このテーマの作品としては長編の『魔都 恐怖仮面之巻』こそが集大成であるとは思うのだが、しかしシンプルなテーマであるだけに、短編のこの話の方がうまくまとまっており、美しいと思う。
グインはコナンよりは理知的ではあるが、栗本薫がファンタジーのヒーローになにを見、求めているのか、この作品を読むと知ることが出来、英雄グインを見る目により深みが出てくるのではないかな。
『ナマコの方程式』
トム・ゴドウィンの『冷たい方程式』のパロディ。
説明するまでもないような有名な作品だが『冷たい方程式』はある一人乗りの宇宙船に少女が密航してくるが、燃料と操縦技術の問題により、どう考えても少女を宇宙空間に放り捨てるしかない、という話。
いわゆるカルネアデスの板の問題をSFモチーフで見事に描いた短編で、寡聞にして最近まであまり知らなかったのだが、国内外の多数の作家にバリエーションが作られ「方程式もの」と呼ばれる一ジャンルまで築いているとか。自分が他に読んだことがあるのは、筒井康隆と吾妻ひでおくらいかな。
この話はその「方程式もの」の一つで、密航者が少女ではなく巨大ななまこ型宇宙人だった、というもの。もう設定の時点で八十年代風ドタバタSFコメディにしかならないと思うだろうが、実際そうなのだからほかになにも云いようがない。
ちょっとブラックなオチがついているので、意外と悪くはない。
まったくの余談だがバリエーションも含めた「方程式もの」で一番の名作は、藤子・F・不二雄の短編『カンビュセスの籤』だと思う。
『最後の方程式』
これも『冷たい方程式』のパロディ。それに加えてハインライン、あるいは『1984年』や『華氏四五一度』のような、独裁下からのレジスタンス小説でもある。
かつて革命の士であり、いまは独裁者となった男の片腕と呼ばれていた老ヤンは、銀河辺境の輸送船をほそぼそとつづけるだけの人間になっていた。そこに密航していたのは、若き革命の志士だった。独裁者を倒す英雄を救うために密航したというが、その監獄星にたどりつくためには老ヤンか若者かどちらかが船外に出なくてはならない……
パロディといってもコメディではなく、いたってシリアスな重苦しい話で、これもまた名作。
若き革命家と、かつて革命を起こし現実に敗れた老人の間で、美しき平等な世界をのぞむ理想と、死にたくないという現実が交錯しつつ、お互いの距離を測る二人の心理サスペンス。
正義に燃え自分の命を捨てることすらいとわない若者のなかに芽生える、正義であるがゆえの傲慢さ。先のない自分の命の無意味さをしりながら、老人の胸中に湧きあがるおさえることのできない一瞬の激情。どちらもが人間として正常な、ありえる反応なだけに否定することができない。
全篇をおおう老ヤンの重い絶望が上質な空気を作りだしている。特に子供のころ、親と「宿題やりなさい!」「いまやろうと思ってたのに云われたからやる気なくなった!」という感じの会話をししたことのある人におすすめしていきたい。
総じて面白く、SFへの愛に満ちています。あとがきも栗本薫なりのSFへの愛と喜びに満ちていて微笑ましいし(まあSFマニアに受け入れられなかったことに対する愚痴とかもあるけど)、パロディ・オマージュ作品集としては笑いあり涙ありのかなり上質な一品でしょう。
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