良くある異世界モノラノベ

ニコウミ・ウミタ

プロローグ

立浪一騎

『一発だ――――ッ』


 微睡む意識の中、何故か、その叫びだけが耳に響いた。気持ち良い揺れと、眠りを誘う睡魔。冷たいリングの感触が頬を冷やし、擦れる視界が暗闇を作る。

 このまま睡魔に身を任せて眠れば気持ちが良い筈だ。そう想うのに、心は眠ることを拒み、自分の。

 立浪たつなみ一騎いっきの意識を起こそうとする。

 自分の中で、楽に逃げる自分と苦に歯向かう自分が闘う。起きろと叫び続ける心と、眠れと誘う身体。

 だが、まぁ―――結局、この時。一騎は目を開ける事をしなかった。

 


『あの神童がワンラウンドKOだとよ』『五秒しか持たなかったらしい』『所詮はそんなモンなんだよ』『期待を裏切られた気分だ』『プロじゃ、ああいう奴は勝てないさ』『メディアが取り上げたピエロだな』『次も負けるだろう』『偶然が続いただけ』『もう終わりだな』


 様々な声が一騎を責め立てる。



 たった一回の敗北なのに。

 


 ――――たった一回の敗北で、一騎は全てを失っていた。





◆◆◆◆




 人通りが全くない道を立浪たつなみ一騎いっきが歩いている頃、時刻は既に真夜中を示していた。

 寂れた公園には薄暗い電灯が妖しげに光を放ち、自動販売機の消えかけている明かりが点滅している。平日の深夜と言う事もあり、辺りに人気はまるで無かった。

 当たり前か。十八歳とは言え、まだ高校生の自分が悠々と帰る時間帯ではない。逆に人が溢れかえっていた驚く話だ。

 しかし、何時もよりかは帰宅が遅くなったかとポケットにねじ込んだ携帯を取り出す。暗い画面が一騎の顔を映した。

 約百九十センチの高身長に鍛え抜かれた首の筋肉。黒の短髪に硬い顔付きで、鋭い吊り目が画面を睨んでいた。額には深い傷跡が残り、彼の顔を余計に恐くしている。

 母親曰く、百人中九十人がヤクザと勘違いし、三人がチャカを取り出し、六人が頭を下げ、変人の女が一人惚れる顔との事。自分の顔ながらどんな顔だと言いたいが、強ち間違っていないのだから笑えない。

 携帯を操作し、メールを確認するが、生憎と一件もメールは来ていなかった。


「まぁ……あのお袋が息子の心配なんざする訳ねぇしな……」


 自由気まま唯我独尊を人にしたような母親だ。父親が亡くなった時も対して動じてなかった母が、この程度で心配するなど有り得ない。念の為の確認だったが無駄だったようだ。

 ふと、顔を上げると、暗い電灯から一人の少女が姿を現す。長く艶やかな黒髪を揺らし、おさげの髪が肩から垂れる。あまり住宅がない場所だ。この辺りで同い年の少女が歩いてるとなれば。


「―――やぁ、カズ。こんばんは」


 それは幼馴染みである桜井さくらい優花ゆうかくらいだろう。


「――何時までカズって呼ぶんだよ、テメェは。俺は一騎イッキだっての」


 からかうように言う。

 黒の艶やかな長髪を揺らし、人を試すようなニヤついた笑みが印象的な美少女。一騎とは四十センチも低い身長にも関わらず、彼女は物怖じせずに口を開く。


「愛称さ。良いだろ、別に。それより、ボクシングの鍛錬帰りにしては些か帰りが遅過ぎると想うけどねぇ……それに」


 優花の瞳が一騎の身体を舐めるように見廻す。頭から足の先まで。そして赤黒く濡れた拳で目が止まり、優花は浅い溜め息を溢して、わざとらしく肩を竦めた。


「手に血が付いてるよ。服も汚れている」

「……ちょっとスライディングの練習してたんだよ」

「深夜帯にスライディングの練習している君を見たら間違いなく通報沙汰だよ。また喧嘩・・・・かい。君も飽きないねぇ……」

「俺だって好きでやってねぇよ 」


 生まれ付き、変えることが出来ない部分。一騎の目付きはかなり鋭い。別に鋭くしたくてしている訳では無いが、この目で人を見ると、見られた人間は睨まれているように感じてしまう。

 要するに、街を歩く宜しくない青年達に良く絡まれるのだ。


「ボクシングを習っている人間が防衛であろう殴れば警察沙汰になるよ?」

「無抵抗で殴られろってか。俺はそんなに聖人君子じゃねえよ。人を見ずに殴ってきた奴に言え」

「逃げろって言っているのさ。幼馴染みとしての忠告だよ。君に何かあれば美鶴みつるも心配する」


 優花の言葉に気まずく顔を背ける。

 桜井美鶴。優花の妹であり、十二年前の事故で盲目になってしまった少女。一騎にしてみれば美鶴は妹同然であり、自分の頭が上がらなくなる数少ない女性だ。あの人懐っこい雰囲気で悲しげにされると心が揺さぶられる。


「わぁってるよ……」

「なら良いさ。喧嘩はもうしないようにするんだね……私も、心配する」


 この顔だ。

 美鶴と同じ優花もこの顔をする。似ても似つかぬ姉妹なのに、必ず似ている表情を浮かべるのだ。この顔に何度もどかしい気持ちを味わったか。


「……だあぁっ!! 分かったつってんだろ、もうしねぇよ!」

「それでいい……じゃあ、僕は行くよ。また明日」

「行くって何処に行くんだよ。女が一人で歩くのは危ねぇだろ。俺も着いてってやるぜ?」


 問いに帰ってきたのはニヤついた笑み。


「そんなに声を張らなくても良いだろう? 私が一人で歩く事が心配でたまらないのかな」

「んなに声出してねぇだろ……」

「君の低い声は響くんだよ。君が意識しなくてもね。それに、別に君が心配するほど遠くに行く訳じゃない」

「あ? そうなのか?」


 優花はそのまま一騎の腕を軽く叩き、手を振りながら背を向けて歩いていく。首を回し顔だけを此方に向け、


「帰る途中だよ、ツンデレくん」


 またからかうように言い、去って行く。

 その背中を見送り、頭を搔く。昔からの付き合いで何だかんだと一緒に過ごしてきたが、どうにも言いたい言葉が上手く言えなくなる。

 全く。


「……惚れた弱味って奴かね。ハァーっらしくね……彼奴に惚れてるなんざ……まぁいいや、帰ろ」


 自分が呟いた言葉に自分で寒気を感じ、腕を摩ると、自宅への階段を駆け上がる。新築アパートの一室。母親が家に飽きたと言って越したばかりの家だ。未だに違和感が拭えない玄関を開け放ち、家に入る。


「ただいま」


 零すように言い、部屋に踏み入れると同時に携帯が震えた。久しく無かった通知に口を脱ぎつつ目を向けると、差出人の名前には桜井優花。

 別れてから対して時間が経っていないが。何か在ったかとメールを開いた。


『君の声は離れていても聞こえるよ』


 短い文章。

 離れていても聞こえる? 何が言いたいのかと頭を捻る。其処で気付いた。優花が離れてから呟いた自分の言葉は。


「……イィッ!?」


 あろう事か、最も聞かれたくない言葉だ。

 素っ頓狂な声を上げ、メールの残りを慌てて見る。


『明日、お昼に何時もの喫茶店で待ってる』


 それだけ。掌で顔を覆い天を仰ぐ。

 やってしまった。長年、心に秘め続けていた心情がこんなにあっさりとバレてしまうなど。

 何時もの喫茶店とは、優花の両親が経営している個人営業店の事だ。まさか、あの女は 両親の前で自分に告白させるつもりなのか。

 脳裏に焼き付いたニヤつく笑みがからかうように笑う。実に。


「笑えねぇーって顔ね」


 目の前から聞こえた声に顔を上げる。其処に立っていたのは四十代の女性。だが、体付きは三十代と言って差し支えなく、本人は若い頃に過酷な運動をしていたからと言う。

 そんな気怠さを残る表情で、一騎の母――立浪和子は言う。


「うっせ……」

「ふぅん。まぁ良いけど。丁度良いとこに帰ってきたね、そのまま靴を脱がずにストーップ」

「いやちょっと待てよ……これ現実か……」

「右頬を差し出すなら殴ってやるわよ」

「遠慮するわ。つかなんだよ、こちとら練習で草臥れてるんだぜ」


 やってしまった現実に項垂れていると、和子から小銭入れを投げられる。横目で軌道を確認し、難なく掴み取ると問い掛けるようにぶら下げた。


「おい……また俺が買い出しかよ」

「良いでしょー。アンタ、優花ちゃんの家に通い詰めて飯喰う毎日なんだから。たまには母親に親孝行しなさいな」


 和子は軽く手を上げ


「んじゃ、ビールみっつ、よろしくぅ」


 そう言いながら部屋に戻っていった。こっちの返答もろくに聞かない自分勝手な頼み事。これも、何時もの事だった。軽い溜め息を吐き、脱ぎかけていた靴を履き直して玄関を開ける。

 小さな頃から、女性の頼み事は二つ返事で返し、理不尽な我が儘は女だろうが、打っ飛ばせと育てられた影響なのか。母親であろうと女性の頼み事は断れない質になっている。

 何時もの変わらない日常だ。どうせビールを買って帰る頃には爆睡した母親を見る事になる。断れば良い物と我ながら想うには想うが。


「あ、そうだ。ちょっと待ちなさいよ、一騎」

「あ?」


 そんな自分自身の融通の利かなさに、呆れながら、アパートの階段を降りようと視線を降ろした時、また呼び止められる。少しの不機嫌さを顔に表して振り返ると、母親はいつもと変わらぬ表情のまま、唯、此方を見つめていた。


「私、アンタのこと上手く育てられたと想うわ」

「……はぁ?」


 いきなり何を言い出すのだろうか。訳が分からず、呆れた顔を返すも、母はなんでも無い口調で言葉を続ける。


「まぁ、少しぶっきらぼうと言うか、がさつな感じに育ったと言うか。無愛想で気も効かないし、鈍感で馬鹿で、喧嘩強さくらいしか取り柄無いけど……でも。悪くはないと私は想うのよ。だから……うーん……もっと色々言える母親なら良かったんだけどねぇ……」

「……マジでなんだよ? 熱でもあんのか?」

「かもねー。まぁ、いいや。アンタ、好きにやりなさいよ。言われなくても好きにやるでしょうけど」

「何が?」

「良いわ。気にしないで。じゃ、買い物よろしく―――帰ってこなくても、文句は言わないわよ」


 それを言い終わると同時に、玄関を閉めて部屋の中に消えていく。何が言いたかったのか、まるで分からない。支離滅裂、主語が無い言葉に含まれた何か。


「……いや、なんだよ。訳分かんねぇな……ったく。帰ってこなくても良いだ? 買い物くらい出来るつうの。ガキか俺は……」


 何時もと様子が可笑しい母親に、小さく首を傾げ、一騎は階段を降りようと一歩を踏み出し。




 そして



「―――」



 “立浪一騎は爆発に吹き飛ばされた”

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る