甘い止まり木

夢渡

第1話.村の薔薇

「ここだな」


 到着早々若い六人は重い息を吐く。視界全体に広がる緑の風景は、前方にぽっかり広がる空洞を、より一層異質なモノへと変貌させていた。


「くそっ――生きていてくれよ、ローザ!」


 男が怒る様に祈りの言葉を吐き捨てる。ローザと言う女性は、近々男の下へ嫁ぐ予定だったのだ。


「落ち着けよ、化け物に連れ去られてまだ半刻程しか経ってない」


「察してやれよハンス。未来の嫁さんなんだ、平静でなんていられるはず無いだろ?」


 ハンスと呼ばれた男は、今にも弓から放たれんばかりに震える男の様をみて、やれやれとため息をつく。


「すまねぇ、あたしがついていながらみすみすローザを化け物なんかに連れ去れれちまって……」


「気にするなエメラダ。むしろよく堪えて俺達に教えてきてくれた」


 ぐっと下唇を噛み翡翠色の短髪を掻き毟るダークエルフは、半刻前まで隣にいた友の顔を思い浮かべて視線を落とす。彼女を連れ去った異形の化け物は、一人のダークエルフではどうしようも無いほどに大きく、そして異質すぎた。


「時間が惜しい、無駄口はその辺にしてそろそろ中に入ろう。皆、準備は良いか?」


 リーダー格の男が合図を送ると全員が武器を構えて口を紡ぐ。彼らの住む集落では戦える者は多くは無いが、彼らにとってこの程度の荒事は日常茶飯事で、慎重に、されど堂々と洞窟の中へ足を踏み入れ消えていった――誰しもが無事帰れるだろうと信じて……。





 薄暗い空間に一定のリズムで響く水音は、部屋より深い暗闇に浸る男の意識を呼び覚ます。意識の戻った彼が最初に見た風景は岩肌の地面で、苔の青臭い臭いが彼の嗅覚を刺激した。


「――――ここは、どこだ?」


 男以外、誰も見当たらないその場所で自問する様にこぼした声は、しかしそれを合図にして引かれる左腕と、よく知る男の声によって返答を得る事となる。


「良かった、目を覚ましたんだな。隣に居たのはあんたか」


「その声は――ハンスか? ここは一体何所なんだ?」


 洞窟には不釣り合いな黒く人工的な壁に、仲間への問いを投げ掛ける。意識を失う前の彼の記憶は曖昧で、はっきりと思い出せたのは、自分が仲間達を先導して洞窟へ足を踏み入れたところまでで、何故こんな場所に倒れていたのか皆目見当がつかなかった。


「俺も詳しくはわからないんだ。化け物に襲われて散り散りになったその後、薄暗い洞窟を歩いていたまでは覚えてるんだが……」


 ハンスの言葉に途切れる前の記憶を思い出したのか、それとも化け物の姿を思い出したのか、男の顔は青くなり、怖気が全身を強張らせる。咄嗟に空いた左手で口を抑えようと腕を引くが、何故か腕の先は異様に重く、口元に辿り着く左手よりも先にドンッと壁の向こうで鈍い音が響いた。


「お、おい急に引っ張らないでくれ」


「あ? いや俺は――」


 男は引き寄せようとしていた左腕を見て――瞳孔が開き頭の中が白くなった。

 視界の先にある左腕。その先にある筈の左手は、どれだけ引いても見当たらず。壁に開けられた小さな穴を通し、ずっとずっと、腕だけが伸びていた。


「なっ、なんだこれはっ⁉」


「お、落ち着け! それ以上引っ張っても、あるのは“俺の腕”だけだ!」


 静まらぬ心音を耳で聞き、一呼吸おいて異形となった腕をよく見ると。穴の先まで続く腕は、一定距離より先は別物だという事が分かる。彼が引く度にドンドンと壁に響いた音は、この腕の先にあるであろうハンスの体だった。


「なんなんだ、どうしてこんな事に……」


「俺もさっき確認した時は驚いたが、どうやら俺とあんたの腕はくっついてるらしい。おかげでこの小さな穴を通して、お互いの腕の分だけしか動けやしない」


 落ち着いた口調で状況を説明するハンスの声は、しかし男には話半分も聞こえていない様だった。通常では考えられない異常な状況に、彼の耳には自分の心音だけが煩く耳を覆う。彼は確かに旅人として旅を続けた経験も豊富で、人を纏めることに長けていたが、常軌を逸する出来事にはまるで免疫が無かったのだ。


「こ、これは例の化け物の仕業――なのか?」


「そこまでは分からないが……ともかく、このままじゃ二人ともここでのたれ死ぬだけだ。お互い脱出する手段を考えよう」


 そう声が響いた瞬間だった――重く大きな音が両部屋を震わせると、石を引く様な音と共に、天井からぱらぱらと小石が落ちて、彼らの背中へ降り注いだ。

 何事だと慌てふためく男は、状況を把握しようとするハンスの行動を阻害する。きつく窘められてようやく落ち着いたが、上を見上げて再び悲鳴をあげる。


「て、天井が落ちてきてるッ‼」


「くっそ! そういう部屋か!」


 もはや洞窟に入る前の立場が完全に逆転するどころか、幼児をなだめる親子の関係となって、二人は脱出する手段が無いかと部屋を探る。ハンスになだめられながらも、迫る天井に悲鳴の数が大きく増える男は、半狂乱になって薄暗く狭い部屋を血眼になって散見すると、反対側の壁の下に落ちる小さな石の陰に、奇妙な窪みを見つけ伸ばした足で石を退ける。


『この部屋から出たいなら、腕と仲間の犠牲を覚悟しこれを引け』


 ――石の下にはそう書かれた張り紙。そして先には片手で引ける程の小さな取っ手が窪みにすっぽりと収まっていた。


 喚き声が収まり、心配するハンスの声が壁の向こう側から聞こえる。だが男に声は届いていない様子で、その取っ手をただ凝視するだけ。

 異常を感じたのかハンスが穴の向こうから腕を引いて声をかけると――それを感じた男は、鬼の形相で飛び上がった。


「いって――おい! 急にどうしたんだ! なにか見つけたのか⁉」


「ヒッ、ヒィ! ア゛ァァァァァァッ‼」


 人のものとは思えぬ雄叫びを上げながら、男は取っ手に飛びついた。壁の向こうでずっと彼を心配していた男の怒声は、一際大きな音と振動、そして一瞬の悲鳴と左腕に走る激痛と共に消える。

 部屋の天井は静かに動きを止め、引きちぎるが如く引かれた取っ手の先には伸びきったロープが役目を終えて、隠された通路がぽっかり口を開けていた。

 男は惚けた顔で取っ手を離し、倍に伸びた千切れた左腕を気にする事も無く出口へ歩く。一歩毎に部屋での出来事を忘れているのだろうか、その顔は解放される解放感に酔い痴れていた。


 暗く続く通路を進み、すっかり何時もの自分を取り戻した頃。ようやく明かりが見えて、清々しい笑顔で出口へ走る。

 だが光の先に待っていたのは大きく口を開けた地面と、正面の鏡に写る馴染み深い男の姿だった。


「な、なんで――なんでハンスがここに居るんだ?」


 穴の先にある壁に掛けられた大きな鏡に映し出されたのは、自分の意志で動く友の姿。地面をこする程に伸びた左腕からは血がぼたぼたと零れ落ち、思い出したかの様に痛みに震える。

 痛みと混乱の中で眼前の穴に落ちそうになるのをぐっと堪えてもう一度鏡を見ると、以前変わらぬ友の姿を写す鏡に、今度は赤い文字が滲むようにして浮かび上がる。


『おまえ を ころした のは だ あ れ?』


 文字を読んでしまった刹那、体の自由が奪われる。部屋の地面の大半を占める大きな穴との間にある僅かな地面を、制御の奪われた体はじりじりと前へと進む。

 目と耳と鼻と口と手足と、体の五感すべてが自分のものなのに、自分の意志では動かない体。焦り震える声を上げて、正面に写る鏡の自分を見つめる男。


「――なぁハンス、お願いだ、頼む! 助けてくれぇ」


 絞り出すようにして友に慈悲を求める声は、底の見えない暗い穴へと消えていった。





「足、大丈夫か?」


「あぁ、少し挫いただけだ。悪いな」


 何度目かの罠を抜けて男二人は洞窟の奥へと進む。だがそれは仕方なくからの選択で、残りの四名とはぐれた後、ぽっかり空いた外への退路は存在しなかった。

 進む先には罠・罠・罠。それも自然に出来た様な罠なんかではなく、明らかに人の手による人工的な罠が襲い掛かる。二人は既にただの化け物の巣では無いと気付いていたが、それでも進まざるを得なかった。


「こんな所に連れてこられて、ローザはもう――」


「弱音を吐くな。今はとにかく前へ進もう」


 入り口だけは洞窟だった迷宮を更に奥へと進んだ先に、再び扉が待ち構える。次は一体どんな罠があるのかと二人は息を吞んで扉を押し開くと、地面一杯に描かれた魔法陣の中央に、この迷宮の主だと言わんばかりに化け物が鎮座し、その眼前には両手を拘束された赤い髪の女性が捕らわれていた。


「ローザ‼」


「――コール! ロバート! 助けに来てくれたのね!」


 肩を貸していたロバートは、コールを置いて急ぎ戦闘準備をする。コールも挫いた足を庇いつつ、魔物除けの香を準備し予備の弓に矢をつがえる。

 突然の侵入者に化け物は怒りを覚えたのか、体のあちこちから腐臭を撒き散らし、肉の塊で出来た幾つもの触手を二人目がけて打ち付ける。ロバートは左右に避けてローザめがけて突き進み、コールは咄嗟に転がる事で難を逃れる。

 畏怖する巨体と醜悪な姿から繰り出される攻撃は確かに恐怖の対象ではあったが、その攻撃は操り人形の如く単調で、冒険者時代に修羅場を潜り抜けた二人にとってはあまりにも幼稚な攻めでしかなかった。


「よしいける! ローザ、こっちに!」


 拘束していた触手を叩き切り、ローザを化け物の下から救出する。ロバートが合図を送ると、コールは準備をしていた香を化け物めがけて投げつける。効果があるかは不安だった二人だが、香を浴びた化け物は、腐臭を出していた穴から奇声と体液を撒き散らし、部屋の壁をぶち抜いて何処かへ走り去ってしまった。


「コールぅ、ロバートぉ……」


 捕らわれていたローザは、よほどの恐怖を植え付けられたのか、肩を震わせ助けたロバートにしがみつく。辺りの警戒をコールに任せ、ロバートは顔を埋める彼女の安否を確認し、すぐに脱出の為の準備を始めた。


「もう大丈夫だローザ。でもここからすぐに逃げないと――ハンスやエメラダ、他の皆は来なかったか?」


 ローザは胸板に擦り付ける様にして頭を振る。ここに辿り着いたのが自分達二人だけだと知ると、二人は脱出と合流の算段を立ててゆく。入って来た入り口は既に無く、新たな道は化け物がぶち抜いた先にしか存在しない。


「戻っても袋小路だ。お前も足を挫いてるし、こっちにはローザだっている。危険だがこのまま進んで先に脱出しよう」


「……そうだな、一度脱出して助けを呼ぼう。ここは普通の魔物の巣じゃない」


 ――――大丈夫、その必要はもう無いわ。


 瞬間。部屋の地面が盛り上がり、石レンガの地面を食い破って現れた化け物は、床に転がるコールを捉えあっという間に地中に消える。ロバートが叫ぶようにコールを呼ぶと、大きく空いた穴の奥からはコールの絶叫がこだまする。


「そん――な、コールが――」


「今のうちよロバート! 早くここを離れましょう?」


「駄目だ! コールを置いてはいけない!」


 そう――と一言呟くと、ローザは再び胸の中で肩を震わす。だがその震えは恐怖によるものでは断じてなく、漏れる嗚咽は笑いを堪えるもので、それに気付いたロバートは、怒りを込めて彼女の体を引き剝がす。

 そうしてやっと顔を上げた彼女の顔は、満面の笑みで塗り固められていた。


「なっ――なにが可笑しいんだローザ‼」


「ご、ごめんなさい。そうよね、そんな貴方達二人だから罠を乗り越えてここまで来れたのですものね」


「なん、だって?」


 まるで楽しい祭りの最中の様な面持ちで、彼女は息を整えロバートの下を離れる。踊る様に軽やかな足取りで部屋の中央へと移動すると、彼女の背後に空いた壁の穴から、再び化け物が舞い戻って来てしまう。

 咄嗟に武器を構えるロバートをローザは手で制し、化け物がうねる触手で作るコブの上に当然の様に腰かけた。


「ロ、ローザなにしてる⁉ 早く離れ――」


「大丈夫よロバート。この子は私が命令しないと人を襲わないもの」


 彼女が発した言葉があまりにも突拍子が無さ過ぎて、ロバートは彼女の言葉を理解出来なかった。ローザが何を言っているのか聴き取れてはいたが、脳がそれを想定できる範疇には無かった。

 目を見開いて直立不動となる彼の姿がまた可笑しかったのか、ローザは再び吹き出しそうになるも何とか堪え、まるで子供に言い聞かせる様にゆっくりと、やさしくやさしく、一つ一つ丁寧にタネ明かしを語ってゆく。

 魔物に自分を襲わせ、集落から人を誘い込み、罠にかけて鑑賞する。全部自分が仕組んで行った事なのだと、親切に丁寧にゆっくりと語る。


「仲間を裏切れば助かるように見せかけて罠を張ると、皆面白いくらい自滅してくれるの。私の旦那様なんて、すこし理性を弱める香を嗅がせたら、獣の様にエメラダを犯しつくして溶けちゃったわ」


 童女の様に淑女の様に、踊る様に無邪気に明かす真相は、殺意や憎悪などと言う感情を超えて、聞くロバートに恐怖すら理解出来ない現実を叩き付けた。

 反応を返す思考すら追い付かない彼を置いて、彼女はにこやかに彼を称える。


「でも貴方達二人は久し振りにここまで辿り着いた! 素敵ね、貴方達は真に信頼し合っているのね。だからご褒美に、貴方達はここから出してあげるわ」


「――え?」


 脱出――その目的だけに反応し、ロバートは間の抜けた声を返してしまう。だが、コールは未だ化け物に連れ去られ地下に消えたまま。名前の文字数だけ戻った理性を寄せ集め、何とか目の前のソレにコールの事だけ彼は問う。


「あら? 聞こえなかったかしら、私は貴方達と言ったのよ。それは仲間を犯し殺した私の旦那様ではなく、自分が助かる為に仲間を殺したリーダー気取りの屑でもなくて、ロバートとコール、貴方達二人の事よ?」


「だ、だがコールはそいつに――」


「大丈夫、死んではいないわ。下で眠っているだけよ――だからほら、目を閉じて? 次に目が覚めたら、貴方達二人は集落へ帰れるわ」


 それが彼女の力によるものなのか、ただ疲れただけなのかは彼には分からない。ロバートは言われる通りに目を閉じて、一時の眠りにつく。彼の視界に入った彼女の最後の笑顔は、とても美しく温かかった。





 彼等は目が覚めると洞窟の前に寝転んでいた。二人は急いで事の真実を集落の皆に伝えるために、夜の森を駆け抜ける。

 何時もより体が軽い。二人は森のどんな獣よりも速く速く疾走する。


 ――伝えなければ、帰ってあの女は危険だと。

 ――逃げなければ、この森にいては殺されてしまう。


 息を数回吐くだけで、あっという間に辿り着いた。早く皆を起こして、後片付けをしなければ。


 声を上げると、皆あっという間に飛び起きた。二人で一緒に皆を逃がそう――だけど皆は悲鳴を上げるだけで、全くこっちの話を聞きやしない。


「ば、化け物! よくもコールとロバートを!」


 皆揃って物を投げつける。そんな事をしている場合じゃないのに――

 飛んできた鏡が地面に落ちた。大きい月と――俺達二人の姿が写る。


 ――――あぁそうか。俺達は、“後片付け”するために帰されたんだ。


 気付くと意識とは関係なく体が動く。ドロドロに溶け始めているのに、頭はすっきりしていて四つの目で見える光景は、とてもよく理解出来た。


 きっとあの魔女の事だから、後片付けが終わるまではこの体は止まらない。

 きっとあの魔女の事だから、俺達の意識は体が溶けきるまで確り残っているのだろう。


『キヒッ、ヒヒヒ、ヒーッヒッヒッヒ』





「しまったな、道に迷ってしまった」


 男は旅人で、街に向かう途中の森で迷ってしまった。この辺りは何度か通った道の筈なのにと、抜けられない森の木々を見て途方に暮れる。

 上を見上げると日は既に傾いて、辺りの影はみるみる色を濃くして広がっていた。


「あの、どうされましたか?」


 人気の無い森の中で、突然声をかけられ男は驚き振り向くが、そこに立っていたのは赤い髪の毛が美しい村娘が男を心配そうに見上げていた。


「あぁいや、どうやら道に迷ってしまってね。すまないが、街はどちらだろうか?」


「あらそう言う事でしたらもう日も落ちます。折角ですから私の住む集落に一泊されては如何でしょうか?」


 渡りに船とはこの事かと、男は彼女に案内されて集落へと赴く。彼女はとても嬉しそうにこちらに微笑んで旅の話を男にせがみ、男もそれに気を良くして楽しそうに自分の武勇伝を唄い聞かせる。


「素敵、どうか家でゆっくり聞かせて下さいな」


 ――ゆっくりと、私が飽きない様にずっと――




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る