閃き

 藍からの連絡を受け、すぐに刑事らは空の兄のアリバイを調べた。

 だが、自らが立ち上げたゲーム制作会社の社長を務める空の兄は、その日の午後十一時半頃に、出張先から会社に戻って来て、その後は、もうじき新作ゲームを発売する予定とあって、夜を徹してその制作現場にいたため、一歩も社外へは出ていないとのことだった。それに関しては、同じように徹夜でゲーム制作に勤しんでいた他の社員らも証言している。

 今度もまた、自分の思い違いか……。

 風呂上がりにそう電話で知らされた藍は、落胆を滲ませながら、二階の自室に戻り通話を終えた携帯をデスクの上に置くと、窓外へと目をやった。

 いつしか夜の帳は下りきり、街並みが闇に黒く塗り潰される中、勢いを強めた風が、窓をがたがたと揺らしている。

 家の中に入れたラグナ、怖がってないかな……?

 と愛犬の様子を見に階下に下りようと、椅子を回転させて立ち上がろうとしたそのとき、またしても藍は、あることに思い当たった。

 その藍が記憶していたはずの経路を辿っても、そこに藍達の監禁場所だった建物は存在していなかった。

 だが、藍は、自分が記憶していた経路に間違いがあるとは思えないでいた。自分の記憶力を過信するわけではないが、辿った道順は鮮明に記憶に止め、それが薄れないように、監禁されている間も、何度も反芻して忘れないように努めていた。

 となると、こういうやり方がとられたという可能性がある。

 藍は目隠しをされるなどして、拘束された状態で自宅から連れ出された後、車に乗せられたわけだが、その時、なぜかその車が発進するまでに一分程の間が置かれた。覆面の男は、ラグナに吠え立てられて焦っていた様子だったから、すぐにその場を離れたかったはずである。

 なのにそうしなかったのは、その一分程の時間がどうしても必要だったからではないだろうか。

 藍は、脳裏にこのようなイメージを描いた。

 車の後部座席のシートをとり除き、そこに電動で回転させることが可能な座面が高い座席を新たにとりつける。その改造が施された座席に藍を両足を浮かせた状態で座らせ、シートベルトで固定しておいて、その座席をゆっくりと、藍に覚られることがないよう少しずつ回転させ、百八十度向きを変える。そうしておいて、車をバックで発進させる。そうされたことに気づかないでいる藍は、車が普通に前へと進んでいるものだとばかり思い込む。

 そう誤認させておいて、人気も行き交う車もほとんどない夜の道路をバックしながら進んだ場合に辿ることになる経路は、藍の自宅近く、海を臨む工業団地となっている区画の中にあって、一年程前に倒産した紡績工場の跡地として、その後なにも建設されず、コンクリート敷きの地面が広がっている場所だ。

 藍が記憶していた道筋であれば、車は自宅近くのコンビニの駐車場に一旦停車した後、三分程経ってから、再び発車したはずだった。

 そのため、覆面の男がコンビニでなにか買い物をするために立ち寄ったのだとばかり考えていたが、実はそうしたのは、藍にコンビニに寄ったと思わせておいて、バックで走らせつづけなくてもいいように、藍の座席を、覚られないようにしてもう一度百八十度回転させて前へと向き直らせるためだったのだ。そうすることで、既に進む方角をとり違えさせているわけだから、車を普通に前進させて道を辿ることができるようになる。

 そうした後は、障害となるものがなにもない広大な工場跡地に入り、藍が脳裏に描いているのと同じ経路を辿るように、車を右へ左へと折れさせながら進ませたのだとしたら――

 そのやり方を用いずに藍を監禁場所に連れ去ったとしたら、小学生の頃の〈宝探し〉で知られているように、卓抜した記憶力を持つ藍であれば、躯に感じる慣性力を頼りに、そこまでの短い経路を覚えるなど容易いことであり、そうなった場合、もし万が一藍が監禁場所から逃亡することにでもなれば、すぐにその監禁場所の所在を突き止められてしまうことになる。

 となれば、藍の気を失わせて運べばよいということになるが、そうさせた藍が中々意識をとり戻さなかった場合、アリバイを成立させるために会社に出向くのが遅れてしまって、計画に支障をきたすことにもなってしまうだろうし、そうするよりも、その藍の卓抜した記憶力を逆手にとって、逆に、自分が後で向かうことになるゲーム制作会社からは遠く離れた地に連れ去ったと思わせて、より強固なアリバイを作るために利用しようとしたのだ。

 だが、そのやり方を用いたのが事実だったとして、そのアリバイをどう崩せばよいのだろうか。

 以前、生前の雅史から聞いていた話だと、そのゲーム制作会社は、藍の自宅から五キロ程の距離しか離れておらず、監禁場所に使った建物が立っていると思われる工場跡地周辺からもそう遠くないところにありはするらしいが、空の兄は、午後十一時半頃に出張先から戻って来た後、ずっと社内にいたことを他の社員らも証言している。

 となると、出張先からは予定より早く戻り、覆面の男となって、藍を監禁場所へと連れ去り、〈犯人捜し〉を始めさせてから、最初の二時間がすぎたところで、空をその手にかけるまではできたとしても、その後の犯行を遂行することは不可能だった、ということになる。

 そこで推理は行き詰まりを見せたが、藍は、その後もしばらく思案を巡らせ続け、あの時の状況に、一つ不可解な点があることに思い当たった。

最初に貴人をそのグリップで殴りつけた時や、その後に空を銃撃した際、覆面の男は、その銃を右手に持っていたはずだ。

 だが、次にケイトを銃撃する際は、その銃を左手に持っていたような覚えがある。それ以後の、貴人や雅史への銃撃の際や、逃亡した藍に銃を向けた時もそう。

 普通なら、銃撃の際に反動の大きい銃を持つには、常に利き手を使うはずだ。

 だとすれば、覆面の男は、空を殺した後で、実は別の人物に成り代わっていた……?

 もしかすると、その別の人物とは、あの銃で撃ち殺されたとばかり思っていた空なのでは……?

 空が左利きだということを、藍は知っている。

 その空であれば、兄と共犯して、あたかも自分が撃ち殺されたように見せかけながら、その後、覆面の男を演じていた体格がほとんど変わらない兄と入れ替わって、その後の犯行に及ぶことも可能だったのではないか。

 空の兄が、美登里の死に対して、他の〈レインボウズ〉のメンバーにその非を求めるということは考え難いが、空が――転校して来たばかりで、中々周囲に溶けこめずにいた自分を、なんとか〈レインボウズ〉のメンバーに入れて仲間にしてあげようとしていた美登里に対し、大きな恩義を――それだけじゃなく、小学生ながらに、深い愛情を懐いていた彼が、弟想いの兄と結託してそうしようとしたのであれば、理解はし難いものの、動機として成り立つことにはなるだろう。

 その美登里が死ぬ現場を目撃していた莉佳が、その責任が従兄である雅史にあることをその内に秘めながら、毎年の夏、その悲劇が起こった日に、その場所で追悼の祈りと謝罪の言葉を捧げていたのを、昨年偶然そこを訪れた空が耳にし、その秘められていた事実を知ったことで、兄に協力を求めて、その復讐のための計画を立て、それを実行に移したのではないか。

 となると、その空は、美登里の死の原因を作ったのが雅史だということを知っていたはずだが、あえて他の〈レインボウズ〉のメンバーらを拉致監禁して、〈犯人捜し〉なんていう手のかかることをさせたのは、死の恐怖に怯えさせることで、美登里の味わった苦しみを少しでも味わわせながら、かつての仲間達が自分の犯した罪のせいで巻き添えを食って命を奪われていく様を見せつけて、自責の念に苦悩させ、その罪を自白させるように追いこもうとしたのかもしれない。

 そう考えを纏めた藍は、すぐさまデスクの上に置いておいた携帯を手にとり、もう一度、事件を担当する刑事に連絡をとった。


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