エピローグ【アムール・エトランジュ】②




* * * *




「えっと……予約のお客様は、18時に3組か……もう、そろそろ来られる頃かも……」


あたしは予約リストを見ながら、今日のコース料理の流れを最終確認していた。

あたしの名前は、春野ミチル。

1ヶ月程前から、この高級フランス料理店『アムール・エトランジュ』で見習いウエイトレスとして働いている。


以前は、サンシャインデパートの化粧品売り場で接客業をしていたの。

新商品でテスト販売の香水を、いかに目立てるようにするかなど、それなりに仕事は充実して楽しかったかな。

でも、小さな頃からの憧れだったフランス料理店で働く夢を捨てきれなかったんだ。


「よし、料理を運ぶ手順はこれで完璧と……」


そして、続けて明日の予約リストにも目を通し始めた時、


「すみません」


扉が開き、お客様が軽く会釈をしながら入ってきた。


「18時に予約していた3名の島田です」

「いらっしゃいませ、お席にご案内いたします」


あたしは丁寧に深々と頭を下げ、席へと誘導した。

予約1組目の島田マイコさんは、家族3人でご来店。

可愛らしい5歳ぐらいのぼっちゃんと、かっこいい旦那さんだな。

それに、奥さんは、いかにもキャリアウーマンって感じの人だな。

『絵に書いたように、とっても幸せそうな家族』

島田さん一家に抱いた印象は、まさしくそんな感じだった。


そして、予約席へ案内すると同時ぐらいに、2組目のお客様も続けてやってきた。


「いいお店だね、ユカちゃん」

「あたりまえやん、うちがコウスケのために、チョイスしたんやから」

「ありがとう~、ユカちゃん、大好き~」


そのお客様は、緑山ユカさんで2名様。

手を繋いで寄り添い、ほんとすっごく仲が良さそうなカップルだな。

だけど、どう見ても、彼女さんのほうが引っ張っているって感じかな。

う~ん、こういうのって、今流行りの草食系男子っていうのかな。

そういえば、あたしが担当していたテスト販売の香水にも『草食系にチェンジ』みたいな売り文句の種類があったな。


やっぱり、今の時代は『俺についてこい』的な肉食系よりも、やさしい男性に人気が集まるのかな。


「緑山様のお席は、奥の窓際になります」


あたしは、にこやかに頭を下げ、予約席に誘導した。

するとその途中、さらに3組目のお客様がやってきた。


「よう、ミチル、ちゃんと頑張ってるか?」


あっ……


「まさか、ミチルが僕たちの思い出の場所で働くとはびっくりだよ。どうだい、新しい職場は? 迷惑かけてないか?」

「何言ってんのよ。当たり前じゃん」


あたしは、その男性の耳元に、笑いながら小声で言った。


「ていうか、居酒屋じゃないんだから、大きな声で騒がないでよ」

「そんなことぐらい、分かってるよ」


男性は、あたしのおでこを軽くペチンと叩いた。

実はこの男性は、あたしのお兄ちゃんで、名前は春野マコト。

そうなの。

予約3組目は、あたしの家族というわけ。


ちなみに、お兄ちゃんの隣にいる人は、お嫁さんの羅々さん。

まあ、あたしも仲がいいから、あだ名で軽々しく、うららさんって呼んでるけどね。

そして、すっごい偶然なんだけど、お兄ちゃんはこのお店で、うららさんにプロポーズしたらしい。

あとで聞いて、本当にびっくりしたもんね。

まあ、うちの家族は、このお店に縁があるってことなのかな。


で、お兄ちゃんとうららさんの後ろにいる中年おじさんが、よつば銀行に勤めているあたしのお父さん……


「あれ……?」


お父さんの隣の、綺麗な若い女性は誰だろう?

4名で予約してるから、あと1人誰が来るんだろうとは思ってたけど……


あたしはお兄ちゃんと話している間、隠れてチラチラとその女性に何度か視線を送っていた。

その女性は、何だか恥ずかしそうに、ずっとうつむいているばかり。

とりあえずあたしは、入り口でずっと立ち話をする訳にもいかず、家族を席に案内した。


そして、予約していたコース料理で間違いがないか、再度確認をしたあと、


「ねえ、お父さん……」


あたしは、手の平でそっと女性を指し示しながら言った。


「こちらの方は……?」

「あぁ、実はな、ミチル……」


お父さんは、なぜだか緊張したように、水をグイッと飲み干した。


「こちらは近藤恵子さんといって、以前、お父さんと一緒に、よつば銀行で働いていたんだ」

「へえ~、そうなんだ」

「うん、まあ、それでな……」


そして、しきりに目を泳がせ、照れ臭そうに言った。


「近いうちに……近藤さんと、結婚しようと思うんだ」

「へえ~、そうなんだ……え!?」



け、結婚!?──



「い、今、結婚って言ったの!?」


あたしは目を見開き、大きな声を裏返しながら尋ねた。

するとお父さんは、慌てて人差し指を口の前に立てるジェスチャーを見せ、


「し、静かにしろ! 周りのお客さんに迷惑だろ!」


と言ったあと『そうだよ、結婚したいんだよ』とばかりに、恥ずかしそうに頭をかきながら、何度も細かく頷いた。



け、結婚だとおぉぉ!?



こりゃ、本気でたまげたな。

ま、まさか、お父さんが結婚だなんて。


しかも、お兄ちゃんとうららさんが、あたしの反応を見てクスクス笑っているところを見ると、どうやら、前もって知っていたのは間違いない。


ていうか、本当に!?

こんなに若くて綺麗な人が!?

あんな中年のお父さんと結婚!?


開いた口が閉まらないというのは、まさにこのことだった。


う~ん……周りからすれば、どう見ても、お兄ちゃんの恋人とか、あたしの姉みたいに見えるんだろうな。

ハ、ハハ……この驚きは、しばらく消えそうにないな。


そして、愛想笑いをしながら呆然と佇むあたしに向かって──


「ミチル……賛成してくれるかい?」

「え?」

「いや、その……」


お父さんは伏し目がちに、小さな弱々しい声で言った。


「マコトは結婚に反対せずに、むしろ応援してくれてるんだが……もし、おまえがその……どうしても嫌だっていうんなら、またちゃんと考えるから……」


お父さんはそう言うと、テーブルの影で、近藤さんの手をぎゅっと握った。

近藤さんは、何も言わずにただうつむいている。

何だかその姿が、ごめんなさいと謝っているように見えてしまった。


ごめんなさい。

こんなに年の離れているあなたのお父さんを好きになってしまって。


本当にごめんなさい――


そんな感じで、あたしにずっと謝っているように感じてしまった。

だからあたしは、変な世間体などは気にせず、真剣に考えた。


結婚か……うん、まあ……いいよね。

離婚してからずっとお父さんは1人だし、お母さんも再婚して今は幸せに暮らしてるし。


うん、問題なんか何もない──


「何言ってんのよ」


あたしは笑いながら、お父さんの肩をポンと軽く叩いた。


「2人が好き同士なんだったら、反対するわけないじゃん。あたしも勿論、応援するから」


そして近藤さんに「父をよろしくお願いします」と言い、深く頭を下げた。


反対なんかしないよ。

だって、みんな幸せそうな顔をしてるんだから。

それに、あたしだってお父さんに幸せになってほしいもん。


あたしはそのあと、近藤さんと握手をした。


これから家族として、よろしくお願いします──


そういう気持ちを込めて、笑顔で手をギュッと握った。





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