エピソード5【きみの未来を守るために】②





あの日、あの時、あの場所で


君と逢っていなければ


僕の人生は、大きく変わっていた



きっと、大きく変わっていた





 * * * *





――2016年4月29日。



「ほら……カーネーション持ってきたよ」


僕はお墓の前の小さな花瓶に、3本のカーネーションをそっと差し込んだ。


僕の名前は、春野マコト。

先月の3月、24歳になった。

大学を卒業して3年目の社会人だ。


「今日は、春の日差しが暖かいね……いっぱい水をかけてやるからな」


僕はバケツに汲んだ水を、ひしゃくで墓石に5回ほどかけてやった。

ちなみに、このお墓は、僕のおじいちゃんでもおばあちゃんでもない。

ましてや、お父さんでもお母さんでもない。


このお墓に入っているのは、僕と同い年の幼なじみ。


名前は、浦本羅々(うらもとらら)


色が白くて、でも運動が大好き。

しっかりしてて、でも所々でおっちょこちょい。

髪が長くてすごく綺麗、でも暑がりだからいつもポニーテール。

笑うと右のほっぺにエクボが出て、すごく可愛い、でも、うたた寝している顔はもっと可愛い。


僕は彼女が大好き、でも恋人期間はたったの半年。


僕は彼女を忘れたい、でも心がそれを許さない。


彼女が亡くなって1年たった今でも、僕はその事実を受け入れることが出来なかった。



「うらら……また来るからね」



バシャ──



僕は、最後にもう1回、お墓に水をかけてやった。

暑がりな彼女のために、たくさんの水をやさしく墓石に染み込ませた。



うらら。


僕は君を忘れないよ。


いや、忘れることができないんだよ。



守りたい。


君を守れるものならば、僕はどんなことでもするのに。


でも、今はそれすら叶わない。


どんなに頑張っても、叶うことのできない願いになってしまったんだ。





 * * * *




――あれは、1年半前のこと。


社会人になりたての僕は、仕事を覚えるのに必死で、毎日を慌ただしく過ごしていた。

ある日、僕はうららを小さな居酒屋に呼び出した。

お互い社会人1年生。

しかも、うららの仕事はアパレル関係だから、主に土日は出勤で、平日が休み。

時間を合わせるのも、中々大変だった。


居酒屋で2時間ぐらい経った時だろうか。

そろそろ店を出ようかと、うららが伝票を見てワリカンの準備に入っていた時、


「あのさ……」


僕は、空になったレモンチューハイのグラスを見ながら、小声で言った。


「うらら……あのね……」

「何? マコト」

「僕と……付き合わないか……」

「えっ……」


少し驚くうらら。

伝票を右手に持ったまま、一瞬ピタッと視線が硬直した。

3秒間、そのまま静止。

そしてすぐに、空になったカシスオレンジのグラスに目を向け、静かに口を開いた。


「う、うん……いいよ」

「ほ、ほんとに?」

「いいよ、マコトなら……だって……私も好きだし……」

「あ、ありがとう」


僕たちは、お互い、空になったグラスを眺めながら笑い合っていた。

何だろう。

今まで一緒にいた時間が長いだけに、どうにも照れがおさまらない。

だから、しばらく目を合わさず照れ笑いをするという選択肢を僕たちは選んだ。


この瞬間、僕たちは幼なじみから恋人へと変化した。


恋の始まりは、いたって穏やかだった。

まるで、いつかはこうなることがお互い分かっていたような感覚。

やっとその時が来たか、そんな感じで始まった僕たちの恋だった。


僕たちは、小さな頃からいつも一緒。

と言っても、そのへんにいるごく普通の幼なじみとは歴史が違う。


そう。

僕と彼女は、生まれた数時間後から一緒だった。


同じ産婦人科で、2時間違いで産声を上げ、退院するまでの5日間、病院のベビーベッドで隣同士。

僕のお母さんも、うららのお母さんも、初めての出産。

その5日間、授乳室などで話が弾み、お互いが親近感を覚え、仲良くなったというわけ。


さらに言えば、お父さん同士も病院で仲良くなった。

というのは、お互い立ち会い出産をするため、病院に駆けつけていたからだ。

無事に出産を見届けたあと、その日は色んな話をしたと聞いている。

まあ、そんないきさつがあり、僕とうららは、生まれた時から常に一緒だった。


ちなみに、彼女のことはみんな『うらら』と呼んでいる。

なぜかと言うと……


浦本羅々……


うらもと……らら……



“うら”もと……


“らら”……



うららら……



うらら……



こういうこと。


まあ、あだ名が決まる流れなんか、どこの地域でもこんなもんだ。

おそらく、小学6年生の時だったと思う。

誰がつけたかは分からないが、いつからか、彼女のあだ名は『うらら』になっていた。


当時は、よくからかわれたもんだ。

だって、僕の苗字は春野。

学校で2人で一緒に話していると、友達がよくこんな歌を歌ってくる。



♪春の~うららの~隅田川~♪



かの偉大な滝廉太郎の名曲だ。

うららは、これが聞こえてくるたびに『うるさい!』って怒鳴ってたっけ。

僕はそのたびに、笑ってたけど。

でも、今となっちゃいい思い出だよ。


笑ったり怒鳴ったり、そんなうららの顔を毎日見ていられたんだから。




* * * *




――あれは、ちょうど1年前のこと。


忘れもしない2015年4月29日。

『昭和の日』の祝日だった。


「久しぶりにオシャレしたな」


今日の僕はいつもと違った。

普段は着ないダークブラウンのジャケット、そしてめったに履かないイタリア製でクラシックな白ソールの靴も一緒に連れてきていた。


この2つは、特別な日にしか登場させない僕のとっておきの服と靴。


ということは、今日はいつもとは違う日。

そう。

うららと付き合って半年目の記念日。

そのお祝いをすることになった。


今日の待ち合わせは、『アムール・エトランジュ』という店名の高級フランス料理店。

夜の6時半に、少し高めのコース料理の予約をしていた。

いつもは、居酒屋やファミレスなのに、この日はお互い奮発したんだ。


ちなみに、僕たちは、どこへ行くにも常にワリカン。

僕が、無理をして全額おごるっていうのは、めったになかった。

いや、別にケチっているわけじゃない。

ただ、付き合ったからといって、今までの流れを急に変えることが、お互い難しいだけだったんだ。


でも、それが、僕もうららも心地良かった。

何も変わらずに自然体で付き合っていける今の状況がすごく幸せだった。


「やっぱり、痛いな……」


フランス料理店の店先。

先に到着した僕は、左手に巻かれた包帯を見ながらつぶやいた。


実は、つい2時間ほど前のこと。

ホームセンターで買ってきた本棚を組み立てようとして、カッターで左手の甲を切ってしまった。

段ボールを開けようとした時に、勢い余ってざっくり。

血がドバドバと出てきたから、慌てて病院に駆け込んでいた。

そして3針縫って、僕の左手は包帯で覆われた。


この時のことは、よく覚えている。

なぜかというと、治療のあと病院のトイレに入ると、個室のドアが開かなくなったのだ。

ドアノブが中から全く回せなくなって、外にいた男の人に開けてもらい、ことなきを得た。


しかし、まあ、この時は本当に焦った。

閉じ込められることなんか生まれて初めてだったから、本当にどうしていいか分からなかった。


とにかく無我夢中。

ドアにボールペンで書かれた『ゆうこ愛してるぜ!』という落書きを見ながら、ずっとドンドンと叩いていた。


あの男の人がいなかったら、どうなっていたんだろう。

もっと長い時間、トイレに閉じ込められていたんだろうか。

そう思うと良かった。

本当に良かった。


とまあ、僕の左手の包帯には、こんなエピソードも詰まっていた。



「当分は、痛みが残りそうだな」


僕の左手は、ちょっと動かすだけで痛みが走る。

でも、いいんだ。

こんな痛さ、うららに会えれば、きっとふっとぶ。


うららは、僕の特効薬。

どんな痛みでも、どんなに元気がなくても、うららに会えば全てが治る。


「うらら……」


あぁ、うらら、早く来ないかな。

早く、その笑顔を見せてくれよ。


僕は、腕時計をチラチラと見ながら、うららの姿を待ち焦がれていた。


「あっ、また遅れてるな……」


するとその時、僕は腕時計の異変に気がついた。

そう。

実は、僕のデジタルの腕時計は、最近壊れかけていた。

いくら調整しても、10分遅れてしまう。

これで何度目だろう。

昨日、調整したばかりなのに、また10分の誤差が出てるな。


ダメだな。

もう買い替え時だな。


僕は、時計に目をやるのを止め、うららが来る方向の道をずっと眺めていた。

――でも。



僕がその日、うららと出会うことはなかった。


うららは、この店に来る途中、事故で亡くなった。

建設中の看板が30メートルの高さから落ちてきて、下を歩いていたうららに衝突。

たいして大きくない看板だが、打ち所が悪かったことにより、うららの命は奪われてしまった。


不運。

不運としか言いようがない。


でも、不運の一言じゃ片付けられない。


うららがいなくなった。

僕の前から永遠にいなくなった。


ダメだ。

ダメなんだ。

僕は、それを受け入れることができないんだ。


もし、あの時、あの瞬間に僕がうららの側にいたなら、もちろん、この怪我をしている左手を投げ出して助けていた。

腕が折れたっていい。

2度と使いものにならなくたっていい。

僕は絶対に助けていた。


午後6時23分──


その時間に、うららは亡くなった。

彼女がつけていた腕時計が、看板が落下した衝撃により、その時間で止まっていたらしい。


そして、彼女が持っていた荷物の中に、僕へのプレゼントがあった。

それは、腕時計。

僕の腕時計が壊れていたことを知っていたうららは、半年目の記念日にプレゼントを用意していた。

そのプレゼントには、メッセージカードが添えられていた。



《マコト、これからもよろしくね。今のようなデジタルじゃなくてアナログだけど、良いデザインでしょ。ていうか、10分も遅れるような壊れた腕時計をつけてたら、社会人失格だぞ》



こう書かれてあった。



あぁ。

あれから僕は、どれぐらい泣いただろう。

何気なくテレビを見ていて、いきなり泣き出したことさえあった。

ひとすじの涙がきっかけで、どんどん止まらなくなり、気づくと一晩中、泣き明かしたことさえあった。



うららがプレゼントしてくれたアナログの腕時計は、今も僕の左手首でずっと時を刻んでいる。




うららがいなくても、正確に狂うことなく、未来へ未来へ、時を刻んでいた。







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