エピソード4【シンデレラは恋をする】②




年を取ったら、もう恋は、できない。


誰かが、こんな事を言っていた。


そして、俺もそう思っていた。


長い間、そう思っていた。





 * * *




「もう……今年で52か……」


リビングのテーブルに置いたウイスキーのロックをかきまぜながら、俺はポツリとつぶやいた。

俺の名前は春野誠司。

よつば銀行に勤めており、今年で52歳になる。

1人での生活も、もうすぐ丸2年になるが、いまだに、料理も洗濯もろくにできない。

中々、慣れないものだ。


「もう、2年になるのか……」



カラン、コロン──



ウイスキーの中の氷も、心なしか、淋しそうな音を出しているように聞こえる。


秋──


10月になると、俺はいつも思い出す。

2年前の10月16日。

俺は、23年連れ沿ってきた女房と離婚した。

あの時は、本当に驚いた。

確か、夜の12時前だったと思うが、会社の同僚と飲みに行っていて、遅くなったんだっけ。

まあ、いま思えば、週に何回も飲みに行っていたのが、よくなかったんだよな。

とにかく、夜の12時前。

日付も変わろうかという時間帯に、俺は帰宅した。


そして、驚いた。

なぜなら、こんな遅い時間に女房が1人、テレビもつけず、リビングの椅子に静かに座っていたのだから。


「どうしたんだ?」


俺は上着を脱ぎながら、そっけなく尋ねた。

俺はバカだからさ。

いつもと違う女房の雰囲気に全く気づかなかったのさ。


「先に寝てていいぞ」


俺はバカだからさ。

投げ捨てるような言葉に加えて、女房と目も合わせようとしなかったのさ。


そして、それからすぐだった──


俺の目の前に、そっと離婚届けを差し出されたのは。


「え……?」


俺は、その離婚届けを見つめたまま、目を丸くして驚いたよ。

全く意味が分からなかったよ。


それから、2時間ほど、女房と話をした。

こんなに、きちんと向かい合って話をしたのは、いったいいつ以来だろう。

結婚してから初めてかもしれない。

おそらく、いや、きっと。


そして、女房と話しをするうちに、色々とこの事態に至った経緯が分かってきた。

原因は、俺が仕事を優先して家庭をかえりみなかったから。

ただ、通常の業務に加えて、クリアラバーズの仕事も抱えているのだから、俺にも言い分がある。

いや、それは言えないか。

あれは、裏の世界の仕事なのだから。


とにかく結果的に、俺は、子育てにも家事にも全く無関心だった。

おそらく、結婚してから、一度も家事なんかしたことがなかったんじゃないのだろうか。

きっと、いや、確実に。


そして3年前に、長男のマコトに続き、長女のミチルも無事に成人式を迎えることができた。

現在、マコトは商社勤め、ミチルはデパート勤務。

まあ、ミチルのほうは、小さい頃からの夢だったフランス料理店で働きたいと最近は愚痴を言っているが、2人とも頑張って働いている。


ちなみに、就職が決まったあとは、それぞれ家を出て自立している。

だから、2人の子供を立派に育てあげた女房は、第2の人生をスタートさせたい。

そう思っていたようだ。


――話し合いは、5日間にも及んだ。


だが、女房の気持ちは変わらない。

ダイヤモンドよりも固い決意だった。

だから、受け入れるしかなかった。

女房の決意を受け入れるしかなかった。


あぁ。

俺は、バカだからさ。

今になって、やっと、おまえの有り難さが分かるよ。

隣でいつも居てくれる人間がいるというのが、どれほど素晴らしいことか。

離婚して1人になった今、やっとその事が分かってきたよ。


そして、最近になって、ミチルから聞いたよ。

3ヶ月前に、おまえが再婚したって。


俺は、おまえの幸せを祈ってるよ。

それが、今の俺に出来る唯一の罪ほろぼしだから。

だから、これからも、ずっとずっとおまえの幸せは祈り続けていくよ。


そして、俺も、頑張って新しい人生を生きていくよ。



第2の人生がスタートできるように頑張っていくよ。






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