エピソード3【愛、買いませんか?】⑩
★ ★ ★
「今日は、いい天気だな」
豪華な絵画や高級家具に彩られた特別室にいる俺は、窓の外を流れる大きく白い雲を見ながらつぶやいた。
俺の名前は、春野誠司。
年齢は51歳。
勤務する『よつば銀行』で、表向きは経営管理部長だが、実は特殊な役職についている。
「もう、そろそろ来られる頃かな……」
俺は、タバコを1本取り出し火を点けた。
世の中は、禁煙ブームになってきているが、ヘビースモーカーの俺は、おそらくやめることはできないだろうな。
そして、じっくりとタバコを味わい、2本目を取り出そうとした時――
「春野君、久しぶりじゃな」
「お待ちしておりました、会長」
俺は慌ててタバコを内ポケットにしまい、深く頭を下げて出迎えた。
いま、特別室にやってきた80歳の老人は、このよつば銀行の会長。
いわば、組織の頂点に位置する人物だ。
しかし、まあ……全く、この会長も変な趣味を持っているものだ。
「ところで、ひとつ報告がございます」
俺は、会長がソファーに腰を下ろしたのを確認すると、話を切り出した。
「例のクリアラバーズ、売れましたよ」
「ほう。いくらじゃ?」
「仕入れ値が1億で、売り値は1億2千万です。2千万の利益になりましたね」
「そうか、ご苦労じゃった」
会長は、笑みを浮かべ、実に満足そうだった。
全く……この会長は、そこまでして金が欲しいのか。
しかし、まあ、裏のビジネスとして成立しているのだから、その手腕は高く評価すべきだがな。
ちなみに俺は、よつば銀行に入社してから、この会長に仕事のノウハウを叩き込まれた。
そして、今のポストも手に入れた。
だから、会長には命を捧げてもいいと、本気でそう思っている。
だが、1つどうにも納得いかないことがある。
なぜ会長は、今回、分割払いにしたのだろうか。
クリアラバーズを買っていく人間というのは、お金が有り余ってどうしようもない人間ばかり。
もちろん、全員が即金払い。
だから、今回のケースは初めてだ。
いや、別に分割が悪いってわけじゃない。
だが、どう考えても、あの島田マイコという客に、残りの金額7千万もの返済能力があるとは思えない。
俺が調べたところによると、島田さんが勤務するジュピターホールディングは、総力をあげて売り出した新商品が、何らかの不具合があり発売中止。
今現在は、株価も急落しており、あまり会社の業績も良くないらしい。
「あの……」
俺は、首を傾げながら尋ねた。
「今回の島田という客からは、本当に厳しく取り立てなくていいのですか?」
「かまわんよ」
会長は、いたって普通に言った。
「わしは、金だけが全てではないからのう」
「え?」
「実はな……わしは、試してみたんじゃ」
「試す……?」
「知り合いから、大きな借金を抱えた夫婦がいると聞いてのう……あの客に1等の宝くじが渡るように仕組み、この銀行に来させる準備を整えた……」
え……?
あの宝くじは会長が……?
「多額の借金を背負ってでも、夫を取り戻すかどうかを……失った愛を取り戻すかどうかを……それを試してみたかったんじゃ」
そして、と会長は言った。
「結果、あの客は愛を選んだようじゃの。こんな腐った世の中でも、大事な物が何かを、まだしっかりと理解している人間もいるようじゃの」
まあいわば、と会長は言った。
「老い先短い老人の楽しみとでも思っておくれ。わしはこれからも、こういうケースの客を相手にしていくつもりじゃ。愛を選ぶのかどうか……それを見てみたいんじゃ……」
「会長……」
そうか……そういうことだったのか。
世の中がまだ、金ではなく愛が大事な時代かどうか。
会長は、それが見たかったのか。
よかったな、島田さん。
あなたは、最高の幸せを手に入れたんだよ。
それは、お金より愛を選んだから。
かけがえのない愛を選んだから。
いいかい。
その気持ちを、これからも忘れるんじゃないぞ。
そして会長は、葉巻に火を点けると、再び口を開いた。
「ところで……わしも正解だったようじゃ」
「正解……?」
「クリアラバーズは素晴らしい。おかげで、おまえとも知り合えたわけだしな」
え……?
「おまえは、どんどん知識を吸収していった。今や、わしの右腕になったわい。そして、家族も持って人間的にも大きく成長したのう……今でも覚えとるよ……」
確か、と会長は言った。
「おまえの製造番号は『WF7490』じゃったかな……」
「え……?」
ひょ、ひょっとして――
「会長……も、もしかして、私は……」
「ああ」
会長は言った。
「おまえは、30年ほど前に、わしが買い取ったクリアラバーズじゃ。わしの側近として、信頼のおける部下を作りたかったからのう」
「え……」
俺が……クリアラバーズ……
それは、衝撃的な言葉だった。
俺の製造番号は『WF7490』
元々は、クリアラバーズの一員。
自分でも気づかなかった過去を持ち合わせていた人間だった。
しかし、俺が今までどういう過去を歩んできたのか、それは今となってはどうでもいい。
俺は、春野誠司。
会長に信頼される部下。
当選者特別愛情課の春野だ。
会長には恩がある。
仕事を教えてくれたこともそうだが、なにより、俺を買い取ってくれた大きな大きな恩がある。
恩返しをしていくためにも、これからはより一層、会長に尽くしていかなくてはな。
世の中がまだ、金ではなく愛が大事な時代かどうか。
それを確かめるのが、俺の仕事だ。
だから、これからも、俺はお客が来たらこう言うだろう。
愛、買いませんか?
【To be continued】
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