エピソード3【愛、買いませんか?】②




* * * *




「12月20日……か」


私は、壁にかけてあるカレンダーを見て、とても憂鬱な気分になってしまった。

もう年末か……あと少しで、今年も終わってしまうのよね。


「ハァ……」


出てくるのは、ため息ばかり。

今日だけで、いったいいくつ大きな息の塊を吐き出したことでしょう。


私の名前は、島田マイコ。


ジュピターホールディングという製薬会社に勤めている。

夫のタカヒロとは、取引先の紹介で知り合い、4歳になる息子、コウタにも恵まれた。

だが、現在、私はコウタと2人暮らし。


夫のタカヒロはいない──


なぜかというと、3ヶ月前に、私たちの前から忽然と姿を消したから。

理由は分からない。

まあ、今となっては、もうどうでもいいことだけど。

だって、私は今、すごく大きな悩みを抱えているんだから。

その悩みとは、ズバリ、借金。

そう。

私は、多額の借金を背負いこんでいるの。

その額、ざっと1億円。


「ハア……」


というか……こんな大きな借金、どうやって返していけばいいのよ!?

私は、いったい、どうすればいいのよ!?


「はぁ……このまま、年を越さなきゃいけないのかしら……」


私は、リビングのソファーに横たわり、両手で頭を抱えていた。

借金1億円。

どうしようもない現実をつきつけられて、途方にくれるしかなかった。

そもそも、私がこんな状況に陥ってしまった原因は、3ヶ月前にある。


3ヶ月前のあの日──

タカヒロが突然いなくなった。


いなくなる当日、確か日曜の夕食前、6時ぐらいだったと思う。

それが、最後の会話だった。

タカヒロが、夕食の準備をする私に、背中越しに話しかけてきたあの会話が。


「なあ、マイコ……」

「え? 何?」


私は、鍋をゆっくりかき混ぜながら言った。


「もう少しでシチューできるから、座って待ってて」

「いや、その……あのさ、マイコ……」

「どうしたの?」


その時のタカヒロは、いま思えば、確かに少し変だった。

何かを言いたそうな、でも言えない、そんな感じだった。


「どうしたのよ? 今日はシチューって気分じゃないの?」


私は、軽く尋ねた。

するとタカヒロは、少しだけ笑みを浮かべ、


「いや、何でもない。ちょっとコンビニへ行ってくる」


と言って、部屋から出て行った。



「マイコ……ごめんね」



と、去り際につけ加えて。



それが、最後。

あの日から、タカヒロは家には帰ってこなかった。

どこか、遠い遠いコンビニへ行ってしまったようだ。


タカヒロはとてもやさしくて、仕事を続けている私を気遣い、家事もよく手伝ってくれる。

左目の下にある小さなホクロが、とってもかわいい。

会社では、上司にも部下にも人気が高い。

誰からも好かれるいい人。

そんな感じかしら。


そして、なぜ私が多額の借金を背負ってしまったかと言うと、これまた、とんだとばっちり。

タカヒロが会社の先輩に、連帯保証人になってほしいと頼まれたらしい。

その時の額が、1千万円。

1千万の借金の連帯保証人になってほしいと頼まれたのだ。


その先輩は、タカヒロに仕事を一から教えてくれた人。

かれこれ、タカヒロとは10年の付き合いになる。

だからでしょうね。

信用でき尊敬している先輩だからこそ、タカヒロは連帯保証人になってしまったのでしょう。


おそらく、内容なんかほとんど読んでいないに違いない。

だって、内容を把握していたら、いくら人のいいタカヒロでも、ハンコを押さないわ。


だって、1千万円の借金だもの。

普通、ハンコを押さないわよ。

チンパンジーでも押さないわよ。


でも、タカヒロは押しちゃったのよね。

それで結果的に、その先輩は行方不明。

借金は、連帯保証人であるタカヒロが背負うことに。


そして、タカヒロがいなくなった今、その借金は私に回ってきた。


債権者から借金の契約書を見せられた時、私は目を丸くして驚いたわ。

なぜなら、連帯保証人には、私の名前も記してあったのだから。

おそらく、借金の額が大きかったからでしょうね。

タカヒロは、私の名前も勝手に使っていたということ。

だから、私の知らない所で、借金物語は、どんどんと進んでいたというわけ。


しかも、この借金、かなり、たちの悪い闇金から借りているらしい。

たぶん、ヤクザが絡んでいる模様。

だから、法外な利子によって、たった数ヶ月で、1千万円が1億円にまで膨れ上がっていた。

おそらく、返済が遅れた場合、あれよあれよという間に倍の2億円の額になるのは目に見えている。


絶対、危ない。

相当、危ない闇金に違いない。


まあ、普通に考えればそうよね。

だって、簡単に1千万円貸す金融会社なんか怪しいに決まってるわ。

それに、本人がいないのに私を勝手に連帯保証人にしているんだから。

超怪しくて、超ヤバイ金融会社に決まってるわ。

まあ、一言で言えば、タカヒロの性格の良さが完璧に裏目に出たというわけ。


でも、今となっては、そんないきさつはどうでもいいわ。

要は、これから。

これからどうするかが、問題なのよね。


「どうしよう……どうしたらいいのよ……」


いくら私が、大手のジュピターホールディングに勤めているからといって、そんな額をポンと払えるわけがない。

部長クラスなら、まだ希望があったかもしれないけど、役職だって、たかが主任。

いや、例え、部長だったとしても難しいかもしれないわ。


「あぁ……あの香水さえ、ヒットしてれば……」


せめて、夏に売り出したチェンジング・フレグランスが爆発的な人気商品になっていれば……

私が保有しているジュピターホールディングの株もすごく値上がりしたかもしれないのに……

結局、副作用などの問題や、体質によって効果が現れないことが多すぎて、発売中止……


運がない。

全く運がないわ。


「さてと……これから、どうしようかしら……」


私は、ソファーから今度は床にゴロンと仰向けに寝転がり、ボーっと天井を眺め始めていた。


「1億か……」


どんな体勢になろうと、この借金のことが頭から離れるわけがない。

でも、なぜでしょうね。

自分でも不思議だけど、なぜ、私はこんなにも落ち着いていられるんでしょう。

もっと、精神が崩壊してもいいはずなのに。

もっと、パニックになってもいいはずなのに。

何で、こんなに落ち着いていられるんでしょう。

正直、自分でもよく分からないけれど、たぶん現実味がないのかしら。

だって、1億よ、1億。

額が大きすぎて、もうどうしていいか分からないのよ。

私は、いったい、どうやって返していけばいいの?


「やっぱり、あれよね……もう、あれしかないのかしら……」


私の頭に、ふと一つの考えがよぎった。


自己破産──


もう、この方法しか思い浮かばなかった。


「うん……そうよね……最悪そうするしかないのよね……」


私の中では、もう答えは決まっているようなものよね。

だって、普通の会社員の私に、どうやって返済しろっていうのよ。

もう、自己破産しかないわ。


「いや、ちょっと待って……」


あんなに、やばい闇金なのよね。

簡単に自己破産なんかさせてくれるのかしら。

ひょっとして、違法な風俗で無理矢理働かされるかも……


「いや、待って……」


それは、まだいいほうかも。

どっかの研究所に臓器を売られたり、新薬の人体実験にされたりするかも……


あ~!

ダメよ、ダメよ!


私には、4歳のコウタがいるのよ!

そんなことになったら、誰がコウタを育てるのよ!



ダメ、ダメ!


絶対に生きなきゃ!



生きぬかなきゃ!






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