エピソード2【草食系は大嫌い!】⑧




 ★ ★ ★




――2月11日。


今日は『建国記念の日』の祝日。

冬まっさかりのとても寒い1日だ。


「あ~あ」


俺は、誰もいない会社の会議室で、1人、大きなため息を吐き出した。

俺の名前は、山下。

年齢は26歳。

ジュピターホールディングという会社に勤めている。

今日、俺は休日出勤。

急がなければいけない大事な仕事が立て込んでいるからだ。


「しかし、まあ……」


今日は、大変な目にあったな。

一応、レストランの制服は貸してもらえたけど……仕事をさぼって、湖なんかに行くんじゃなかった。

こんな2月の寒い日に、なんで水の中に落ちなくちゃいけないんだよ。


「でもな……」


目の前で女性が落ちてるんだもんな……助けないわけにはいかないよな。


「あ~あ」


でも、どうしようかな。

今日はこれから、どうやって言い訳しようかな。

俺は、1人、会議室の椅子に座り、頭を抱えて考えこんでいた。

――すると、その時。


「おはよう」


ドアが開き、主任が部屋に入ってきた。

主任の名は、島田マイコさん。

女性でしかもまだ29歳だが、このジュピターホールディングで将来を期待されている超やり手だ。

ロングの黒髪と、肌が綺麗で美人なのに、怒ると本当に恐い。

仕事には完璧を求める人で、笑顔からいきなり怒り顔に変わる時もあるから、俺も常に気は抜けなかった。


「ご苦労さん」


島田主任は、椅子に座りながら言った。


「待たせて悪かったわね」

「い、いえ、私もいま来たところです」

「あら?」


島田主任は、俺の服を見ながら不思議そうに首を傾げた。


「カッターシャツだけで寒くないの?」

「へ!? い、いや、まあ、いろいろありまして」

「そう。ところで……」


島田主任は、髪をかきあげながら言った。


「午前中は、湖で楽しく過ごせた?」

「え……?」

「君と同期の川島くんが言ってたわよ。山下は、午前中は『ひまわり湖』でくつろいでいるって」

「は、はは……」

「全くもう……」


島田主任は頬杖をつきながら、小さなため息を吐き出した。


「急いでやってもらわなくてはいけない仕事があるっていうのに……のんきなものね、あなたは」

「は、はは……」


俺は、一瞬で全身が凍りついた。

や、やばい!

さぼってたのが、完璧にばれている!

ていうか、川島のやつ、自分が出世したいもんだからって、何でそんなに主任に媚びを売るんだよ。


で、でも、今はもういいや。

そんなことはどうでもいいや。

このままじゃ、主任の雷が落ちかねない。


「あ、あの!」


俺は直立不動のまま、深々と頭を下げた。


「午前中は、申し訳ございませんでした! これからは、そのようなことは二度といたしませんので、お許しください!」

「山下くん……」


島田主任は、ニコッと笑った。


「別にかまわないから、気にしないでいいわよ」

「え?」

「だってあなたは、我社にとって素晴らしい新商品を開発してくれたんだから」

「あっ……チェンジング・フレグランスのことですか?」

「ええ、ちなみに今は、どれぐらいの効果が実証されているの?」

「そうですね……」


俺は、資料を見せながら言った。


「その人の体質によって、かなり効果に差が出ますね。おもいきり効果の現れる人もいれば、全く効果の出ない人もいますし……」


とりあえず、と俺は首を傾げながら言った。


「これから、もっと改良しなくてはいけないですね」

「そうね。引き続きよろしく頼むわね」


そういえば、と島田主任は言った。


「サンシャインデパートでテスト販売したそうね」

「はい、化粧品売り場のバレンタインコーナーに、100個ほど置かせてもらいました」


加えて、と俺は言った。


「プレゼントが当たるアンケート用紙も同封していますので、その反応も見つつ、今後の改良や展開に取り組んでいこうかと……」

「なるほどね」


島田主任は、資料を見ながら二度三度頷いた。


「引き続きよろしく頼むわね。かなりのヒットが見込める商品だから、私的には、改良に改良を重ねて全国的に売り出すほうがいいと思っているの」

「はい、私もそのほうがいいと思います」

「ところで、山下くん……」


島田主任は言った。


「例の物はできたの?」

「え?」

「例の……女性用のチェンジング・フレグランスよ」


あっ……


「噂では、男性用とは少し香水の効力が違うようだけど?」

「ま、まあ……」

「もうそろそろ、完成してもいい頃じゃないの?」

「は、はい……とりあえず、サンプルはできたんですが……」

「そうなの、じゃあ、さっそく見せてちょうだい」

「そ、それが……」


俺は、顔をひきつらせながら言った。


「今日、持ってこようと思ったんですが……その……湖に落としてしまいまして……」

「え?」


島田主任の顔が、一気に怒りモードに変わった。


「な、何ですって!? 大事なサンプルを湖に落とした!?」


ひっ……!!


「全く、あなたという人は! 仕事を何だと思っているのよ!」

「す、すみません!」


う、うわっ!

き、きた!

今度こそ、雷がきたよ!


俺はひたすら頭を下げて謝ったが、そのあと、主任のお説教は30分にも及んだ。

ジュピターホールディングは、総合的な製薬会社。

俺の仕事は、新商品の開発。

ということで、3年前から、世間が驚くような香水の開発を命ぜられていた。

そして、誕生したのがこれ。


チェンジング・フレグランス。


これから、アンケート用紙が、いくらか返送されてくるだろう。

そこで、だいたいの効果は把握することができる。

まあ、うちのスタッフで試した時も、10人に1人ぐらいの割合でしか、成功しなかったけど。

おそらく、もっと改良しなきゃいけないんだろうな。


あ~、それよりも、あれだよ、あれ。

女性用のチェンジング・フレグランス。

せっかく、サンプルが出来たのに、まさか、湖に落とすはめになるなんて……本当に、うっかりしてたよな。

あの時、俺はサンプルの匂いチェックをしてたから、フタをちゃんと閉めてなかったんだよな。

いや、あの状況じゃ、別に俺は悪くないよな。

あの女性が、サンプルの入ったペットボトルを掴もうとしたんだから。


「あっ、そうだ……」


そういえば……サンプル、あの女性の顔にかかっちゃったんだよな。

それに……あの女性、この香水ちょっと飲んじゃったんだよな。

まあ、飲んでも別に毒じゃないから、健康には何の支障もないんだけど……


「ただ……」


体質によるんだけど……もしかしたら、このチェンジング・フレグランスの効果が発症しちゃうかもしれないな。

この香水は、体につけるぶんには、洗い流せば効果は消えるんだけど……



飲んじゃった場合は、一生、その効果が続くんだよね。



その場合、発症するのは、飲んでからだいたい4日後ぐらいだから……



バレンタインの次の日あたりか――



でも、まあ、大丈夫だろう。

体質によって左右されるし、発症しないケースのほうが多いしな。


「でも……」


もし効果が現れたら、あの女性は一生、草食系が好きなんだろうな。


「そうか……そうなるんだよな……」


俺は、あの時の女性を思い浮かべながら、新商品のキャッチフレーズが書かれた紙に目を通し始めた。



《女性専用! これをつければ、あなたはたちまち草食系が大好きに! これをつけて、草食系男子を好きになろう!》



自分の『好み』を変えるチェンジング・フレグランス。


草食系編。



う~ん……やっぱり、こっちはもっと改良しなくちゃいけないかな。

元々、この『草食系編』は、肉食的で危険な男にはまってしまって抜け出せない女性のために開発したんだけど……


「でもな……」


やっぱり、あまり効果が出ないんだよな。

体質に左右されないように、もっと改良しなくちゃな。


「よし!」


早くサンプルを作り直して、主任に見せよう。

そして、いずれは、大々的に売り出すんだ。



自分の『性格』を変えるチェンジング・フレグランス。

自分の『好み』を変えるチェンジング・フレグランス。



この2つを、大規模な戦略販売でヒットさせよう。


「あっ……」


でも、もう1つ改良しなきゃな。

間違って飲んじゃっても、効果は出ないように改良しておかないとな。

あくまでも、お遊び。

この香水は、つけて楽しむお遊びなんだから。


「やっぱり……」


自分の性格や好みは、自分で決めたほうがいいだろうな。



その人の人生なんだし。




それが1番幸せだろうな。







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