思い出口座【短編】

ジェリージュンジュン


もし、来週までにまとまった金が必要なら?


もし、明日までにまとまった金が必要なら?


もし、一時間後までにまとまった金が必要なら?


生きていく上で、お金が無くて困っていたら、誰だってこう思うだろう。



『なんでもするから、今すぐお金を下さい』






****





「あぁ……」



まいった……もう、ほんとにすっからかんだ……


俺は、銀行の待合室に座りながら財布を見つめ、重いため息を吐き出した。


というか、もう、これは財布ではない。


一円も入っていないのだから、これは単なる入れ物だ。


俺の名前は、林田カケル。


一応、長く付き合っている彼女がいるリア充だが、25歳にして、一文無しになってしまった。


原因は、数ヶ月前に始めた株。


友達に進められ、自分でも驚くほどのめり込んでしまい、周りの必死の制止も聞かず、泥沼に入りこんだ結果、全ての財産が消えてしまった。


俺はギャンブルに向いていない。


熱くなり、取り戻そうとさらにのめり込むからだ。


今なら、はっきりと自己分析できる。


まあ、最も今ごろ分かっても意味はないが。



――そんな時だった。



「……ん?」



待合室の近くのパンフレット置場に見たことがないチラシを見つけた。



「思い出口座を……作りませんか……?」



そう。


そこにはこう書いてあった。




【今月いっぱいのキャンペーン! 思い出口座を開設しませんか? 今なら全ての思い出買い取ります!】




何だ?


これは何なんだ?


俺は食い入るように、そのパンフレットを隅々まで見渡していた。



「お客様、もしよろしければ、こちらのブースへ」



すると、にっこりと微笑みながら、案内係の人が声をかけてきた。



「は、はあ……」



不思議だ。


全く内容を理解していない状態だが、あとがない俺は吸い寄せられるように、小さな個室へ自然と歩みを進めていた。



藁にもすがる思い――――



何でもいい。


金になるなら。




その考えしか、俺の頭には存在していなかった。





****




「では」



小さなブースの椅子に腰をかけると、銀行員は慣れた口調で話始めた。



「当行にお預け頂ける思い出は、何かございますか?」


「あ、あの、いったい、どういう……」


「端的に言いますと、お客様からお預かりした思い出の価値に見合った金額を差し上げます」


「え……?」



一瞬で、クエスチョンマークが脳細胞を全て覆いつくしていた。


分からない。


全く意味が分からない。


そんな俺を察してか、それから30分ほど、案内係の人は、じっくりゆっくりと話をしてくれた。

そのおかげで、俺は大まかなことを理解することができた。


つまり、こういうことだ。


この銀行が極秘に開発した特殊な装置を使い、俺の頭の中から思い出を抜き取る。


例えば、遊園地に行った思い出があるとすると、俺の脳内から、


『その時の記憶、その時の体験した事実そのもの』


が、綺麗さっぱり無くなってしまう。


だから、遊園地で遊んだという過去の出来事は無かったことになってしまう。


凄い。


もう、凄いの一言だ。


その後、その思い出をどうするのか?


それは誰かに売るらしい。


例えば、歩けなくなった老人が、その思い出を頭に注入してもらって遊園地に本当に行ったような幸せな感覚になるらしい。


凄い。


もう、凄いの一言以外は浮かばない。


そして、そのあとは一瞬だった。




俺はすぐに契約して、思い出口座を開く手続きに取りかかった。




****




「もう嫌! 別れる!」



「お、おい! 何で怒ってるんだよ??」


「最近のカケル、どうしたの? 私との楽しかったこと、全部忘れちゃったの? それだけじゃないよ! 大喧嘩して仲直りした時のあの観覧車のことだって覚えてないし、私のこと好きでもなんでもないんでしょ!」


「そ、そんなこと……とにかく、落ち着いて……えと、その、、、、」


「……?」


「あれ…………? 君の名前って…………え……君はいったい…………」




誰だっけ?――――――




その直後だった。


俺の右ほほに小さな痛みを置き土産にし、彼女は去っていった。


そう。


俺は、彼女との思い出を全て売ってしまった。


なぜか?


もちろん、高い値がつくから。


草食系の男が増える今の世の中、恋人との思い出の需要は群を抜いて多いらしい。


しかも意外にも、喧嘩の思い出は驚くほど高く売れた。


なるほど。


確かに、付き合っていなきゃ、喧嘩はできないからな。


そういう男からしたら、彼女との喧嘩というのは、夢のまた夢ということか。



そんなことを思いながら、俺は誰だかわからない女性がゆっくりと去っていく姿を、ただただ静かに眺めていた。




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