第18話 はじめての朝

「だって、深蔓みつるだけじゃ、ここの仕事は手に余るでしょう?」


 驚きで空いた口が塞がらないぼくに、母さんは得意げな顔で言う。


「それに、わたしは保護区ここのやり方をよく知ってる」

「で、でもさ、母さん。仕事はどうするのさ?」

「原稿なんてどこでも書けるわ。それに、毎日ここにいる必要はないしね。春日部の家と行ったり来たりで問題ないはずよ」


 母さんの職業は小説家だ。もっとも、最近はもっぱらエッセイや書評の原稿ばかり書いていて、小説はせいぜい年に1冊出れば……という感じ。

 でも、若いころはそれなりに売れっ子だったという。ボロい家とはいえ、春日部に一軒家を構えるくらいだから、嘘ではないのだろう。


「ふむ。少々びっくりしましたが、茉莉子さんも手伝ってくださるなら、私としてもたいへん助かりますね。主にルシルの相手などしてくださると、私の業務も円滑に……」


 八木さんが余計なことを言って、ルシルと母さんに睨まれた。


「あはは……まぁ、それはともかくですね! めでたく深蔓さんの領主就任が決まったということで! 今日はミツルさんの歓迎会&茉莉子さんの復帰祝いといきましょう」


 場の空気をごまかすように、八木さんが両の手のひらをぱちんと打ち付ける。


「本当は昨日の夜にやるつもりだったんですけどね。魔族の迎撃と深蔓さんの看病で流れてしまいましたから。昨日の戦勝も兼ねて、パーッといきたいですね! いま6時だから……ちょっと急ですが、朝十時に下の公民館でセレモニー開始ということで。では、私は村のみんなに連絡を入れてきますね」


* * * *


 保護区で初めて食べる朝食は、木の皿に盛られた丸パンと目玉焼き、サラダだった。なぜかドクダミ茶もついている。

 食事を運んできたルシルによれば、保護区のエルフはあまり肉を食べないらしい。あまりにも現代文化に馴染んでいるようだから、なんとなく毎日マクドナルドでも食べているんじゃないかと思いこんでいたので、野菜や穀物中心の食生活は少し意外だった。

 なんでも、エルフはもともと肉が好きではないのと、周囲の土地が牧畜に適していないのが理由だという。小規模の養鶏は行っているが、卵を取るのが目的で、肉を食べるのは年老いた鶏が死んだときだけだという。それも肉を食べるのが目的ではなく、鶏を供養するためなんだとか。


 早速の文化の違いに驚きながら、身支度を整えるために公民館2階のバスルームに行くと、こちらはユニットバスの現代仕様。シャワートイレまでついていた。

 シャワートイレは海外でも人気だと聞くけど、まさか異世界の妖精族にまで愛用されているとは、メーカーの人は夢にも思うまい。


 バスルームでは一騒動あった。

 ぼくがシャワーを浴びて汗を流そうと脱衣場で服を脱いでいるときに、ルシルが乱入してきたのだ。

 裸を見られて「わっ!」と悲鳴をあげるぼくを見て、ルシルは「深夜アニメでよくあるやつー!」と言ってケラケラ笑い、「はいこれ!」と言って、真新しい衣服一式をぼくに押し付けてきたのだ。


「は、早く出ていってよ!」

「はいはい。じゃ、またあとでね!」


 慌てるぼくを尻目に、上機嫌そうなルシルは嵐のように去っていった。


 着替えを済ませると、次はバイト先の本屋に連絡。

 おそるおそるLINEで「当分バイトに出られなくなりそうです」と店長に連絡を入れると、すぐに「昨日、親戚の人から連絡があったよ。お祖父様が亡くなられたんだよね。大変だったね」と返信が来た。

 驚きつつ話を聞くと、どうやら八木さんが先に手を回していたらしい。

 昨日のうちに、ぼくの祖父の部下を名乗って店に電話をかけ、「外国に住んでいる深蔓くんの祖父が亡くなりまして、葬儀で急遽日本を離れなければならなくなりました。相続の関係で、しばらく日本には帰ってこれません」とかなんとか、そんな説明をしたらしい。

 嘘は一つも言っていないのだが、なんだか釈然としない気持ちになった。

 気のいい店長は「ご家族の不幸で海外とは大変だったね。スタッフのみんなには僕から伝えておくよ。きみがいなくなると、男は僕だけになっちゃうから、女性陣が寂しがりそうだねえ」と言っていた。


 その後は、数少ない友人たちにメールやメッセージを投げた。

 八木さんの説明を使わせてもらい、家族の都合でしばらく日本を離れることになると告げ、ときどき戻ってくると思うので、そのときはよろしくと付け加える。


 そうこうしているうちに時計の針は午前9時を回っていた。

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