こちら日本国、埼玉県エルフ保護特区

怪奇!殺人猫太郎

プロローグ

 薄暗い和室の一室で、その老人は長い生の終わりを迎えようとしていた。

 彼の日焼けした顔に刻まれた皺は深く、仙人のように雑に伸ばした髪の毛と髭は、往時の輝きと黒さを失い、生気のない白に染まっていた。

 着流しを身につけ、籐の安楽椅子に深く腰を下ろした老人は、窓の外に広がる畑を眺めながら、深いため息をつく。


「ねえ、寿命で死んでいくって、どういう気分?」


 老人のため息に呼応するように、部屋の隅から声がかかった。

 若々しく、つややかな女の声だった。

 女の声を聞いた老人は、楽しげにふん、と鼻を鳴らし、しゃがれた声で答える。


「なんだ、こんなものか、という感じだな」

「100年も生きたわりには、ずいぶん散文的な感想ね」

「気の利いたセリフは、きみたちのような、美しいお嬢さんを飾るのに使い果たしてしまったからね。自分の人生を飾る言葉は品切れなんだ」


 老人はそう言いながら、肺の奥に溜まった濁った空気を、咳と一緒に吐き出した。部屋に、かすかな死の気配が漂う。


「俺の人生、言葉で飾る必要はないよ。きみたちの存在が、十分に飾り立ててくれたからな」

「……思い残すことはないの?」

「ふむ……。ないっていっちゃあ嘘になる」


 老人は再び咳き込んだ。先ほどよりも強く、深く。


「……俺が死んだら、この里を管理する人間がいなくなる。まぁ俺がいなくても、きみたちはうまくやっていくだろうが、不便といえば不便だろう」

「そんなことを気にしてたの?」

「気にするさ。だから、代わりの管理人を用意することにした」


 老人は深く、ゆっくりと息を吐く。


「知ってるだろう? 俺には孫がいる。家を飛び出してった、あの娘。あれの子供だ」

「もちろん。忘れるはずはないでしょ」

「その子に管理人をやらせる」

「うまくいくのかな?」

「きみが盛り立ててやってくれ。俺はその子と一度も会ったことはないが、俺に似た優しい子だと聞いている。まぁ俺に似てりゃあ、なんとかなるだろう」


 老人の言葉に、女は苦笑を返した。


「最後の最後までいい加減で、自分勝手な人ね」

「その通りだ。すまないね」


 老人は楽しげに笑った。


「もう遺言状は用意してある。俺がくたばったら使ってくれ。手が空いたら、孫に会いに行ってやってほしい」

「その子、管理人の役目、引き受けてくれるかな?」

「引き受けさせるのは、きみの仕事。大丈夫だよ。アルバイト暮らしでぷらぷらしていると聞いている。きっと引き受けてくれるさ」

「ふぅん……まぁ、わかった。まんざら義理のない相手でもないしね。頼まれてあげる」


 諦めた声で女がそう言うと、老人は満足げに目を瞑り頷いた。

 そして、部屋には長い沈黙が訪れる。


「ねえ?」


 しばしの沈黙ののち、女が話しかけたが、老人は返事を返さなかった。

 女は深く息を吸い込み、長息した。


「……眠ったのね。好き勝手に押し付けるだけ押し付けて。まぁいいよ。あなたの最後の頼み、果たしてあげる」


 女は部屋の陰から進み出ると、部屋を仕切る襖を開けた。

 陽光が、女の姿を明らかにする。

 金色に煌めく長い髪をなびかせながら、女はその部屋をあとにした。

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