第132話 武闘会開幕~準決勝

 翌朝。

 穏やかな気持ちで自然と瞼が開き、宿の一室で目を覚ましたわし。ふと窓辺を見やると、カーテンの隙間から燦燦と陽光が差し込んでいることに気づいた。

 ――まさか、またか……?

 慌てて掛け布団を払い、壁掛けの時計を確認する。時刻は午前九時、予選が始まるという七時をとうに過ぎていた。

 聖都を出た時よりも一時間ほど早いとはいえ、これはお寝坊だ。

 起きられない自分が悪いのだが、しかし誰も起こしに来てくれんとは……。

 寂しさに涙目になりながらも身支度を整え、わしは急いで宿を飛び出る。

 道行く人々を次々追い越し町の東にあるコロシアムへやってくると、建物前の広場は入場出来ずに溢れかえる人々でごった返していた。

 そこまでの人気とは知らなかったな。


「ちょいとすまんが、関係者だから通してくれ」


 断りながら人や魔物をかき分けるわしに、怒気を孕んだ視線や悪口雑言が向けられた。こんなことなら皆と一緒に来ればよかった……。

 なんとか門までたどり着き、警備に当たる衛兵に身分証として『勇者の証』を示すと、すんなり中へ通してくれた。どうやら仲間たちが話を付けておいてくれたらしい。

 観戦席は二階より上ということで、受付の脇から伸びる階段をいそいそと上る。――と。目の前には、ソフィア以外の女子たちの呆れ返った顔が勢ぞろいしていたのだ。


「まったく。おっさん、最近寝すぎだろ。もう予選終わっちまってるぞ」

「むう、やはりか……。というか、なぜ起こしに来てくれなかったのだ?」

「勇者さん、いい年なんだから自分で起きなよ。目覚ましくらいかけられるよね?」

「あの壁掛け時計にそんな機能が付いていたのか?」

「宿の時計は基本付いてるよー。オジサンはホントしょうがないなー」

「そう思うのなら、今度から誰か一緒の部屋で寝てくれんか? それならばわしも安心というか」

「あたしらが安心できねえだろ、それ」


 やれやれと首を振るライアがため息交じりに呟く。

 別に取って食べたりしないというのになぁ……つまんでみたりはするかもしれんが。ちょんと、ちょんとな! 突っつくくらいはどうだろうか?

 ……いいやダメだな。さすがに好感度を下げてはハーレムが遠のく。夢の実現のためにも我慢せねば。据え膳食わねど恥は飲み込めとな、よくは言わんが聞きもせんだろう。だがわしはそう思うのだ!


「なんでスッキリした顔してんだよ、呆れてるんだぞこっちは」

「む、すまんすまん。しばし男の在り方とやらをちょいと考察していてな。ところで、ソフィアの予選の結果はどうだったのだ?」

「余裕で通過だったよ、さすがソフィアだよね」


 クロエの話によると。女性の出場者が今回はソフィアのみということで、弱そうだと一番に標的にされたらしく。一斉に飛びかかってきた魔物たちを倒立したまま蹴り技を繰り出し、一瞬で吹っ飛ばしたそうだ。その時点で立っていた四名が本選出場となったらしい。ちなみに本選出場選手二十名の内、シード枠の選手は四人だそうだ。組み合わせを聞く限り、順当に勝ち上がれば決勝戦はチャンプと当たるだろう。


「それにしても、ずいぶん簡単な予選だったのだな」

「でもまあ、余計な体力使わずに済んだからさ、よかったじゃん?」

「うむ、それもそうだな。次は一回戦か、ソフィアはどうしておるんだ?」

「あいつは選手控室で次の試合待ちだ。それとおっさん、ソフィアの一回戦どころか二回戦までとっくに終わってんぞ」

「なに? それで結果は?」

「あの受付に並んでたホブゴブリン、あとシードの武道家とやって、どっちも一発ぶん殴って終わりだ」


 あのホブゴブリン、一回戦でソフィアと当たったのか。なんと運のないやつだ。

 ある意味同情していたら、楓がその時の状況を補足する。


「イキってた割にめちゃくちゃ弱かったよねーあのホブ。挙句場外で死んだフリなんてしてさ。それ見破ったソフィアが地面叩き割ると涙目で許し乞うなんて。まあ仕方ないんだろうけど、見てて思わず笑っちゃったよー」


 相手を死なせたら失格および出禁。さすがに死んだフリは卑怯だと普通は思うところだな。……いまさっきの同情は撤回しておこう。


「ところで準々決勝はいつ始まるのだ?」

「昼の休憩が明けてからだってさ」

「それまで暇だね。どうする、残りの試合の観戦でもする?」

「それも良いが、ソフィアを労いに行きたいな」

「控室は選手以外立ち入り禁止だぞ」


 ライアの無情な一言に、わしはがっくしと肩を落とした。

 でもまあ、ソフィアならばなにも心配することはないだろう。

 うむと一つ頷いたその時、ぐぅうう――と腹の虫が大きく鳴いた。


「……そういえばわし、まだなにも食べとらんのだ。朝昼兼用でなにか食べに行かんか? お前さんたちも混み始める前に食べておきたいだろう?」

「ったく、しょうがねえなおっさんは。けどそうだな、一階に食堂あるから、混む前に先に昼済ませとくか」

「そうだね」

「アタシもさんせーい」


 ではいざ参らん、と足を踏み出しかけたところで。あと一人分の返事がないことにいまさら気づき、周辺を見渡すもやはりその姿は見当たらなかった。


「あれ、ベルファールはどうした? お花でも摘んでおるのか?」

「あいつなら小難しい顔して、一人で試合観戦してるよ」

「勇者さんがいないと一人で行動しちゃうみたい」

「逃げたりしないみたいだし、あとで合流しても問題なさそーだよ」

「そうなのか。ならばあとでつまめる物でも買っていってやるか――」


 そうして一階の食堂へと向かったわしら。

 サラダ、ステーキにハンバーグ、フィッシュアンドチップスと山盛り食べた後。クロエと楓はパンケーキ、パフェなんかをデザートに頼んだ。女子にとって甘いものは別腹らしいからな。

 わしも勧められたが、さすがに脂っこいものを食べすぎたせいか胃がもたれたので、丁重に断っておいた。

 腹も膨れたところで。ベルファール用にフィッシュアンドチップスをお持ち帰りし、一人観戦している彼女のもとへ戻る。

 すると、真ん中辺りの前から二列目に座るベルファールの周辺だけ、異様な光景となっていた。

 まるで忌避するように、半径五メートル以内に人も魔物の姿もなく、その部分だけ観戦席は貸し切りのような状態になっていたのだ。


「……見事なまでに誰も寄り付かんな。まあ、ごちゃっとしているよりはマシだが」

「ん? なんだお前、ようやく来たのか。勇者というのはのん気なものだな」

「のん気な役職ではないが、寝坊したのは事実だな。まあそんなことより、ほれ、お前さんの分だ」


 わしがフィッシュアンドチップスの入った舟形の皿を差し出すと、ベルファールはキョトンと小首を傾げた。


「なんだこれは?」

「つまみだ。腹が減っているのではないかと思ってな」

「……これは、イモと魚か」

「もしかして嫌いだったか?」

「いや、肉と葉っぱと果実しかほとんど食べてこなかったから不思議なだけだ」

「割と味がしっかりついておるし、きっとお前さんも気に入ると思うのだが」


 皿を受け取った彼女は魚のフライを摘まみ、愛らしい口元へと運ぶ。端っこに噛り付くと、味に驚いたように軽く目を瞠った。


「おいしい……」

「そうか、口に合ってよかった」

「……まあせっかくだからもらっておいてやる」


 ぶっきらぼうにそう言って、もくもくと食べ進めるベルファール。なんだか小動物のようだな。これを見る限り、凶悪な四天王だとは誰も思えんだろう。

 彼女の隣の席に腰を下ろしたところで、場内アナウンスが流れた。

『まもなく三回戦、準々決勝第一試合、ソフィア対キルキルを開始します』

 その言葉に会場が湧く。割れんばかりの歓声だ。

 準々決勝は四試合。勝ち残った選手はソフィアを含めて八名。この辺りから強くなりそうな予感がするが。今のソフィアならば敵などいない、仲間だからこそ分かる。彼女は強い。本人がどう思っているかは分からんがな。

 裏に秘めたる想いがあろうとなかろうと、わしらは皆ソフィアを信じている。

 仰々しいドラの音が会場に響き渡り、北と南に設けられた扉から選手が入場してきた。

 北側のソフィア、南側のキルキル。

 ソフィアは普段の装備ではなく、動きやすそうなシャツにスパッツという格好だった。おそらく大会側指定のものだろう。これならば、武器など持っていればすぐに気づけるしな。

 対してキルキルは、ひょろりとした細身の体に太い尻尾を持つトカゲだ。見るからに弱そうな見た目だが、それを判断するのはまだ尚早か?


「……しかし変わった名前だと思ったら、やはり魔物だったのか」

「ちなみに言っとくと、準々決勝に残ってる人間はもうソフィアだけだぞ」

「やはり同条件ならば頭八つくらいは抜きん出るな。だが相手もここまで残っているのならば、それなりの強さなのだろう。それならそれで、手加減の必要はなさそうだから思いきりやれそうだな」

「さすがに全力は出さないだろうけどね」

「あ、オジサン、そろそろ始まるみたいだよ」


 石造りの円形リング中央で両者が正対する。

 禁止事項が簡潔にレフェリーから告げられると、試合開始の鐘の音が鳴らされた。

 まず動いたのはキルキルだ。動きはさほど早くない。

 ソフィアは向かってきたトカゲの顔面を狙い、リーチの長い蹴りを繰り出した。確実に当てにいく速度で、大抵の魔物ならばそれで倒れるほどの威力だろう蹴りだったが――

 落ち葉が急に翻るように寸でのところで蹴りを避けたトカゲは、勢いを殺すことなく足を踏み変え、ソフィアの背中に向けて尾を振った。

 鞭のように伸びてきた尾の軌道を見極めたソフィアは、瞬時に地に伏せトカゲの足を払う。体勢を崩したトカゲに追撃するため床を蹴り跳躍すると、前宙しながらかかと落としを叩きこんだ!

 ドゴォ、と重く鈍い音が響く。あ、これは死んだな――わしでもそう思うような嫌な音だったが……。

 なんと先ほどまで細身だったキルキルの体が筋骨隆々のマッチョへと変貌していたのだ。腹部の分厚い筋肉で、見事なまでに蹴りを凌いでいる。よく見れば、尻尾が逆にマッチのように細くなっていた。これは見た目的にもかなり変態だ。


「ヤツの試合を見ていたが、あの尻尾で攻防を高める変わった戦術をとるらしい」

「ベルファールの目から見て、あやつの強さは如何ほどだ?」

「魔法が使えるなら一瞬で消し炭だろう、あんなザコ」

「そりゃあ魔法が使えたら、お前さんからすれば大抵雑魚だろうに……」

「まあそれでなくとも、技が使えるのなら問題はないだろ。ヤツの特技はあれだけだからな。あの女がそんなものに劣っているはずがない」


 獄黒からのお墨付きをもらった。

 魔法が多少使えるとはいえ、ここまでほぼその肉体一つで戦ってきたソフィアだ。あの程度の魔物に負けるはずはないな。かかと落としを防いだのは驚いたが……。

 現に、立ち上がるキルキルを前に涼しい顔をしているソフィアを見れば、大丈夫なのだと分かる。その拳は黄金の闘気に包まれていた。

 よほど自分の防御力に自信があるのだろう。キルキルはニタリと笑い自身の腹部をちょんちょんと指で示す。

 相手の挑発的な行動にも表情を崩すことなく、ソフィアは静かに構えをとった。

 キルキルが腹部に力を入れたのを見咎めると刹那で飛び出し、二歩で間合いを詰めその土手っ腹に拳を叩きこむ!

 衝撃波を伴いながら弾けたオーラが、咆哮するドラゴンの頭部を具象化するドラグーンフィスト。

 いつもよりは威力が控えめだったのは加減したせいだろう。だがそれでも威力は抜群。余裕ぶっていたキルキルは、場外どころか壁まで見事に吹っ飛び背中を強かに打ち付けた。

 白目を剥いて地面に倒れたトカゲに駆け寄ったレフェリーが、急いで生死を確認する。

 どうやら息はあったようで、「――勝者、ソフィア!!」と勝利が告げられた。

 湧く会場を後にしようとしていたソフィアが、ふとわしらのいる観客席に気づく。

 手を上げたわしに、控えめに手を上げ返し、そしてソフィアは扉の向こうへと消えていった。

 このけたたましい歓声の中では言葉は届かんな。次も頑張れ、その応援が届いていると良いのだが。


 それからの試合も観戦したのだが。

 まずソフィアの次の対戦相手を決める第二試合。

 ポポルという白い毛むくじゃらで剛腕を持つ、なんというのだろうな、とにかく丸くてずんぐりとした背の低い変な魔物と、レッサーマーダーという本来は両手に斧を持つらしい、殺人鬼を自称する赤い肌をした魔物の対戦。

 試合結果は、ポポルの剣山のように毛を逆立てる防御術と、剛腕から繰り出される一撃を前にレッサーマーダーが倒れ、ポポルが次戦に進出。ソフィアの対戦相手が決定した。


 第三試合は、長いかぎ爪が特徴のガラシュという青黒いガーゴイルと、目にも止まらぬ素早さが自慢のバルパルバスという名の鳥人種。

 結果は、飛び回り素早い動きで相手をかく乱するも、ガラシュのかぎ爪で羽根をむしられ飛行能力を失ったバルパルバスの負け。

 飛べない鳥はただの鳥というわけだな。逃げ回る姿はまるでニワトリだった。


 そして注目のチャンプ、ワンダレン・ワンダーマスク、通称ワンワンが登場した第四試合。

 黒い犬のマスクをかぶったふざけた容姿とは裏腹に。二メートルを超すひと際大きな浅黒い体躯に四本の腕、キルキルとは比較にならない筋肉量。全身からあふれ出すオーラは汗臭そうだが、たしかに過去四回連覇しているというだけあって存在感がすごかった。

 対する魔物はモリーオーリー。こちらは筋肉自慢ではなさそうだが、ワンワン同様格闘が得意そうな猿型の魔物だ。

 いざ開始の鐘が鳴らされると、会場は異様な空気に包まれた。

 まず歓声の質がまったく違う。ワンワンの応援しか聞こえてこない。

 そして何より試合内容だ。腕を組み仁王立ちするワンワンを、モリーオーリーがひたすらサンドバッグにするだけの時間が流れた。

 決して壊れないサンドバッグを殴り続け、削られていく猿の体力。

 猿もこのままでは埒が明かないと思ったのだろう。

 ライアと出会った頃に聞かされた猿型の魔物の特技、おそらくおならをかましたのだ。

 臭気に中てられ腕を組んだまま意識を失ったワンワンに、ここぞとばかりに攻撃をし続けるモリーオーリーだったが。

 やはりその圧倒的な防御力の前にはなす術もなく、目を覚ましたワンワンに一撃を見舞われ簡単にのびてしまった。

 試合時間はなんと一時間。内容的にはつまらん試合だったが、相手の実力は相当なのだと分かる。

 はたしてソフィアはどう戦うのだろうか……。


 それから小休止を挟んでの準決勝。

 第一試合はもちろんソフィアとポポルの試合だ。


「いよいよ準決勝か……なんだかわしまで緊張してきた」

「相手はあの毛むくじゃらの魔物だろ? つうかあの針みたいな毛は卑怯じゃねえか?」

「やっぱり体から生えてるものだから、武器にはならないんだよね」

「でもま、ソフィアなら大丈夫っしょ。きっと対策くらいは考えてるはずだよ」

「まああいつならごり押ししてでも潰しそうな気はするけどな。カッとなったら遠慮しねえタイプだから」


 たしかにそんな場面は何度か目撃したな。

 思い出すといまでもマイサンが恐縮するのは、躍る木偶人形に踊らされた時のこと。わしのお珍宝が大回転した時に、苛立ちと共に人形を木っ端にしたのはよく覚えている。

 一触即発の瞬発力たるや、パーティーの中では群を抜いているかもしれんな。

 これに勝たねばチャンプとの試合はないが、あの毛むくじゃら程度がどうにか出来る女子ではないとわしらは知っている。

 安心して見守るのが良いだろう。

 しばし会話に興じている内に、やがて選手入場のドラが鳴らされた。

 北門から悠然と歩いてくるソフィア。南門からもぞもぞと入ってきたポポル。

 あのモフモフの毛が針山になるだなんてことは、初見ではまるで想像がつかんな。だがすでにタネはバレている。

 リングに上がり、ソフィアはポポルを見下ろした。その表情はいつもと変わらない、冷静沈着だ。

 毎度おなじみの禁止事項の説明を終えたレフェリーがはけ、『――それでは準決勝第一試合、ソフィア対ポポル、始め!』厳かに試合開始の鐘が鳴らされる。

 ポポルが準備運動のように腕を動かし、グッと拳を握った瞬間――ソフィアが先制し鋭く薙ぐように蹴り込んだ。

 ビュバッと風を砕くような音が歓声の間を縫って、観戦席のわしの耳元まで届く。

 先制での速攻、これは確実に仕留めた! 少なくともわしはそう思ったのだが、甘かった。

 ポポルの毛が瞬く間にぶわっと膨張し、前の試合で見た防御型「針毛玉」状態に瞬時に移行したのだ。

 咄嗟に蹴りの軌道を修正し、頭部の毛先すれすれを掠めるようにして蹴り抜いたソフィアだったが。微かに顔をしかめたのがここからでも確認できた。

 見るとふくらはぎ辺りから血が出ている。


「ソフィアがケガをしたようだぞッ?!」

「落ち着けよおっさん、あんなのはかすり傷だろ。まあ、あの状態になられる前に叩くつもりだったんだろうが、こいつはソフィアにとっても想定外だろうな」


 ポポルとの距離を取り、ソフィアはケガの具合を確認するように床を強く踏みつける。大丈夫だと自ら鼓舞するように頷くと、すっと相手を見据え構えた。

 そして、今しがた傷を負ったばかりの右脚に闘気を集中させていく。

 ソフィアの技の中で、おそらく唯一の斬撃になるであろう「アゼルドラクト」だ。

 なおも防御の型を解かないポポルに不敵に笑むと、ソフィアは移動しながら技を繰りだした。

 美しい軌道を描く、無数の蹴りから放たれる闘気の刃が針山を次々と斬り落とす。滑るようにダッシュし相手の側面、背後と繰り返し、絶妙な深さで毛を刈り取っていく。

 やがてポポルの地肌が透けるほど毛が削がれると、驚きの体系が現れた。

 なんというか一言で表すなら「親近感」というやつだ。腕はゴツいが腹はだらしない。いや、わしは丸いだけでだらしない腹はしとらんが。

 とにかくぶよぶよだったのだ。

 それを目にしたソフィアは呆れるように肩をすくめた。

 ポポルは恥じるように腹を隠す。完全に針毛玉が解け、丈夫そうな腕だけが重なるその一瞬を見逃さなかった。

 拳に纏わせた闘気は螺旋を描きながら前腕を覆う。

 飛び出し一気に間合いを詰めて打突した正拳突き、「武王螺旋衝」の一撃はポポルの腕を軋ませながら吹っ飛ばした。

 錐揉み大回転しながら壁に叩きつけられたポポルは、しぶとくも立ち上がろうとし――しかし前のめりながら地面に倒れこむ。

 レフェリーが駆け付け息を確認――「勝者、ソフィア!」と告げられた言葉に、会場が湧いた。

 まさか人間が決勝に上がれるとは思ってなかった魔物たちも、素直な歓声を送っている。まあ、中には「チャンプに叩き潰されろー!」だとか「負けたら可愛がってやるぞー!」だとかふざけた言葉を吐く者もいるが。

 ……というか、ソフィアを可愛がるのはわしだけだからな。魔物風情が触れていい女子たちではない、断じて!

 心無い言葉と頭の悪さに苛立ちを隠せず、ついついアールヴェルクの柄に手を掛けそうになったところ――

 リングを後にしようとしていたソフィアと、ふと目が合った。

 ニコッと笑いながら親指を立てた彼女を見て、つい年甲斐もなくキュンとしてしまう。怒りなど完全に霧消した。珍しくポニーテイルにしているところもかわいいな。

 わしにとっての鎮静剤は、女子たちの笑顔だ。

 ポポルが担架で運ばれ、ソフィアが控えに戻った後、場内アナウンスが流れた。


『皆様、本日はザクスリード武闘会へご来場いただき、誠にありがとうございます。準決勝第二試合を予定しておりました、「ワンワン対ガラシュ」の試合は、ガラシュ選手が棄権を申し出たため、前回チャンプのワンワンの不戦勝となります。試合を楽しみにされていた皆様には、どうかご了承いただければと存じます。同時、準決勝を終えましたので、本日の日程はこれにて終了となります。決勝戦は中一日休みを取り、明後日の午前十時からとなりますので、よろしくお願いいたします。それでは皆様、決勝戦でまたお会いしましょう。それでは――それでは……それでは……』

「なぜ最後だけ無駄にエコーがかかっとるんだ?」

「運営側の計らいだろ。そんなことより、ソフィアを労いにでもいってやろうぜ」

「そうだね。ケガしてるみたいだし、回復してあげないと」

「ねぇみんな、今日は決勝進出祝いでパーッとどこか食べ行こうよ!」

「うむ、それもそうだな。ベルファールも来るだろう?」


 わしがそう訊ねると、彼女は空になった舟形の皿に目を落としながら口を開く。


「……これはあるのか?」

「これ?」

「この魚とイモのやつ」

「たぶんあると思うが――」

「なら行ってもいい」


 ……どうやらフィッシュアンドチップスを気に入ったようだな。

 これは塩とピリリと黒胡椒をきかせたシンプルなやつだが。ほかにもガーリックやレッドペッパーなどなど、いろいろ種類があるからな。

 ベルファールもきっと喜んでくれるだろう。


 それから一階へ下りたわしらは、エントランスでソフィアと合流した。

 その姿は、いつもの見慣れたバーテンのような服装に戻っている。


「お待たせ、みんな。待っていてくれてありがとう」

「なんだよ、珍しく素直だな」

「まあ、たまにはね」


 からかうライアにソフィアが微笑みを返す。

 そんな彼女にクロエが近づき、すかさず「クラウセンディア」を唱えて全快させた。


「かすり傷だろうけど、いちおう回復しとくね」

「ありがとう、クロエ」

「ねぇソフィア、この後みんなでご飯食べに行くんだけど、行くよね?」

「それは決勝進出祝いか何か?」

「そうそ、優勝したら優勝祝いをまたするんだけどさ」

「そうね。お昼もろくに食べてないし、お腹は空いてるから。いいわ、行きましょう」


 ということで話もまとまり、わしらは町の酒場へ向かうことになった。

 お腹が空いているという話は本当らしく。山盛りのサラダにスープ、ローストビーフに骨付き肉、ピザにミートパイなどを次々に平らげていった。

 フィッシュアンドチップスをベルファールと奪い合う姿は、なんだか微笑ましく映る。

 久しぶりにソフィアの健啖家ぶりを目の当たりにすることになった夜は、賑やかにそして楽しく更けていったのだ――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る