第120話 古の聖都エーデルクルス

 石柱を順序良くなぞり森を歩くこと一時間弱。

 わしらはようやく町への入口である門までたどり着いた。

 花や唐草のレリーフが掘られた大理石の門は、ところどころ宝石で彩られており洒落ている。アルティアが近づくとそれらの宝石が輝いて独りでに門が両開き、わしらを中へと誘った。

 続く石畳の小路は背の低い石垣に囲まれ、その積み石の隙間から顔を出す花々は力強く咲いている。

 聖域の被害はまだそこまで心配するレベルにはないようで、一安心といったところか。


「この先、私から絶対に離れないで。はぐれた場合、命の保証は出来ないから」

「お前さんがいれば安心できるのか?」

「少なくとも、問答無用で攻撃されるってことはないと思うけど」


 アルティアの言葉に緊張が高まる。

 なぜなら。姿は見えないが、森のそこかしこから敵愾心を隠しもしない気配が感じられたからだ。

 恐らく彼女が言っていた凄腕のアーチャーというやつだろう。

 敵を確実に排除するための精鋭部隊、その一つに違いない。

 怯えながら方々に目をやり石畳の通路を歩いていくと、やがて視界が開けた。

 色とりどりの花木が目に鮮やかな、石造りの町。意外にも、町はかなりの広さを誇っていた。

 清涼な空気の中で佇む建築物群はところどころ崩れているものもあり、苔むしたり葦が這っていたりと、まさに古代遺跡の様相を呈している。

 町の奥。なだらかな丘陵の先には神殿のような建物もあって、この地の神聖性がビシビシと肌で感じられた。

 だが人っ子一人見当たらないのはどういうわけだろうか……。

 しかしそんな疑問も吹き飛ぶような光景を、わしらはすぐに目の当たりにする。時を止めたような静寂の中、ひときわ目立つその存在にただただ圧倒された。

 神殿のさらに奥。馬鹿みたいに大きな巨木が堂々と聳えていたのだ。目算でも高さ五百メートルは下らないだろう。幹も立派という言葉を軽く凌駕するほどに太い。


「まさか、あれが聖樹ユグドラシルか……?」

「あんなデカかったのかよ」

「でも、あれだけ大きな樹木なら外からも見えそうなものだけど」

「たしかに。けど森の外からは見えなかったよね?」

「どうなってんだろ。不思議だねー」


 女子らが感じた疑問に、アルティアが答える。


「それはここまで来るために通ってきたあの石柱のせいよ。あれは道しるべとトラップであると同時に、この聖都エーデルクルス一帯を覆い隠す多重結界の役割を担ってるの。魔物の侵入もある程度あれで防げるわ」

「それで外からは一切見えなかったわけなのだな」


 森にはトラップが数多く仕掛けられている。故に、あの石柱がむやみに破壊されるという心配は、あまりしなくてもよさそうだ。

 わしがふむと頷いたその時。


「アルティア様――」


 と名を呼びながら、陸橋のアーチ門の影から一人の女性が現れた。

 淡い水色の長い髪、涼しげなアメシストの瞳。身に纏う薄い緑を基調としたローブと濃緑のマントは、エルフという種族によく似合っている。手にしている長杖は年月を感じさせる古木で出来ていて、ねじれながら鮮やかな青の宝玉を抱いている。

 風貌からして、恐らく魔導士か何かだろう。

 上の世界と違い、どうやらこちらのエルフはわしらと同じく衣服を着る概念が存在しているようだ。

 こちらへ歩いてくる女性に対し、アルティアはたじろぐ様にしてわずかに仰け反った。


「げっ……エステル。……ただいま」


 どこか気まずそうに顔を背けながら、アルティアは帰還を告げる。

 厳しい目つきをしていた表情をやわらげると、エステルと呼ばれた女性は呆れるように小さく嘆息した。


「はぁ。ご無事でなによりです。が、あんまり私たちを心配させないでください。ただでさえ外界は危険が多いのですから。それにオルハまで駆り出して……。次期女王のお立場なのですから、自覚を持っていただかないと」

「説教なら聞きたくない。勝手に外出したことは悪いと思ってるけど、一つ訂正しとくわ。オルハが出て行ったから私は探しに行ったのであって、私がこの子を駆り出したわけじゃないから勘違いしないで」

「いずれにしても、心配をかけさせられた私の心労は計り知れません」

「そうは見えないけど……」


 アルティアが言う通り、感情が読めないくらいエステルの表情にはあまり変化がない。

 そんなことよりも、わしはある言葉が引っかかった。


「ちょいと待て。いま聞き間違いじゃなければ、次期女王と聞こえたが。まさかアルティアはプリンセスなのか?」

「様をつけろ外野」


 殺意のこもったような鋭い眼差しが飛んでくる。

 思わずヒエッと声を上げてしまった。


「エステル、いいの」

「よくありません。見れば人間ではないですか。関わることだけでも汚らわしいのに、このような汚物を聖域に入れるとは正気ですか?」


 エステルの辛辣な物言いに、目を怒らせたのはライアだった。


「汚物とはずいぶんな言いようだな」

「森を穢すモノならばすべて汚物だろう?」

「あ、やんのか?」

「王家の守護を預かる身として、異物を排除し洗浄するために我が杖を振るうことはやぶさかではない――」


 鯉口を切ったライアと、杖を突き出すエステル。

 日の光を鈍く反射するはばきと、怪しく輝きだす青い宝玉。

 いまにも戦闘に発展しそうな一触即発の二人の間に、「待ちなさい!」と咄嗟に割って入ったのはアルティアだ。


「双方ともに武器を収めて! プリンセスとして命じるわ」

「アルティア様、なぜこのような者たちを庇われるのです? 人間ですよ」

「それはいろいろと理由はあるけど……。あなたは到底信じないだろうけどね、」


 アルティアは困り顔をしてわしを見る。


「あなた様の言葉なら信じます」

「彼はこう見えて勇者よ」

「嘘ですね」

「ほら信じないじゃないの……しかも秒だし」


 気の抜けたような顔をしてアルティアは肩を落とした。

 杖の先をライアからわしへと向けたエステルは、猜疑的な目でわしを凝視する。


「このような男が勇者であるならば、もはやオルハですら勇者になれそうですよ。こんなずんぐりした蛮族みたいな頭をした野蛮そうな男が、伝説の勇者であるはずがない」


 野蛮とは言われたことがあった気もしないでもないが、蛮族とは初めて言われたな。「ガンゴロチッタ、バスク」とか意味不明なことを言っていた荒くれどもが懐かしい。

 しかしどこへ行っても、わしが勇者であることはなかなか信じてもらえんのだな。いちいち証を取り出すのも面倒になってきた。

 だが、それが一番手っ取り早い方法だろう。わしは道具袋から証を取り出し、そして示す。


「これなら信じられるか?」

「……それをどこで拾った?」

「失敬な……そんなわけがないだろうに」


 その程度の反論しかできない。

 女神に認められはしたものの。思い返せば、これは前勇者の家の表札から取ってきたものだからだ。それを馬鹿正直に言うわけにもいかんし、はてどうしたものか。

 気まずさにわしが目を泳がせていたところ――「え……それは本当ですか?!」と突然エステルが声を上げた。


「はい、……はい……なんとそのようなことが。……信じたくはありませんが、信じるほかなさそうですね。……はい、そのように」

「エステル? もしかして例のアレ?」

「はい。アルティア様、どうやら信じないわけにはいかないようです。……神託がありました。女神からの啓示です」

「女神?」


 とわしらが揃って小首を傾げると、アルティアがそれについて補足してくれる。


「エステルは王家の守護者であると同時に神託の巫女でもあるの。ごくまれに、女神の声が聞こえるらしいわ」

「それ以前に、私はあなたの侍従です」

「そのわりには、町の外へまではついてこないのよね」

「一緒について行っては、外をうろついて帰ってきたあなたにお説教できませんから」

「そんな理由なの……」


 疲れた調子で呟くアルティアの傍らにエステルがそっと並ぶ。

 そしてわしを見て言った。


「お前が上の世界を救ったという話を女神から聞いた。そしてこの世界の四天王を三人倒していることも。力が弱まっている中で女神が私によろしく伝えたということは、それが重要なことで真実なんだろう。だから、信じることにする」

「そうしてもらえるとありがたい」


 わしは小さくお辞儀をして礼を述べる。

 最近わしに話しかけてこないから忘れかけていたが。女神もいま大変なのだな。早いところ妹を救出してやらねばならん。そのためにも、心身ともにもっと強くならねば。


「それはそうと。エステルがこんなところまで私を迎えに来るなんて珍しいわね。町の人たちも見当たらないし、どうしたの?」

「女王陛下から大切なお話があるとのことで。警備の者を除き、急遽全員が神殿に召集されました」

「母様から大切な話? それは穏やかじゃないわね」

「はい。どうやら聖樹に関することのようです」


 エステルが静かに告げると、アルティアの表情に危惧が滲んだ。

 エーデルクルスの、引いてはこの大陸全土に関わってくることだから、危機感も募るのだろう。


「一緒に話を聞きに行きたいが、さてわしらはどうしたものかな」

「どうって。そりゃ行くしかねえだろ、おっさん」

「そうですわ。一体なんのために来たのです?」

「それはそうなのだが。たくさんのハイエルフたちがいる中にというのは緊張するものだろう? 皆がわしに押し寄せてきてくんずほぐれつ、なんてことになったりしたらと思うと……」

「そっちの心配かよ」


 もはやハーレムなんてレベルではないな!

 むふーと吐き出した鼻息が熱い。


「そんなことにはならないから安心していいよ。むしろ攻撃されて消し飛ばされるんじゃないかな?」

「そうそ。オジサン見るからに不審者だしねー」


 女子たちからも相変わらず言われ放題。だがこれが、このパーティーの正しい在り方なのだろう。


「失敬な。鎧はいまだ新調できとらんが、見た目はあれでもれっきとした勇者! なればこそ、いいだろう。この勇者ワルド、大人しく話を聞きに行くのもやぶさかではない」

「端からそれだけが目的ですわ……」


 呆れるソフィアの呟きに、皆やれやれと肩をすくめる。

 ふと視線に気づいて目を向けると、アルティアがわずかに目を瞠ってわしを見ていた。


「あなた、ワルドなんて名前だったの? 見た目のみならず名前まで胡散臭かったのね」

「自慢じゃないが、たまに言われる」

「まあでも安心して。いくら人間嫌いだからと言っても、オルハが懐いている姿を見れば害がないことは母も信じてくれるはずよ。たぶん……。それに、神託の巫女であるエステルもいるしね」


 微笑みかけられたエステルは小さく頷く。


「はい。私も出来るだけ邪魔にならないように大人しくしています」

「お願いだから説得してね?」


 気の抜けた顔をしてエステルをやんわり責めるアルティア。

 なんだか二人の関係は見ていて微笑ましい。


「その前にアルティア様、お着替えを済ませていただかないと」

「そうね。まずはリーンベル宮殿に戻りましょう。あなたたちも付いてきて――」


 着替えをするためにいったん居城へと戻るアルティアに、わしらも付いていく。

 神殿からほど近い場所に建っている立派な古城。

 そのエントランスで、わしらは二人が戻ってくるのを待つのだった。

 プリンセスのお着替えを妄想するしか出来んとは……。悲しさやるかたなくそれも致し方なし。

 しかしイルマはよく寝ているな。オルハの背中はそんなにも気持ちがいいのだろうか……。

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