第118話 行き倒れのハイエルフ
ティルムドを出たわしらは、野菜を盗んでいった白い犬を追うため、町の東に広がる森へと急ぐ。
イルマを囲うようにして皆で守りながら、道中現れる魔物を次々倒していく。
そうして歩くことおよそ二時間。思ったよりも近くにあった森の入口へとやってきた。
「聖樹を抱く森というだけあって、不気味な気配は感じんな」
「上の世界と違って、森が枯れかけてるってこともなさそうだぜ」
「それはガワだけ見た場合よ。中はどうなっているか分からないわ」
「大地に異変が生じてるってことは、やっぱり四天王なのかな?」
「だとしても、アタシたちなら問題ないっしょ。サクサク進んじゃおー!」
楓の陽気な声に背を押されるようにして、わしらは森へと足を踏み入れる。
腐葉土のにおいと青々とした樹木の香り。草原やら地下が多かったため、ずいぶんと久しく癒しを覚える。
木々を避けながらしばらく歩いていくと、複数本の矢が刺さった木の根元付近に人骨らしきものを見つけた。
それだけでなく、罠が発動したと思しき痕跡がそこかしこにある。
罠の種類も様々で。踏んだら網で捕らわれるもの、矢や石が飛んでくるものなどの古典的なものから、中には魔法仕掛けのトラップなんかもあり多種多様だ。
「いまのところ、この辺りで見つかった人骨は一体だけか。興味本位の冒険者か、それとも好奇心旺盛な町人か。いずれにせよ、この先からはより警戒せねばならんな」
「魔法のトラップはわたしに任せて。出来る限り解除するから」
「んじゃアタシは目についた物理トラップ片っ端から潰してこっかなー。ちょっと別行動するけど、心配しないでねオジサン!」
「うむ、気を付けるのだぞ楓」
「りょーかいっ」
と言ったそばからフッとかき消えた楓。
少しもしない内に、――ガラガラ! ズシャ! カカカッ! バスン! といった物々しい音が、あちらこちらで絶え間なく鳴り響いた。
「楓のやつ、ずいぶん派手に楽しんでやがるな」
「この中では一番小回りが利くクラスだし、罠探知にも長けてる。忍者の本領発揮といったところね」
ライアとソフィアが感心する横で、クロエはカムフラージュされた魔法陣と同属性の魔法陣を描いて、魔法トラップを解除していく。
その様子を呆気にとられるように見つめていたイルマ。
「すごいですね、みなさん。本当に勇者の一行なんだ……」
「うむ。わしらが必ずお前さんをエルフたちの元まで連れて行く。だから絶対に側を離れるでないぞ」
「はい!」
気持ちのいいくらい快活な返事をしたイルマに、わしも頷き返す。
「勇者さん、その前にあのワンちゃん見つけないとね」
「む、そうだったな。わしの天パを涎でかぴかぴにしたことを叱ってやらねば」
わしが苦虫を噛み潰した顔をすると、皆から笑いがこぼれた。
和やかで穏やかで。そんな空気に包まれそうになったその時――ガサッ、と頭上から物音がする。
見上げた視線の先に魔物の姿を捉えた。
太い腕をもつ大型のサルだ。そいつは樹上から飛び降りて腕を振りかぶった。
狙いは確実にイルマだ。弱い者を突くのは戦闘の定石なのだろうが。
あわや先制を取られるかと思いきや。「やらせないッ」と一人飛び出したソフィアが連撃を叩き込んだのち、蹴り下ろして一瞬で魔物を倒した。
魔物は光の粒子とはならず、シュウシュウと瘴気を吐き出して骨となった。
「消え方が普通ではないな。この森に何かが起こっていることは間違いなさそうだ」
「エゼルミストの森に魔物が出るなんて話、聞いたことがありません……」
驚きを隠せずわずかに声を震わせたイルマは、信じられないと目を見開いていた。
「とにかくいまは先を急ごうぜ。あのわんこなら大大丈夫だとは思うが、ハイエルフが心配だ」
ライアの言葉に頷き合い、わしらは警戒しながら森を奥へと進む。
そんな折。
「――バウワウ!」とどこからか鳴き声が響いてきた。畑で聞いたあの犬のものだ。
どっちの方向だと再び鳴くのを待っていたところ、罠解除を終えたらしい楓が血相を変えて戻ってきた。
「オジサン大変だよ! 女の子が倒れてる。あのわんこも一緒」
「楓、それはどっちだ?」
「こっち、ついてきて!」
案内されるまま楓についていく。
魔法トラップを解除しつつ、襲い来る魔物どもを皆で蹴散らす。
そうしてたどり着いたのは、一帯がコケに覆われた場所だった。立派なレリーフが掘られた柱が太い樹の幹に取り込まれている。幹の根本付近には洞が空いており、その手前に白青の綺麗なドレスを着た少女が倒れていた。
ピンと尖った耳に艶やかな金髪、間違いない噂のハイエルフだ。
脇には熊くらいの大きさのあの犬。心配そうな顔をして少女を覗き込んでいた。
真っ先にわしが駆け出そうとしたのだが。さすがに見知らぬ少女をお姫様抱っこするのも気が引けたため、素直に女子たちに任せることにした。
ソフィアが優しく抱き起こし、クロエが容体を確認する。
「どうだクロエ?」
「大丈夫、気を失ってるだけみたい」
皆がほっと胸を撫でおろした。
わしは脇に控える犬へ目を移す。おとなしくお座りしているところを見るに、どうやらこの少女が目を覚ますのを待っているようだ。
「お前さん、まさかわしらを呼んだのか?」
「バウ?」
首を傾げられた。どうやら違うらしい。
ということは起こそうとしていたのかもしれんな。間違いなく関わりがありそうだ。
少女を介抱していたクロエが、「あっ」と小さく声を上げる。
「ん……うん……」
「勇者さん、気が付いたみたい」
皆の視線が集まる中。
永い眠りから覚めるような気だるさで瞼を開けた少女。青い瞳は宝石のようで美しい。
上の世界でも思ったが、エルフという種族はなぜこうも美人揃いなのだろうな。目の保養になってとても良い。
「お前さん、気分はどうだ?」
「あなたたちは……だ、れ……?」
「わしらは人間だ。そして旅の勇者一行だ」
「にん、げん……人間っ?!」
瞬間的に驚愕を顔に張り付けて、少女は洞まで後ずさり体を抱くようにして蹲る。
まあ、上の世界でも警戒されたし予想の範囲内だ。いきなりモジャ毛呼ばわりされんだけまだマシか。
わしが小さくため息をこぼすと、少女はキッときつく睨みつけてきた。
「あなたたちは、あたしをどうするつもりなの?」
「別にわしらはお前さんをどうにかしようなどとは思っとらんよ。ただ倒れていたから介抱しただけでな」
「信用できないわ」
「それ言うならこっちのセリフだ。このわんこけしかけて畑の野菜盗ませてたんだろ?」
歯に衣着せぬライアの物言いに、ハイエルフはますます眉を怒らせる。
「あたしたちがそんなことするはずがないじゃない! この子が勝手にやっていただけよ。誰が人間が作った野菜なんて食べるもんですか……」
吐き捨てるようなその言葉にむっと顔をしかめたのはイルマだ。
「私たちは私たちなりに美味しい野菜を一生懸命育てています。それを“なんて”だなんて言わないでください。それに、その犬はあなたたちの飼い犬なんでしょう? 勝手にとは言うけれど、私たちも迷惑していたんです。飼い主として責任取ってください」
「……貶すようなことを言ったことは悪いと思うけど。一つ断っておくわ。この子はペットじゃないの、聖獣よ」
「は? 聖獣……?」
このわんこが? わしの天パをデロデロにしおったこの犬が、聖獣だと?
見かけに寄らんというか……。聖竜であるクゥーエルとはまるで毛色が違うな。マイペースそうなところは似ているが。
「その聖獣がどうして人間の畑の野菜をわざわざ盗みに来るのかしら? 関与せずとは言っても、その理由くらい知っているんでしょう?」
ソフィアの突っ込んだ質問に、少女は気まずそうに視線を逸らす。
さらにクロエが重ねて指摘した。
「さっき看ていて思ったんだけど。少し痩せてるね。もしかして、空腹で倒れてたとかかな?」
図星だったのか、少女は悔しそうに歯噛みする。
「なるほどな。ただでさえ畑の作物も大地に影響されて育ちにくくなっている。その原因が聖樹にあるのなら、ハイエルフにも影響は出ているはずだ。それを心配して、あの犬は畑から野菜を採っていたというわけか……」
イルマはそろりそろりと近づき、少し離れた場所でしゃがみこんだ。
「それならそうと言ってくれれば、私たちもあなたたちに食べ物くらい分けてあげられるのに。私たち人間はそんなに信用ないんですか?」
イルマの問いに、少女は重々しく口を開く。
「伝え聞いただけだけど。人間はかつて、あたしたちの森から樹木を伐採して、自分たちの町を作ったわ。森は聖樹ユグドラシルの維持に必要不可欠だっていうのに」
「それは……昔の人々は聖樹の重要性をまだ知らなかったから。その大切さを認識してからは、少なくともティルムドの人々は近場に植樹してそれを用いています」
「それでも、いまだに森へ入ろうとする奴らがいるのよ。森には良質な樹が多いから」
「それであの数のトラップを仕掛けてたってわけだねー。ここまで来る途中で見つけたやつは、ほとんどアタシたち解除しちゃったけど、マズかった?」
楓の能天気な口調を責めるように、峻烈な眼差しで睨みを利かすハイエルフの少女。しかし風に柳だと悟ったのかすぐさま目を逸らして嘆息する。
「別にいいわ、どうせすぐに仕掛け直すから。とにかく、あたしたちハイエルフはあなたたち人間が嫌い。だから人間から分けてもらった野菜なんて食べないし、そもそもお情けなんて受けない。分かったならさっさと森を出ていくことね」
冷たく追い払うような言葉から、煩わしさが感じられる。
だがここで引き下がってはならん。
「野菜の件は一先ず置いておくとして。一つ聞きたい。ここまで来る間に幾度か魔物との戦闘になったのだが。イルマの話では、この森に魔物はいなかったそうだな?」
「それがどうかしたの? そんなことどうでもいいからさっさと――」
「どうでもよくねぇよ。聖樹の異変、大地の異変。こいつらは魔物の仕業じゃねえかって聞いてんだ」
「だとしても、あなたたちには関係のないことだわ。人間が聖域に立ち入ることは許されない」
「こちらも「はいそうですか」で済ませられる話ではないわね。大魔王の四天王が関わっているのなら尚更に」
四天王という言葉をソフィアが出した途端、少女の表情が曇った。
やはりこの大地にもいたのだ。最後の四天王が。
「わたしたち、大魔王を倒すために旅をしているの。ラグジェイルではイグニスべインを倒してきた。それでは信用するに値しないかな?」
「イグニスべインを……? そういえば、さっき勇者がどうのって……」
一番勇者らしいわしを見てきた少女に、わしはにっこりと笑い返す。
こんなのが……嘘でしょ? と言わんばかりに顔をしかめられた。
分かってはいたがな、これもな。エルフは疑り深い種族、人間嫌い。上の世界で予習済みなのだ。なのだがな……やはり悲しっ。
「まあわしがそう見えんのは重々承知しているところではある。だからわしを信じろとは言わん。だが、女子たちのことだけでもいい、信用し信頼してくれんか? お前さんたちを助けたいという気持ちは皆本物だから」
わしの心からの懇願に、少女はまだまだ疑りの目を向けてくる。その瞳を真っすぐに見返していると、少女はふと目線を外して犬を見やった。
「この者たちをどう思う、オルハ?」
「バウ!」
「そう、あなたは信じるというの、人間を」
「ちょちょちょーい待つのだ! お前さん、この犬の言葉が分かるのか?」
「当然でしょ。オルハはあたしのペット――じゃないわあたしたちの守護聖獣なんだから」
「聖獣といってもなあ、わしには俄かには信じられんのだが……」
わしをそこらに生えとるブロッコリーと間違うし。正直頭悪そうな顔をしている気がしないでもな――
その時、何を思ったかオルハがわしの左手にかぶりついてきた。
「ギャアアア! ってあれ痛くない」
思わず悲鳴を上げてしまったが。どうやら甘噛みのようだ。
失礼なことを考えたから、食い千切ろうとしてきたのかと思って焦った。
わしの手をもごもごとするオルハを見て、少女は驚いたように目を瞠る。
「まさかこの子がここまで懐くなんて……。あなたいったい、何者なの……?」
「だから勇者だと何度言えば……」
しかしこれは懐かれているのか? ハムかなにかと勘違いされているんじゃなかろうか……。
「まああたしらでもそう見えないんだから、初対面で疑っても仕方ねえよ」
「でも実力は折り紙くらいつけてもいいくらいだわ」
「うん。勇者さんもちゃんと成長してるからね」
「そうそ、それにアタシたちもいるしさ。だから困ったことがあったらなんでも相談してよ」
女子たちの言葉を聞き、しばし悩むように眉間を寄せた少女。
ややあって、もう一度オルハを見てから、決心したように小さく頷いた。
「オルハが信じるというのなら、あたしもあなたたちを信じてみることにするわ。あたしはアルティア。ユグドラシルで起こっていることについては、町まで案内する道すがら話すから。ついてきて」
アルティアはオルハを呼ぶとその背にまたがった。
こうして見ると、なかなかどうして品があるというかなんというか。オルハが本当に聖獣に見えてくるから不思議だ。
というかアルティアに並外れた品格があるのかもしれん。
そんな滲み出る高貴なアルティアに案内され、わしらは森をさらに奥へと進むのだった。
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