下の世界 アルドベルガ
第一章 ダムネシア地方
第90話 地下世界アルドベルガへ
決意を改めたところで寝落ちし、気付けば朝になっていた。
障子越しに漏れてくるやわらかな日差しと鳥の囀り、イグサの香りが爽やかな目覚めを演出している。
と、襖の向こうがガチャガチャとなにやら騒がしいことに気付いた。気だるい体を転がして、襖をそろっと開ける。
そこに広がっていた光景は、大きな座卓に女子たちが配膳をしている様子だ。
釜炊きのごはん、焼き魚、おひたし、揚げ出し豆腐、みそ汁など。ジパングらしい料理の数々とその落ち着くにおいに、緩やかに脳が覚醒する。
ちょうどそこで、丈の短い浴衣をたすき掛けした楓と目が合った。
「あっ、オジサンやっと起きた!」
サイドポニーでなく、珍しく髪を下ろしている姿に思わずときめく。かわいい! だがわしの目はチラチラと見えそうで見えない際どさの太ももに釘付けだ。
気付かれないように顎を畳に押し付けて、少しでも目線を下げようと試みる。が……絶妙な角度の問題なのか結局見ること叶わず、がっくしと額を畳に擦りつけた。
じゃっかん元気なマイサンも朝も早くから萎えるというものだ。
「勇者様、起きて早々に寝ないでくださいません?」
「違う。あれは楓のパンツが見えなくてがっかりしてんだよ。ようやく起きたと思ったら、朝っぱらからどうしようもねぇおっさんだな」
「勇者さん、さすがに緊張感なさすぎるよ」
呆れるような口振りに顔を上げると、仕方なさそうに息をつく女子たちがわしを見ていた。
ソフィア、ライア、そしてクロエ。皆一様に旅支度を済ませた格好をしている。
「お前さんたち、もう着替えておるのか?」
「そりゃあ飯食ったら行くんだから着替えくらい済ませるだろ」
「勇者様も早く顔を洗って着替えてください」
くぅ~、あわよくばお着替えを覗けるかもしれんというイベントをすっぽかすとは。寝過ごした自分を呪いたくなるな! この天パがいかん!
それからわしは渋々顔を洗いに行き、そして装備一式へ着替えた。
魔王の攻撃によって表面のレリーフが溶け、つんつるてんになったアールジェラの鎧。黒い刀身を持つ魔神剣ネヴュラス。そして盾は、ない。
これでは女子たちをまともに守れん、何かしら考えねばならんな。
「――皆、揃ったな」
席へ着くと、計ったようなタイミングで襖を開けて玉藻が入ってきた。白と藍色を基調とした着物が金髪によく映えて艶やかだ。
静かに上座へ腰を落ち着けると、卓上へおもむろに一枚の皿を置く。その上には、白くて丸い団子状のものが五つ乗せられていた。
「玉藻、これはいったい何なのだ?」
「こいつは我が一族に伝わる秘伝の団子じゃ」
「なるほど、これが絵本で読んだきび団子というやつか。しかし勇者が餌付けされるとはこれ如何に?」
「違う、私は桃太郎じゃない。まあいいからとにかく食べてみろ。恐らく今の実力に見合った力を得ることが出来るじゃろう」
「そいつは便利だな、ありがたく頂戴するぜ!」
「だが個人差はあるからの。決して皆が皆力の底上げになるかというとそうではない。効果がない場合もあるから過信はするでない」
「では早速頂いてみましょう」
ソフィアの言葉に頷いて、皆一様に皿へと手を伸ばす。
団子をつまんで口へ放り込むと、そのモチモチとした弾力と食感が面白く、控えめな甘さが噛むたびに口に広がった。
「おっ?」とまず声を上げたのはライアだった。
「どうしたのだ?」
「どうやら力が少し上がったみたいだ」
「なんと、それは本当か!」
ああ、と頷くライアの表情は嘘を言っているようには見えん。真であるならばかなりの便利アイテムだ。
直後。実感するように拳を握りしめるライアの隣で、「あら?」と続いたのはソフィア。
「ソフィアはどうだ?」
「私は敏捷性みたいですね。素早さと会心の出やすさに直結するのでありがたいですわ」
「まだ上がるのかよ。この会心マニアめ」
「脳筋の嫉妬だなんて、みっともないからやめたらどう?」
「誰が脳筋だ!」
また口喧嘩か。朝も早くから元気だなこの二人は。マイサンも見習ってほしいものだ。
しかし二人続けてとは、これは期待値も高まるな。
するとそのすぐ後。「あ、」と気づいたようにクロエ。
わしは先んじて予測したことを尋ねる。
「クロエは魔力か?」
「うん、そうみたい。でも上昇量はそれほどかな」
「さほど上がらないということは限界が近いということじゃろう。今よりもさらに高みを目指すのがよいじゃろうな」
やはり聖クラスと呼ばれる上位職に一番近いのはクロエだったか。賢聖になるのも時間の問題だろうな。いや、もしかしたらすでに資格を得ているかもしれん。
羨ましく思うと同時に、わしもいずれは『真の勇者』になれるよう頑張らねばと気を改める。そんな職があるかは知らんがな……。
ふと楓に目を向けると、高揚感を隠しきれていないようなニマニマ顔を浮かべていた。
「楓? お前さんにも何かしらの変化があったのか?」
「聞いてよオジサン。……アタシ、力とか敏捷とか隠密とかとにかくいろいろ上がっててさ、自分の才能が怖いっていうか嬉しさ我慢できないんだけどどうしたらいいと思う?」
「なんだそんなことか。それだったらわしに抱きつけばいいと思――」
「お師匠! アタシやったよっ!」
わしに聞いてきたのに、それに答えようとしていたのに。楓はわしのことなど放り投げて玉藻に詰め寄った。
あわよくばと思っていただけだが、本当に今日は朝からツイていないことばかりで萎える。
抱きつかんばかりの勢いの楓に、玉藻は「落ち着け」と静かに宥める。
「その団子は実力に見合った力を得られる団子なのじゃ。要するに、今までの旅でお前もそれなりに成長したということじゃな」
「てことはアタシもそろそろ上忍にっ?」
「自惚れは身の破滅を招くぞ? たしかに秘めた力はあるじゃろう、だが私が見る限りではまだ伸びしろがある。遠からず上忍にはなるじゃろうし、いまは焦らないことじゃな」
「はぁ……なんかぬか喜びしてたみたいでダサいね……」
楓の背が小さく丸くなる。どこをとは言わんが、よしよししたい衝動に駆られるも――三方から女子の厳しい視線が刺さり、腕を伸ばすどころか移動もままならん。
正座する膝に拳をつけて、わしはグッと堪えた。
「んで、おっさんはどうなんだよ? なにか変化はあったのか?」
ライアの言葉にわしも食べたことをふと思い出す。そして自身に意識を集中した。
何か変わった気もするが、何も変わっていない気もする。
「分からんなぁ。お前さんたちから見て、わしなにか変わっただろうか?」
「特に何も変わっていないようですけど?」
「うん、いつもの勇者さんだね」
イケてるおじさんだとか気の利いた言葉を期待したが、聞こえてくるような気配すらない。残念ではあるが、まだそれまでは程遠いということだろう。
だが女子たちの言葉通り、自分でも変わっていないような気になってきた。痩せているようにも思えんし、力や頑丈さ、体力や敏捷にも変化はない。
まさかわしだけ効果がないとは……。
「玉藻よ、どうやらわしのだけただの団子だったようだぞ。もう一つくれんか?」
「なにを言っているのじゃ、そんなはずがないじゃろう。一時に作ったというのに。さっきも言ったが個人差があるのじゃ。もしかしたらお前には必要ないものなのかもしれんの、それとも勇者には受け付けないのか」
勇者であるがゆえに、ということはあるかもしれん。
そもそも証を奪取して勇者になっているからな。一般的な話がどうであるかなど知る由もないが、わしの場合は特殊だから仕方ないのかもしれん。
一応固有技を覚えるということで良しとしておくか。
「そんなことより、早くご飯食べちゃおうよ勇者さん。地下世界が待ってるよ」
クロエの一言に、皆一様に頷いて箸を取った。いつも思うことではあるが、玉藻と楓の作る料理は美味しいのだ。おかげで朝だというのに箸も進む。ジパングの食材あってこそだと思うが、これもしばらく食べられなくなると思うと少し寂しいな。
そうして朝食を食べ終えたわしらは、小休止を取ってから庭に出た。
皆自身の装備を見直すが、やはり消耗している感は否めない。
ライアの黒い鎧は左肩の獅子が大きく破損し、ソフィアは裂かれたような衣服の破れ。クロエはそれほどでもないが、青いローブは若干焦げ付いていた。いま楓は忍装束ではないが、同じく何かしらの焦げ付きなんかがあるはずだ。
新たな世界へ行くにしては少しばかり心許ない感じがする。敵の強さもまだ分からんからな。まあ、この女子たちなら心配などいらんとは思うが。
……もちろんわしだって頑張るがな!
心の中で拳を高く突き上げたところで、いつぞやのように、玉藻にしばしの別れを言うために整列する。
「玉藻、毎度のことだが世話になったな」
「なに気にするな。楓を預けている身として私こそ世話になっているからの。ところでもう行くのか?」
「うむ。地上が平和になっても、大魔王の存在を許せばいずれこちらも危険になるだろう。それに地下世界も心配だしな、わしらにしか出来んのならやるだけだ」
「そうか」
静かに頷いた玉藻は楓に向き直る。そしておもむろに帯に差していた小さな太鼓を手にすると、それを往復回転させた。両の紐の先についた玉が膜を叩きポンポコと軽快な音を奏でる。
するとどこからともなく真っ赤なお盆を持った狐が三匹出現した。恭しく掲げる盆の上にはそれぞれ刀、手甲と脚絆、それに白い着物と青い帯が畳まれた状態で乗せられている。
「楓、こいつを持っていけ。旅の餞別じゃ」
「これは、忍装束一式?」
「いつか上忍になった時に渡そうと思っていたものじゃ。刀は妖狐の里に伝わる妖刀『淡墨』。長く私といたお前なら、妖気に拒まれることなく使いこなせるじゃろう。具足は狐たちに作らせたものじゃ。そして着物は私の妖気を編みこんで織った反物で出来ている。いま着ているそれよりも上等なものじゃ。術はもちろん生半可な攻撃や魔法とやらでは傷一つ付けることは敵わんじゃろう」
「まだ中忍だけど、もらってもいいの?」
「まあ、あれじゃ。いつかはなるじゃろうし先渡しということで。……それに、無事に帰ってきてほしいからの」
尻すぼみで呟いた玉藻の頬が赤く染まっている。
羞恥に惑う生娘のように慌てて顔を背ける師匠の姿に、楓も嬉しそうな顔をして頬を染めた。ダッと駆け寄り、その胸へ飛び込んで強く抱きしめる。
「お師匠、ありがとう。アタシ絶対に無事に帰ってくるよ」
「当たり前じゃ。私の抱き枕でもあるんじゃからな」
艶やかな茶髪を撫でる玉藻の手が優しい。
微笑ましい師弟愛についつい頬が緩む。……別にいやらしい笑みではないことは断っておくぞ。
しかしそんな二人の様子を見ていたら、保護者的な気分で口を挟みたくなった。
「なに心配するでない。楓のことはわしが責任をもって守り抜いてみせる。命に代えてもな! だからいつか玉藻もわしのハーレムにだな――いてっ」
口走ったことを諫めるようにして、久しぶりに鞘が頭頂部に降ってきた。
「おい待て。せっかくいい話で終わろうとしてたのに、いらねえ話を差し込むんじゃねえよ」
「だがわしだって頑張るのだぞ? 少しくらい褒美を求めても良いではないか!」
「勇者様が頑張るのは当然です。たまには慈善活動だと思ってやってみてはいかがですか?」
「勇者は別にボランティアでやっているわけじゃないのだが……」
「大丈夫だよ、勇者さんなら出来るよ!」
「そうか? まあ王女のお前さんが言うのであればそう思わなくもないが。わし、女子のためなら人一倍頑張れるのだがなー」
「そこは男でも頑張れよ」
呆れた口調でこぼすライアを横目に、わしは一つため息をついた。
もちろん男でも困っていれば助けるが。勇者だし。だが女子となれば気分的にも違うだろう。勇者といえどな。
まあそれはさておいて。
名残惜しむように抱き合っていた二人に視線を戻すと、すでに体を離して正対していた。
「じゃあお師匠、アタシたちそろそろ行くね」
「ああ、もう一つの世界も救ってやれ」
「帰って来られるんなら、またちょこちょこ帰ってくるからさ」
「う、うむ。まあそこまで心配せずともよいのじゃが……。とにかく、気を付けて行ってこい」
うんと返事した楓に続いてわしらも別れを告げる。結局リリムは起きてこなかったが、まあ疲れているだろうし仕方ないだろう。彼女のことも改めて頼み、必ずここへ戻ってくると心に誓って屋敷を後にした。
そして竹林を抜けてわしらはクゥーエルの元へ。
気配に気づいたのか、横たえていた体を起こすと翼を大きく広げて、竜は待ち切れないように地団太を踏み始めた。鼻息も荒く、やる気は十二分のようだ。
「クゥちゃんよ、待たせたな。いよいよアルなんたらに向かう時が来たぞ」
「アルドベルガな。まあそれはさておいて、お前のご主人救いに行こうぜ」
「大魔王も叩き潰さないとね。今度はそう簡単じゃないだろうけれど」
「うん。魔王以上に強いと思った方がいいかも。けど、やることをやるだけだよ」
「大丈夫大丈夫、アタシたちならきっと出来るし!」
皆の想いに答えるように、「グルゥオオオ!」と竹林を騒がすほどの大きな咆哮を上げたクゥーエル。まるで急かしているようにも聞こえ、わしらはせかせかと急ぎ竜の背に飛び乗る。
「ではネウロガンドの大穴へ!」そう声をかけて背中をポンと叩くと、翼を仰いで飛翔し竜は飛び立った――。
クゥーエルも気が逸るのだろう。ジパングから一時間とかからずにネウロガンドへ到着することが出来た。おかげでわしの天パはバサバサだが、それはまあ良しとしよう。
とげとげした山脈を越えて南へ向かい、以前見たままの巨大な穴を視界に収める所までやってきた。
わしらを飲み込まんと今か今かと待ち侘びているようにも見える。
改めて見ると、本当にこの下に世界が広がっているのか不安に思うが……。
そこで頭を振り、わしは心にくっ付いた弱気の虫を握りつぶす。そして女子たちに振り返った。
「――皆、心の準備はよいか?」
「なに言ってんだ、準備が必要なのはおっさんだろ?」
「そうですわ。私たちなら当に準備は出来てます」
「みんなが一緒ならきっと大丈夫だよ。何があっても、わたしたちなら」
「そうそ、だから行こうよオジサン!」
心強い言葉で、こうして励ましてくれる女子たち。
わしなんかのパーティーでいてくれて本当にありがたいし、頼もしく感謝の言葉しかない。
静かに目を閉じて、わしは今まで経験したことを思い返した。城から追い出されてから今までに経験してきた戦闘の数々を。一介の王様だったわしが、魔王を倒したのだ。それは誇るべきだし自信にもなった。その時々で仲間がいてくれた。
この先に待ち受けていることが何であれ、皆が一緒なら大丈夫だとわしもそう思うから。
瞼を開けると、四人の力強い眼差しがわしを見つめていた。一人一人を見返して、わしも力強い頷きをもって返事とする。
「よし、では行くか! 地下世界へ!」
手綱を強く握りしめた途端に、クゥーエルがいきなり飛行を再開した。
まるで物を放り投げたような放物線を描きながら大穴へ侵入すると、そこから翼を畳んで急激に垂直落下を始める。
「――のぉわあああああああっ!」
手綱を握っていても振り落とされんばかりの勢いに、少しでも逡巡したわしへの罰なのだと思うことにする。
今度からはなるべく迷わんよ。真っ暗闇の穴の途中で、心の中でそう竜に謝ったのだった。
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