第七章 ネウロガンド編

第82話 未踏の大地に降り立つ

 船よりも速く移動する聖竜クゥーエルに乗り、あっという間にネウロガンド大陸近海までやってきた。

 船で乗り付けられる海岸などは存在せず、数百メートルの高さの断崖絶壁が生物の侵入を拒んでいる。

 黒い霧状の瘴気は濛々と雲のように大陸全土を覆っていて、時折飛んでくるはぐれ渡り鳥なんかが瘴気に充てられ墜落していくのが見えた。


「どうやら生き物が触れると死に至るようだな」

「けど、あたしらにはクゥーエルがいる」

「お願いできるかしら、クゥちゃん」


 ポンと背を叩く仲間の願いに答えるように咆哮を上げると、突然クゥーエルの兜にはめ込まれていた宝石が輝き出した。そこから自身の周囲を囲うように光が広がり、やがて球状の繭みたいなヴェールが完成する。

 そして力強く翼を扇ぎ大きな推進力を得ると、翼をたたんで放たれた矢の如き疾さでクゥーエルは瘴気の雲目がけて突進した。


「――のわっ!」


 心の準備をする間もなく垂れ込める暗雲の中へと突っ込む。

 しかし、心の準備など必要なかったことを早々に知ることになったのだ。


「すごい、瘴気が避けてくよ……」

「ドラゴンってやっぱすごいんだねー」


 流れていく瘴気を見やり、感心するクロエと楓。

 ドラゴンがすごいのはもちろんなのだろうが、この場合クゥーエルが凄いのではなかろうか。聖竜だしな。

 すると褒められ気を良くしたのか、クゥーエルはサービスだとでも言わんばかりに体をぐるぐると回転したり、宙返りしたりなんかした。

 女子たちは「スゴイ!」だの「おもしれえ!」などと喜んでいたが、視界が目まぐるしく変化し三半規管が揺さぶられる状況に、わしは軽く吐き気を催した。

 こんなところでゲェーするわけにもいかないため我慢はしたが。

 竜のお戯れが終わってからもしばらく、平衡感覚は戻らず気持ち悪さも晴れなかった。


 しばらくして雲を抜けると、ようやくネウロガンドの大地が見えてくる。

 褐色の大地に黒い山々が連なり、毒々しい紫の木々が申し訳程度に生える寂しい大陸だ。

 遠望するその先に、小高い丘に築かれた広大な領地を持つ、魔王城らしき建物も見つけた。

 ようやく目視出来るところまでやってきたのだ。

 思わず息を呑んで眺めていると――


「おい、あれ見てみろ! デカい穴が開いてやがる」


 ライアがそう言って、魔王城から遠く南西を指さした。

 目で追ってみると、そこには確かに大きな穴が見えたのだ。

 クゥーエルをそちらへ向かわせ、上空からその全容を確認する。まるで巨大な山を上から殴りつけたような、また地中から何かが飛び出してきたような歪な空洞であることが分かった。

 底が見通せない真っ暗闇。いまにも怨霊の声が響いてきそうな不気味さがある。


「どこまで続いているのだろうな……落っこちたら死ぬだろうか?」

「間違いなく死ぬでしょうね」


 間髪入れないソフィアの言葉に、身が竦み上がる思いをした。

 と、


「あっ、あそこ見て、小屋があるよ!」


 今度はクロエが声を上げたのだ。

 またぞろその先へ目をやると、大穴から少し離れた場所に木組みの小屋が建っていた。しかし立地的にかなり危うい。地震でも起こったら崖が崩れ、下手したら落ちてしまいかねないほど近いのだ。

 それによく見ると、近辺には畑らしきものもあり、いくつか植物と思しきものが顔を出しているのが見えた。


「人でも住んでるのかなー?」

「楓よ、わしらでもここへ来るのにこれほどの苦労をしたのだぞ。さすがにそれはないと思うが」

「でも分からねえぜ。昔から住んでた生き残りかもしれないからな」

「だとしても、魔物にやられていそうなものだけれど……」

「なんにせよ、小屋に行ってみる価値はありそうだよね」


 クロエの言葉に、皆「そうだな」と一つ頷く。

 魔物ならば倒せばいい、人ならば話を聞けるだろう。

 というわけで。クゥーエルを小屋の近くに下ろし、わしらは初めてネウロガンドの大地を踏んだ。

 試しにわし一人で光のヴェールから出てみるが、瘴気の影響はないように思えた。どうやら暗雲は空と海からの侵入を防ぐ為だけのモノのようだ。地上はいたって普通の空気、これなら安心できる。

 クゥーエルに休むよう言い置き、皆には大丈夫である旨を伝えて、畑を横に見ながら褐色の大地を共に歩く。

 魔物に出くわすことなく無事小屋までやってくると、扉の前で一度深呼吸し、わしは二度ほど叩いてみた。


「たのもー、誰かいるかー?」

「なんじゃ騒がしい。また来たのけ、お前たちにやる野菜などないと言っているじゃろう。帰れ」


 どうやら誰かはいるようで。

 しかし、にべもなく言い放つ口ぶりに、わしらをしつこい誰かと勘違いしているみたいだった。


「誰と間違えているのかは知らんが、わしらは勇者一行でな。魔物でないなら少し話を聞かせてもらいたいのだが」

「なに、勇者じゃとッ?!」


 ドタドタと慌ただしい足音が聞こえ、みすぼらしい小屋の引き戸が勢いよく開かれた。

 中から現れたのは白髪の男。皺くちゃの老人で、間違いなく人間そのものだった。

 疑う余地はなさそうだが、擬態なども疑われるため念のために訊いておく。


「失礼だが、ご老体は本当に人間か?」

「見てわからんか。脂肪で瞼が重いんか?」


 相手の失礼な物言いはぐっと堪え、「申し訳ない」と一言詫びた。こんな爺相手に本気で怒るとか大人げないからな。

 人間的成長を、しっかりとわしも遂げているのだなと、感じる。

 ぷるぷる一人で震えていたところ、すっとソフィアが前へ歩み出て言った。


「うちの勇者が失礼しました。ところでお聞きしますが、あなたはどうしてここに住んでいるのですか? 外からの侵入を防ぐ為の瘴気があんなに垂れ込めているのに、どのようにしてこの場所へ?」

「いや、いい。ワシも少々気遣わなさ過ぎた。ワシがここにいる理由。それは元々この地に住んでいたからじゃ」


 老人は外へと出てきては、物憂げに空を眺めた。

 その眼差しは遠い昔を懐かしむような、懐古の情を感じさせるものだ。

 トントンと腰を叩くと、静かに語り出す。


「昔はいまほど大地は荒れていなく、空の瘴気も濃くなかった。冒険者も断崖を登りいくらか来ては、魔王へと戦いを挑んでいたのじゃ」


 他にも人々は住んでいたのだが、魔王が本格的に活動を開始したことを恐れ、一人また一人と大陸を去っていった。

 自分もいつ魔物にやられるか分からない。

 だがしかし、勇敢な冒険者たちの道しるべとなり手助けをしようと、一人最後までこの大陸に残ることを決めたのだと老人は打ち明けた。


「しかしいつ頃からか冒険者もとんと見なくなった。完全にその足が途絶えたのは、数年前じゃ。空の瘴気が濃くなったのは数カ月前になるな」

「数カ月。つうと、ちょうどあたしらが旅に出た辺りからってことになるな」

「関係はありそうね」


 ソフィアと会話するライアに目をやった老人は、何か気づいたようにハッとした。


「そういえば。二年ほど前に、そなたによく似た髪をした女剣士が来たな」

「――女剣士!? そいつは本当かじいさん!」


 掴みかからんばかりの勢いで詰め寄るライアに、「落ち着け」と宥め老人は小さく頷いた。


「さすらいの剣士とだけ名乗っていたから名前までは分からぬが……」

「それで、そいつはどこへ行ったんだ?」

「反応から察するに、知人だろうから言いにくいことだが、」老人は眉をしかめると大穴の方へと目を向ける。「その女剣士は二年前。魔物との戦闘中に、崖から滑り穴へ落ちたらしい。直接は見ていないが、野菜を奪いに来ていた魔物が自慢げに話していたからそれで知ったのじゃ」


 大穴に落ちたという事実を聞かされ、ライアは言葉を失った。

 一人ふらふらと崖の方まで歩いていくと、穴の底を見通すように目を落とす。

 落ちたら最後、きっと生きてはいないだろうことは誰にでも解かることだろう。


「……落ちただと……ふざけるなよ朱火。あたしとの約束はどうした……勝負に勝ったら刀くれてやるって言ってただろ……。あたしはまだ、あんたに勝ったことないんだぞ…………勝ち逃げなんかしやがって……クソッ」


 悔しげに吐き捨てたライアの背が震えている。

 ぶつける場所のない遣る瀬無い想いに打ち震えているのだ。

 師匠との約束をこんな形で反故にされ、相手方の勝ち逃げという結果だけが残った。負けず嫌いなライアのことだ、無念だろうことは想像に難くない。

 わしはその物悲しい背に近づき、肩を叩いてやった。

 振り返ったライアの瞳には、涙が滲みかけている。

 何か言葉をかけてやろうと、口を開いた――その時だ。

『ギヒヒヒヒ!』と品のない笑い声が突然空から降ってきたのだ。

 皆の視線が揃って空へ向く。

 その先に、蝙蝠の羽を持ち黒々とした石のような体をした魔物が浮遊していた。


『じじい、野菜を奪いに来てやったぞぅ喜べ! 不味い野菜でもこのオレ様の腹の足しになるんだからなぁ。育て甲斐を感じるだろぅ?』

「……あいつじゃ、ワシの畑を荒らし、その女剣士のことを話していた魔物は。またワシの大切な食料を性懲りもなく奪いに来たのか」


 忌々しく口にする老人の言葉に、ライアの双眸が峻烈に細められた。

 ゆっくりと魔物に向き直ると、一歩二歩と進んで静かに呟く。


「みんな、あいつはあたしに任せてくれないか……」

「別にいいけど、あなたまで落っこちないでよ。大事な仲間なんだから」


 ソフィアの言葉に同意するように頷く皆を一瞥すると、「ありがとう」言って左手でそっと童子切の鯉口を切った。


「殺す前にお前に訊きたいことがある」

『なんだぁ人間風情が、このガーゴイル様をどうにか出来ると思ってるのかぁ? オレの体は刃物など通さんぞぅ、固いぞぅ?』

「いいから質問に答えろ。二年前、お前が戦った女剣士が穴に落ちたのは本当か……?」

『なんだあの女の身内か? そうだ。このオレが切れる作戦で崩れかけの崖に誘い出し、足を滑らせたところをさらに蹴り落としてやったんだ。足場なんてないから真っ逆さまだ。愉快だろう?』


 なおも『ギヒヒヒ』と品の欠片もない笑いを止めないガーゴイルに、「そうか」とだけ呟くと、ライアは一瞬で低い抜刀の構えを取った。


『おおっとこんな近距離でそいつは抜かせないぞぅ、』


 言いながらガーゴイルは大穴の方へと飛んで逃げていく。バサバサと羽ばたき浮揚すると、鋭い牙を剥いて笑う。

 これでは近距離攻撃は届かない。

 しかし、わしには何が起こったのか微かに見えていた。ライアが抜刀姿勢をとった刹那の出来事が。わしに知覚出来たということは、皆も気づいているだろう。

 女子たちに目をやると、哀れなガーゴイルを皆冷めた眼差しで眺めていた。


『ここまで来ればその刀じゃ届かないだろぅ? 手も足も出せずにオレの攻撃だけくらってろ――ガッ』

「……安心しろ、もう終わってる」


 チンッと刀を鞘に納めた瞬間、いまにも火球を吐き出そうかと大口を開けていたガーゴイルの体が、突然真ん中あたりで縦半分にずれた。


『な、にッ――』

「刃閃、四の太刀――飛燕霞断ち《ひえんかすみだち》。どこに行こうがお前はこうなる運命だった。この程度じゃ手向けにもならないだろうな。けどお前だけは許しちゃいけねえんだよ」


 真っ二つに裂かれたガーゴイルは、バシャアと血液をまき散らしながら穴へ落ちていき、やがて光の粒子となって消えた。


「おっさん、先を急ぐぞ」


 クゥーエルの元へ一人先に戻って行こうとする背に、老人は「待つのじゃ」と声をかけた。

 立ち止まり振り返るライア。皆の視線も老人へ向く。


「そなたらに渡す物がある。ちょっと待っていろ」


 言い置いて小屋の中へ入って行き、しばらくして戻ってきたその両手には、コンパクトにまとめられた、何かがギュッと詰まった袋が五つ携えられていた。


「この大陸には宿などない。テントと寝袋そして食料と、ワシが考案した特別に調合した魔物除けの香水じゃ。これでこの大陸でも野宿が可能じゃろうて」

「すまんなご老体。いきなり押しかけてこのような施しまで」

「冒険者が来なくなって久しい。珍しく来た旅人が勇者だというからな。その一助となれるのなら協力を惜しんでいるわけにはいかん」

「すまん、助かる。必ず魔王を倒し、平和を取り戻すと誓おう」


 小屋の老人に別れを告げ、わしらはクゥーエルの元まで戻った。

 そして再びその背に乗り、魔王城のある丘を目指す。

 飛び立つ竜の背から、大穴が視界から消えるまでの間――ライアが悲しそうな瞳でじっと底を見つめていたことにわしは気づいていた。

 だがなにも言えず。

 不甲斐ない自分への悔しさを押し殺し、それを怒りとして、行く先に見える魔王城をただ睨み付けた……。

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