第76話 泉の精と金と銀
北オーファルダムの街道に、馬車馬の蹄鉄と車輪の音が風と歌うように響いている。
のどかな昼下がり。陽もすっかりと天辺まで昇り、周囲に広がる草原も目に優しい緑に輝いていた。
風に踊る草花に目を細め、わしは平和的な光景に一人しみじみとしている。
御者台の背後からは女子たちの遠慮ない会話が聞こえ、仲間の絆が強く深くなっていることを実感していた。
女三人寄れば姦しいとは言うが、わしにとっては何人いても愛らしい。
こんなに間近に女子の会話を聞けているという事実に、わしはまたニヤニヤしてしまう。
しばらく馬車を走らせていると、「――おっ?」街道の三叉路に案内板が立っているのが見えた。
わしは手綱を引き緩やかに馬車を停止させると、分岐の手前から案内を見る。
左に折れると大都市ロスバラス、北へ進むとナイアードの泉と書かれていた。
「――泉か」
「ん? どうしたんだおっさん、急に馬車止めて」
ライアが馬車の座席から身を乗り出し訊ねてくる。
わしはふむと一つ頷きながら思案した。
長らく御者台に座っていたため尻が痛い。わしでもそうなのだから、女子たちも恐らくそうだろう。ずっと座っていたら尻が傷付いてしまうかもしれん。かわいい女子の尻! 見たことはないがっ!
……それにだ。小休止に泉に立ち寄るというのも乙だと思うのだ。いまは陽のある昼だし、きっと水面がキラキラしていて綺麗だと思う。気分転換にもなるだろう。
わしは思惑を潜めたまま、皆に背中越しに問うてみる。
「……お前さんたちに提案なのだが、泉に寄ってみんか?」
「泉? ああ、案内にあるアレですか」
「そんなことより、早く街に行った方がよくないかな?」
ソフィアもクロエも、なんだか乗り気じゃないみたいでなんか悲し。
楓はどうかと思い振り返ってみると、なぜかニヨニヨしていた。
「もしかして、楓は賛成してくれるのか?」
「え? いや、オジサンまたエッチなことでも考えてるんだろうなって思ってさ、
面白くって笑ってただけだよ」
「なっ!? わしは別にあわよくば水浴びするお前さんたちが見られるかも! なんて思っとらんぞ?」
「もはや物語ってんじゃねえかよ」
ライアの鋭いツッコミに、なにも言えずに閉口する。
しかし「でもま、」ため息交じりに言いながら、「ここのところ気を張りつめてたってのはあるしな。いいんじゃないか、たまには」とライアが泉に行くことを了解してくれたのだ。
それは一理ある、なんて話になり、結局みんな賛同してくれた。
なんだかんだ、わしのことが好きなのだなー。
もしかしたらもしかするかも? そんなわしの淡い期待は「――水浴びはしないけどな」続く言葉によって掻き消されてしまった。
三叉路を北へ進み、およそ三十分ほど。
目的の泉は森の中にあった。
森と一言にいっても大きなものではなく、泉の周囲を申し訳程度に囲うこじんまりとしたものだ。
泉自体は直径五十メートルほどで、水も透明度が高く綺麗だ。濃淡の変化から、中央付近はかなり深いことが窺える。
「なかなか落ち着いた美しい場所ですね」
「晴れてるから水面がキラキラしてる、素敵」
ソフィアとクロエは来た甲斐があったと、風景の美しさに感嘆した。
喜んでくれるというのは嬉しいものだ。こちらも提案した甲斐があったというもの。
しかしそんな中。ライアは一人首を傾げ、「しかしこんなところに泉なんてあったか?」と疑問を呟く。
「なんだ、ライアは知らなかったのか?」
「ああ。少なくとも、あたしがオーファルダムを出る前にはなかったはずなんだが……」
「相手は自然だからな。何がどうなるかは分からんものだろう」
わしなりの結論を口にすると、ライアは「それもそうだな」と納得し頷く。
「でも残念だったねオジサン。アタシたちの水浴び見たかったのにさ」
「なななっ?! 違う、それは違うぞ楓」
「でもお師匠ん家でお風呂一緒に入れなくて、落ち込んでたじゃん?」
「あれはその、あれだ。いろいろあってだな……」
あの時を思い出し、再び空しい感情が心の中に隙間風となって入り込んできた。
女子たちと一緒に入れなかったどころか、女子の入った直後の湯というわけでもなかった露天風呂。
馬鹿みたいにテンション上がって、泳いでみたり潜ってみたり抜いたり。そうでないと知らずに全身で堪能していた惨めな自分を思い返し、つい涙目になってしまう。
「あ、オジサン泣いちゃったし」
「ほっとけほっとけ。どうせすぐ元通りになるだろ」
……ま、いつまでもくよくよしてなどいられんことは確かだな。
わしの目標はハーレムだ! そうすれば女子たちと如何様なこともしたい放題なのだからッ。
フンスン! と鼻息を荒く飛ばし、わしは泉に向かってズンズン歩んだ。
ここで盛大に宣言してやろうかと思い、背負ったブランフェイムに手をかけた――その時!
「のわっ?!」
地面から突出していた石につまずき、前のめりで転んでしまったのだ。
「おいおっさん、大丈夫かよ」
「四十三でもう足腰にきているのですか?」
「気をつけなきゃダメだよ、勇者さんなんだから」
「オジサン意外とおっちょこちょいだよね」
女子たちが駆け寄ってくれ、まるで歩きたての赤子を心配するように立たせてくれる。
「すまんすまん。足腰にはまだきていないが、気をつけようと思う」
女子たちの前でみっともない真似は出来んからな。鎧に付いた砂埃を叩きながらそう笑い飛ばすと、「あれ、」という声が誰ともなしに上がった。
「おっさん、ブランフェイムはどうしたんだ?」
「たしかに、さっきまで鞘に入ってたのになくなってるわね」
「もしかして、泉に落としたんじゃ……」
「うん、吸い込まれるように泉に消えたの、アタシ見てたよ」
「んな!?」
あれはロクサリウム王家の宝物の一つだぞ。泉に落としたとあってはクロエに申し訳が立たん。
わしは慌てて泉の中を覗き込む。
泉は浅瀬から中央へ向かうにつれ、かなりの急斜面になっているようで。おそらく、剣はそこを滑るようにして沈んでいったのだろう。
「わし、あまり泳ぎは得意な方ではないのだが……」
浮かんでなら大丈夫だが、潜水は――。
女子たちから口々に責められ、同情される最中。
どうするか本気で悩んでいたその時、それは起こった。
泉がぱあっと輝き出し、突然、中央に女子が現れたのだ! 浮揚するように佇む、真白いローブを着た茶髪美女。
「あれは精霊、か?」
女子たちが物珍しがっている中、わしは一人その容姿に興奮していた。
深く切れ込んだV字の胸元から覗く谷間はこれまた素晴らしいボインちゃん!
実にわし好みだ。
うずうずしながら見ていると、水面を滑るようにしてこちらへやってくる。
そして両の手を片方ずつ差し出し、
「私は泉の精霊リルカ。あなたが落としたのは金のブランフェイムと銀のブランフェイム、どちらですか?」
右手に金、左手に銀の剣を携えて精霊は訊ねてきた。
「これは……」
小さい頃、絵本で読んだことがある。
たしか正直者には本物を返してもらえるどころか、さらに金も銀もくれるとかいう美味しい話だ。嘘つきにはもちろん本物は返ってこない。
ロクサリウムの宝剣ブランフェイム。今まで一緒に旅してきた、いわばわしの愛剣だ。属性を纏わせることが出来るという点も実にありがたい。
嘘をついて戻ってこないなんてことになったら、わしは悲しいし、クロエも残念に思うだろう。
しばし思考し、わしは導き出した答えを伝えるべく、一つ大きく頷いた。
「わしが落としたのは金か銀、どちらかという話であったな」
相手の目をしっかりと見据えると、リルカはこくりと可愛らしく小さく顎を引いた。
「では答えよう。わしが落としたのは金でも銀でもない――」
「おっ、さすがは勇者!」
「意外と真面目なところもあるのよね」
「見直したよ、勇者さん!」
「オジサン、感心だねー」
背後でわしを称える女子たちの声がする。
そうだろうそうだろう。わしは訳知り顔で何度も頷いた。
リルカは両の手から金銀のブランフェイムを消すと、ふっと微笑む。……かわいい。
しかし、わしは正直者だからな! さらに言葉を紡ぐべく口を開く。
「――わしが落としたもの。それ即ち、お前さんだ!」
「…………はい?」
精霊のレアなキョトン顔。ついで、呆れるようなため息がそこかしこで聞こえる。
「だからだな、分かりやすく言うと、わしが落としたのはお前さんなのだ」
「分かりやすくも何も、なにも変わっていませんが……。というか、それ以前に、私はあなたに落とされてこの泉にいるわけではありません」
「それはそうだろう。そんなことは分かっとる」
「でしたら――」
わしはリルカの言葉を遮り食い気味に言う。
「正直者にはくれるのだろう? 金と銀はいらんからお前さんをくれ」
手を差し出すと、がっかりしたように肩を落として――精霊はすーっと消えてしまった。
「っ、なぜだ!?」
「馬鹿だ」
「相変わらずね」
「どうしようもないね」
「アハハ、おもしろっ!」
反応は様々。
しかし解せぬ。正直に答えたのにブランフェイムを返してもらえないとは。
リルカはもしかしたらという思いが半分はあったが……にしても本物は返してもらわねば!
「おーい、わしの剣を返してくれーい」
泉に向かって声をかけてみるも返事はない。まるで話しかけても答えてくれん女神の様だ。
それから何度声をかけても沼に杭な状況に多少ムッとし、わしは近場に落ちていた石ころを泉に放り投げてみた。
すると再び泉が輝き、精霊リルカは出現する。
「はぁ、またあなたですか」
精霊に呆れられた。
「仕方がないだろう。お前さん、呼んでも答えんのだから」
「自業自得でしょう。まあいいです、あなたが落としたのは金の石ころと銀の石ころ、どち――」
「わしが落としたのはどちらでもない」
即答したらば、速攻でただの石ころが投げ返ってくる。ぼてっと地面に転がる丸い石。まるで今のわしのようだ。ぞんざいに扱われて可哀そうに。
境遇に同情し、石ころを見下ろしていると、「それでは――」と精霊は消えようとしていた。
わしは慌てて呼び止める!
「待つのだ!」
「まだなにか?」
「わしのブランフェイムを返してもらおう。正直に答えたのだから、お前さんにパクられる筋合いはないぞ」
「パクったつもりはありません。ふざけたあなたのせいでしょう」
「ふざけたつもりはない。心からの渇望の声だ!」
相手するのも面倒くさい。そんなニュアンスに聞こえるため息をつくと、「どうしたいんですか」と疲れた調子でリルカは言った。
「お前さんが欲しいのは本当だが、手に入らないのならばブランフェイムは返してほしい。大切な剣なのだ」
「……分かりました、返しますから早くどこかへ行ってください」
精霊が手を合わせ祈るように目を閉じると、泉が輝き縁からひょっこりと剣の柄が顔を出した。
また沈んでしまわぬように、わしは駆け足で近づき剣を拾い上げる。
血振りの要領で水を払うと、鞘へしっかりと納めた。
「お前さん、なかなか物わかりの良い精霊だな。リルカよ、感謝する」
「用が済んだなら私は消えますが、悪戯に石を投げないでください。真似されたら迷惑ですから」
そのことは反省しつつ、ふむと頷く。
「そのことは承知した。が、」わしは少々気になっていたことを訊ねる。「お前さん、泉から出てきたのにどうして濡れとらんのだ? そんな白い薄衣なら普通透けるだろう!」
「魔法衣なのでそういうことはないです」
「今度からはびちょびちょで出てくるのだな。わしが歓迎してやろう」
「はぁ……」
またため息をこぼすと、このまま寝落ちしそうなほど疲れた顔をしてリルカは消えた。
諦めきれない心は燻っているが、またの機会にでもしようと思う。魔王を倒せば精霊も見直すだろうしな。
わしはブランフェイムが無事戻ってきたことに安堵し、皆にそろそろ行く旨を伝えるために振り返る。
と、……そこには誰もいなかった。
「――お前さんたち、酷いではないか。わしを置いていくなんて」
再び御者台に座るわしは、背中越しに皆に文句を投げた。
すると、
「おっさんが馬鹿なことやってるからだろ」
「呆れかえって最後まで見ていられませんでしたわ」
「勇者なんだから、もう少しちゃんとしてほしいかな」
「まあでも、愉快なオジサンではあるよねー。ちょっとめんどくさかったけどさ」
口々に不満が返ってくる。
そこまで言わなくても。しゅんとしながら背を丸め、手綱を弄りまわしていじける。
「でもま、剣が戻ってきてよかったな」
その仕草が功を奏したのか。ライアの優しげな声がわしの背中をさすってくれた。
瞬時にしゃんとする。そうだ、クロエの言う通りわしは勇者だし。
背筋を伸ばして威風堂々としていなければな!
「よし、このままオーファルダム一番の都市だというロスバラスに急ぐぞ! 宿をとって休むのだ!」
ロスバラスでは、久しぶりに自由時間を設けようと思った。
長旅だ。羽を伸ばせる時に伸ばしておかなければな。
馬車馬の軽快な蹄鉄の音が、静かな風吹く街道にやわらかく響いた。
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