悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室 10

 

「オーナーで兄の尾根がツンデレ接客を思いついたのは、妹である私のキャラクターを考慮してのことだったんです」


 文香は箸をとめて言った。その顔にはかげりがあるが、尾根の説教をくらっていたさきほどよりは落ち着いているようだ。


「キャラクター?」


 向かい合わせに座っている悟は話を聞いていても箸をとめることはない。卓上に並んでいるのは辛口麻婆豆腐、餃子、太麺五目焼きそば、野菜炒め、特大炒飯、八宝菜。超大量だが大食漢の彼にとってはたいしたものではない。それらを順番に胃に流し込み、片づけていく様は豪快だ。


「はい」


 と、応答する文香の前には一杯のタンメンがある。ここは国道3号線の裏道にある創業ウン十年のしなびた中華料理屋だった。年輩夫婦で切り盛りしている、いわゆる街中華の店であり、カウンター六席、テーブル四席ほどの規模だ。すすけた古い壁にマジックペンで手書きしたメニューが貼ってあり、店奥の棚の最上段に設置されたテレビは夜のニュース番組を流している。小綺麗な有名中華料理チェーン店とは違ったおもむきだが、味は良いと評判である。夜遅くまで営業しているため、今この時間にも悟たち以外に数組の客の姿があった。閉店まで客足が途絶えることはない。

 

「炒飯食いなよ、食わないと馬力出ねぇぞ。ほら焼きそばも」


 小皿を文香の前に置いてそうすすめる悟がここに連れてきた。晩飯がまだだったので腹が減っていたのだが、彼女がしょんぼりとしていたこともあった。食事は人間にとって最大の活力源だと悟はよく語る。


「は、はい」


 結構なボリュームの料理たちを見て、文香の顔は少々困った風だ。華奢な女の身ではタンメン一杯で充分なのかもしれない。それでも彼女はレンゲで炒飯をすくった。


「そうそう、食えば嫌なことも忘れるさ。あ、おばちゃん、餃子二人前とカルビとニラの炒め物追加ね」


 悟はカウンターの向こうで調理の補助をしている小太りのおばちゃんにデカい声で注文した。


「はいはい、餃子二人前とカルビニラ炒めね」


 白の調理服を着たおばちゃんは愛想よく明るい声で返した。いつも厨房で黙々と鍋を振っている愛想なしの店主に代わって、カウンターから客席側の業務をすべてこなす人だ。


「で、キャラクターって?」


 悟は五目焼きそばを食いながら訊ねた。その声は料理をオーダーするときと同様に明るい。


「私、むかしから愛想がなくて」


 文香は答えた。こちらは沈んだ声である。客の前でツンデレしているときのハリはなかった。


「美容師だった兄の尾根の影響で、私も美容師になったのですが、こんな性格なので前につとめていた店でも接客に自信が持てなかったんです。やがて兄が独立して店をかまえたので、私もそこで働くようになりました」


「なるほど」


「けれど兄のもとでも愛想は良くなりませんでした。お客さんから苦情を受けることもたびたびあって、一時期は、この仕事を辞めようかと思っていたこともありました」


「ふむふむ、そりゃあいろいろと悩むよな」


 “美容師は技術だけを売りにするものではない。本質的には接客業である”。これはさっき尾根が言っていたことだ。美容師としての文香の腕が良くても、愛想がなければ客の反応が上向くことはない。


「あるとき兄は、私にツンデレ接客をすすめてきました」

 

 文香という女は、いつも表情が固い。悪気はないのだ。もともとがそういうタイプなわけである。


「愛想よくできないのなら、いっそ愛想悪く接客する……という逆転の発想だったそうです」


「それを思いつく君の兄さんはさすがだな」


「兄はツンデレ系のアニメや漫画を教材としながら、私にロールプレイを課しました」


「ツンデレを学ぶ上では良いチョイスだ」


「すると、なぜか自然に出来たんです」


「愛想よくするよりも?」


「はい」

 

「ツンデレのほうが難しそうだけどな」


「でも、なぜか出来たんです」


 文香の言葉を聞き、悟は珍しく箸をとめ、腕を組んだ。しかし、その姿勢は三秒ともたず、また料理に手をつけはじめた。大食いの性である。


「はじめての男性のお客さんの前でも、あっさりと出来ました。それで兄は、私を本格的にツンデレキャラに仕立てあげ、やがてツンデレ接客専用の美容院を作ったんです」


「それが、あの『美容室 tun』か」


「はい、小さなお店ですが、私はそこをひとりで取りしきることになったんです。店長という立場になれたので最初は嬉しかったんですけど……」


「苦労してるんだな」


「ツンデレ接客は基本的に男性のお客様限定でおこなっているのですが、最初は女性のお客さんも多かったんです。でもツンデレ美容室のイメージがネットや口コミで先行してしまい、今では女性客の割合は一割ほどになってしまいました」


「そりゃあ、君のツンデレ接客を喜ぶのは野郎のほうだからだろうな」


 文香は明るい色のショートボブが似合う美人だ。そんな彼女がツンデレするわけだから、店に寄り付くのが男性なのは当然であろう。

 

「客層の分析は出来ているんです。基本的には若いお客さんほどツンデレを好む傾向にあります。当然のことですが私より年下のほうが上手くいきます」


「それはツンデレしてるとタメ口になるから、かな?」


「それが一番大きな理由なのですが、年輩の方ほどツンデレ文化に触れていないのでシャレがわからないみたいなんです」


「若い客限定にしてみたら?」


「兄の方針が“どの男性客に対しても公平に”というものなんです。お客さんごとに接客内容に差をもうけると、苦情の原因になるからなんです」


 尾根の管理がどの程度ゆき届いているのかはわからないが、四六時中見ているわけではない。それでもツンデレ接客をまんべんなく行っているのだとしたら、やはり文香の性格が真面目なのだろう。


「ツンデレがわからない方のお怒りは、それは凄まじいものなんです。怒ったお客様に怒鳴られることはしょっちゅうですが、お財布を投げつけられたこともあります」


「結構キツいな、それ」


「私としては、ツンデレ接客を辞めたいんです。これ以上は辛くって……」


「君が尾根さんの同情をひくため、狂言に走った理由がなんかわかるよ」


「その件は、本当に申し訳ありませんでした」


 文香は深々と頭を下げた。さっきからもう十回は謝罪を聞いた。かなり申し訳ないと思っているのだろう。


「はいよ、餃子とカルビニラ炒めお待ちィ」


 おばちゃんが愛想よく料理を持ってきた。悟が空にした皿をよけて、そこに置く。そして空の皿を持って厨房へと向かった。元気で、てきぱきとしている。


「私も、あんなふうに自然な接客ができれば良いのですけど……」


 カウンターに座っている常連客らしきサラリーマン風の男と談笑しながら皿を洗っているおばちゃんを見て、文香は言った。真剣にそう思っているのだろう。



 

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