不思議なパンプキン 狙われた農業ガール 8

 

 なんの予備動作もなく、突如繰り出された矢作の蹴りは絶技と呼べるものだった。風の速さと抜き身の鋭さを併せ持つ居合のような左のハイキックである。狙いは悟の右側頭部。通常ならばよけられるものではない。空気を切り裂く音と共に、靴を履いた爪先が宙空を踊った。


 それに呼応するかの如く、悟が着ているフライトジャケットの懐が光った。天から輝きそそぐ陽光ですら捉えきれない刹那の所作は、この男にしかできない凄技だった。彼のショルダーホルスターから抜き打たれた物は筒状の“機械”であり、ブラックメタリックの重厚な輝きと質感を持つ。かつて世界中の少年たちが憧れた剣聖のトレードマークである。


 両者の技の激突は、大自然の隙間を縫うほどの一瞬のものだった。頭上にある、秋空を飛ぶ鳥たちの群れは、事のはじめがあったときと変わらぬ伴列のまま、南の彼方へと過ぎていった。太陽の光は今もまんべんなく人の世に降りそそぎ、飛び散った無数の土は既に大地に還っている。そんな穏やかな光景の中、変化したものといえば、ふたりの体勢のみである。


「おいらの蹴りを止めるアンタは、いったい何者ずら?」


 矢作の蹴りは悟の右肩上で、その軌道を終えていた。


「言ったろ? 菜々子のボーイフレンドさ」


 悟はショルダーホルスターから抜いたオーバーテイクのグリップの両端を両の手で持っていた。抜き打ちを実践した右手は順手で柄頭グリップエンドを握っており、親指が下……つまり地面のほうを向いている。始動時にフライトジャケットの前身頃を開いた左手は今、円形のグリップガードに添えられている。両手間に二十数センチの間隔があり、そこに靴を履いた矢作の足が当たっていた。


「おいらのキックを光剣ホーシャの柄でガードするとは、まるで剣聖スピーディア・リズナーばりの速技ずら」


「意外と本人だったりしてな」


「おもしろい冗談ずら」


 矢作は足を引っ込めた。悟もオーバーテイクをショルダーホルスターにおさめた。瞬技の競演となったが、今この場で決着をつける気など両者にはない。


 ────なにやってやがる矢作ィ! さっさと行くぞ!!


 表の道路に停まっているセダンから蛭田の声がした。


「アンタとは、いずれまたやり合うことになりそうずら」


 雇い主の催促の声を聞いた矢作は再戦を予告し、悟の前から立ち去っていった。


 ────オラァ矢作ィ! 遅えんだよ!! 早くしねえか!!!


 ────ひええ、ご主人様、すんませんずら


 騒がしい会話を残し、セダンは発進していった。


「ごめんなさい、一条さん」


 直後、家の中から菜々子が出てきた。電話は終わったらしい。


「あら? あの人たちは」


 菜々子は、静けさを取り戻した庭を見回した。


「帰ったよ」


 悟はニヤニヤとしながら、セダンが消えた方角を指さした。


「そうですか……いま、お茶でも淹れますね。待っててください」


 豊かな胸をなでおろした様子の菜々子は、もう一度家へと入っていった。血なまぐさい一部始終を見てはいないようだ。


(あの“ずら野郎”め、間は抜けているが腕は立つらしい)


 どうにも平穏と縁がない自分の宿命を、悟は心の中であざ笑った。






 この家の庭には小さな円形のテーブルと二脚の椅子が置かれていた。悟と菜々子はそこに腰掛け、ひとときのティータイムをおくることとした。


「庭の畑を見ながら、ここでお茶を飲んだり、ご飯やお菓子を食べるのが楽しみなんです」


 さきほど蛭田を見たときと違い、今の菜々子の目には明るさがあった。


「自分が作った畑を見てたら、達成感にひたれるから?」


 悟は菜々子が淹れてくれたコーヒーに口をつけた。きちんとドリップしたものでインスタントとは香りが違う。菜々子のもてなしの心がわかる一杯だが、それに砂糖とミルクをぶち込むのが悟らしい。


「うーん……それもあるかも、ですけど。でも外にいるのが好きな性分なんじゃないかしら」


「あぁ、それはわかるような気がするよ」


「アウトドアなことにも興味があるんです。キャンプとか釣りとか、お金と時間があれば挑戦してみたいの」


「でも、忙しいのなら無理だな」


「ええ、兼業農家って傍から見るよりたいへんなんですよ」


 自分のことを語る菜々子の目には、やはり悲壮はなく明るい光だけがさしている。好きでやっていることならば、それでいいのだろう。世間のしがらみがない生活で女ひとり、生計が成り立つのならば忙しくとも幸福なのかもしれない。


「いっそ庭にテントはって、アウトドア気分にひたってみたら?」


「あ、いいかも!」


「でも、それってちょっと寂しくないかな」


「たしかに。じゃあ彼氏ができたら考えます」


 とりとめのない会話がもたらす時間は、ふたり分のコーヒーの香りとともに秋風が空へと運びゆく。穏やかなひとときだが、そろそろ本題に入らなければならない。


「さて、“仕事”の話に入るけど、さっきの連中の目的に心当たりがあるみたいだね」


 こういうとき一条悟という人は、あまり真面目な顔をしない。今もニヤニヤとしている。深刻な状況下にある依頼人を不安にさせないための配慮だった。


「今朝君を襲ったのは、あの“ずら野郎”で間違いないだろうが、蛭田が人を使ってまで凶行に走るってのはよっぽどのことだな」


 ずら野郎……つまり矢作は異能者に違いない。さきほどの強烈な蹴りを見ればわかる。そんなヤツをわざわざ雇う蛭田の目的とはなにか?


「あの人たちが“狙っているもの”があるんです」


「狙っているもの?」


「すこし、ここで待っててくれますか?」


 菜々子は椅子から立ち上がると、ガレージタイプの倉庫のほうへと向かった。


(さて、なにがあるのやら)


 倉庫のシャッターを開ける菜々子の、チノパンを穿いたボリューミィな尻を眺めながら悟は待った。連中が狙っているものが庫内にあるのだろう。ほどなくして菜々子は、とある“球形の物”を持って、帰ってきた。


「“これ”が、あの人たちが狙っているものです」


 彼女が手にしているものは、一個の“かぼちゃ”だった。



 

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