剣聖の記憶 〜女王ふたり〜 14


 グランプリシリーズ日本大会が開幕した。週末ということもあり、会場となるここ豊橋スーパーアリーナは初日から、なかなかの客の入りを見せている。男女シングル、ペア、アイスダンスの世界的有名選手たちが出場するため、外国人客たちの姿も見られ、さらに日本各地からフィギュアスケートファンが集った。今期の行く末を決める公式戦なので、海外からやって来た報道関係者も多数いる。ましてや今回は香田美冬のボディーガードである剣聖スピーディア・リズナーの姿が見られるかもしれないということで、いつもとは違うミーハーな客たちも少なからず見られる。


 試合は昼からはじまり、金曜と土曜の二日間で大半を消化するため、スケジュールとしては過密なものである。日曜日の午前中にアイスダンスの決勝がおこなわれ、そのあとゲストのプロスケーターたちによるアイスショーと出場選手たちによるエキシビションが予定されている。


 美冬と、そのライバルであるエカテリーナ・グラチェワが戦う女子シングルは金曜日の夕方からショートプログラムがおこなわれている。世界各国からやって来た銀盤の妖精たちは、女王ふたりを含めて十二人。皆が豊橋スーパーアリーナのリンクに思い思いのストロークを描き、会場に流れる曲を様々な演技質で表現している。こまやかで華麗なステップを駆使し観客を魅了する者もいれば、力強いジャンプで場内の空気を熱く変動させる者もいる。軽妙な曲に合わせ女の恋心をコミカルに演じる者もいれば、重厚な曲に合わせ女の情念をシリアスに演じる者もいる。どれも個性豊かなものである。


 曲後の彼女たちの表情も様々だ。ノーミスで演技を終え、キスアンドクライでコーチとともに満面の笑顔を浮かべる者もいれば、納得いく結果を出せず、リンクの中央でうなだれる者もいる。皆が発揮した内容に見合う採点を受け、それに伴う判定と順位を得る。見た目華やかなフィギュアスケートだが、やはり点数ですべてが決まるスポーツ競技だ、と実感する瞬間である。


 六番滑走の美冬がスケート靴を履いて氷上にあらわれたとき、客席から今日最大の割れんばかりの拍手がおこった。日本人の彼女にとって日本大会とは凱旋試合にあたるので当然だ。そして世界を代表するトップスケーターであり女王と呼ばれる女だ。歓声と拍手をおくる客たちの中には美冬を応援するための旗や横断幕を持つ者もいる。皆がスターの登場を心待ちにしていたのだ。


 そんな賑やかな空気の中、リンクをかるく一周した美冬はフェンスのそばで立ち止まった。彼女の前にイリヤがいる。リンクの内にいる選手と外にいるコーチはフェンスを挟んでなにかを話している。演技を前にした技術要素の確認か、それともイリヤが美冬にハッパをかけているのか。短い会話の中身は、この会場にいる誰にも聴こえない。美冬はかるく頷いて、フェンスから離れた。


 リンクの中央に立ち、美冬は左手を胸に当てポーズをとった。ショートプログラムの曲はベートーヴェンの『月光』。前奏に合わせ、しずかに踊りはじめた。手先から爪先まで精魂こめた丁寧な出だしである。


 美冬の演技は観客の目をくぎ付けにした。流れるようで、それでいてスピードがのった滑走から高難度のコンビネーションジャンプを決めると、そのまま勢いにのり、さらに跳んだ。二度目のコンビネーションジャンプである。高さもあるが、それでいて着地時の流れも良い。そのまま、さらに単発のジャンプを跳んだ。これも成功である。


 三週間前のアメリカ大会では狙撃された心理的影響から散々な結果に終わった美冬だが、その恐怖からは解放されたようである。それは会場にボディーガードの悟がいるからか、それとも超常能力実行局愛知支局の連中が複数人、警護として張っているからか。どちらにしろ心の落ち着きを取り戻し、演技に集中しているようだ。彼女が滑ると、ゴールドのラメが入った衣装が氷上にきらびやかな幻影を残す。ステップに入ると会場全体からノリ良く手拍子がおこった。客は素直である。良い演技には良い反応を示すものだ。


 二分半の曲が終わり、大きな拍手が鳴り響いた。演技とプレッシャーから解放された美冬は笑顔で手を振り、それらに応える。女王と呼ばれる女は気が強く神経質な側面を持つが、やはりファンの前ではエンターテイナーであった。彼女らしい儚く可憐な演技で、叶わぬ恋を存分に表現したと言えるだろう。ミスもなかったため高得点が期待できる。客から花束が投げ込まれなかったのが残念だが、これは美冬が狙われているため会場運営側が禁止したのだ。不審物対策である。


 場内アナウンスが点数を告げたとき、またも大きな拍手がおこった。七十九点台が出たのだ。惜しくも八十点には届かなかったが、シーズンベストは大きく更新した。キスアンドクライで軽くコーチのイリヤと抱擁した美冬は椅子から立ち上がって会場全体に右手を振った。客席はさらに沸き、そしてテレビカメラたちはみな一斉に女王のほうを向き、復活した彼女の姿を世界中の茶の間におくった。


 そんな美冬が残した素晴らしい演技の余韻もさめやらぬなか、赤の衣装を身にまとったひとりの少女がリンクにあらわれた。こちらもまた若くして女王の異名を持つ存在である。いや、いまや同じコーチに師事する美冬を凌ぐ評価を得て“新女王”と呼ばれる身だ。ロシアからやって来た彼女は、わずか十七歳にして手にした主要なタイトルと名声を引っさげ、ここ豊橋の地にあらたな伝説を刻もうというのだ。当代最高の技術と表現力をもって……


 そんな新女王の美しい顔には落ち着きがあった。前回出場したカナダ大会のときは厳しい表情だったが、今回は違うようだ。余裕すら感じさせる微笑を浮かべ、リンクを一周するその姿には若年に見合わぬ気高さすらある。


 そんな気配もまた、場を圧する女王の存在感か。今まで美冬が描いた銀盤の軌跡に酔いしれていた日本人客たちが敵国の選手たる彼女に盛大な拍手をおくった。それはスポーツが人種問わずすべてのものに平等であり、そして国境を超えたもの、というなによりの証なのかもしれない。美冬を応援しつつも、どこかで、さらに上をゆく“なにか”を見たがっているのだ。


 リンク中央でエッジを止めたエカテリーナが両手を胸に置きポーズをとった。美冬と同じコーチに師事する彼女のショートプログラム曲はバッハの『G線上のアリア』。


 

 

 

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