剣聖の記憶 〜女王ふたり〜 12


 十一月某日。グランプリシリーズ第四戦日本大会を三日後に控え、愛知はわいていた。近隣の市民のみならず、日本中から人々が駆けつけ、試合会場となる豊橋スーパーアリーナ裏に群がっている。千人はいるだろうか? それをロープの内側から制止する警備関係者の数も二十人近く。一般人の他に日本の全テレビ局、新聞社らマスコミの関係者も多い。理由はもちろん、ここにやって来る“スーパースター”を拝むためである。


 敷地内に、防弾加工をほどこされた黒のワンボックスカーが入ってきた。集まった人々の歓声が高まる中、それは裏口前で停車した。後部のスライドドアが開くと、最初に黒服の男ふたりが降り、そしてそのあとに厚手のパーカーを羽織った香田美冬が続いた。


 彼女を見て、集まった人々が歓声をあげた。現在八社のCMに出演するフィギュアスケート界の女王があらわれたのだから当然だ。命を狙われている身のせいか報道陣が焚くフラッシュの数も、いつもより多い。ニュースのネタとしては格好のものだからだろう。


 美冬は、そんな人々に軽く頭を下げると、すぐに裏口へと歩き出した。左右にぴったりとついている黒服ふたりは超常能力実行局愛知支局のEXPER《エスパー》である。国際異能連盟の依頼を受けて美冬を護衛しているのだ。狙撃事件以降、有事にそなえ連盟の関与が厚くなった。

  

 そして、ワンボックスからもうひとり、男が降りたとき人々の歓声はピークに達した。


剣聖スピーディア!」


「いやあ、こっち向いて!」


「サングラスとって!」


「あたしのプレゼント受け取って!」


「私、あなたを愛してるの!」


 サングラス姿のスピーディア・リズナー、一条悟を見て、警備員に阻まれながらも女たちが黄色い声をあげた。最後の剣聖とも“偶然の”剣聖とも呼ばれ、世間から二分した評価を受けているこの男だが、さすが異能業界のスーパースターだけあって女からの支持は圧倒的である。もちろん報道陣のフラッシュはすべて悟に向けられた。美冬の人気を凌ぐ。


「スピーディア! 香田美冬選手を狙撃から救ったそうですが、その件についてなにか一言」


 美しい顔を赤らめながら訊いたのは東京キー局の有名女性アナウンサーだ。彼女だけでなく他局のスタッフたちも一斉にマイクを悟に向けた。


「スピーディア、久々の日本はどうですか?」


「香田選手を狙う犯人に心当たりは?」


「オーストリアの世界的美人ピアニスト、コリンナ・モロダーとの熱愛報道の真相は?」


「ついにハリウッド映画出演のオファーがあったと聞いていますが本当ですか?」


「スピーディア、豊橋のカレーうどんはもう食べましたか?」


 美冬と関係ない質問も多く飛び交うなか、悟はフライトジャケットのポケットから出した右手を軽く挙げて応え、そのまま裏口へと足を向けた。


「いやーん、あっち行かないでえ」


「サインして、スピーディア!」


「わたしは、あなたのものよ!」


 そう叫ぶ若い女たちの中に、スピーディア・リズナーモデルのフライトジャケットを着ている者がちらほら見られる。悟と独占契約を結んでいる鹿児島の企業、藤代ふじしろアームズのアパレル部門が製造している民生品のレプリカで、どれも右肩に“into the fire”のワッペンが刺繍されている。愛する“彼”と同じ格好をする女たちのことを日本では“剣聖女子”と呼び、英語圏では“スピーディア・ガール”と呼ぶ。彼女らを見れば、悟の人気のほどがうかがえる。非公式のスピーディア・リズナーファンクラブは日本国内に三十以上あるともいわれる。


「いつも応援してくれてありがとな、愛してるぜ」


 一瞬、足を止めた悟は、彼女らに聴こえるように言って、二本指で投げキッスをおくった。


「はあああああぁっ……!」


 豊橋の爽やかな秋風にのって届いた剣聖の甘い口づけを受け、女たちの腰が砕けた。


「愛してるわ、スピーディア!」


「やっぱり、あなたは最高よ!」


「今のキッスは、あたしに向いてたわ」


「なに言ってんのよ、私でしょ!」


「あんたたちバカぁ? スピーディアの指先と視線は、あたしのほうに向いてたわ」


「ああ、私のスピーディア……」


 そんな、とろけた女たちにもう一度手を降って、悟は裏口から会場に入った。すると黒服ふたりを従えた美冬が立っていた。中では報道陣をシャットアウトしているので、ドアが閉まると周りは静かなものである。


「けっこうな人気ね」


 彼女の言葉には棘があり、そして表情には険があった。


「もし家を建てるときは、一夫多妻制の国に引っ越すさ」


 悟は外したサングラスをフライトジャケットの内ポケットにしまった。その美貌を披露していたら、さっきの女たちはもっと喜んだに違いない。


「まさか嫉妬してる?」


「冗談でしょ、わたし、あなたみたいなチャラ男は嫌いよ」


 赤くなった美冬は、そっぽを向くと、悟の前から歩き去ろうとした。


「あっれぇー、ミフユじゃん」


 その声がしたとき、白いスニーカーを履いている美冬の足が止まった。会場の関係者通路のほうからあらわれたのは、同門のライバルにして、もうひとりの女王、エカテリーナだった。



 

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