混浴でドッキリ! 悟とアラサー女子の、アツアツ温泉紀行 10

(まったく、温泉慰安旅行のつもりが、とんだ事態になったわね)


 自分にあてがわれた旅館の一室で、山吹愛菜は深くため息をついた。さきほど混浴の脱衣場で会った女将、鳥越茉莉花の体内に人外の影を感じたからだ。結局、温泉どころではなくなり、ここに戻ってきた。茉莉花を救わなければならない。それがフリーランス探知能力者たる彼女の“仕事”である。


 愛菜が、この旅館に到着したのは夕方の五時半ごろ。そのころ、茉莉花は不在だったと言っていた。だから帰って来た彼女と脱衣場で直接会って気づいたのである。近くにいれば、確実に探知できただろうが、茉莉花が寄り合いで出向いていた先が牧園の中心地ならば距離がある。人外が糧とする負の気を感じなかったのも無理はない。条件や調子が良ければ数キロ離れていても探知できることがあるが、コンディションが常に整うわけではない。


 愛菜のような探知能力者ならば、被憑体が不在でも、その被憑体が大気中に残した負の気から異変を感じとることができる場合もある。だが、今回はそういう事態にならなかった。


(あまり力が強い人外ではないわ。そして、まだ発現したこともない。今、処置すれば高確率で助けることができるはず)


 探知能力者たる愛菜には、ここまでのことがわかるのだ。茉莉花に宿っている人外の力がさほど強くなかったため、外部に発する負の気の量が少なかったことも考えられる。だから館内に残留していた“もの”がなかった。脱衣場で茉莉花と接近しなければ感じとることができなかった、と状況を分析できる。このあたりで人外絡みの事件がおきたというニュースは聞かないので、まだ“発現”していないのはほぼ間違いない。


 二十八歳の愛菜は元々、退魔連合会鹿児島支部の退魔士だった。仕事は順調で、顧客や出資者たる会員たちからの評判もすこぶる良かったが、人外から人々を守る使命より、利権や派閥を優先する上層部に嫌気がさし、二年前に独立してフリーランスとなった。多少、金銭面や営業面で苦労することがあっても、集団組織のしがらみから脱却できることに夢を感じていたのである。そして、同じくフリーランス異能者である祖父、山吹徳之進のサポートにまわることで生計をたてるようになった。退魔連合会に所属していたころと比べ収入が減ったため、住んでいた部屋を引き払った実家ぐらしの身であるが、組織人の堅ッ苦しさもなく、今はささやかな充実を感じている。いずれ誰かと結婚してフリーランス活動を生業とする兼業主婦にでもおさまれば良いと考えているが、現在付き合っている男はいない。趣味は独立してから始めた女子向けゲームのほか、アニメ視聴、漫画あつめなど。同居している五十代の母親から“たまには合コンでもしたら?”と、冗談でよく言われるが、いますぐ身を固めるつもりはない。同級生たちも、まだ独身が多い。


(まったく……それにしても)


 さきほどの脱衣場でのできごとを思い出すと、顔から火が出そうになってしまった。一条悟に裸を見られた件だ。まさか日付けが変わると混浴になる仕組みだったとはつゆ知らず。下着姿をばっちり見られてしまった。


(ああ、なんて恥ずかしい)


 畳の上に置いたボストンバッグの前に正座し、愛菜は赤く熱くなった頰を手でおさえた。この“鹿児島自営異能者友の会”の慰安旅行は一泊二日の日程であるため、明日帰る前にも悟と顔を合わせなければならない。それがまた恥ずかしい。

 

(せめて、見られるとわかっていれば……)


 愛菜は浴衣の前をつまみ、ブラジャーに包まれた自分の胸を見た。量販店で買った安物のシームレス下着で、あまり色気のあるものではない。ふだん男に見せる機会がないため、こういうところで油断をしてしまうものだ。色が黒なのが不幸中の幸いであったろうか。これでベージュとかキャラクター物の下着とかだったら目も当てられない状況になっていた。


(せめて、一条さんに見られるとわかっていれば、もっと色っぽい下着を……)


 いちおう、それなりに良い下着も持っているのだ。どうせ見られるなら、せめて……と、そこまで考えたところで、愛菜はいったん思考をリセットした。


(ちょっと待って。なぜ、一条さんに見られること前提で下着を選ばなきゃならないのよ!)


 首を振って、現実的な思考を呼び戻す愛菜。冷たく静まりかえっていた部屋が、なぜか急激に上昇したテンションで、ほんのすこしだけあたたまったような気がする。通常、ここは三、四人くらいで利用する客室なのだろうが、旅行シーズンを外しているせいか今夜は自分一人だけ入ることができた。それなりに広めの部屋だが、旅館の外装に比して質素なものだ。中央に円形のテーブルがあり、窓に近いほうに布団が敷いてある。祖父の徳之進は別室で、他の老人と相部屋だ。


(でも、一条さんって、ステキよね……ちょっと軽くてスケベそうだけど)


 愛菜は、まるで趣味の乙女ゲームの攻略キャラのような悟の顔を思い浮かべた。優男で女性的なルックスをした抜群のハンサムだ。そんじょそこらの芸能人では太刀打ちできないレベルのカッコよさは、まるで夏に死亡が報じられた剣聖スピーディア・リズナーのようである。面食いの彼女としては、ちょっと気になるタイプだ。


(もし、あのまま老師様が入ってこなかったら、どうなっていたのかしら?)


 ふと、悟と混浴するシーンを想像した。湯船でふたり肩を並べて、ゆっくりと身体をあたためたあと、さびれたこの旅館の同じ部屋で、同じ布団で……


(あー、いかんいかん。なに、やらしいこと考えてんのよ、私は!)


 強く頭を振る愛菜。R指定乙女ゲームの後半の前半くらいにありそうなシーンが頭をよぎってしまった。イベントCGをフルコンプリートするタイプの彼女の頭の中は、いま一瞬、悟とのみだらな関係に埋め尽くされていたのだった。


(とにかく、あんなスケベ男のことじゃなくて、“仕事”のことを考えなくっちゃ!)


 自分の頬をかるく叩き、気合を入れなおす。これから茉莉花のもとへ出向き、彼女が人外に取り憑かれていることを告げる予定である。霊的治療に対応した医療機関への通院をすすめるのが最善の策だが、万が一のことがあるため悟、平太郎と一階ロビーで合流してから三人でおもむく。もし戦闘になった場合は、あの二人が頼りだ。


 愛菜はバッグの中から一枚の“形代”を取り出した。紙で作られた小さな人形で手のひらほどの大きさだ。これは彼女の“商売道具”である。職業柄、プライベートであっても、いざというときのため持ち歩く物だ。


(一条さんは、ちょっと頼りなさそうだけど、老師様がいてくだされば安心ね)


 悟の優男ぶりを思い、すこし苦笑する愛菜。たしかに、あまり頼りになりそうではない。だが、平太郎とは古くからの友人らしいので案外使える男かもしれない。もちろん、スケベジジイであっても好爺老師と呼ばれる平太郎への信頼は大きい。


(おじいちゃん、ちょっと仕事してくるわね)


 そして別室で寝ている祖父の徳之進に内心で告げた。肉親である前に仕事上のパートナーであるため連れて行くのが筋だ。だが先日、久々の現場で人外に尻をかじられた徳之進は、まだ本調子ではない。平太郎も“徳さん抜きで片付くじゃろ”と言ってくれた。孫としてはありがたいことである。


 愛菜は立ち上がると、動きやすい私服に着替えるため浴衣を脱いだ。なんとなく鳥肌がたつような気がするのは気温が低いからではなく、仕事の前だからであろう。冷たい空気にさらされて引き締まっているのは白い肌だけではない。くびれたウエストを中心として造形された肉体もまた、スレンダーに締まったものだ。


 さきほど悟に見られたシームレスの黒いブラジャーの中につまっている胸は83センチのCカップとさほど大きくはないが、なめらかで流麗な曲線を上体に描いている。白く綺麗な肌も相まって美乳といえよう。同じく黒いシームレスショーツからのぞく太股も白く輝いており眩しく、くるぶしまで伸びる細い美脚の出発点となっている。高校生のころからほとんどスタイルが変わっていないのがひそかな自慢だった。


 そのとき、この畳の間と部屋玄関とを仕切る障子が開いた。


「誰ッ?」


 慌てて床に落ちていた浴衣を掴み、愛菜は身体を隠した。


「お客様、お夜食にスープをお持ちいたしました」


 三つ指をついて、そこにいたのは人外に取り憑かれている女将の茉莉花だった。





 


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